以下は、こんなとこを訪れる人はまずいないだろうと思い、とりとめのないことを徒然なるままに書いた文章である。


    佐藤 武一命

     北海道出身
     歩兵第二十二連隊
     昭和二十年四月十日没・満二十三歳
     陸軍軍曹

     昭和二十年四月一日、米軍は沖縄本島に侵攻した。
    これを迎え撃つ沖縄守備軍の第三十二軍第二十四師団の配下に、
    主力として佐藤軍曹の連隊は所属し、六月二十一日まで軍官民あげて勇戦敢闘したが、
    軍曹は、四月十日の戦闘で戦死された。
     昭和五十六年四月と同年十二月、佐藤軍曹の母ナミさんは、靖国神社を訪れて木彫
    の熊と馬の親子を奉納され、翌年三月には再度訪れ、花嫁人形を奉納された。
     靖国神社に嫁入りした人形の桜子さんには、母の想いを込めた、次の手紙が添えら
    れてあった。

     武一よ、貴男は本当に偉かった。二十三歳の若さで家を出て征く時、今度会う時は
    靖国神社へ来て下さい、と雄々しく笑って征った貴男だった。
    どんなに厳しい苦しい戦いであっただろうか。
    沖縄の激戦で逝ってしまった貴男・・・・・・
    年老いたこの母には、今も二十三歳のままの貴男の面影しかありません。日本男子と
    生まれ、妻も娶(めと)らず逝ってしまった貴男を思うと、涙新たに胸がつまります。
    今日ここに、日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。
     私も八十四歳になりましたので、元気で居りましたならまた会いに来ますよ。
     どうか安らかに眠って下さい。  有りがとう。

       昭和五十七年三月二十八日
                       母 ナミ
     武一の命御前に

    (「英霊にこたえる会」より抜粋)


「 同 期 の 桜 」

1.貴様と俺とは同期の桜    同じ兵学校の庭に咲く
  咲いた花なら散るのは覚悟  みごと散りましょ国のため

2.貴様と俺とは同期の桜    同じ兵学校の庭に咲く
  血肉分けたる仲ではないが  なぜか気が合うて別れられぬ

3.貴様と俺とは同期の桜    同じ航空隊の庭に咲く
  仰いだ夕焼け南の空に    未だ還らぬ一番機

4.貴様と俺とは同期の桜    離れ離れに散ろうとも
  花の都の靖国神社      春の梢に咲いて会おう

(作詞:西条八十)


 いつだったか、政治家の靖国神社への公式参拝は違憲である、という最高裁の判決
をニュースで見た。確かに日本を悲劇のどん底に落とした「国家神道」が誤りである
ことや、国が特定の宗教をかわいがるのがよくないことは誰の目にも明らかであろう。
しかし、「国の為、天皇の為」と自ら勇んで死出の旅に出た人たちに対して、あるい
は、残された遺族に対して、いくらなんでもそりゃああんまりじゃないだろうか?

 私にとっては別に何十年も前のことだし遺族でもないので(もちろん右翼でもない!)、
関係ないことは関係ないのだが、なぜか憤りを覚える。私的に参拝したって構わない
が、「日本」という名前をしょって参拝することにこそ意義があるのではないのだろうか?

(1999年2月)

 先日、この「つぶやき」ページの文章中に不適切な記述及び、表現があることを
このHPを訪れてくださった方から指摘していただきました。
まさか私の知らない他の方がご覧になっているとは・・・、びっくりです。
このページではタイトルにもある通り、「靖国神社」について書きたかったので、
「日の丸・君が代」に関する記述は削除致します。

最後になりましたが、不快に感じた方々に対し、深くお詫び申し上げます。

(2000年8月12日)

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