監督・脚本:ぺトロ・アルモドバル 2000年5月21日@シアターキノ もちろんマヌエラが主役だがどちらかというと複数の登場人物が入り乱れる群像劇に近いものがある。そして全員が精神的に女であるのだがこれに気付いたのは後半に入ってから。マヌエラの元夫が今はゲイという序盤から既に倒錯していて、さらに「モノはカットしていないがおっぱいはシリコンで大きい」ゲイやらマヌエラの元夫の子供を身ごもっている女やらヤク中のレズビアン舞台女優やらが大挙して登場してくるので途中までは誰が生物学的に♂なのか♀なのか、誰が精神的に女なのか・・・・・・これがゲイの沢山いるニューヨークやロサンゼルスに住んでいたらすんなり入り込めたのかも知れないが、映画に関係ないところで色々と想像してしまって途中までは少々集中できなかった。しかしそんな不満も後半には吹き飛んでしまう。誰が男で誰が女なのかはもはや意味をなさなくなり、そこには圧倒的な強さを見せる母性に男はもはやひれ伏すしかないのである。 というわけで男である私はこの映画を観て泣くわけでもなく、共感するわけでもなく、ただただ登場する女の強さに尊敬の眼差しを向けるのみであったのでした。もちろん、思うところはあったのですがなにせ男が出てこないんだから仕方がない。監督だって「全ての女性に捧げる」って言ってるし、今回は門外漢かもなという一抹の寂しさを覚えたりもした。マドリードとバルセロナを結ぶトンネルは産道を想起させるが、この二つの都市を行き来することは深い意味があったのだろうか。先にも書いたが、母とは強いものだ。しかし、その強さは他者があって初めて成立する強さのように思える。息子を事故で失ったマヌエラがバルセロナに向かったのは息子のためではなく、彼女自身が行きたかったら。自分を必要としている人間がいるところへ直感的に足が向いたからではないか。 そして物語は偶然に彩られて展開していく。マヌエラの部屋には知らず知らずのうちに肩を寄せ会うように人が集まってくる。頼り、頼られてこそ人間は愛しい存在となり強くなるのだろう。全ての女性が本能的に優しさを提供するラスト近くは誤魔化しや嫉妬やその他諸々の雑念を越えた崇高さを感じてホッと安心した。音楽も凄く良い。マヌエラがバルセロナへやってくるシーンでサグラダファミリアをバックに流れるタンゴは絶品であった。 セシリア・ロスは今回初めて観たが、何とも素晴らしい女優だ。慈愛と包容力の大きさはまるで観音菩薩のようではないか。彼女の着ていたコートなど強烈な赤がアクセントとして良く効いているが、部屋の内装はどうしたものか。あれがスペインの住宅の一般的な内装ならば、もし万が一スペインに引っ越した場合、私は全ての壁紙を剥がさなければなるまい。だって「シャイニング」に出てくる幾何学的な模様とそっくりなんだから恐くて眠れないではないか。
総合:78点 |