監督:ミロシュ・フォアマン 2000年6月18日@P.U.シネマ11 恐らくほとんどの日本人はこの映画を通じてアンディ・カフマンを知るだろう。アメリカのコメディアンというと普通に日本に暮らしていたら彼らが映画に出演しない限り彼らを知るチャンスは無いに等しい。かくいう私もそうなのだが、アンディ・カフマンの「ア」の字も知らなかった。それは恐らくアメリカと日本の間に横たわるコメディセンスの違いに基づいているのだろう。「笑い」とはすなわち「生活」であるから住む環境が違えば「面白い」と思えることも違っていて当たり前だ。しかし、アンディ・カフマンの目指した笑いはそんな障害は軽く飛び越えてしまう。彼は観客を苛立たせ、あざけり、不安にさせる。そうしてから一気に笑いへ昇華させてしまう。コメディ・ショウに来ている観客は笑いに来るものだ。それを逆手に取った数々のパフォーマンスは独創的で、何度も登場するのにその度に騙されてしまった。 アンディ・カフマンはステージの外にある彼の人生をも笑いに仕立てようとした。彼の笑いはアメリカ国民全員を相手にしたものであり、こんな事が出来るのは余程の馬鹿か天才しかいない。かつて天才モーツァルトを映画化したフォアマン監督はこの映画でも傑出した演出力を見せる。映画を始める前にアンディに扮したジム・キャリーを登場させ、「この映画はつまらないよ」と言わせる。夭折したコメディアンの物語にも関わらずだ。果たしてアンディ・カフマンは映画の終盤で本当に死んでしまうのだろうか。この映画は確かに笑えるところは沢山あるがそういったわけで最後まで目が離せないのだ。 この映画を観て笑い、怒り、そして泣いた。間違いなく傑作だと言える。世界一のジョーカー、アンディ・カフマン。彼のお笑い人生は完全に彼自身のためのものだった。恐らく観客が一人も居なくても彼はパフォーマンスを続けただろう。良く世間では笑いを軽視してしまう風潮があるが彼を見れば笑いが芸術であることが分かる。そして終盤、彼が不治の病にかかりカーネギーホールの舞台に立つとき芸術は頂点を極める。「これが彼のやりたかったことだったのか、また騙された」と涙し、肩を抱き合って歌う人々の笑顔を見てまた涙した。エンディングに流れるREMの歌を聴きながら考えた。彼は本当に死んでしまったのだろうか。もしかしたらフィリピンで出会ったイカれたジョークに入れ込んで復活の機会を狙っているのでは。たまにトニー・クリフトンを演じながら。 この映画のジム・キャリーは凄い。ノミネートもさせなかったアカデミー賞関係者はこの映画を観ていないか観ていたとしてらそれは尻の穴から観ていたに違いない(意味不明な上に下品ですみません)。カフマンに縁のある人々も多数重要な役で登場し、彼がショウビジネス界に大きな影響を与えたことが良く分かる。
総合:98点 |