監督:アレハンドロ・アメナーバル 2000年4月29日@蠍座 久しぶりに本当に面白かったと思えるサスペンスの登場だ。現在の世界では仮想現実は身近なところまで来ている。このサイトだって「ハリウッドみゆき通り」という架空のコミュニティーにある3545番地という架空の空間と言える。自動車学校ではコンピュータ画面を見ながら運転をシミュレートする。しかし、科学が今ほど進んでいなくとも人類が誕生した瞬間から(もしかしたらもっと前から)仮想現実は存在していた。何故なら私たちは必ず夢を見るからだ。夢は眠ることと同じく人間にとって必要な緩衝剤・栄養剤である。 他人の夢というのは総じてつまらないものだ。本人がいくら熱心に話したところで聞く側にとってそれは苦痛であり、話もそれ以上広がらない。我々にとって現実とは真実であり、夢とは仮想現実・嘘の世界である。しかし、もし夢がさめなかったとしたら?「起きているのにまるで夢を見ているような感覚ってないか?」と「マトリックス」でも言っていたっけ。夢が続いたままなら現実と区別が付かなくなるではないか。得体の知れない恐怖心が生まれてくるのは私だけだろうか。この映画には大きく二つの恐怖が付きまとい、観客を不安に陥れる。一つは現実と夢の境目が曖昧になっていく、自分の居場所が分からなくなっていく精神的なダメージ。もう一つは肉体的な、顔の喪失だ。主人公セサールは自らの美貌に絶対の自信を持つプレイボーイ。彼にとってアイデンティティとは金と高級車と顔だ。それを見抜いた女(ペネロペ・クルス)に初めて「愛」のようなものを感じるセサールだったが、その直後に顔を失い、同時に自分も失う。女はセサールを見捨てるようなことはしなかったが、セサールは女に愛されている実感がわかない。セサールにとって顔の喪失=自己証明の喪失であるため女が愛しているのは自分ではなく、醜い顔のモンスターだと錯覚する。 一見何の意味もなさそうな何気ない日常のシーン、セサールの遺産を脅かす会社重役、ペネロペ・クルスの裏のなさそうな美貌など複数の要素が絡み合い、予想不可能な展開を見せる。さらに女にもてない親友との何気ない会話は後半に切ない青春映画のような苦い味わいを作り出すのに成功している。スペインの印象にはない雨や暗い刑務所のシーンが不安感を煽るのに効果的だった。アレハンドロ・アメナーバル監督は1972年生まれと信じられないくらい若い。驚くべき才能の誕生だ。
総合:93点 |