有史以来,日本の為政者たちが第一に考えていたこと,それは支配者のメンツを保つことであった。朝廷や徳川幕府が行った政治はその最たるものである。民政という観点から見れば戦国大名の「分国法」の方がまだ民主的ではなかろうか。
現代においても,憲法や法律では表面上は民主的かも知れないが,詳細は曖昧で,どうにでも解釈できる。頻繁に「通達」が,「政府→県庁→役場」という経路で伝達され,行政の現場では法の精神よりも,この通達の方が優先されているのが実状である。
国旗・国歌問題
1999年8月,それまで曖昧であった「日の丸・君が代」が「国旗・国歌」に法として認定された。「日の丸・君が代」が「国旗・国歌」にふさわしいかどうかの私見を書くことは差し控えるとして,今なぜ,これらを法律で決めなければならないのか。小渕総理は,広島県世羅高校の校長が自殺した事件が動機であったと述べている。
この事件の原因について広島県教委の言い分はこうだ。
一方,教職員組合が「日の丸掲揚・君が代斉唱」に反対する理由は,戦前の侵略行為等いろいろあるが,その理由のうちの1つである法的根拠は,これらが「国旗・国歌」ではない,ということであった。すなわち,文部省が違法行為を強制していたのであって,世羅高校の校長は違法行為の強制によって殺されたのである。この点について述べている新聞がないということが嘆かわしい。
それならば,「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」と法律で決めてしまえば,教職員組合が反対することは違法行為になる。「法律で決まっっとんじゃ。つべこべ言わんと法律に従わんかい!」これがこの法律制定を急いだ理由である。
「日の丸・君が代」問題に関しては次のような事件もあった。
問題は今後の運用
この法律はたった2行,国旗と国歌は何であるかを書いてあるだけ。運用について何も記述がないということは,今後どのような通達が発令されるか解らないと言うことと同意語である。野中官房長官は学校行事等に際し,「指導」と表現していたが,現場にとってこのような軽い言葉では済まないだろう。
文部省から通達されたら,都道府県(以下県)や市町村はどのような行動に出るか,みなさん知っていますか?県の仕事には国の業務委託という内容も含まれており,どこかの省庁から出向して来ている官僚が必ずいる。通達が達成されるかどうかは,こいつらのメンツと,中央省庁に戻る時の手柄の問題になる。一方,県としても財政を国からの援助に頼っているものだから,こいつらの顔色をうかがい,市町村や県立学校に伝わるときには「おそれ多くも文部省からこのようなお願いが出されておる。くれぐれも粗相のないようにな」と命令と同格になっている。