The Last Samurai ラスト・サムライ (2003年12月)
19世紀末期、南北戦争の英雄と見なされながら罪もないインディアンを皆殺しにしたことなどから罪の意識を感じているオルグレン (トム・クルーズ) は、近代化を図る日本で銃の扱い方を教えるよう乞われ、渡日する。そこは近代化の波が侍文化を駆逐しようとしていた。しかし、まだ鉄砲隊の準備もできないうちに最後の侍と目される勝元 (渡辺謙) との合戦で敗れ、捕らわれの身となったオルグレンは、それまで自分の知らなかった世界に、知らず知らずのうちに引き込まれていく‥‥
(注): 結末に触れてます。
ハリウッド・スターというものは善かれ悪しかれ出たがり根性が横溢しているものだが、その代表とも言えるトム・クルーズによる武士道を描く映画と聞いて、ちょっと疑問に思った者は多いだろう。実は私もそうで、なんか、一人でカン違いサムライを創造して悦に入っているような映画を作ってはいないだろうなと、かなり不安だった。
しかし最近かかり始めた予告編を見ると、かなり真面目に作っているようで、なによりも「キル・ビル」を見た後だと、チャンバラ、いや、剣道の稽古のシーンがちゃんと型になっているのになかなか感心して、期待が高まってきた。考えたら演出はエドワード・ズウィックだし、クルーズに振り回されるだけでは終わるまい。
とはいえ、主演俳優がプロデュースも兼ねている作品は、どうしても本人の出たがり根性を抑えきれず、結果として作品をぶち壊しにしてしまう例が多い。クルーズ自身の「バニラ・スカイ」がまさしくその最たるものだった。しかしクルーズの偉いところはそこからちゃんと学習し、同じ轍は踏まないところだ。あるいは、今回は演じる役が献身や慎みを美徳とする侍文化に触れる男というものであるため、嫌でも一歩引いた演技にならざるを得ず、それがある程度はいい方向に作用したと言えるかもしれない。
クルーズはアメリカ男優にしてはそれほど身長が高いわけではないし、髪も濃く、日本人の中に入ってもそれほど違和感がない。そこまで意識してのサムライ映画の選択だったかは知らないが、絵としてなかなか悪くない。これが足が長すぎたりすると袴姿が絵にならず、まったく「ショーグン」のリチャード・チェンバレンになってしまい、完全に異国人の目から見た日本という図式でしかとらえられなかったりする。いずれにしても、一方の完全に敵役となるバグリーに、いかにもといった感じの長身痩躯のトニー・ゴールドウィンを持ってきたところを見ると、わりあい意識はしているようだ。
また、たとえところどころ時代考証や蓋然性という点で眉唾のような点が見受けられようとも、異国の歴史や文化に真面目に取り組んで、ある程度その国の人間をも納得させることのできる水準に達しているのは感心させられる。むしろ、スクリーンに映る時代劇の町並みがいつ見ても同じに見える東映太秦の時代劇ばかり見ていた身には、異国情緒が感じられる横浜の再現はすごく新鮮に映った。
そうやって一応は及第点をつけてもいいと思うが、それでも、もちろん違和感を受けたり仰天したりするシーンもかなりある。私が最もびっくりしたのは、いざ合戦になって、オルグレンがいきなり銘の入った刀を投げつけて相手を倒すシーンだ。そういう魂のこもった刀は、本当の侍ならば、相手を倒すためとはいえ、戦いを始める矢先に投げつけるということは、普通、できないだろう。それをするところが無手勝流というか、相手の首を取るならなんでもやるという宮本武蔵的というか。すぐそばで馬に乗っている勝元もびっくりしたに違いない。
それになかなかのチャンバラ・シーンを見せておきながら、最後の最後で気合い一閃、相手の首を一刀両断の元に切り落とすところなんかも、どうしてもこういう見せ場を作る誘惑には勝てなかったようだ。あんた、何人も人を切って血糊のついた刀で、どんな大男が刀を振り回しても、一太刀で首がはねられるわけないでしょうがと思うその一方で、切った身体が倒れ様に首が落ちる呼吸や見せ方はさすがにうまいと感心したりもする。これが「キル・ビル」なら、刀を振りきった途端、首は血飛沫を上げて飛んでいってしまうだろう。どっちがいいかではなくて、どっちの美学をよしとするかは、見る人次第だ。
それに日本の自然の美とかを喧伝しておきながら、最後の合戦のシーンなんか、あれ、日本じゃないようにしか見えないのだが。ニュージーランドじゃないの? どう見ても「ロード・オブ・ザ・リングス」の一シーンのようにしか見えなかった。また、最後、勝元傘下の侍集団が全滅した後、たった一人生き残ったのが先頭で走っていたはずのオルグレン一人というのはなんとも‥‥彼は一人、また勝元たちの村に帰っていくわけだが、そこにはもう若い男は一人もおらず、いるのは女子供老人だけだ。オルグレンはそこで、江戸時代の殿様もかくやの大奥を形成するつもりだろうか。これでタカだけを妻にすると、今度は残された女たちの反乱が起きそうだ。
まあ、こういう引っかかる点はあるが、物語として見ると、「ラスト・サムライ」は面白い。結局、武士道というものは世界共通の話であって、サムライとかちょんまげとか忍者とか着物とか日本独自のものが挟まってくるためかなりユニークなものに見えるが、人間の本質はどこも同じなのだ。観客もその辺は皆わかって見ていた。それに話を語るツボはちゃんと押さえているし、こうやって見ると、クルーズは以前に較べてかなり演技もうまくなった。昔々「トップガン」で、クルーズと相方のヴァル・キルマーが出てきた途端に作品がつまらなくなったことから思えば、人間、やればできると言うか、役者続けていれば演技力というのはつくもんなんだなあと感心する。
特にこの映画を擁護しようという気にさせるのが、刀を持ったクルーズがちゃんと絵になっているところであることは、いくら強調してもしすぎることはあるまい。これまで、日本人以外の俳優が刀を持ってそれなりに様になっていることなど一度もなかったのだ。「キル・ビル」のウマ・サーマンは、それなりにをミエを張るという意味ではよかったが、あれでは本当には人は切れまいと思う。クルーズは本当に特訓したんだろう。それだけでこの映画は見る価値がある。
さて、この作品、当然のことながらニューヨーク在住の日本人の間でも話題だ。そして面白いことに、完全に擁護派と反対派に分かれている。私は面白いと思ったのだが、実はかなり反対派が多く、だいたいが、やはり外人にはサムライ映画は撮れないとする意見が多い。例えば、髷を切られるシーンで、サムライの象徴である髷を落としたままその場を離れるわけがないだろうかとか、どこにでもある鳥居をなんとかしてくれとか、いまだに手裏剣しゅしゅの忍者かとか、江戸時代にはサムライは既にお抱えになっていたのであり、明治にああいうサムライは存在しなかったとか、殺陣の緩急が甘いとか、そもそも勝元はなんで戦っているのかとか、反対派は概ね、時代考証が完全でないことに異議を唱える者が多いようだ。
さすがに自分の国のことに関してはアラがよく見えるなあと思ったが、しかし、そういう人たちに対しては、日本人が作った時代劇だって結構滅茶苦茶なものも多いよ、そういうのは見たことないの? と訊きたくもなる。黒澤時代劇だって、例えば「用心棒」では棺桶屋が堂々と長屋内で商売しているなど、あり得ない状況を話の都合上平気で持ってきていたりしてたんだけど、そういうのはいいのかなあと思ったりもする。山田風太郎の時代劇や、白戸三平や横山光輝の忍者マンガなんて、リアリティを考えてたら読めないでしょ。
そういう反対意見の中で私にとって最も説得力があったのは、サムライの子供が茶碗も持たずに頭を傾げて卓上の茶碗の飯を食うのを叱らないサムライの妻はいないというもので、この指摘が私には最も的を得ているように思えた。確かに本当のサムライの子なら、食事中にべらべら喋ったり相好崩して笑ってたり足崩して座ってたりしたら、母親からびんたの何発かは食らいそうな気がする。
一方、地元のニューヨーカーも、かなり「ラスト・サムライ」は気にかかっているものと見えて、私がオフィスのバス・ルームで用を足していたら、いきなり一人の男から「ラスト・サムライ」見たかと声をかけられた。うちのオフィスは雑居ビルの6階にあり、他にも何社か入っているのだが、私を日本人と見て話しかけてきたものらしい。その男は1年くらい前から目にしており、廊下ですれ違うとハイ、くらいは挨拶するのだが、ちゃんと言葉を交わしたことはこれまでに一度もない。それでもそういう関係を崩していきなり話しかけるくらいには「ラスト・サムライ」は人々の関心を得ているとは言える。
「ラスト・サムライ」は、公開初週の興行成績は2,400万ドルと、これはクルーズ主演の映画としては、これまでで最低の記録である「アイズ・ワイド・シャット」の2,000万ドルを僅かに上回るだけの成績だそうだ。しかしこれは、公開初週の週末が、アメリカ北東海岸全域を襲った記録的な雪嵐と重なってしまったからというせいもあろう。私は一応四駆の車に乗っているので郊外のマルチプレックスまで見に行ったのだが、映画を見て2時間半後に外に出てみると、もうこれから人が外に出ようと考えるとはまったく思えないほど吹雪いており、帰るのにかなり苦労した。そんなわけで逆に私にとっては「ラスト・サムライ」は非常に印象に残る作品になったというのもあるのだが。
クルーズは作品公開に先立ち、本当にもう、ありとあらゆるところで宣伝に努めており、それはそれで感心もしたりする。しかし、こないだディスカバリーの「エキストリーム・マーシャル・アーツ」というカンフーを題材にしたドキュメンタリーを見ていたら、そこまでクルーズがでぱって来て、なにやらサムライ文化について喋りだし、いきなり「ラスト・サムライ」の一部が流れたのにはびっくりした。私が見ていたのはカンフーのドキュメンタリーじゃなかったのか。クルーズもクルーズだが、ほとんど本編と関係ないものをたぶん製作費を協力してもらったがだろうためによいしょするディスカバリーの番組製作姿勢にも呆れた。
さて、今年末のアメリカ映画界は、いきなりかなり日本づいている。「ロスト・イン・トランスレーション」が来年のアカデミー賞に引っかかってくるのはまず確実だと思うし、「ラスト・サムライ」もかなりいい線行くのではないか。「キル・ビル」だって話題になった。しかしそれにしても、「ロスト・イン・トランスレーション」で描かれた現代の日本、「キル・ビル」で描かれたキッチュな日本、「ラスト・サムライ」で描かれた武士道と、どれがいったい本当の日本なのか。その答えは、今年のニッポン4部作の掉尾を飾る、トニ・コレット主演の豪州映画「ジャパニーズ・ストーリー」で決まると見た。年末公開が待ち遠しいぞ。
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