ラジオドラマ
「十勝石(じゅっしょうせき)」
作 ocean
−−登場人物表−−
真吾(15〜23歳)
保 (37〜45歳) 真吾の叔父
ルリ(24歳) 真吾の恋人
雅子 真吾の母
音更川の河原のおやじ
−−本文−−
地下鉄車内。走行音と客のノイズ。
車内アナウンス「毎度札幌市地下鉄をご利用いただきあり
がとうございます。この電車は新札幌行きです。お客様
にお願いします。携帯電話の使用は他のお客様のご迷惑
になりますのでご遠慮下さい」
携帯電話が鳴る。
真吾「あ、ヤバイ、ヤバイ。ええと、あれ? どこだ?
あれ?」
鳴っていた呼び出し音がピッと止まる。
群衆の中。
真吾「ああ、ルリさん? 真吾です。今電話くれなかった
かなーと思って。−−そう。いや、予定が変わったのか
なーと思って、心配しちゃった。ハハハ。−−えっ、相
手の番号なんて、そんなの分かるの?−−へえ、そうな
の。なんせ持ったばっかりだからさ。とにかく、違う人
からだね。−−うん、予定どおり待ってから。それじゃ」
ピッと切る。
携帯電話が鳴る。
真吾「(取って)ああ、母さん。ちょっと前に電話した?
−−なんだ、母さんだったんだ。−−うん、元気にやっ
てる。ちゃんと食べてるよ。−−こっちは晴れてるけど、
旭川はどう?−−へぇ、けっこう違うんだ。−−うん?
別に驚かないと思うけど。何でもいって。−−えっ!−
−(声を落として)そう‥‥。−−あの、保(タモツ)
叔父さんがねえ‥‥」
真吾のN「保叔父さんというのは母さんの弟だ。その叔父
さんが、癌に冒されているという電話だった。それも発
見が遅く、手術ができるかどうかは微妙なところらしい。
−−不思議な感じがした。だって‥‥、だって‥‥、そ
ういう人生の生々しい出来事と、あの叔父さんとが、ど
うやっても結びつかないような気がしたからだ‥‥」
1992年頃の流行歌が流れる。
真吾のN「八年前のあの日、プライドの高い僕はかなりま
いっていた」
保 「(OFFで)いるの? そう、二階。大丈夫、大丈
夫。まかせとけって」
階段を昇ってくる。
保 「(ドアの向こうで)ああ、俺だ。タモツおじさん。
真吾、入るぞ」
保、入ってくる。
保 「(面白そうに)おお、いるいる。いや、落ちたんだ
ってな。聞いたよ。そうか、落ちたか、東が丘高校。ま
あ、あれだ、しょうがないよな。落ちたものは落ちたん
だから」
真吾「(無言の間)」
保 「あれ? 落ちたんじゃないのか? 落ちてガックリ
きてるって聞いたからさ、叔父さん慰めてやろうと思っ
て、こうやってわざわざ札幌から来たわけなんだけど。
落ちたんだろ?−−なあ、真吾。シンちゃん。真吾さん
よ。−−返事しろよお前!」
真吾「−−落ちたよ‥‥」
保 「そうか、つまりお前は東が丘高校に落ちたと、こう
いうわけだ」
真吾「だから、落ちたっていってるだろ! うるさいな!」
保 「怒ることないだろ、お前。せっかくこの叔父さんが
忙しい中をやり繰りして来てやったっていうのに」
真吾「別に来なくてもいいよ」
保 「うん? 今、『別に』っていわなかったか?」
真吾「別に」
保 「今後、叔父さんの前で『別に』っていったら百円取
るからな。質問に対しては、何がいったいどういう状態
にあるのか、詳細に渡って報告しないとダメだぞ」
真吾「いいよ、うるさいよ」
保 「何だ、その不貞腐れた態度は! テメー、このヤロー、
バカヤロー。キッサマー! その腐りきった根性を叩き
直してやる。そこに立て! 足をふんばれ! 歯を食い
しばれ!」
頬を平手で何度も叩く。
保 「(一人芝居で声色を使い分け)すいません、勘弁し
て下さい /キッサマー、口答えするな、ピシャピシャ
(と頬をぶつ) /上等兵殿、勘弁してください /え
えい、黙れ黙れ、ピシャピシャ(と頬をぶつ) /上等
兵殿、自分が不謹慎でありました /ええい、黙れ黙れ‥‥」
真吾「(少し緩み)おじさんさぁ‥‥」
保 「うん?」
真吾「あんまり面白くないよ」
保 「えっ、面白くない? あ、そう」
真吾「フフフ(と少し笑う)」
保 「まあ、前フリはこのへんにしといてと‥‥。人生色
々だよ。あんまり気にするな。物に当たったり、母さん
責めたりしてもしょうがないだろう」
真吾「うん‥‥そうだね」
保 「(一転し)‥‥なーんてな、叔父さんがそんな月並
みな言葉をかけるためにわざわざ来たと思ったら大間違
いだ!」
真吾「(絶句)」
保 「いいか、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。真吾、お
前は負けたんだ! 人生という荒海の中で繰り広げられ
る最初のレースに負けたんだ。馬でいったらな、三歳デ
ビュー戦で‥‥」
ゲートが開く。競争馬の駆ける音。
保 「全くいいところなく、気がついたら『あら、レース
が終わってたワ』ってなもんだ。レースには勝者がいる。
それ以外はみな敗者となる。敗者がいるから勝者が生ま
れる。いわば、敗者が勝者を支えているのだ。そんな敗
者にこそ人生の深い味わいがあるのだと、どこかのヒュー
マニストはいうだろう。『何も高校入試だけが人生じゃ
ありませんよ』などどにやけた教育評論家がいったりも
する。全くそのとおりだ。人間何やったっていいんだか
らな。ただ、東が丘高校の受験はお前が選んだことなん
だ。お前が選んだレースなんだぞ。負けは負けよ。悔し
い悔しい、ああ悔しい。悔しいだろ!」
真吾「そりゃ、悔しいよ!」
保 「そうだ、悔しいんだ。腹が立つんだ。ムカムカムカ
ムカ腹が立つ。何に腹が立つ?」
真吾「自分に腹が立つよ!」
保 「そうだ、自分に腹が立つんだ。おのれの選んだ道に
おのれがたどりつけないその歯痒さに、その至らなさに
腹が立つんだ。そんなことではとうていこの叔父さんの
ような人生の勝利者になることはできない」
真吾「え?」
保 「だから、叔父さんのような勝利者になることはでき
ない」
真吾「保叔父さんは人生の勝利者なの?」
保 「見えないか?」
真吾「見えない」
保 「まだ人間のできていないお前には、物事の本質が見
えないとしても、それはいたしかたない。だがしかし、
人生の勝利者だから口にすることができる珠玉の言葉が
何よりの証拠だ。勝利者といってもだ、世間では色々あ
る。この腐敗した国では金とコネを使えばそれなりに勝
利を手に入れることができる。ただ残念ながら、お前の
父さんにも母さんにもそんなものはない。叔父さんほど
の人間ならそれなりの資産もあり政界にも財界にも顔が
利くが、お前はそんなものを望んではいないだろう」
真吾「何いってるの?」
保 「金やコネはなくとも、叔父さんのような天賦の才と
鋼の精神力があれば何とかなるだろうが、見たところお
前にはそれもなさそうだ」
真吾「(バカバカしくなり)あ、そう」
保 「人生という荒海の中を生き抜くためには、ここ一番
という勝負所がある。だいたい十はあるといえるな。こ
れは人生の十番勝負と呼ばれている。お前の名前は真吾
だから『シンゴ十番勝負』だ」
真吾「(無言の間)」
保 「だから、『シンゴ十番勝負』だって」
真吾「(無言の間)」
保 「あ、知らないか‥‥。まあいい。その十番勝負に、
叔父さんとしては何としても勝ってもらいたい。さっき
もいったように、どうもお前には勝負に勝つという意気
込みも気迫も不足しているように思われる。何か精神を
強く支えるものが必要に思われる。そこで、これだ。−
−はい」
真吾「何これ? ただの石コロじゃん」
保 「『じゅっしょうせき』というものだ。人生の十番勝
負をすべて勝つ、つまり十勝するために必要なものだ。
この石には不思議な力が備わっている」
真吾「ふん、くだらないの‥‥」
保 「何がくだらないんだ」
真吾「科学のこの時代に、こんなもの効き目あるわけない
じゃん」
保 「科学ときやがったな。じゃあ、聞こうじゃないか。
その目は何を見てるんだ?」
真吾「何をって‥‥物とか、風景とか」
保 「誰が見てるんだよ」
真吾「僕が見てるんじゃないか」
保 「僕って何だよ?」
真吾「僕は僕だよ」
保 「だから、その僕っていうのは科学的には何だよ?」
真吾「科学的には‥‥、人間で骨とか肉とか血とか内蔵と
か脳みそとかでできてて‥‥」
保 「じゃ、それとおんなじものを科学的に全部揃えたら
お前になるのかよ? お前になって、お前と同じように
いろんなものを見て、泣いたり笑ったり怒ったりするの
かよ。『僕は前島真吾でーす』って喋ったりするのかよ」
真吾「命があれば‥‥するんじゃないかな」
保 「命って何だよ。科学的にはいったい何なんだ?」
真吾「それは‥‥だから‥‥」
保 「命がなくなったらどこへ行くんだよ? なぜ、世界
中どこの人間も葬式なんかするんだよ。科学的にはくだ
らないじゃないか。死んだら死んだまんまにしてその辺
にぶん投げとけばいいじゃないか。腐るのが困るんだっ
たら、さっさと焼いて埋めちまえばいいじゃないか。な
ぜ、わざわざ葬式なんてめんどくさいことしなくちゃい
けないんだよ。なぜ墓なんかに入れてお参りしたりする
んだよ。科学的にはくだらないじゃないか」
真吾「叔父さんずるいよ。命とか魂とか、そういうのは科
学的にまだ分かってないんだから」
保 「だから、分かってないんだって。科学が全部じゃな
いんだって」
真吾「そりゃそうだけど‥‥」
保 「今、叔父さんは誠意をもってお前に接している。モ
ノと情報で溢れかえっているこの時代。あれもこれもと
メディアは煽り立て、何一つ逃してはいけないのだと、
不安を使いダメを押す。ふと立ち止まり、気がついた時
には心にぽっかり穴があいていた。そうだ、これではい
けない。何か一つ、何か一つでいい。自分を救い自分を
支えるもの、そう、唯一のものを多くの人は求めさすら
いあがいているんだ。そんな状況の中で、そんな状況の
中でだぞ、お前より二十年も多く経験を積んできたこの
叔父さんが、お前の為にと、お前を何とかしてやりたい
と思って持ってきたこの石の、どこがくだらないんだ!」
真吾「いや、ただ‥‥」
保 「観念論を何もかも否定して、利口ぶって、そんなも
ののどこが面白いっていうんだ。いってみろ!」
真吾「いや、あのさ‥‥」
保 「(遮って)信じることだ!」
真吾「分かったよ。信じればいいんでしょ」
保 「それでいい。−−では始めるか」
真吾「何をさ?」
保 「この『じゅっしょうせき』には人生の十番勝負を勝
たせる力があることはさきほど述べたとおりだ。だがし
かし、この石は誰を勝たせればいいのかをまだ知らない。
教えなければならない。口開けろ」
真吾「え?」
保 「口開けて、この石を軽くくわえろ」
真吾「やだよ、そんなの」
保 「信じることだ!」
真吾「わかったよ、もう‥‥」
保 「よし、くわえたな」
真吾「うん(といってるがフガと聞こえる)」
保 「それでは‥‥」
厳かな音楽。
保 「おお、石よ、『じゅっしょうせき』よ。太古の記憶
を今甦らせたまえ。地球はまだ若く、その腹の中は煮え
たぎり全てをドロドロに溶かしていた」
マグマの沸騰〜火山の爆発。
保 「ある日、ドロドロはうねりをおこし、行方を彷徨い、
ついに混沌のままを地上に放出した。石よ、お前は一瞬
にして冷え固まり、その内部に全ての力を封印した。今
ここに、微力で愚かな若者が一人いる。百七十万年の封
印を解き、その力を以てして、この若者に勝利の喜びを
教えたまえ。石よ、くれぐれも間違ってはならぬ。この
若者とはこの歯形を持つ者のみだ!−−真吾、噛め!」
真吾「ウン(と噛む)」
保 「そんなものか! 東が丘高校に落ちたお前の屈辱は
そんなものか! 真吾、噛め!」
真吾「フンガ!」
保 「悔しくないのかお前は! それでも男か! 真吾、
もっと噛め!」
真吾「フングぁー!!」
保 「よし、いいだろう。今後は今の叔父さんのやり方を
適当にアレンジして、人生の勝負所で行えばよい。それ
からこの事は人に話さないほうがいいな。健闘を祈るぞ。
じゃあな」
保、さっと戸を開け、階段を駆け降りていく。
真吾のN「しばらく歯が痛かった。それから僕はすべり止
めだった高校に通った。すべり止めだったけれど、変な
コンプレックスは不思議になかった。何よりいろんな奴
がいて、まあいい経験をしたと思う。高校時代もいくつ
かの勝負所はあったけれど、『人生の十番勝負』という
叔父さんの言葉が妙に気になって石は使わなかった。使
ったのはやはり受験の時だった」
バラ色の未来を暗示する音楽。
緩やかに入り、次第に盛り上がる。
真吾「やったー! あったよ、2116番。前島真吾、バ
ンザーイ!」
音楽続き、やがてFO。
真吾・保・雅子「かんぱーい」
グラスをぶつける。
保 「(あまり興味なさそうに)まずはおめでとうさん」
真吾「へへっ。どうもありがとうございます」
保 「しかし、和之さんも忙しいんだなぁ」
雅子(真吾の母)「ここんところずっと遅いの。年度末が
近いでしょ、お役所だから色々あるみたいで。ごめんね、
せっかく来てくれたのに」
保 「いや、別にいいけどさ」
真吾「今、『別に』っていわなかった?」
保 「いったよ。それが何だよ」
真吾「百円だ、百円。百円ちょうだい」
保 「何いってるの、お前」
真吾「百円、百円、百円」
保 「たかが北優大学受かったくらいで、まーおだっちゃ
って。でも、良く受かったよなーこんなバカ」
雅子「私も信じられなくてね。やれば出来る子だと思って
たけど、まさか北優に受かるとはねぇ、フフフ」
保 「姉ちゃんも親バカだな。たいしたことないんだって」
雅子「何さ、あんた。喜んでないのかい?」
保 「喜んでるだろ」
雅子「だったら喜んでる顔しなさいよ」
保 「ま、喜んでるけどさ。色々と大変じゃない。札幌に
出すんだろ? そんな金がこの家にあるのかよ」
雅子「うちだってそのくらいのお金は何とかなるわよ。私
もパートに出てるんだし」
保 「そんな苦労して送金したって、こんなバカ、札幌で
何やってるかわかんないよ」
雅子「そうだ、ちょうどいいじゃない。あんたんとこに真
吾置いてくれる? どうせ嫁さん来なくて一人なんだし、
部屋も一つ空いてるじゃない」
保 「嫌だよ、こんな奴と一緒に住むの」
真吾「こっちも、嫌で〜す」
保 「そういうわけだから。まあ、せいぜい頑張って仕送
りして下さいな」
雅子「何の役にも立たない男」
真吾「全く同感で〜す」
保 「真吾」
真吾「何さ」
保 「ちょっと、こっち来いよ」
真吾「何?」
保 「いいから、こっちへ」
真吾「何だよ、もう‥‥」
保 「(耳元で声を落とし脅すように)おまえ〜 石使っ
たな〜」
音楽−ブリッジ。
ドタドタと階段を降りる。
真吾「じゃ、母さん。行ってくるから」
雅子「ちょっと待ちなさい。アパートの鍵持った?」
真吾「持った」
雅子「列車のキップちゃんと持った?」
真吾「持った」
雅子「昨日渡したお金ちゃんと持った?」
真吾「持ったよ」
雅子「ハンカチ、チリ紙ちゃんと持ってるかい?」
真吾「もう、母さん。ガキじゃないんだから‥‥」
雅子「忘れ物ほんとにないんだね」
真吾「ないってば。−−あれ、そういえば」
真吾、鞄のファスナーを開ける。
真吾「よかったー、ちゃんと入れてあったよー」
雅子「何さ、それ? ただの石コロでしょ。うん? これ
は‥‥」
真吾「母さんも知ってるの?」
雅子「十勝石(とかちいし)でしょ」
真吾「『じゅっしょうせき』じゃないの?」
雅子「何いってるの、『とかちいし』でしょ。黒曜石とも
いうのかな。懐かしいねぇ。これ金づちで叩いて割った
ら真っ黒なガラスみたいのがピカピカ光って綺麗なんだ
よ。母さん子供の頃帯広に住んでたしょ。その頃よく近
くの音更川に行って拾ったもんだよ」
真吾「保叔父さんも一緒に?」
雅子「そうだね‥‥、保もいたねえ。何さ、あんたこれ保
にもらったのかい?」
真吾「うん。もう一度聞くけど『じゅっしょうせき』じゃ
ないの?」
雅子「だから『とかちいし』だって。十勝で取れる石だか
ら『とかちいし』。誰が『じゅっしょうせき』だなんて
教えたのさ?」
真吾「‥‥」
雅子「ああ? あんた、保のバカに担がれたんじゃないの?」
真吾「いや‥‥、そんなことはないけど‥‥」
無音の間。
保 「真吾よ、信じることだ」
真吾「だって、『とかちいし』なんでしょ?」
保 「そうともいう。だがしかし、叔父さんの贈った石は
『とかちいし』の中でも特別な力を持つ『じゅっしょう
せき』というものだ」
真吾「まだいうかねぇ」
保 「考えてもみろ。真吾よ、お前の学力で普通、北優大
学に受かるか?」
真吾「それは‥‥まあ‥‥」
保 「受からない! そりゃ随分勉強もしただろう。しか
し、以前のようなプライドだけが勝りそれが却って能力
を萎縮させているようなお前では絶対に合格などしてい
ない。やるだけのことをやり、あとは『じゅっしょうせ
き』に身をゆだねたからこそ奇跡は起こったんだ。石は
見ているぞ。お前が本気で勝負しているかどうかを。信
じることだ。そうだろ? シンちゃん」
真吾「たしかに‥‥、叔父さんのいう通りかもしれないけ
ど‥‥」
保 「信じることだ!」
真吾「うん、信じるよ」
保 「今後も『じゅっしょうせき』について何か分からな
いことがあったら、いつでも来なさい」
真吾「うん。叔父さん、いい石をくれてどうもありがとう
ね」
保 「何のこれしき。うん、うん」
BGMの流れる喫茶店。
ルリ「どうしたの? 真吾くん」
真吾「−−えっ? ああ、ごめんね」
ルリ「なんか心配事?」
真吾「いや、ちょっと叔父さんがさ‥‥」
ルリ「おじさんて真吾くんの叔父さん?」
真吾「そう。おふくろの弟なんだけど、これが変な人なん
だ。その叔父さんが病気だってここに来る前に聞いたも
んだから、ちょっと」
ルリ「病気って何の?」
真吾「癌らしいんだけどさ」
ルリ「それじゃ大変じゃない。心配でしょう」
真吾「そうでもないよ」
ルリ「うそ!」
真吾「いや、ほんとに」
ルリ「絶対うそ! 真吾くんの顔みたら分かるよ。真吾く
ん、その叔父さんがすごーく好きだったんじゃない?」
真吾「好きかどうかは分からないけど、影響力はあったか
な」
ルリ「へーえ‥‥」
真吾のN「この人は西岡ルリさん。僕より一つ年上だ。今
僕はこの人に恋をしている。好きになった理由? 馬鹿
にされるかもしれないけれど、それは大学の頃、死んで
もいいと思えるくらい好きだった人と同じ香りがしたか
らだ」
風が吹く。
犬の遠吠え。
乱暴に戸をドンドンと叩く。
真吾「(泥酔していて)おじさーん! 入れてくでー!」
保 「おお、真吾じゃないかよ。久しぶりだなお前。大学
ちゃんと行ってるのか?」
真吾「おじさーん! 僕はもうダメだー!」
保 「そうか、とうとうダメになったか」
真吾「おじさんは嘘つきだー! 大嘘つきだー!」
保 「なに? これは聞き捨てならないねぇ。ま、中でじ
っくりうかがいましょう。大丈夫かお前、ほらちゃんと
立てよ」
真吾「ウイーッ(と吐きそう)」
水洗便所の流れる音。
真吾「ウー(といいながら出てくる)」
保 「何やってるんだよ、お前は。少しはスッキリしたか」
真吾「もう、出ない。吐くもの残ってないみたい」
保 「ほら、そこにある水飲め」
真吾「ああ‥‥」
ごくごく飲む。
保 「さてと‥‥」
真吾「‥‥」
保 「語れ」
真吾「うん‥‥」
保 「−−女だな」
真吾「どうして分かるの?」
保 「ああいう泣きの入った男の姿は、ほとんど女が原因
だからな。たかが女にふられたくらいで、情けないねえ」
真吾「たかが女じゃないよ。本当に好きだったんだ。死ぬ
ほど好きだったんだ。もうあんな人とは二度とめぐり逢
えない」
保 「逢えるんだって、いくらでも」
真吾「逢えない、絶対に逢えない。一生に一度の本当の恋
だったんだ。僕はもう結婚なんかしないよ。きっと、叔
父さんと同じく一生をさみしいままで過ごすよ」
保 「いいたいこといってるな、こいつ。−−じゃあ、真
吾さんよ、お聞きしますがね。その女性との恋は人生の
十番勝負に入るようなそれくらい重要なものだったんで
すかね」
真吾「モチロン! モッチロン!」
保 「『じゅっしょうせき』を噛んででも成就させるよう
な、それくらい重要なものだったんですかね」
真吾「モチロン! モッチロン! 『じゅっしょうせき』
を噛んでお願いしたのにー。信じてたのにー。叔父さん
は嘘つきだー!」
保 「それはおかしい。石が手を抜くとは考えられない。
−−まさか!」
真吾「何? どうしたの?」
保 「まさかお前、石を噛む時に手を強く握りしめて、手
の中に汗をかいてしまったんじゃないだろうな」
真吾「いや、覚えてないけど、そういわれればそうかもし
れない」
保 「いってなかったっけ?」
真吾「何をさ、ぜんぜん聞いてないよ」
保 「すまん! 今度の恋はスッパリ諦めろ。でも、無駄
にはならない。必ず将来の役に立つ」
真吾「どういうことさ」
保 「汗の臭いをお前は知っているな。例えば柔道着、例
えば剣道の防具、例えば運動部の部室の中」
真吾「ああ、すっぱい嫌な臭いだよ」
保 「その通り。汗はすっぱい臭いになる。汗をかいた手
はすっぱい手。すなわち『す・て』だ。『すて』の状態
で石を噛んだので『すて・いし』だ。今回はどうやら捨
て石となってしまったようだな」
真吾「‥‥い、いい加減なことばっかり‥‥」
保 「真吾、落ち着け」
真吾「‥‥もういい‥‥もうたくさんだ‥‥」
保 「信じることだ」
真吾「叔父さんなんか、大嫌いだー!」
真吾、飛び出していく。
真吾のN「それで『じゅっしょうせき』を捨てたかといっ
たら、これが捨てていない。やがて社会人となり、まわ
りの状況がハードになればなるほど、『何か一つ、心を
支えるもの』といった叔父さんの言葉が、妙に実感を持
ってくるのだった。じつはごく最近、僕は石を噛んでお
願いをした」
小鳥のさえずる公園。歩く二人。
ルリ「面白い叔父さんだよね」
真吾「面白いっていうより、あれは変人だと思うけど」
ルリ「私、逢ってみたくなってきた」
真吾「逢うって、保叔父さんにかい」
ルリ「そう。だって死んじゃうかもしれないんでしょ?
死んじゃったら逢えないじゃない」
真吾「逢わないほうがいいと思うけど」
ルリ「あーダメ、物凄く逢いたくなってきた。札幌の病院
にいるっていってたじゃない。行こうよ」
真吾「行くって、これから?」
ルリ「そうよ。私ダメなの。思い立ったらすぐに実行に移
さないと、背中が痒くなるの」
真吾「ルリさんてそういう性格だっけ」
ルリ「ああダメ! 痒い! 行こよ、ほら、早く!」
病院ロビーのノイズ。
真吾のN「受け付けで叔父さんの病室を聞いた。半年以上
会ってなかったから、少し会うのが怖かった。そういえ
ば前に会った時、叔父さんが凄くダルそうにしていたの
を思い出した。果たして今はどんな状態なんだろう?」
保 「(ダルそうに抑揚なくゆっくり)おーう」
(保のこの喋り方はずっと続く)
真吾のN「叔父さんはボケーッと虚無の中にいた」
真吾「久しぶり。母さんから聞いてさ。けっこう元気そう
じゃない」
保 「肝臓ガンだー」
真吾「何いってるの、そんなわけないじゃない」
保 「告知されてるんだー」
真吾のN「言葉に詰まった。虚言癖のある叔父さんのこと
だから本当なのか嘘なのか、うっかり口を滑らせたらそ
れこそ取り返しのつかないことになるし‥‥」
保 「安心しろー ほんとに告知されてるんだー 何だっ
たら看護婦さんに聞いてみろー」
真吾「そ、そうなんだ。でも、そういう病気だって今の医
学なら治せるって聞いたけど」
保 「シンゴー」
真吾「何さ」
保 「くだらん芝居やめろー」
真吾「芝居なんてしてないじゃない」
保 「普通に喋れー 気を使うなー」
真吾「気なんか使ってないって」
保 「普通に喋れー」
真吾「分かったよ。じゃ、思った通り普通に喋るけど、本
当にいいんだね」
保 「いいぞー ああ、ダルいなー」
真吾「じつは、叔父さんとの昔の事話したら、どうしても
逢いたいっていう人がいてね。連れてきたんだけど‥‥、
叔父さん、体がつらそうだからよすね」
保 「どこにいるー」
真吾「病室の外で待ってもらってるけど」
保 「これかー?」
真吾のN「叔父さんは小指を立てた」
真吾「っていうかさ、僕が一方的にまいってるわけなんだ
けど。−−やっぱりよすよ」
保 「(ダルさ止まり)待て」
真吾「だって叔父さんつらそうだから」
保 「見る。紹介しなさい。その前に。−−クワーッ!」
真吾のN「叔父さんは気合いを入れた。現金なものですっ
かり以前の喋り方に戻ってしまった」
真吾「西岡ルリさんです」
ルリ「こんにちは」
保 「ああ、どうも。このバカな真吾の叔父さんをやって
ます澄川保と申します」
ルリ「真吾くん、じゃなくて真吾さんから叔父さまのお話
うかがいまして、何だかもの凄く逢いたくなって押しか
けてきちゃいました。ごめんなさいね、ご病気なのに」
保 「今ね」
ルリ「はい?」
保 「今、あなたがあそこの入り口から、こちらに入って
きたでしょ?」
ルリ「はい」
保 「その瞬間にもうピーンときました。あなたと私とは
気が合うって」
ルリ「フフフ、やっぱり思った通りの叔父さまです」
真吾のN「はじまった。叔父さんのペースだ」
保 「このバカは、いったい何をルリさんに喋りましたか?」
ルリ「『じゅっしょうせき』の話。私、もう感動しちゃっ
て」
保 「あなたは信じますか?」
ルリ「絶対信じます。そんな素敵な石なら、私も欲しいで
す」
真吾「僕のがあるよ。よかったらプレゼントするけど」
保 「ダメ、ダメ、ダメ。全然ダメ。お前のつばで汚れて
しまった石なんか、もう何の役にも立たない。第一お前
は石を疑った。石は知っているぞ、疑ったお前の姿を。
ああ、勿体無いことしたもんだ」
真吾「そんなことないよ。今、ルリさんとこうしていられ
るのだって、石にお願いしたおかげなんだから」
ルリ「そうなの?」
真吾「じつは‥‥、そうなんだよね、へへへ」
ルリ「へぇー、そうなの」
保 「そうか、石は裏切ったお前を許したか。なんていじ
らしい石なんだ。ねえ、ルリちゃん」
ルリ「『じゅっしょうせき』って心が広いわ。私も欲しい
なー!」
保 「ご存じかもしれませんがね、私は不治の病を患って
いる身です。こういう状態の人間は死に近い所にいるせ
いか、特殊な感覚が研ぎ澄まされるといいますか、普通
の人が感じないものを感じたり、普通の人には見えない
ものが見えたりします」
ルリ「はい」
保 「−−見える」
真吾のN「叔父さんは目をつぶった」
川の音。
保 「ああ、これは音更川のせせらぎ。河原には石が転が
っている。大きな石、小さな石。おっ、これは何だ?
いや、違う。これは水をつけると黄色く書ける、通称う
んこ石。うん? こっちの石は? ああ、また違う。こ
れは石炭が転がってあたかも十勝石(とかちいし)のよ
うに見えるもの。よく騙されるから注意しなければなら
ない。もしかしたらこれか? そうだ、外見は何げない
が、割ると漆黒の天然ガラスが顔を出す。そう。これが
十勝石(とかちいし)。かつて狩猟民は、この石で矢じ
りを作り、獣を倒した。だがしかし、これは十勝石(と
かちいし)。『じゅっしょうせき』かどうかはこの私し
か見分けることができない」
ルリ「ああ、行ってみたい。凄く行ってみたい。ああ、ダ
メだ。アッ、アッ‥‥」
真吾「背中痒いの?」
ルリ「そうみたい。すいません、オトフケ川ってどこにあ
るんですか?」
保 「それは音更にあります」
ルリ「オトフケって‥‥」
真吾「母さんに聞いたことあるよ。帯広の隣りの町だって」
ルリ「ねえ、連れてって。私、絶対に行く」
保 「それはいいじゃないですか。真吾と二人で十勝石
(とかちいし)をたくさん拾ってらっしゃい。そして、
ここに持ってくるといい。私が『じゅっしょうせき』か
どうか見分けてあげましょう」
ルリ「はい、宜しくお願いします」
保 「お約束しましょう」
真吾「−−叔父さんもそろそろお疲れだろうから、この辺
で失礼しようよ?」
ルリ「そうだね。きっときっと来ますからお願いしますね」
保 「ああ、待ってますよ」
真吾「それじゃ叔父さん、また来るから」
ルリ「どうもお邪魔しました。お大事に」
保 「真吾、ちょっと」
真吾「うん? 何さ」
保 「ちょっと」
真吾「ああ、先に行ってて。叔父さん話があるみたいだか
ら」
ルリ「失礼します」
ルリの去る足音。
保 「あの子‥‥、いい香りがするな」
真吾「でしょう? フフ」
保 「(耳元で声を落とし脅すように)おまえ〜、感謝し
ろよ〜」
真吾のN「それから、音更川のことや採石のポイントを詳
しく教えてもらおうと母さんに電話したんだけど‥‥」
雅子の声「(電話を通して。素っ気なく)十勝石(とかち
いし)? そんなもの音更川行ったらごろごろ転がって
るしょ。あんた、十勝石なんか拾ってどうするのさ?」
真吾のN「北海道の人間は、どうもこういう所があって困
る。僕は気勢をそがれてしまい、適当に相槌を打って電
話を切った」
とんびが鳴いている。
川のせせらぎ。
ルリ「真吾くん、あったー?」
真吾「ないなぁー。本当にここでいいんだろうか‥‥」
ルリ「お母さん、ごろごろ転がってるっていってたんでし
ょ?」
真吾「母さんもけっこう適当だからなぁ‥‥。あっ、あそ
こで犬遊ばせてるおじさんいるから、ちょっと聞いてく
るよ」
真吾「あの、すいません」
おやじ「ほーら、千代の介、取ってこーい!」
犬 「ワンワン」
犬、棒を追いかけ走っていく。
真吾「あの、すいません」
おやじ「うん? あ、俺かい?」
真吾「立派な犬ですね」
おやじ「なんも、バカ犬さ。こらー、千代の介、くわえた
らさっさと持ってこーい! ゆうこと聞かんくてまいる
わ」
真吾「ちょっと教えていただきたいんですけど‥‥」
おやじ「いいよ。千代の介! こっちだっていってるべ、
お前! (真吾に)ああ、ごめんね」
真吾「−−よろしいですか?」
おやじ「いいよ、何でも聞きな」
真吾「僕、札幌から来たんですけど」
おやじ「へーそう」
真吾「十勝石を拾いに来たわけなんですけど、見つからな
くて。場所が違ってるのかどうか、それさえも分からな
くて」
おやじ「十勝石かい。昔はごろごろ転がってたもんだけど
ねぇ。今は‥‥無いなぁー」
真吾「そうですか‥‥」
おやじ「そういえば、あの人いってたよな。雪解けの後と
か大雨降った後とか、とにかくそういった護岸が崩れた
後がいい石出るんだって」
真吾「それじゃ、今日みたいな日はやっぱりダメですね」
犬、ハァハァ息をして戻ってくる。
おやじ「おお、千代の介、よしよし」
犬 「ワン」
おやじ「−−そうだなぁ、難しいんでないかい」
真吾「そうですか。どうもありがとうございました」
おやじ「なにさ、工芸やってる人かい?」
真吾「いえ、違いますけど」
おやじ「この上の上士幌でさ、やってる人いるんだわ。一
度見してもらったことあるけど、いやー、見事なもんだ
ったよ。こーんなでっかい石にフクロウ彫ってあったん
だわ。あれ、いかったなぁー」
真吾「僕の探してる石はもっと小さくていいんですけどね」
おやじ「こんくらい?」
真吾「いえ、もっと小さいので」
おやじ「こんくらいかい」
真吾「もっと小さいので」
おやじ「そんなのなら、あるしょ」
真吾「えっ? あるんですか?」
おやじ「そこらにあるしょ」
真吾「おっかしいなぁ」
おやじ「探し方悪いんでないかい?」
川のせせらぎ。
おやじ「ほら、これそうだ」
ルリ「これ? ほーんとだ!」
おやじ「これもそうだ」
ルリ「ほーんとだ!」
真吾のN「河原での十勝石の姿が分からないだけだった。
犬を連れたおじさんにお礼をいい、僕たちはそれから目
を皿のようにして探した」
川のせせらぎ。
真吾「あったぞー!」
ルリ「真吾くん、また見つけたの? 凄いじゃない」
川のせせらぎ。
ルリ「あーッ、私も見つけたー!」
真吾「ルリさん、とうとうやったじゃない」
ルリ「もう感動だわ!」
川のせせらぎ。
真吾のN「そのうち選ぶ余裕まで出てきた」
ルリ「これ、ちょっとやめようよ。小さすぎるじゃない」
真吾「そうだね」
川にポチョン。
ルリ「これ、カッコ悪いからいらないよ」
真吾「ああ」
川にポチョン。
ルリ「ここ欠けてるじゃない、これもいらないんじゃない?」
真吾「でも、この欠けた所から顔出してる縞文様が何とも
いえないいい味を出していると、僕は思うなぁ」
ルリ「じゃ、残す?」
真吾「残そうよ」
ルリ「どうしても?」
真吾「ルリさんさぁ、僕の拾った石みんな捨ててるじゃな
い。この石だけは何としても守りたい」
ルリ「しょうがない、残してやるか」
真吾のN「そうして選ばれた三十個ほどの石を持って、保
叔父さんのいる病院に行った。叔父さんは喫煙室で美味
そうにタバコを吸っていた」
保 「おーう」
ルリ「こんにちは」
真吾「叔父さん、病気なのにタバコなんて吸ってていいの
かい?」
保 「いいだろ、別に」
真吾「あ、今『別に』っていったよね。百円だ」
保 「まだそんなこと覚えてるのか。成長しないな、お前
は」
真吾「悪かったね。一応持ってきたけどさ、あー重かった」
保 「どうでしたか? 音更川は。いい所だったでしょう?」
ルリ「はい、とっても。もう必死で探して、十勝石見つけ
るたびに歓声あげちゃいました」
保 「ルリちゃんが一生懸命探したのなら、きっとこの中
にありますよ。それじゃあ早速見せてもらいますかな」
ルリ「お願いします」
音楽−−ブリッジ。
保 「あー、これは違うな。これも違う。これは惜しいが
やはり違う。うむ? これは‥‥」
真吾「『じゅっしょうせき』なの?」
保 「この欠けた所から顔を出している縞文様。これは‥‥」
真吾「だから『じゅっしょうせき』なの?」
保 「見事に丸い。こういうのは珍しい。だがしかし、こ
れは『じゅっしょうせき』ではなーい」
真吾「なんだ」
真吾のN「こんなペースがしばらく続き、多分最後の石が
『そうだ』というんじゃないかと思った」
保 「あーこれも違う。これも違う。申し訳ないが、これ
も違うな。残りはたったの2個か」
真吾のN「ルリさんは祈った」
保 「残念ながらこれも違う。−−こ、これだ! この最
後の1個、これこそが『じゅっしょうせき』だ!」
ルリ「やったー!」
真吾のN「僕にも読めるパターンだった。叔父さんはかな
り弱っているんじゃないかと思った」
廊下を慌ただしく走る足音。
真吾のN「それから数日して、事態は急変した」
「先生呼んで、先生」と看護婦の叫ぶ声。
緊急用医療器具を乗せた台がダーッと廊下を走る。
真吾のN「叔父さんはエチルアルコールで癌を焼く治療を
受けていた。それは激痛を伴うものらしかったが、特に
問題はなかった。問題は新しく使った抗がん剤だった。
叔父さんは特別な体質らしく、突然意識不明の重体とな
った」
真吾「(走ってきたため息が上がっている)。ああ、母さ
ん。どうなの?」
雅子「何ともいえないみたいだね。先生が色々やってくだ
さってるみたいだけど。要するに保の体力が持ちこたえ
られるかどうからしいよ」
真吾のN「その夜は待合室の長椅子で母さんと過ごした。
朝四時頃、仕事の疲れもあってウトウトとしていると‥‥」
保 「(高い所から)シンゴ〜」
真吾「叔父さん! まさか、あの世へ行っちゃったんじゃ‥‥」
保 「あの子はいいぞ〜、ルリちゃんはいい〜」
真吾「こんな時、何いってるのさ」
保 「いい香りがするんだ〜」
真吾「それは分かったよ。−−あれ? こういうの確か‥‥。
そうだ、テレビで見たことあるんだ。叔父さんの魂があ
の世に行こうかこの世にとどまろうか、今迷ってるとこ
なんでしょ?」
保 「シンゴ〜 信じることだ〜」
真吾「『じゅっしょうせき』の事なら僕信じてるよ」
保 「最後の1個、あれだけが本当に『じゅっしょうせき』
だったんだ〜」
真吾「もう、分かったよ。しつこいんだから、本当に。そ
れも信じるって。だからこっちにいなよ。向こうに行っ
たら、もう僕をからかうこともできなくなるんだよ」
保 「信じてないな〜 お〜・ま〜・え〜」
真吾「叔父さん! 行っちゃダメだよ! おじさーん!
(エコー)」
集中治療室の中の機械の音。
真吾のN「叔父さんは命を取りとめた。でも、意識は依然
として戻らなかった。集中治療室の中の叔父さん。それ
は、もう、僕の知ってる叔父さんじゃなかった。身体の
あちこちに管をつけられ、目は白目をむき、そして顔は
『ひょっとこ』のように歪んでいた。もしかしたら、わ
ざとやってるんじゃないかと思えるくらいで、見ている
のが辛かった」
廊下を人が歩いてくる。
ルリ「真吾くん」
真吾「ルリさん、わざわざ来てくれたんだ」
ルリ「どうなの?」
真吾「危ない時もあったんだけど、今は安定してるよ。肺
炎とか併発しない限り、急にどうなるってことはないら
しいんだ」
ルリ「そう‥‥。こないだはあんなに元気だったのに、聞
いてびっくりしちゃった」
真吾「なんか信じられないよね」
ルリ「会えるのかな?」
真吾「うん‥‥。できれば会わないでほしいんだけど‥‥」
ルリ「えっ」
真吾「あんまりルリさんには見せたくない姿なんだ。叔父
さんも、多分そうだと思うから」
ルリ「そう‥‥」
真吾「ごめんね、せっかく来てくれたのに」
ルリ「ううん。−−あっ、私花なんか持ってきたりして、
バカみたいだよね。そういう状況じゃ全然ないんでしょ?
何やってるんだろう、私‥‥」
真吾「いや、ありがたくいただくよ」
ルリ「でも‥‥」
真吾「(嗅いで)この花、ルリさんと同じ香りがする。ひ
ょっとしたら叔父さん、この香りで目を覚ますかも」
ルリ「そお?」
真吾「ルリさん、どうもありがとうね」
真吾のN「それからしばらくして、叔父さんは集中治療室
から一般病室に移された。ルリさんの持ってきてくれた
花は、残念ながら効き目がなかった。相変わらず意識は
戻らず、ひょっとこの顔をしたままだった」
真吾「母さん、湿布薬買ってきたよ」
雅子「ああ、ありがとう」
真吾「どう?」
雅子「特に変わった所はないね」
真吾「母さんの腰の具合のほうは?」
雅子「痛いことは痛いけどね。しょうがないしょ、世話す
るの私しかいないんだからから」
真吾「うん‥‥」
雅子「ちゃんと覚えておきなさい。あんたも、結婚しない
でいると、倒れたらこういうことになるんだよ」
真吾「うん‥‥」
雅子「いや‥‥、結婚してなくて、かえって良かったのか
もしれないね‥‥」
真吾「そうだね‥‥」
雅子「−−フフフ、そうだ、これ」
真吾「うん? ノートじゃない」
雅子「保の持ち物の中にあったんだよ」
真吾「何なの?」
雅子「いいから、読んでごらん」
真吾「(ノートをめくる)。振った女から『幸せです』と
毎年年賀状が届く。デパートの開店は店員がみんな頭を
下げていい気分。(ノートをめくる)。時間とは変化だ。
砂糖で塩は打ち消せない。(ノートをめくる)。パセリ
に醤油をかけるのは俺だけか? ポケットティシュを受
けとるタイミングは難しい。殺し文句の一つ『殺すぞ!』。
温水で肛門を洗ってるほどの文明人」
雅子「ね、変なこと、いっぱい書いてあるしょ?」
真吾「多分これ‥‥」
雅子「ん?」
真吾「ネタ帳だよ」
雅子「そういうもんなの?」
真吾「普通の会社員のくせに、こんなものノートにつけて
たんだ」
雅子「あんたの『じゅっしょうせき』も、この中から生ま
れたのかもね」
真吾「多分そうだよ。けっこう努力して、大嘘ついてたん
だ」
雅子「嘘ばっかりでもないしょ。ノートの最後のページ見
てごらん」
ノートをめくる。
保の声「信じることだ!」
真吾「叔父さん得意のフレーズじゃない。こんなに大きく
書いてあるよ」
雅子「何かあるんだよ、その言葉には」
真吾のN「僕は考えた。ずっと独身で、家族を持たなかっ
た叔父さん。いつも僕をからかって、笑いとばしていた
叔父さん。そもそも、叔父さんが何かに勝ったという話
を聞いたことがあっただろうか? この人の心の中は、
どうなっているんだろう? 一つ感じるのは、『どうで
もいいこと』、『つまらないこと』、『バカバカしいこ
と』を、叔父さんは腹をくくり命すら賭けて、愛し面白
がっていたということだ。そうまでして叔父さんが守っ
ていたものは、一体何なのか? そうまでして叔父さん
が挑んでいた相手は、一体誰なのか? −−ダメだ。未
熟な今の僕では、分からない」
雨が降る。雷も鳴る。
コーヒーを飲む。
真吾「だいぶ乾いたかな?」
ルリ「タオル、どうもありがとう」
真吾「いきなり降りだすんだもんな、まいるよね」
コーヒーを飲む。
ルリ「男の人の部屋なのに、けっこう綺麗にしてるんだ」
真吾「そんなに色々と、男の部屋を知ってるわけ?」
ルリ「弟の部屋なんて凄いよ。もうメッチャクチャ」
真吾「ああ、弟のね」
ルリ「他に知ってちゃいけないの?」
真吾「いや、いけないことはないんだろうけど‥‥」
ルリ「−−そろそろ、やろう」
真吾「本当にいいの?」
ルリ「そのためにここに来たんだから」
真吾「いいの? 本当に『10勝』全部もらうよ」
ルリ「保叔父さんのためじゃない」
真吾「じゃ、僕の残り『7勝』と足して、全部で『17勝』。
本当に全部使っちゃうけど、後悔しないね」
ルリ「くどい! 女に二言はありません」
真吾「わかりました。−−それでは、始めます」
厳かな音楽。
真吾「おお、石よ」
ルリ「『じゅっしょうせき』よ」
真吾・ルリ「太古の記憶を今甦らせたまえ」
真吾「地球はまだ若く、その腹の中は煮えたぎり全てをド
ロドロに溶かしていた。ある日、ドロドロはうねりをお
こし、行方を彷徨い、ついに混沌のままを地上に放出し
た」
ルリ「石よ、お前は一瞬にして冷え固まり、その内部に全
ての力を封印した」
真吾「今、病室に我ら二人の恩人がいる。お前の力を見抜
き、お前の力を語り聞かせたあの人だ。病魔はあの人に
とりつき、我らと共に生きる時間を奪おうとしている。
我ら二人はお前に印した歯形を返上する。我ら二人は未
来の17勝を返上する」
ルリ「石よ、その内部に残る全ての力を、あの人のために
使いたまえ。その力を以てして、あの人の命を救いたま
え」
真吾「石よ、くれぐれも間違ってはならぬ。これは歯形を
刻むものではない。我ら二人の、心の辛さなのだ!」
ルリ「願いの強さなのだ!」
真吾・ルリ「−−せえの」
真吾のN「僕たちは、手の汗に注意して、『じゅっしょう
せき』を噛んだ」
(おわり)