館長事務室-----館長's
Profile
引田重明 Shigeaki Hikida
1954年(昭和29年) 11月 広島市生まれ
報徳幼稚園、段原小学校、段原中学校、海田高等学校、広島工業大学を卒業し
前田道路(株)に入社し 現在に至る
私の父である春男は若くから日本国有鉄道に勤め、一時はSLの機関助士も
したことがあり
山陽本線をD51で走ったことがあったそうだ。
私は小学生の頃、その父の勤務する広島機関区(当時、C59・C62・D52などがいた)内の散髪屋によく通ったが、
当時は機関庫の中で 突然「ボーッ」と汽笛を発する大きな黒い鉄の固まりが なぜか好きになれなかった。
それから、1970年(昭和45年) 高校1年になって 友人の下村敏朗と木戸孝と三人で南九州に行った時、
下村敏朗が宮崎駅で記念撮影にと撮った偶然の1枚のC57の写真と出会い
その人間味溢れるSLとその機械美に圧倒されて 私の心に火が付き SLファンの一員になった。
まもなく、衰退の一途だったSLに想いを寄せる多くの同人がいることを知り、
私も消え行く運命にあるSLを記憶に留める使命感に駆られ 夏の九州から冬の北海道と
季節を問わず隈なく 全国の老兵"SL"の撮影旅行に出掛けた。
それから 写真部にて 同じ趣味であった後輩の
福山鉄路、脇本雅彦、牛尾健らと情報を交換し合い さらに相乗して 全国を SL行脚した。
その頃は 誰もがそうだったように、アルバイトをして旅費を稼ぎ、親からもらった昼飯のパン代100円を
大きな味付けパン1個30円で我慢して、フィルムを買う代金を捻出する毎日だった。
しかしながら 親としては学習を疎かにし兼ねないくらい没頭する私への警鐘を考え 賛成ではなかったので
その都度 計画を告げても 最後には家を飛び出すような状況だった。
そのような中で、姉の順子、妹の洋子は、こっそりと「むすび」を作ってくれ その出発をささやかに応援してくれた。
今でも思い出すと目頭が熱くなる。
広島から北海道までの道のりは遠く、広島〜大阪〜夜行急行「きたぐに」北陸経由で青森〜青函連絡船に乗り
函館に着くまで 延べ30時間という 今のスピード時代には考えられない忍耐・体力のいる強行軍だった。
それを乗り越えられたのは 若さだけではなく、好きなことが出来るという強い精神力があった為だと思う。
又、当時の北海道均一周遊券は 安価で 学割を使うと 冬期で 7000円前後で買え
使用期間が23日間も有り、前後の行き帰りと道内の移動は急行まで使え 何回でも乗り降り自由という
金欠病に喘ぐ私にとっては有り難いことの一つだった。
旅館に泊まる予算は 最初から無く 「すずらん」「利尻」「大雪6号」などの夜行列車や
旭川・名寄などの待合室で寝袋を使い そこを宿とする、まるでホームレス状態だった。
一番のゼイタクは一度、札幌駅で買った1個200円の新高梨を釧路に向かう夜行列車の中で頬張ったことと
二週間に一度、高嶺の花であったカツ丼380円を食ったことだけで 他は立ち食い蕎麦か、菓子パンだった。
日頃より資金は底をつき、増して金が入れば、フィルムが何本買えるかといった計算をしていたのだった。
現地では 鉄道関係者の方々には いろいろとお世話になった。
特に 私鉄夕張鉄道の平和駅の廃止1〜2年前には そこを頻繁に訪れていたため、
古くなったタブレット・鉄道帽・カンテラなどを駅員の人に頂いた。
お返しに そこで撮った写真を贈ったら、喜んでもらったことを思い出す。
また、ファン同士の間でも 現地で知り合った"失楽園"で有名な作家と同姓同名の東京の渡辺淳一さん、
中野区の砂塚由仁さんなどと 手紙での交流ができ、友達の輪が全国に広がっていった。
・・・
日に日にSLたちがその使命を終え、無残にも酸素バーナーで切断され、大きな音を立てて解体されていく
・・・
まさにそれは 生身の人間が血を流すような光景
私は大学受験と丁度重なったため、精神的に悩みはしたが
「この期を逃しては」 と、自分のわがままを通してしまった。
1978年2月 大学4年の卒業間近の時に 就職で広島を離れるために集大成にと
広島市内本通り広文館2F 「ロクローギャラリー」で 個人SL写真展「情炎」を開催した。
中国新聞社、RCCテレビなどの報道機関、親友の坂田弘光・中村康之を始めとする学校の友達、母公子の友達、
引田・中野・宮藤などの親戚を始め 病気がちだった祖父の章一まで駆けつけてくれ 賛美してくれた。
その後、三菱信託銀行などから写真展にと担がれたり、
本通りの飲み屋の社長などから写真を店内に飾りたいと話があり 私の力作を数十点提供することができた。
残念なことはその写真展に鉄道写真では教祖的存在だった廣田尚敬氏にも招待状を出したが
来ていただけなかったことだ・・・
その後 東京に就職し 5年後に妻昌代と家庭を持ったが
当分の間、SLを題材に写真を撮る機会は なかった。
絵梨子、紘平と2人の子供も産まれ、家族中心の写真を撮っていた。
やがて 秩父鉄道のパレオ・エキスプレスのC58復活を機に思い出したかのように
函館本線、釜石線、磐越東線、磐越西線、上越線、秩父鉄道、中央線、真岡鉄道
大井川鉄道、樽見鉄道、山口線、豊肥本線、など
各地で保存されている現存のSLに 家族ぐるみで 会いに行くようになった。
広島の地を離れて 20年後、現在横浜市青葉区在住
1998年9月 ホームページに「Fantasy World 2 〜蒸気機関車とふるさと俳画〜」を 公開する
日本の鉄道の歴史は、そのままSLの歴史であると言っても過言ではない。
戦前戦後を問わず 日本人一人一人の人生に深く係わり続けたSLに改めて
「ごくろうさま、ありがとう」の意を 贈りたい。
・・・・・いまでも 力強く美しく人間味溢れるSLは みんなの心に走り続けている・・・・・・
最後に このホームページの創作期は、闘病中であり、これまでの半生を何度となく振り返るきっかけとなった。
過去に撮った貴重な映像の記録を整理し
作品として発表するための貴重な時間を与えてくれた「運命」に感謝をすると共に
当たり前で普段は考える時間も無かった「健康」に
改めて感謝する今日この頃であります。
1998.9.30
引 田 重 明
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
この「館長事務室」で 全工程を終了させていただきます。
最後まで、ご鑑賞して頂いて 誠に有り難く存じています。
これからも 定期的でかつ、Creative な Update を心掛けて行きますので、
又のご来場を心よりお願い申し上げます。
Composed,Arranged,Written and Produced by Shigeaki Hikida
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Part1〜蒸気機関車への熱き想い〜
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ですので
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