城崎にて
志賀直哉の大正6年(1916年)発表された小説です。9ページ程度の短い小説ですが、その描写はお見事です。さかのぼる事その4年前の大正2年8月に、直哉は山の手線の電車にはねられて重傷を負い、同年10月に_その養生のため訪れた城崎温泉での滞在記です。父との不仲や長女を亡くしたりと辛い事が続いたなか「生と死」について考えたのです。
下記は、小説から抜粋
<冒頭の文>
山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、其後、養生に一人で但馬の城崎温泉に出掛けた。
<事故について>
自分の心には、何かしら死に対する親しみが起ってゐる。
<蜂の死>
或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでゐるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角をだらしなく顔へたれ下がってゐた。他の蜂は一向に冷淡だった。〜略〜それは三日程その儘になってゐた。それを見てゐて、如何にも静かな感じを与へた。淋しかった。
<鼠の死>
それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見てゐるのだった。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に七寸ばかりの魚串が刺し貫してあった。〜略〜自分は淋しい嫌な気持ちになった。あれが本統なのだと思った。自分が希ってゐる静かさの前に、ああいふ苦しみのある事は恐ろしい事だ。
<一つの桑の葉>
或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いてゐる。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。
<ゐもりの死>
自分は別にゐもりを狙わなかった。〜略〜最初石が当ったとは思はなかった。ゐもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。〜略〜ゐもりと自分だけになったやうな心持がしてゐもりの身に自分がなって其心持を感じた。可哀想に想ふと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。ゐもりは偶然に死んだ。
城崎の風景が、この何気ない<死>を鮮明にしています。私は
城崎を訪れて、もうほとんど内容を忘れていたこの小説読み直しました。素晴らしさは、城崎を訪れたならわかります!!