ゲームの歴史


凡例 青い字=ソフト発売日(カッコ内は対応機種と販売本数)    FC=ファミリーコンピュータ SFC=スーパーファミコン    GB=ゲームボーイ      PS=プレイステーション    PS2=プレイステーション2    NES=NINTENDO ENTERTAINMENT SYSTEM(欧米向ファミコン)
1983年 7月15日 ファミリーコンピュータ(任天堂) 1985年 7月   ドアドア(FC用・30万本)    11月   ポートピア連続殺人事件(FC用・70万本) 1986年 5月27日 ドラゴンクエスト(FC用・140万本) 1986年11月   ドラゴンクエスト(MSX2用) 1986年12月   ドラゴンクエスト(MSX用) 1987年 1月26日 ドラゴンクエストII 悪霊の神々(FC用・230万本) 1987年 2月25日 ドラクエIIの攻略記事を掲載のゲーム誌に発禁仮処分  東京地方裁判所は、ソフトメーカーの承諾なしに攻略法を掲載することは著 作権侵害にあたる、として、ゲーム雑誌「ハイスコア」の編集・発行会社に発 売禁止を命じる仮処分決定を出した。  仮処分を申請したエニックスは、同誌は1月下旬に発売された号で一部の攻略 法を無断で掲載しており、今月末発売の号でさらに攻略法が出されるとおそれ があるため、と話している。 1987年 3月 2日 「朝日新聞」に堀井雄二のインタビュー掲載  「朝日新聞」3月2日付夕刊9面の「考える・ゲームの進化論」に、ドラクエシ ナリオ担当の堀井雄二氏のインタビューが掲載された。  ドラクエ1でのプレイヤーが途中で投げ出さないようにする工夫や、本当に 作りたいゲーム、ゲームデザイナーになるきっかけなど。「本当につくってみ たいゲーム」は、ウルティマオンラインなどを彷彿とさせる。  なお「ゲームの進化論」は3回シリーズで、第2回はセガの鈴木久司氏、第3回 はゲーム研究家の安田均氏。 1987年 3月17日 「エコノミスト」にエニックス掲載  経済誌「エコノミスト」3月17日号の「点描にっぽん列島」で、エニックス が取り上げられた。ファミコンの普及ぶりと経済効果について述べる中で、ソ フトが作られる過程を説明するために、当時ドラクエIIを発売したばかりの同 社を取材している。  その頃は従業員が14人しかいなかった、というのも驚くが、特筆すべきは写 真である。別ゲームのスタッフの会議風景やファミコンカセットの生産工場、 さらに、すぎやまこういち氏の仕事場まで収めている。 1987年12月 日 ファイナルファンタジー(FC用・スクウェア) 1988年 2月   ドラゴンクエストII 悪霊の神々(MSX用) 1988年 2月10日 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(FC用・380万本)  初日は100万本を販売。ほとんどは予約客向け。  東京・池袋のビックカメラには9日午後3時ごろから行列ができ始め、10日午 前11時には1万人以上が並んだ。同店では販売時間を繰り上げ、当初予定の5千 本を1万本に増やした。定価5900円に対し、3割程度値引き。  発売日は水曜日だったため、東京・神奈川・愛知・京都・兵庫では、学校を ずる休みして買いに来たとして392人が補導。 1988年 4月   「中央公論」に堀井雄二の紹介掲載  「中央公論」4月号の「人物交差点」に、ドラクエシナリオ担当の堀井雄二 氏が取り上げられた。同氏の職業であるゲームデザイナーの説明と、ドラクエ を作るまでの経歴が述べられている。  なお、これを書いた人はファミコンとパソコンを混同しているようなので、 前半部のドラクエIIIが売れた要因についての記述は、けっこう間違い。 1988年 4月 4日 ドラクエIII最後の謎の解法を掲載として写真週刊誌を提訴  エニックスは、ドラクエIIIの最後の画面写真と攻略ヒントを掲載したとし て、写真週刊誌「フラッシュ」の発行会社に損害賠償を求める訴えを起こした。  3月22日号の同誌は「やったネ ドラクエIIIの最終画面を本邦初公開」と題 し、ゲームの最後の5画面と攻略ヒントを解説した記事を2ページ載せている。 エニックス側は、回収を要求したが断られたため、出版社が得たと見られる利 益を賠償請求することにした、と話している。 1988年 5月  ドラゴンクエストII 悪霊の神々(MSX2用) 1988年 7月23日 マニアが制作の3解説本を著作権侵害として販売差止申請  エニックスは、ゲームマニアの制作したドラクエIIIの解説書が著作権の侵害 にあたるとして、東京地方裁判所に販売差し止めを求める仮処分を申請した。  この解説書は『マルヒ公式ガイドどらくえ3』というタイトルで、巻末には 最終段階の攻略ヒントも袋とじでついている。出版元は「ストーリーを独自に 再構成したもので、著作権は侵害していない」と話している。 1989年 月 日 ファイナルファンタジーII(FC用・スクウェア) 1989年 7月   DRAGON WARRIOR(NES用・ニンテンドウオブアメリカ) 1990年 1月   ドラクエIV発売を前に警視庁がエニックス・東京都教育委        員会・私立中学高校協会に混乱防止の働きかけ 1990年 2月11日 ドラゴンクエストIV 導かれし者たち(FC用・310万本)  初日は130万本を販売。  東京・池袋のビックカメラには9日午後9時ごろから行列ができ始め、11日 午前1時には約1万人が並んだ。 1990年 5月14日〜5月24日 「朝日新聞」夕刊に堀井雄二のエッセイ掲載  「朝日新聞」5月14日〜5月24日付夕刊の「しごとの周辺」を、ドラクエシナ リオ担当の堀井雄二氏が担当した。ドラクエの裏話はない。 1990年 5月19日 「東洋経済・90年申告所得ランキング」にエニックス社長の        インタビュー掲載  経済誌「週刊東洋経済」5月19日号に、福嶋康博・エニックス社長のインタ ビューが掲載された。同氏の事業歴と経営手法について書かれている。 1990年 6月19日 「エコノミスト」にエニックス社長のインタビュー掲載  経済誌「エコノミスト」6月19日号に、福嶋康博・エニックス社長のインタ ビューが掲載された。当時のドラクエ制作スタッフの人数が、割と具体的に述 べられている。 1990年10月   DRAGON WARRIOR II(NES用) 1990年 月 日 ファイナルファンタジーIII(FC用・スクウェア) 1991年 月 日 スーパーファミコン(任天堂) 1991年 2月   株式を店頭公開。いきなり1万2000円をつける 1991年 3月16日 「東洋経済」にエニックス社長のインタビュー掲載  経済誌「週刊東洋経済」3月16日号の「人」に、福嶋康博・エニックス社長 のインタビューが掲載された。趣味・読書・信条が載っているので、エニック スに就職したい人は読んでおくといいかもしれない。 1991年 8月   「文藝春秋」にチュンソフト社長のインタビュー掲載  「文藝春秋」8月号に、元ドラクエプログラム担当の中村光一・チュンソフ ト社長の紹介とインタビューが掲載された。経歴紹介と『弟切草』の宣伝。 1991年 9月 7日 朝日新聞夕刊にエニックス社長のインタビュー掲載  朝日新聞東京版夕刊に、福嶋康博・エニックス社長のインタビューが掲載さ れた。ドラクエ人気の秘密やスタッフの集め方、ポストドラクエについて。 1992年 2月 DRAGON WARRIOR III(NES用) 1992年 9月27日 ドラゴンクエストV 天空の花嫁(SFC用・280万本)          セリフが漢字混じりの文章になる 1992年 9月28日 警察庁、ドラクエ5関係事件は10件と発表  警察庁は28日、ドラクエ5を買った人がソフトを脅し取られたり盗まれたり した事件が全国で10件起きた、と発表した。中には、発売日の前日に買ったも のを盗まれた事件もあった。 1992年10月   DRAGON WARRIOR IV(NES用) 1992年10月20日 「朝日新聞」に堀井雄二のインタビュー掲載  「朝日新聞」10月20日付朝刊3面に、ドラクエシナリオ担当の堀井雄二氏の インタビューが掲載された。ドラクエはなぜ人気があるのか、5のテーマに ついて。 1993年12月18日 ドラゴンクエストI・II(SFC用・120万本) 1994年 月 日 プレイステーション(ソニー・コンピュータエンタテイメント)         セガサターン(セガ・エンタープライゼス) 1995年 9月29日 朝日新聞夕刊にドラクエバレエの評論掲載  朝日新聞東京版の夕刊13面に、9月21日〜23日に上演された「バレエ ドラ ゴン・クエスト」の評論が掲載された。タイトルは「ゲームを超えるにはいた らず」。 1995年12月 9日 ドラゴンクエストVI 幻の大地(SFC用・320万本) 1996年 1月14日 エニックスが「ドラクエVIIはPSで発売」と発表 1996年 月 日 NINTENDO64(任天堂)         ポケットモンスター(GB用・任天堂)         スクウェアがPS参入         ファイナルファンタジーVII(PS用・スクウェア・371万本) 1996年 3月13日 ドラゴンクエストVII制作発表記者会見 1996年12月 日 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(SFC用・140万本) 1997年 4月   エニックス株、店頭公開以来の最安値。1910円まで下げる 1998年夏    ドラゴンクエストあるくんです  『たまごっち』によってブームとなった、携帯液晶ゲームのひとつ。万歩計 機能を備え、歩いた歩数をエサとしてスライムに与え成長させるゲーム……… だったと思う。  同種のものとして、任天堂が『ポケットピカチュウ』を発売している。つい でに、外枠の色がピンクにしてピカチュウをキティちゃんにした『ポケットキ ティ』も出た。 1998年 9月 日 ドラゴンクエストモンスターズ・テリーのワンダーランド         (GB用・226万本) 1998年10月 日 ゲームボーイカラー(任天堂) 1998年11月27日 ドリームキャスト(セガ・エンタープライゼス) 1999年 三が日 ドラゴンクエストVIIのCM放映  初詣で賑わう神社で、参拝客や神主が「でますよ〜〜に」と一生懸命お祈り している。そしてドラクエVIIのゲーム画面に切り替わり、「ドラゴンクエスト VII、1999年発売(発売予定だったか?)」というナレーションが入って終わる CM。 1999年 2月11日 ファイナルファンタジーVIII(PS用・355万本) 1999年 3月 2日 次世代プレイステーション仕様発表 1999年 3月26日 ゲーム雑誌各誌で18枚のドラクエVII画面写真公開  同日発売の「ファミ通」「ファミ通PS」「ザ・プレイステーション」「電 撃プレイステーション」4月9日号で掲載。各誌の扱いは以下のとおり。  ファミ通:真ん中の攻略記事の間に2ページ。表紙にドラクエの文字なし。  フ P S:トップだがフロントミッションサード、聖剣伝説レジェンドオブ       マナの次に2ページ。つまり3番手。表紙下部に赤字で「新情報発       覚!? ドラゴンクエストVII」の文字。  ザ プ レ:トップ4ページ。表紙左側に銅色の縁つきで一番大きく「序盤の       地グランエスタード城を公開!! ドラゴンクエストVII」。  電  撃:トップ4ページ。表紙右側に「春の新作情報満開!!」として他の9       ソフトと同じようにオレンジの文字で「ドラゴンクエストVII」。       ただし順番は一番上。  ちなみに表紙を飾った人々は、ファミ通がパフィー、フPSが遠藤久美子、 ザプレが「To Haert」の神岸あかりと長岡志保、電撃が同じく「To Haert」の マルチ・来栖川芹香・来栖川綾香だった。 1999年 5月12日 任天堂・松下電器が次世代ゲーム機共同開発を発表 1999年 5月27日 エニックスが中古ソフト販売差止訴訟で一審敗訴  東京地方裁判所は、「ソフト会社には流通を制限する著作権法上の権利はな く、販売の差し止めはできない」として、エニックスの差し止め請求は無効だ と訴えていた小売店に勝訴の判決を出した。エニックスは控訴する方針。  「日経ビジネス」6月7日号は、ソニー・コンピュータエンタテインメントの 流通政策の失敗とからめて解説している。  また、翌週の「ザ・プレイステーション」と「電撃プレイステーション」で は判決文を掲載。専門家の解説も入れている。ザプレは「いつごろ売買するの が一番トクか」という特集も。 1999年 6月21日 少年ジャンプにGB用ドラクエ1・2の記事掲載  この週発売の「週刊少年ジャンプ」(集英社)にゲームボーイ用『ドラゴン クエスト1・2』の記事が掲載された。 1999年 6月24日 ドリームキャストが1万円値下げし1万9900円に  この月、セガ・エンタープライゼスの入交昭一郎社長は、「日経ビジネス」 「週刊東洋経済」など経済誌のインタビューに応じ、意気込みを語っている。  特に「日経ビジネス」6月14日号では、「崖っぷちの反抗」と題して5ページ の記事が掲載された。 1999年 6月30日・7月 7日 「週刊アスキー」にシナリオ担当の記事掲載  「週刊アスキー」7月14日号・21号の「デジタル業界の女たち」に、有限会社 アルテピアッツァ取締役・ドラクエシナリオ担当の杉村幸子氏のインタビュー が掲載された。アルテピアッツァはドラクエ7のCGを製作する会社。 1999年 7月12日 NHK教育にすぎやまこういち出演  午前0時20分からNHK教育テレビで放送された『BSクラシックピックアッ プ』に、ドラクエ音楽担当の、すぎやまこういち氏が出演。この番組はBSで 放送されるクラシック番組を紹介するもので、基本的には番組の感想を話すの だが、自らの音楽との出会いや作曲方法なども語った。 1999年 8月 9日 「週刊少年ジャンプ」にDQ7の戦闘画面掲載 1999年 8月17日 「モンスターズ」の開発会社、株式を大証二部・京証に上場  「ドラゴンクエスト・モンスターズ」を手がけた、京都のゲームソフト受託 開発会社・トーセが、大阪証券取引所第二部と京都証券取引所に株式を上場。 初日の終値は、買い注文が殺到したため、つかなかった。 1999年 8月18日 エニックス、株式を東京証券取引所第一部に上場  初日の終値は9300円。 1999年 8月24日 「日経産業新聞」にエニックス社長のインタビュー掲載  産業紙「日経産業新聞」8月24日付に、福嶋康博・エニックス社長のインタ ビューが掲載された。  ゲーム開発チームを3倍以上増やし、月刊誌も創刊して「これまで石橋をた たいても渡らないという慎重な企業イメージでしたが、今年はチャレンジの年 です」と述べた。 1999年 9月13日 ソニー・コンピュータエンタテインメントが、次世代ゲーム        機「プレイステーション2」の発売日・本体・開発機材を発表  発売は2000年・平成12年3月4日大安吉日で、価格は3万9800円(コントロー ラーとメモリーカード付き)。 1999年 9月23日 ドラゴンクエストI・II(GB用・約50万本) 1999年 9月29日 「東洋経済」にエニックス社長のインタビュー掲載  経済誌「週刊東洋経済」10月2日号の「私の超健康法」に、福嶋康博・エニッ クス社長のインタビューが掲載された。 1999年10月18日 エニックス、ドラクエ7を12月29日に発売と発表  価格は7800円でCDロム2枚組。目標販売本数は2000年3月までに300〜400万本。 1999年10月   エニックス、北米市場に再参入を決定  エニックスは、12月にもアメリカに販売子会社を設立し、2000年4月からゲ ームソフト販売を始める。日本で12月29日発売予定の「ドラゴンクエストVII」 も販売。同社は1989年に販売子会社を設立していたが、消費者がいつでも小売 店に返品できる商慣行のために業績が落ち、1995年に撤退している。 1999年10月 7日 大阪地裁、中古ソフト販売の差止判決  大阪地方裁判所は、「ゲームソフトは著作権法が定める映画の著作物に当た り、メーカー側に頒布権がある」として、小売店に中古ソフトの販売差止を求 めていたメーカー6社に勝訴の判決を出した。小売店側は控訴する方針。 1999年10月27日 「讀賣新聞」に堀井雄二のインタビュー掲載  「讀賣新聞」10月27日付朝刊15面に、ドラクエシナリオ担当の堀井雄二氏の インタビューが、ドラクエ7の紹介記事とともに掲載された。 1999年11月   「潮」12月号にエニックス社長のインタビュー掲載  「潮」12月号の「トップに迫る」に、福嶋康博・エニックス社長のインタビ ューが掲載された。東証一部上場の経緯・パソコンゲームコンテスト・プレス テ移籍の理由・ドラクエ7の目標販売本数・海外での売れ行き・映画とゲーム の違い・従業員の採用基準・ネットゲームの可能性について。 1999年11月15日 週刊少年ジャンプ、ドラクエ7を5000人にプレゼント  この週に発売の「週刊少年ジャンプ」(集英社)で、ドラクエ7を5000人に、 しかも発売日前日にプレゼントする懸賞が打たれた。 1999年11月17日 エニックス、ドラクエ7発売を来年2月に延期と発表  エニックスは、12月29日に予定されていた「ドラゴンクエストVII」の発売 を、2000年2月に延期すると発表した。  同社は10月18日に発売日を12月29日と発表したが、その後ゲームプログラム 作業やシナリオ調整に予想以上の時間がかかることがわかったため、延期を決 定した。 1999年11月18日 セガ、「シェンムー」を12月29日に繰り上げ発売と発表  セガ・エンタープライゼスは、ドリームキャスト用に2000年春発売予定だっ たRPG「シェンムー」を、1999年12月29日に繰り上げて発売すると発表した。  同社広報企画室は「開発が予想以上に進んだことから最需要期の年末に変更 した」と話しているが、ドラクエ7の発売延期も理由のひとつのようだ。 1999年12月 7日ころ 少年ジャンプの7紹介記事に堀井雄二が不満表明  この週から3週に渡って「週刊少年ジャンプ」に掲載されるドラクエ7の紹 介記事について、ドラクエシナリオ担当の堀井雄二氏が、自分のホームページ の掲示板で不満を表明した。  氏の個人ホームページである「ゆうぼんのでたとこホームページ」の掲示板 によると、3週に渡る少年ジャンプの紹介記事は自分の意志に反して情報を出 しすぎておりプレイヤーの謎を解く楽しみを奪うものだ、と述べている。  また、これまで記事はできる限り自分でチェックし訂正も求めてきたが、今 回は時間がないのでエニックス広報にまかせたところ、このような事態となっ た。以前にも情報を出しすぎたことはあったが、今回はひどいのでしばらく仕 事が手に付かない、と7の発売がさらに延びる可能性も示唆した。  なお、翌日にはトーンダウンした抗議文が掲載され、発売の再延期はない、 とした。 1999年     エニックスのドラクエ広報担当がコスプレして延期を謝罪  情報番組『トゥナイト2』で、ドラクエ7の発売延期について、エニックス の広報担当者がコスプレ姿で謝罪した。 2000年 1月   「噂の真相」2月号にドラクエ7記事掲載  「噂の真相」2月号の「メディア裏最前線・マルチメディア」に、ドラクエ 7に関する記事が掲載された。発売延期による他社への影響について等。 2000年 1月26日 エニックス、ドラクエ7発売を5月末まで延期と発表  エニックスは、2月に予定されていた「ドラゴンクエストVII」の発売を、 5月末まで延期すると発表した。  同社は昨年11月17日に、発売日を今年2月に延期すると発表したが、その後 ゲームプログラム作業やシナリオ調整に予想以上の時間がかかることがわかっ た上、制作側からシナリオ修正の要望も出たため、3度目の延期を決定した。  これにより、同社の2000年3月期の業績予想は、大幅に下方修正された。 2000年 1月27日 エニックス株、ストップ安  エニックス株は、朝から個人投資家の売り注文が殺到し、前日比1000円安 (ストップ安)の8810円で取引を終えた。前日の、ドラクエ7発売延期と業績 下方修正の発表が原因。 2000年 2月11日 ファミ通やりこみ大賞にドラクエ6低レベルクリアー入選  ゲーム誌「週刊ファミ通」2月25日号の「やりこみ大賞」に、ドラクエ6の 低レベルクリアーが入選した。賞金は3000ガバス。クリアー時の主人公のレベ ルは3、最高レベルはハッサンのレベル12だった。  応募者の一人、中山貴之氏のホームページはこちら。 1999年後半   エニックス、高校生向けマンガ誌創刊予定 2000年 3月 4日 プレイステーション2発売 2000年 3月 9日 「週刊新潮」に堀井雄二と坂口博信のインタビュー掲載  「週刊新潮」3月16日号の「現代のカリスマ断層」第6回に、ドラクエシナ リオ担当の堀井雄二氏と、ファイナルファンタジープロデューサーの坂口博信 氏のインタビューが掲載された。どちらも、ゲームをつくるようになるまでの 経緯など。ワイド特集「人生『危ない橋』渡った人渡れなかった人」の「プレ ステ2人気でセガ『ドリームキャスト』崖っぷち」も必読。 2000年 4月   エニックス、感圧式指紋センサーを開発  エニックスは、感圧式指紋センサー「デジタル・フィンガープリント・セン サー」を開発した。特殊な高分子素材を使い、指紋のような微細なでこぼこを 検知できる、初めての感圧式センサーとなる。 2000年 5月10日 エニックス、ドラクエ7発売を8月26日に延期と発表  エニックスは、5月末に予定されていた「ドラゴンクエストVII」の発売を、 8月26日に延期すると発表した。  同社は1月26日に、発売日を5月末まで延期すると発表したが、その後ゲー ムプログラムやシナリオの最終調整に予想以上の時間がかかることがわかっ ため、4度目の延期を決定した。 2000年 8月26日 ドラゴンクエストVII(PS用・目標400万本)
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