エッセイのコーナーを作ったのに一つしかできていないというのは寂しい。前からこれを書き溜めてすんごいのを作ってやろうと思ったのだが、いざホームページという形でそれを書いて公表するとなると日記とは違って人に見られるわけだし、なかなか書き始められなかった。
そこで私が高校生の時に友達の授業の課題で出されて、それを代わりに書いてあげた小論文をここに写して、それについてなんか書こうと思う。
以下原文のまま。国語辞典と私
人間が言語を使用している以上、我々は我々の使っている言語を深く理解する必要がある。その手がかりとして私たちは再三国語辞典を使用する。自国他国に関わらず、一つの言語を詳しく知る事は、その国の、ある意は地域の文化を知る事と同じである。なぜなら、現に違う国であっても、言語が似ていたり、同じだったりすると、生活様式まで似てくる。文化が育んだ貴重なものの一つに言語というものが挙げられよう。我々が二百万年前からそれは発展してきて、次々に新しい言語が生まれてきた。今でもなお、文化、文明の進展とともにそれは変わりつつある。人間がこの世に存在し続ける限り、普遍的に発展し続けるのだ。独特の文化が独特の言語を創造し、固有の文化がそれとともに作られていくのだから言語と文化の相関の深さを改めて探る必要もないだろう。(注1)
最近、日本語を守ろうという事がよく言われるが私は新しい単語、表現を作り出していく事には肯定的である。なぜなら、その言葉を造り、使っている人が、他の単語では表現し得ないと判断し、これが、我々にとって一番コンフォータブルだと考えたのであるから、それでいいではないか。文化の変化により、新しい言葉が生まれ、古い言葉が廃れるのは、自然であり必然的な事なのである。新しい言葉が生まれてくるのを阻止するのは反対に自然に逆らっている事ではなかろうか。新しいものを阻止するのではなく、言語をよく知り、表現豊かな言語から、より豊かな言語を生み出し創り出す事の方が先決なのではなかろうか。
言語、正確に言えば日本語を知る浅い初歩(注2)として我々は国語辞典を使用するのだ。私はそのような大きな意味で国語辞典を見ているつもりである。(注1)相関の深さを疑う余地もないだろう、という事が言いたいらしい。
(注2)身近なものとして、ということを言いたいらしい。文章が分裂気味なのは昔からだ。原文は誤字、脱字多し。
要するに「正しい日本語だぁ〜???ざけんなよぉ〜!」という事が言いたかったわけである。今でもその考え方は基本的に変わっていない。「見れる」だろうが「見られる」だろうが知った事ではないのである。通じりゃなんでもいいじゃねーかと思うのだ。言葉が変わらないものだったら古文なんて物をやらなくてよかったはずだ。つまり、変わってしまった昔の言葉はちゃんとした言葉で、これから変わっていく言葉はふざけた言葉だというわけだ。こりゃあ、納得いかん。
特に次々に入ってくるカタカナ言葉なんかがよくやり玉に挙げられるけど、あれも納得いかん。テレビだってカタカナ言葉じゃん。PC関係なんかどうすればいいんだ。それなのに行政側がおかしなカタカナ言葉使ったりする。わけ分からん。もっとも、音読みする単語はすべて中国からの輸入といっていいし、二文字の漢字からなる単語はほとんどが明治以降に役人が考え出した言葉だ。別にそういう言葉はむかつくわけもないし、無きゃ困る。これは、「正しい日本語をつかおー!」とか言っている連中にしたって同じだ。なのに私らの世代が作り出した言葉は受け入れられないらしい。低俗だ、とかいって。
「くだらない」という言葉は江戸時代に江戸(上り、つまり下らないところ)のものはつまらんという意味で、そういう意味になったらしい。もともと「下らない」庶民のジョークだったわけだ。「二束三文」にしたって、「あそこの菜っ葉は二束でたった三文で売ってるらしいよ。安いね、ただみたいなもんだね」という風な感じでそのまま今の意味になったらしい。これにしたって下らないジョークだ。たぶん当時の老人たちは「若い連中が奇妙な言葉を使い始めた」とか言ってしかめっ面をしていたに違いない。今日は流行語大賞の授賞式が行われた。「だっちゅ〜の」が大賞だそうだ。おっさん、おばはんがさんざあれをやって、「ははは・・・」としらけた場面に遭遇した人は数知れず。気づいたんだけれども、おっさん、おばはんまでに言葉が流行するとその言葉ってすぐ廃れる。「ちょべりぐ」みたいな恥ずかしい言葉は、おっさん、おばはんがさんざ言ってしらけさせたから廃れたのではなかろうか。今でも若い人に「ちょべりぐ」とか言って気持ち悪がられるおっさんをたまに見かける。何とも淋しい風情かな・・・。
それに対して「超〜」というのは長生きしている。というより、これは流行語ではないような気がする。もう15年ぐらい前から、私が小学生の頃から使われていたと思う。でもその頃は今のように平板なアクセントではなかったし、平板化したからこそ流行語とみなされた節もある。でもその平板なアクセントが上手くできなくて「ちょ〜すごい!」とか言ってシカトされるおっさんもまたよく見る。