私のロックリスナー人生の中でキース・ムーンほど好きになったドラマーはいない。しかし巷で交わされるロック談義の中に彼の名前が出てくる事はまれである。無論彼はTHE WHOという当時のロックをリアルタイムで経験した人間は知らないわけがないバンドのドラマーであったから、有名ではないにせよ、無名でもない。ムーンのTHE WHOのドラマーとしてのキャリアは1964年、ロンドンのオールドフィールドホテルで始まる。この頃のイギリスはというと、ビートルズが本格的にアメリカ上陸し、全世界を席巻し始めた頃であり、その成功があってかどうかは知らないが、雨後の筍のように「R&B」バンドが出てきた時代である。
ムーンはその夜のTHE WHOのステージに泥酔状態で飛び入りし、へべれけ状態でドラムをたたき、終いにはドラムセットにゲロを吐いたという話である。その時ムーンはわずか17歳。
この逸話をここで紹介しただけで、いかにムーンが型破りで無茶な人間であったかという事がお分かりいただけよう。
この夜のギグでリーダー的存在であったバンドのギタリスト兼ソングライターのピート・タウンゼント以下他のメンバーが、すぐにムーンを気に入り、ムーンは正式にドラマーとしてバンドの一員となったのである。60年代のイギリスの代表的バントといえばヒットチャートあるいはセールスという客観的基準からして、言うまでもなくTHE BEATLESとTHE ROLLING STONESであろう。3番目に来るバンドはどのバンドかという議論になるとだいたいの場合において話は喧々囂々なるのである。ある人はTHE KINKSだといい、またある人はTHE YARDBIRDSだと言う。その中に出てくるバンドの一つがTHE WHOである。
当時のバンドと言えば大概はR&Bとかブルースなどのカバーバンドから始まり、レコードを出しても素人R&Bバンドの調子で活動を行い、そこから抜け出せずに知らぬ間に消えていったバンドも少なくなかった。そこから抜け出し、自らのオリジナリティーを追求し大物になっていったのがビートルズであり、ストーンズであり、またTHE WHOなのである。THE WHOは過激なバンドである。ジミ・ヘンドリクス以前に初めてギターを叩き壊したのはおそらくTHE WHOであろうし、マイクをぐるんぐるん振り回したのもTHE WHOが最初であろう。タウンゼントに至っては自分の投げたギターが頭を直撃し、何針も縫う大ケガをしたと言う情けないエピソードも残っている。
中でも一番派手な立ち振る舞いをしたのがムーンである。彼等のライブアルバムを聴けば分かると思うが、演奏中であるにもかかわらず奇声をあげてみたり、わけのわからないことを言ったりする。演奏自体も激しいから常に何十対ものドラムスティックが用意されていたと言う話もある。そして演奏も終わりともなるとドラムセットぶち壊し。
彼等はアンプやら何から何までぶっ壊してしまうのでステージから彼等が去った後はまるでがれきの山のようである。しかもまだ売れてない頃からそんな事をやっていたから、当時はいくら客がはいろうと赤字だったそうだ。
ちなみにベースのジョン・エントウィッスルだけは普通だった。普通と言うより、直立不動、無表情。そんな彼も大好きである。ここまで話を聞くとTHE WHOはた単なるうるさく過激なだけなバンドだったと思うだろう。そのとおりである。ただ「単なる」と言うのは違う。彼等は常にクリエイティブだったし、人気を取るためになんでもやるというバンドではなかった。確かに初期の頃は実際にはモッズではなかったのだがマネージメント側がモッズバンドに仕立てるためにそんな格好をするように言っていた事もあるし、機材ぶっこわしだって必要以上にやっていた節がある。ただそれは彼等本来の姿ではない。
彼等は二つ偉業を成し遂げている。それはそれまでライブはレコードの再現であるのがいいという考え方しかなかったのに、ライブの臨場感をレコードで再現するということを考えたのだ。だからこそライブこそが一番大切な活動としたし、ウッドストックを含むあちこちのフェスティバルに出演してはやはり機材のぶっ壊しをやった。
もう一つは「トミー」と「四重人格」と言う二つのロックオペラを作ったということ。無論ロックオペラを初めて作ったのは彼等だし、メンバーが出演した映画も作られている。ちなみに映画「トミー」にはエリック・クラプトン、エルトン・ジョン、ティナ・ターナーと言った豪華メンバーが出演している作品。彼等の楽曲も聴けるので一見に値する作品だ。THE WHOの話ばかりになってしまったが、いかにムーンがバンドの中で重要であったかということを認識してもらいたいのである。
ムーンのドラミングは激しい。そして時としてめちゃくちゃとも思えるようなところがある。ところが彼のその激しく、手数が多いドラムのパターンは後のハードロックなどのドラムの礎となったとも言ってよい。もともとドラムはリズムをキープし、浮き立たせるためにあるような楽器で、いわば屋台骨である。その屋台骨であるはずのドラムが目立ち、メインとはいかないまでも重要な装飾品となったのは彼の偉業である。
ムーンのおかげでそれまでギターと歌にしか耳を傾けなかった私が始めてドラムに目を向けるようになったのだ。ムーンは私生活も激しかった。ホテルに泊まれば酔っ払って部屋をめちゃめちゃにして追い出されたり、車でプールに突っ込んで死にそうになったりゥB
友達も多い。ジョン・レノンがヨーコと別居中には彼のと彼の仲間のリンゴ・スター、デビッド・ボウイ、エルトン・ジョンや「WITH OUT YOU」の作者として知られるネルソンらとつるんでいたり。酒と麻薬も大好きだった。ある日のステージの最中、彼はぶっ倒れた。何でも、動物用の麻酔銃に使う麻酔と酒を混ぜて飲んだということらしい。四六時中酔っ払っているかラリっているような状態だったし、酒と薬に関するエピソードを挙げればきりがない。
そんな彼の命を奪ってしまったのも酒と薬であった。
1978年9月8日、ポール・マッカートニー主催のバディー・ホリー生誕記念パーティーから帰宅後、強度のアルコール中毒と麻薬の過剰摂取により死亡。享年31歳。単刀直入に言って、私はなんでそんなにムーンの事が好きなのか分からない。無論彼のドラムが大好きであるのだか、それを差し引いても大好きなのである。ただ他に何かがある。彼のその奔放な性格か、何か…。
ムーンが既にこの世からいなくなっている今、できる事はムーンがTHE WHOのレコードに残した彼のドラムの音を聞く事しかない。でもそれで十分だ。あんな凄いもの聴けるんだもの。かっちょいーぜ、THE WHO!!
かっちょいーぜ、KEITH MOON!!
![]()