この本を開くと、いきなりカタカナがどかんと2ページに渡って壁を築いている。なんのこっちゃいと面食らってよく読んでみると、どうやら外人の名前がひたすら書き連ねられているらしいことがわかる。
ニタ・ナルディ、ルネ・アドレー、アラ・ナジヴォ、オルガ・バクラノヴァ・・・・正直言って、彼らがまったく何処の誰なのか、僕にはまるで判らない。無駄な抵抗をやめて、後ろの方に目を移していくと最後の数行にようやく見慣れた名前を発見できた。ソフィア・ローレン、アン・バンクロフト、ダスティン・ホフマン、ウォーレン・ビーティ、マーロン・ブランド・・・
そう、これは映画開闢以来ハリウッド映画に関係した映画人の名前を羅列した献辞なのであった。事実、献辞の最後は「その他、過去、現在、そして未来の何千人もの映画人たちに愛をこめて」という言葉で結ばれている。
だがこの映画人目録も、作品刊行から26年が経過した今、この名簿は作者の意図した以上に古び、まるでラスコー洞窟の壁に書かれた狩猟図のようなものになってしまっている。この本が書かれた1973年頃には現役ばりばりのスターだったはずの後半何行かの人名にしたところで、既にほとんどは銀幕の現役ではない。かろうじて、ダスティン・ホフマンあたりが、まだ活躍している程度だろうか。今どきの若い衆が偶然この本を手にしてこのページを開いても、徹頭徹尾全く訳がわからないということになりかねない。
まことに時間の過ぎるのは早く、また残酷なものだ。
そしてこの本はまさにそうした、時間に取り残された人々と映画のノスタルジアに満ちた物語なのであった。
主人公のニックはサンフランシスコの小さな広告代理店に務める30になったばかりのサラリーマン。妻のジャンとはまだ結婚してあまり経っていない。もちろん子供はなく、犬のアルが同居しているのみ。どこにでもいる平凡な夫婦だ。
まだ蓄えの乏しい二人は、かつてこの街に住み今はシカゴで隠居生活を送るニックの父の奨めにしたがって、彼が青年時代住んでいたという木造の2階建てアパートに引っ越すことになる。部屋も全く同じ、サンフランシスコの丘の上に立ち、港と市街の見下ろせる小洒落た部屋だ。
さっそく、休日を利用して壁紙の張り替えにかかった二人。年代物の物件だけあって、壁紙もその歴史に応じて何重にも地層を築いている。スチーマーで蒸気を吹きかけ、ゆっくりと壁紙を一枚一枚はがしていかねばならない訳で、これは一日仕事になる。本来ならうんざりするような耐乏仕事なのだが、お金のない若夫婦ののんびりした午後として軽妙に描くフィニイの筆致がいい。日当たりのいい午後、ままごとのように壁紙貼りを楽しむ若夫婦の人のよさ、関系の良好さを軽妙洒脱に描いてすこしも嫌みがない。
ここにちょっとしたハプニングが勃発する。
はがした壁紙の第三層目に、赤いルージュでこんな落書きが残されているのが見つかったのだ。
「マリオン・マーシュ、ここに住めり。1926年6月14日、これを読んで、泣け」と。
多分、先住者のいたずらだろう。
ただ次の住人がそのまま上に壁紙を貼り付けてしまったために、一人の女の呪詛ともいたずらとも付かない捨てぜりふが、そのまま50年近く壁の奥に残されていたというわけだ。
すっかりこの発見が気に入った二人は、引っ越しパーティの趣向としてこの落書き公開することにし、丁度当時ここにすんでいたはずの生き証人、ニックの父を招く。だが、父の語った数奇な物語は単なるノスタルジアの物語では終わらず、幸福な若夫婦の生活を大きくゆさぶる事件へと発展していく。
映画勃興期に生まれた天性の女優マリオン・マーシュ。
ハリウッドから声が掛かり、これから成功を掴もうとしていた矢先、泥酔のあげく自動車事故を起し亡くなってしまった不幸な女。若き日のニックの父の恋人として、かつてこの部屋で暮したマリオン。
二人はこの秘密に夢中となり、彼女がちょい役で出演したという幻の映画を捜し求めることになる。そして偶然、TV放映でその作品を見るチャンスを得るのだが・・・・。
ここから先はネタバレになるので止めておこう。
フィニイという作家は器用な人で、二本と同じ傾向の作品を書かなかった事で有名でもある。
海洋冒険小説「クイン・メリー号襲撃」
SFサスペンス「盗まれた街」
都会的ファンタジー「夜の冒険者たち」
アクションサスペンス「5人対賭博場」
代表作はいろいろなジャンルにまたがり、そのいずれもが緻密なディテールと意外性で高く評価される作品になっている。
だが唯一例外となったのが、時間をテーマにしたSFファンタジーの作品群であった。その大半は“失われた過去を取り戻すために、時間を遡る”というモチーフで貫かれており、ほとんど例外はない。それほどにこの作家は時間旅行というテーマに非常に固執した。
19世紀に投函された秘密の手紙に込められた謎を解くために、タイムマシンではなく精神の力で過去のニューヨークへ時間旅行をするSF大作「ふりだしへもどる」とその続編「永遠の旅人」にしてもしかり、またリリカルなオムニバス短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」に収められた諸作しかり、フィニイのこれらの作品群は過去への郷愁と緻密なディテール、そして時間遡航への強迫観念的なまでのこだわりで構成されている。
この比較的小品である「マリオンの壁」にしても、過去の忘れられた映画とそれに関る人々の想いをじっくり書き込んだ、一種のタイムトラベルものとして読める。
無念の想いを残したまま亡くなったマリオンが如何に時を越えて、現代に蘇るかのサスペンスよりむしろ、その時代の映画業界と失われた名作といったトリビアを描くためにフィニイの筆は費やされる。こう書くと古きよき時代のハリウッドを描いたトマス・トライオンの「夢の冠」、セオドア・ローザックの「フリッカー、あるいは映画の魔」といった超傑作を思い浮かべてしまうが、正直なところこの作品はこれらに肩をならべるような名作とは言えない。ディティールにこだわるあまり小説としてのバランスを崩してしまっており、魅力的だった序盤の緊張感は中盤以降持続しない。ただ、過去と映画という大好きな素材を扱う作者の筆致はやはり楽しげで、玩具に夢中な幼子を見るようなほほ笑ましさは十分伝わってくる。
この作品が他の作品ほど評価されない原因は、そのあたりのマイナーさにあるのかもしれない。「マリオンの壁」は今ではすっかり忘れられた作品になってしまった。
今回僕が手にしたバージョンは昨今の文庫復刊ブームで、ぽろっと思いだしたように刊行された文庫判である。単行本は、70年代半ば、訳者の福島正美氏が編集委員を務めた幻のエンターテイメント総合誌「奇想天外」に連載されたあと、角川書店から単行本としてひっそり刊行されたきりで、文庫化まで二十年近く放置されてきた。刊行平成5年のこの文庫版も爆発的に売れたという話は全く聞かない。おそらく、新刊本屋からは姿を消してしまっていることだろう。だが、この作品にはそうした運命が奇妙に似合う。再び時間の地層の中にひっそり埋もれ、知る人だけが時折思いだすマイナーポエットとして存在することが、この作品にはふさわしいのかも知れない。
まるで、マリオン・マーシュの壁の落書きのように。