最近のマイブームは天然だし。
季節も季節であり、ちょっとしたパーティ用にでおでんを作ることになったのだが、隠しダマとして考えていた牛のテールにいいのが無いという非常事態に直面する事になった。なんでパーティーにおでんだと言われれば、このテールという飛び道具が毎回好評だからに他ならない。それが出ないとなると、シェフはまちがえなく避難の嵐に晒される。
豚足? 鳥手羽? と卑怯な隠しダマをいろいろ考えてはみたのだが、やはり決め手に欠ける。第一、こうしたネタはス?プを濁してしまうし、美味いには美味いのだが、他の具とのコンビネーションという点でテールには及ばない。油ぎとぎとのおでんというのも異色ではあるが、それでは鉄人に勝てないではないか(笑)。
「奇想の奥にはやはり基本の積み重ねがなければならぬ!」
懊悩の渦のなか、机に突っ伏して「ベスビオス火山のポーズ」で30分瞑想した結果、その結論は降された。
今回のおでんはダシに凝る。
通常「シマヤだしの素」一振りで終らせていたダシとり作業なのだが、今回はそれに時間と手間を掛けると決めたのである。
まさに道場六三郎もびっくりの「命のダシ」勝負(笑)。
正直、これまで和風料理を作るとき、僕はダシまで凝っては作らなかった。カツオダシを取った経験がないわけではないが、それでは味の素育ちの我々にとって美味みが薄すぎる気がしてならない。日本人は西欧人にくらべてグルタミン酸ソーダ過多であると言われるが、子供の頃から「味の素を舐めると賢くなる」とか言って育てられた高度経済成長期の人間は、もう味覚が壊れてしまっている。とにかく美味みが薄いと物足りないのだ。こういう味覚音痴が、日本のラーメンを化学調味料漬けにしてしまっているのだが。
実際、ウチの一族はこうした味音痴の家系であり、僕は19でウチを出るまで醤油に味の素を混ぜて刺し身を食い、シロップ原液のようなアイスコーヒーを平気で飲んでいたりした。その後、劇的に味覚がまともになったのは、同棲したガールフレンドによるリハビリの賜物であろう。
だが、その後遺症というのはやはり甚大で、基本的に味が濃い物が好きという傾向だけは矯正しきれなかったのである。そのため、天然ダシではどうしても美味みが足りなく感じてしまう。その結果、当時のガールフレンドは泣く泣くかつおダシでの味噌汁作りを諦め、シマヤだしの素を採用するに至ったのであった。(もしかしたら彼女との破綻の遠因はこのダシ戦争にあったのかも知れない(笑))
まあ、当時の彼女の言い草によれば「袋に入ったダシ物じゃ、シマヤ以外は風邪薬を水に溶いてるようなものよ」というものだったらしい(笑)。以来、ゆーすけのシマヤ信仰は現在に至るまで破られたことはなかった。しかし、味覚矯正も順調に進み、外食で和風料理も山ほどこなした今、天然だしの封印を自ら破るときが来たのだ(←かなり大げさ(笑))
さすがに何年も社会人をやって好きなだけ食い意地を張って生きてきたわけで、味蕾にイメ?ジするものはないではない。ただ、怠惰と習慣がシマヤ離れをストップさせてきただけである。
幸い手元に材料も揃ってはいる。
鍋用に使う利尻昆布を水から炊きだし、ラーメンを作るときに準備したムロアジと鯖節の混合ダシを沸騰してから投入する。後は中火に落として3分間煮込む。うっすらと白いダシが細かい泡になって鍋のなかを対流している。濃い茶色のダシガラが風に舞う木の葉のように、浮かび上がっては沈殿し、浮かび上がっては沈殿する・・・・。
ここでじっくり煮込みたいという中華思想を押しのけ、ざっとザルに開けてしまう。深追いはくどさを呼ぶばかりか、香りも飛ばしてしまうからだ。和風料理は常にトゥ・マッチを嫌う。頃合いの美学の産物なのである。
などと、もっともらしい理屈を並べながらも、仕上がったダシをお椀に掬い、味見をした僕の感想は「うわーん、味がしねえよぉ」だったのであるが(笑)
しかし、この魚風味の白湯のような代物が一旦薄味の醤油とからまると、イッキに情勢は一変する。舌の上にとろりと広がる滋味と、鼻孔を駆け上がる香気がDNAに刻み込まれた日本人のコードを乱打して止まない。立ち上る湯気にさえくっきりとした匂いがあり、大根や厚揚といった具材の風味を活かしたまま、それを美味みに変えているのだ。
この錬金術を一回経験すると、もうシマヤには帰れない。
無論、この味の美味みが同世代のグルタミン・エイジの友人達に全て通じると考えるほど、僕は甘くない。この日のパーティでは厚揚に山芋を擦り降ろしたとろろとキムチを載せたり、薄だしで別ゆでにしたトマトととろけるチーズを載せたじゃがいもなどといった姑息なトッピング技を駆使して、乗りきったのであった。
しかし、その後、食事の準備となると、意味もなくダシを取る習慣が付いてしまった。以来、味噌汁と煮物ばかりが食卓にならぶ、和食漬けの日々が続いている。
ただ、東京に来ると、このムロアジと鯖節のミックスしたダシが見当たらない事が目下の悩みなのである。もともと東北圏の延長にあるこちらでは、関西風の微妙なダシ味文化にニーズがないのであろうか。かろうじて東急ストアで発見した、厚めに削ったカツオだしで生き延びながら、ムロアジと鯖節を売る店が自由ケ丘に出現することを待望している日々なのである。