

こぐまの気持ち<阪神淡路大震災>
音楽ってやっぱり素敵だと思う。音楽で救われたことたくさんあった。
悲しいときも嬉しいときもいつも心の中に音楽が満ち溢れていた。
今でも忘れられないのは1995年1月16日「阪神淡路大震災」
地震の直後
神戸に住んでいた私はあの朝ものすごい衝撃で目がさめた。今の旦那と付き合い始めて今年でもう8年がたった。
・・・でも、あれはまだ結婚前で旦那が彼氏だった頃・・・とにかく彼の事が心配でいてもたってもいられなかった。
急いですぐに電話したがもちろんつながるはずもなく・・・彼の生死が分かるまで1秒1秒がとても長かった。
お父さんとお兄ちゃんは、地震後5分も立たない間に真っ暗の中、車で会社の確認などで家を出て行った。
しばらくしてお兄ちゃんの携帯電話から「彼の家のあたり一面・・・建物全部つぶれてる」
「高速道路が落下してて今も道路に亀裂あるし、道路封鎖されてる」
「危ないから外に出るな。こっちにくるな。家で彼からの連絡待て」
って・・・。目の前が真っ暗になった・・・
と同時にその当時、自宅生徒合わせて200人以上を抱えていた私。
神戸の楽器店で稼動していたので当然生徒は全員神戸市民。
すぐに生徒の安否の連絡に入ったが、何しろこの人数・・・。
しかもどの家にかけても、電話回線はほとんどつながらない状態。
なにも情報が無いまま時間だけが淡々と過ぎていった。
しばらくしてテレビが写るようになって、画面を見た時・・・
目を覆うばかりだった。大好きだった神戸の街が・・・変貌している。
火災発生場所と報道されている地域には高校時代のたくさんの友達が住んでる。
高速道路が落下した映像のすぐ横には彼が住んでる家がある。
お願い。どうか皆無事でありますように・・・祈る気持ちの中、彼から1本の電話が。
地震から3時間以上たってからの電話。
後で聞くと、家の周辺の公衆電話はすべて破壊されてて、
車は駄目だし、遠くの公衆電話まで歩いて行ったとのこと。
電話の列がとても長い上に、混線してるから自分の順番がくるまで3時間もかかったって・・・
一番に私のところにかけてきてくれた彼・・・今でもあの時の彼の声は忘れれない。2人で泣いた電話・・・
ガス管など壊れて危険な中、自力で全壊の家から出てきた彼・・・生きててくれて本当に良かった。
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地震後のレッスン
各会場では、あの重たいピアノが倒れ、エレクトーンは壊れ・・・
教材セットはぐちゃぐちゃ・・・というより、レッスン会場自体再起不能。
ということで・・・仮説のプレハブ教室などでレッスン再開。
それでもレッスン再開まで、早いところで1ヶ月。遅いとこは2・3ヶ月かかった。
教室閉鎖した会場もあったし元の教室に戻るまで2年近くかかった会場もあった。
やっぱり何より辛かったのは、自分の生徒の会場閉鎖・・・
逢いたくても逢えない。レッスンしたくてもレッスンできない・・・
当然のごとく、亡くなってしまった生徒もいるわけで・・・
あの当時のことを思い出すと今でも辛く悲しい想いが溢れてくる。
レッスン休講が長期間続く中、生徒の告別式やお通夜に・・・
あまりの恐怖で一時的に言葉を失った生徒も。
「誰とも口聞かないんです。先生ならって思って・・」
って両親を失った生徒の祖父母からお電話を頂いたりもしました。
「○○ちゃん。先生だよ。早く逢いたいね」って・・「せ・ん・せ・・・」って
小さくつぶやく声が電話口から聞こえた。
音楽以前に子供たちの精神状態を安定させる事が一番大事だった。
しばらくして、やっとレッスン再開できた会場も、設備が十分とはとてもいえない状態。
外は1日中、消防車、警察、救急車のサイレンの耳を突く音で溢れていて、さらにビル工事のアスファルトを砕く音
で、聴音なんかとても出来なかった。とにかく音楽の音より騒音の方が・・・・
怖くて泣きそうな思いを跳ね除けるように、皆で歌を歌ったり、アンサンブルしたり・・・・
生徒は皆、遠い仮設住宅から電車やバスを乗り継いでの通いで、
家に今まであったはずの楽器も無い・・・当然宿題なんか出来ない。
空いている教室を無料開放して、皆で譲り合いながら
楽器に触れる・・・そんな日々が幾日か続いた。
そんな大変な中でもレッスンが再開したとたん、誰一人休まない。
とにかく、ここで友達と歌を歌ったりアンサンブルしたりする1時間が
心の安らぎだって・・・
アンサンブルって1人じゃ出来ないでしょ。誰も欠けることが無い・・・もう誰も欠けて欲しくない。
誰も口にしなかったけど、そんな想いを皆が持ってた。
どんなにつらく悲しくてもレッスンを楽しみにしてる子供たちがいる。自分の笑顔を待ってる子供たちがいる。
「先生いると、もうなんも怖くないねぇ」って無邪気に笑う子供たち。
それだけが、地震の後、十分な環境が整わず満足なレッスンをしてあげられない自分への葛藤や
苛立ちを抑えてくれる唯一の支えだった。
だから、公共の足が無くても(地下鉄や、バスもほとんど動かない)1回も休まなかった。
7年間講師をしてきて、1度も休まなかった。1度も代行レッスンを頼まなかった。
この仕事が好きだから。大好きだったから・・・生徒が好きだから。皆が大好きだったから・・・
あの地震からもう5年。月日が流れるのはとても速いけど
絶対に忘れたくない。忘れられない。忘れて欲しくない。
私の中から決して消えることは無いだろう。
亡くなった多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします
2000年9月
