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4月21日(金曜日) 雨。友人にページ作成を依頼し仕事中に作業。いい感じ。 昼、前職の同僚から仕事の電話。日曜日打合せ決定。25日までに罰金を支払わなければならない。ととりとめなく予定を書いてみたのだが。あ、28日にも飲みが。また周りが動きはじめた気がする。 4月20日(木曜日) 何も書かないまま二十日になってしまった。よく喧嘩をする二人は一度別れた。本当に絶望を味わった。なげやりな自分が信じられなくてバイクに乗れなかった。キルケゴールが書いたように「絶望」は「死に至る病」なのだなあと今思う。実は昨日もピンチだった。何でこんなことになってしまうのか、毎回後悔するくせに大人になれない自分がいる。「子供」と言われるのには慣れたはずだが、結局それを聞き流せない。だって「自分だって子供じゃないか」と思うから。子供に子供と言われて腹を立てる自分が子供なのだろうか、よく分かりません僕は。ともかく二人でいる時間は楽しく過ごしたいと切実に感じている。でもそうしようとしてなるものでもない。雰囲気は作れるものではない。自然にしてないと上っ面の感情はすぐに不機嫌を呼ぶことになるのだ。 「マグノリア」「アメリカンビューティ」を二人で観た。どちらも素晴らしく久々にまた観たいと思わされる作品だった。二人で観ることができてよかった。 「マグノリア」は看護士をやった俳優がよかった。「彼が主役かも知れない」と彼女は言った。僕は主役が誰であろうといいのだが「そういう見方もあるかも」とも思った。結局どんな深い悩みや重大な事件が個人的に起こっていようとも、鶴見濟言うところの「大きな一発」が起こってしまえばそれどころじゃない(から気にするな)、ということをあのオチは言いたかったのだろうか。それは救済ではないよなぁ…。まあ人生や人間なんて宇宙や時間や偶然といったマクロな視点ではちっぽけなものであるけれども、局所では数々のドラマがあって、局所でこんがらがっているときには、大域的なことを考えると確かに楽になるかもしれないな。星空とか水平線とか岩にせかるる谷川とかを眺めながら…。 「アメリカン…」はケビン・スペーシーが断然いいという彼女の意見だが俺は若者カップルが深く印象に残った。彼は憂いを持ちながらも懸命に生きようとする。彼の愛情を得て表情を大きく変化させる少女の演技なのか演出なのかそれとも気のせいなのか分からないのだが、それがとても微笑ましく幸せな気分になれた。大佐が愛情を表現するシーンや気のふれた母親がトンチンカンなことを言うシーンで笑いが起こっていた。あれは自分的には悲しい切ないシーンだったので興醒めだった。彼女も笑っていたような気がする。 「世界には『美』が溢れ、僕はそれに押し潰される」という言葉がこの映画の全てだと思う。漠然としているが切実なリアリティを持つこの言葉。無力感とはまったく違うし、幸福なわけでもない。嬉しいのだが緊迫するような。「生きなければ!」と僕は思った。もっと生きてやる。 数日前に「リング」読了。すげえ恐かったし面白かった。古本100円だったのでものすごく得した気分。貧乏はイヤだなぁ。 4月1日(土曜日) 某所でDTの松本氏を見かける。自分的には大事件。歴史的人物を目の前に硬直してしまった。早くから起きだしてノコノコ出かけてよかった。深夜から朝までアジア料理屋で飲み。辛いサラダとトムヤムクンとサンミゲール、休日を前に久々の休息。ああまだ嘘ついてないのに2日になってしまった。 |