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バーミン
00年6-12月

12月30日(土)
 昨日読んだ「企画屋稼業」阿部広樹(太田出版)。構成が分かりにくくて斜め読みの後、始めに戻って一気読み。ああ面白かった。昨日から冬休みになって暇ができたが酒を飲むと時間があっという間にたってしまうのはいつものことなので驚かないが、いままで全く興味のなかったパチンコやゲームをしたいなどと街中を歩きながら思ってしまうのは老化の表れなのか。確かにくだらないギャグ(人はそれを駄洒落と呼ぶ)を発しても恥じるどころか開き直り、すきあらば女性の胸元などを眺めつつふと手を触れてしまうそうな(犯罪だ)自分がいて、それは以前の俺とは確かに違ってきており、そんな自分を許してしまっているメタな自分もいてもうこれは堕落の階段を一歩一歩と言うよりも等加速度運動と言うよりも明らかに幾何級数的に人間のどこかのたがが外れているのだろう。はっきり言って田代まさしの気持ちはわからんでもない。来年は32になる。くれぐれも犯罪だけは、くだらない犯罪だけは起こさないでくれと俺自身に言いたい。たのむぞ俺。ああ、この日記が週刊誌や2ちゃんねるとかにコピペされませんように。あそうだ「この日記は禁無断転載でございます」。これでよし。いい年を迎えられますように。
12月6日(水)
 もう12月になってしまった。もう一年経とうとしている。前の職場では配置転換があったらしい。だからどうということもないのだが。
 読んだ本:「生者へ」丸山健二(新潮社)
 芸術家として表現に対する姿勢を明確に主張している。「虹よ、冒涜の虹よ」から未読の不真面目なファンだが、ともかく「逃げ歌」を読んでみようという気になった。
10月5日(moku)
 周囲の冷たい目を後目に早退し、サッポロへ帰るあきえさんの送別会へ。久々のかおがそろい、いい雰囲気に。みんな元気そうで嬉しい限り。一言で過剰にニュアンスを汲み合う会話は楽で心地よい。たまらん心地よい。たのしくのんだ。店の奥では俳優氏が監督氏らと飲み。サインをもらい握手。すごくどきどきした。帰宅してテレビでヒップホップ日本版。なんとなくいらついてテレビ消してステレオでビースティ。かっこいい。舞台から共感や連体をもとめないでくれ。むしずが走る。ライムをアジテーションと履き違えている。まったく勘弁してほしい。表現が主張の奴隷であるはずがない。やることがないからといっておもてにでてこないでほいしいめざわりなにんげんたち。
10月3日(火)
 小林信彦「夢の砦」が面白い。自身を「天才」といいきる小林氏の自伝的小説。投稿がきっかけで雑誌編集長におさまった主人公は、周囲との軋轢のなか少数の協力者を得て雑誌を成功させてゆく。協力者の輪はひろがり、テレビ草創期の現場に関わるようになる。あるときミュージカルの脚本を依頼された主人公は、悪名高い作家を推し、自分はプロデューサーとなる。ミュージカルの主役は大手芸能プロから独立した若手タレント。その芸能プロからは脅しとも懐柔ともつかない接触があり、社長宅に招かれた主人公が見たのは、芸能プロにたかろうとするテレビ局や週刊誌の記者達だった。主人公は業界に失望する。そしてミュージカルの行方は…。感想は読み終えてから。

 The Lightning Seedsとはイアン・ブロウディの個人プロジェクト名。きらびやかなギターサウンドと少しひねくれて憂いのあるメロディライン、そしてブロウディの細くたよりないヴォーカルが基本。そこに最先端のスタイルを消化し取り込んでうまれるアルバム達を僕はここ10年楽しみにしている。5枚程のアルバムを通して聴くとワンパターンで笑ってしまうのだが、どれも一枚通して聴けるだけのクオリティを持っているのは実は大変なことだ。


9月27日(水)
 なんかオリンピック飽きてきた。高橋の金メダルがピークか。陸上は中長で知ってる人走ってないもんなぁアウィータとか不破とか(古すぎるし不破は100だし)。あ、さっき1500(センゴ)でモルセリ、ラストスパートで誰かに足引っかけられて転倒はしなかったけど多分ツッた、で競争中止で予選落ち。くやしいだろうな〜。
 久しぶりに買ったCD:The Lightning Seeds/TILT, BRIAN WILSON/same title
 まだ聴いてない。
9月14日(木)
 機械はなんでも言うことを聞くし、聞かない時はこちらが間違っているから分かりやすい。人間と接するより機械と接していたい。などとアニメの脇役みたいなことを考えてしまった。やばいかな。でも思ったのだから仕方がない。だってむかつくんだもん。
9月9日(土)
 暑い中にも、秋の気配が。バイクで半袖はそろそろ寒い感じ。
 オンライン書店で本を買ってみた。その感想は「手軽で結構いいかも」。勤務時間が夜にずれ込んでいるので仕事帰りに書店に立ち寄れない自分には重宝しそうだ。ただ買い物をした喜びがあまりないかな。買い物がストレス解消という人には向かないかもしれない。個人的には、ちょっと古い文庫や新書といった「見つけたら買おう」本なんかを買ってしまいそうだ。
 スティーブン・キングの先行発売なんかやってるオンライン書店もあるし、天才ヤスケンの日記が読めるところもある。大手書店のウェブ支店より、オンラインオンリーの書店サイトの方が応援したくもあるし、実際楽しい。
 限られた時間の中でできるだけ多くの「いい本」に出会いたい。そんな人にとってオンライン書店は使えるメディアだと思う。関係ないが本を読むスピードが最近落ちた。由々しき問題だ。ああ…。
 久々に買ったCD:FREE SOUL. the classic of SALSOUL
 サルサ+ソウルでサルソウル。サルソウルレーベルのコンピレーションだ。電グルのシャングリラの元ネタが入ってる。華やかで両手を天に向かって突き上げたくなるような心地よいサウンド。あぁ気持ちよい。
9月8日(金)
 いまさらもいまさら、何言ってんだという感じだが「合言葉は勇気」が面白い。来週最終回なのが悲しい。すげえ楽しみだけど。
 過疎の村にできたゴミ処理場は、じつは産業廃棄物の不法投棄場だった。悪徳業者「フナムシ開発」を訴えるべく弁護士探しに奔走する村役場の若者。しかし時間とお金と労力がかかる環境裁判に協力してくれる弁護士は見つからない。結局彼が村に連れてきたのはドラマで弁護士を演じていた役者だった。役者は不思議な説得力で村民や村長の人望を集めてしまい、裁判を起こしてしまう。しかし村民には立場を偽ったままだ。弁護士の資格を持たない彼は、村に住民票を移し原告団の一人として法廷に立つのだ。それが昨日、ついに発覚! 彼は村を終われ、団結していた原告団もバラバラになってしまう。裁判は敗北に終わった。とだれもが思った。しかし、しかしだ。裁判はまだ続くという。死にかけの弁護士を法廷に引っ張り出し、その看護人として裁判を闘うというのだ。めちゃくちゃや。とにかく、東京に戻ったニセ弁護士の役者が、死にかけの弁護士を探しだした。というところで昨日はシメ。来週、最終回を迎える。楽しみだ。
 物語の浮き沈みというか紆余曲折というかカタルシスというか、毎週毎週、思いきり入り込ませて泣かせて笑わせて感動を与える。まったく見事な脚本を、楽しそうに演じている役者たち。恐らくこれでも不満を持ちながらの作業なのではないか。そんな製作者の意識の高さがひしひしと伝わってきて、一瞬足りともおろそかにできません。昨日はビデオで3回見たっす。見れば見るほどレベル高い。こんなにはまったの「悪女(ワル)」以来かもしれない、ってホントか? あハーフポテト。もっと古いって!
9月6日(水)
 人にビデオを貸して、重ね撮りの後半に思わぬ番組が入っていて恥ずかしい思いをしたことはないだろうか? 自分の場合は「熱湯コマーシャル」。それも着替えだ。わるかったな。だが「ためしてガッテン」はある意味もっと恥ずかしいと思いますよ●部さん。
9月5日(火)
 思いっきり月一更新になってしまった。まあいいか。
 最近読んだ本:「聖の青春」大崎善生(講談社)
 29歳という若さで夭折した棋士、村山聖(さとし)の壮絶な生き様を描いたノンフィクション。幼い頃に患った腎臓疾患と闘いながら、名人位への飽くなき挑戦を続ける姿は涙無しには読めない。電車で読みながら何度も顔を伏せて涙を隠さなければならなかった。著者は将棋雑誌の編集記者として村山と、そして師匠である森信雄とも昵懇の仲。何気ないエピソードの積み重ねから村山の人間像が浮き彫りにされ、いつしか村山の虜になっている自分に気付くだろう。筆者の愛情がじんじん伝わってくるのだ。個人的には何年か前、羽生善治が佐藤康光竜王に挑戦する対局をBSで見て以来、タイトル戦の中継はチェックしていて、棋士の名前には多少なじみがあり読みやすく感じたのかもしれないが、将棋を知らない読者を取り込む力が充分にある作品だと思う。
 村山を題材にとったフィクション「 ―天才・羽生が恐れた男― 聖(さとし)」山本おさむ (小学館)も面白い。フィクションとはいえ登場人物は実名。「聖の青春」を下敷きにしながら更に取材を加えており、“聖”に憑かれた人間にとっては今後の展開が楽しみなコミックだ。単行本巻末の現役棋士の寄稿が豪華。第一巻は羽生、二巻は佐藤康光だ。まったく、羽生が村山を誉めれば誉めるほど泣けてくる。佐藤と村山の関係も面白い。佐藤の「私はまだ甘い」の一言に込められた想いにまた涙だ。
 とりあえずマグネット将棋盤を買って、棋譜を追ってみたい。
8月1日(火)
 ばあちゃんは手術して八丈へ元気で帰った。
6月21日(水)
 久々の更新。別ページに掲示板やカウンターなどを置いてみた。
「おかしな男 渥美清」をきっかけに小林信彦のエッセイにはまっている。第一印象は偉そうで取っ付きにくいがすぐに自分が甘かったことに気付くのだった。娯楽に対するあまりにも広い知識と深い愛情。芸人とは距離を置き芸と付き合う、これは想像以上に難しいことだろう。天才の孤独、栄光と挫折、繰り返される天才の姿はドラマチックで悲しい。そこには演芸を見ること、そして文章の天才小林氏自身の姿が投影されているのだろう。そこには天才たちの世間や凡人に対する苛立ちが見えてくる。凡人としてはともかく畏まって拝聴するのみなのだった。
 八丈島に親父の実家があり、現在伯父夫婦とおばあちゃんが住んでいる。ばあちゃんは時折東京にやってきてカギッコだった僕ら兄弟の世話をしてくれた。夏休みと正月は毎年八丈ですごしていたが、高校生になった僕は家族旅行という行事が突然恥ずかしくなって行かなくなってしまった。ばあちゃんは歳を重ねて、東京に来ることもなくなり、大学に行った僕は2度だけ夏に八丈に行った。芝生の庭でバーベキューをしたときの写真が残っている。肉はほとんど食べなかったばあちゃんだが楽しそうに笑っている。それが5年くらい前か。卒業した僕は就職し父が退職した。あるとき父からばあちゃんが惚けはじめたことをきいた。同居している叔父さん夫婦は大変だろうと思った。ひとごとだった。それから父も母も3か月に一度くらい八丈へ行き、ばあちゃんの話を聞かせてくれた。会ってしばらくしてから父や母のことを思い出すという。「今死んじゃっても八丈には行けないな」と仕事で余裕のない僕は思っていた。ちくちくと八丈に行かなければという思いがこころに引っかかっていた。
 先週「ばあちゃんがケガ、武蔵境の病院に入院。詳しくは実家にTEL」というメールが入った。弟からだった。
1998年 12月
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