作品解説   

(第一幕)

 

ビデオのリバーダンス ザ ショウ(ダブリン、ポイントシアターのライブ、1995)は、大別してアイルランドを表現する第一幕と異文化との交流を描く第2幕の2部構成からなっている。

一幕は、アイリッシュダンス、アイリッシュの歌と音楽が中心で、一部フラメンコが挿入されている。二幕は、ロシアの踊り有り、ゴスペル有りアイルランド以外の伝統芸能がふんだんに織り込まれている。

第1幕のテーマは、アイリッシュの音楽リズムとダンスを中心に、地球、太陽、火、月という人類の全ての文化に共通した信仰対象への賛歌となっている。古代先住民族の太陽信仰、ケルト人の信仰、クーフリンに代表される神話の時代へとリバーダンス第一幕は川の流れのようにアイリッシュの歴史を表現してゆく。アイリッシュの情熱的でセクシーなタップは、タップを見慣れていない日本の観衆をも十分魅了するだろう。

第2幕は、アイリッシュが祖国を離れ新大陸アメリカへと旅立つ様子が描かれる。アイリッシュ文化が新大陸に移住を強いられ、そして新大陸で新しい文化度出逢い発展してゆく様が描かれる。アフリカンとの出逢い、ロシアンとの出逢い、そしてスパニッシュとの出逢いが描かれる。いかにして異文化と接触し融合し発展してゆくかがダンスと音楽で語られる。

ジョン・マクルガンは、ユーロビジョン音楽コンクールで、異なる多様な伝統的ダンスをアイリッシュのリバーダンスとミックスすることで民族色豊かなダンスが聴衆を興奮させることができれば、リバーダンスは成功を納めることができると考えた。

「もし民族の伝統芸術によって聴衆に感動を生み出すことができるなら、それが真に卓越したダンスであるか否かにかかわらず、スペイン製であれ、アフリカ製であれ、アメリカ製でれ、あるいはロシア製のダンスであっも、必ず成功するだろうと思った。 」と当時を回想する。

もし観客の潜在意識に伝統についてダンスを通して語りかけれれば、必ず感動を与えることができるだろう。 なぜならすべての文化には共有された経験、 虐げられた民族の苦しみがある、それが見る者に共感を生むのである。

以下の作品紹介は、僕の個人的な勝手な解釈が多分に入っている。その旨お断りしておく。 

 

第一幕

第一シーン

リール アラウンド ザ サン (太陽を巡る)

 夜明けを連想させる薄暗いステージを前にローホイッスルだろうかアイリッシュの縦笛がまるで尺八のように響く。背中に寒気が走るほどのすばらしい音色だ。吟遊詩人がこれからアイリッシュの歴史、ケルトの歴史についてゆっくりと語り始めるかのようだ。やがてアイルランドでフィドルと呼ばれるバイオリンがアイリッシュの伝統的な速いテンポのメロディーを奏で始めると、数人のダンサーがスッポトライトに浮かび上がる。アイリッシュタップダンスの始まりだ。数人のダンサーはタップを踊りながらやがて十字に隊列しそしてその十字がゆっくりと円を描き始める。ケルト人の原始における最初の信仰の対象であった太陽神に対する賛美と感謝を表現するしているという。今まで舞っていたダンサーが引くと主演ダンサーの登場である。主演ダンサーの足の動きに観衆の目が釘づけになる。この太陽を巡るは、「コロナ」「ザ クロノスリール」「リール アラウンド ザ サン」の三部構成からなっている。

 ビデオ、リバーダンス、ザショウ(以下単に”ビデオ”と略す)ではマイケルフラットレーが男性の主演ダンサーであるがこれがすばらしい。こんなにダイナミックでエキゾチックで繊細でそして不思議なタップダンスをいままで私は見たことがなかった。ダンスの最後に舞台の背景に日の丸のような太陽が表現される。まるでケルト文化が日本文化との共通性を表現しているような錯覚すら覚える演出だ。太陽はやがて月に変わりケルトの陽と陰を暗示して終わる。

 

第2シーン

Thee Heart's Cry (心の叫び)

 女性を中心としたリバーダンスシンガーズによる美しいコーラスである。踊りはない純粋なアイリッシュコーラスである。ビデオではアヌーナのコーラスであるがこれが又すばらしい。歌だけの舞台だけに聴衆はアイリッシュの歌曲に集中できる。何と表現したらよいだろう。空中を舞っているような透明さと時間を超越して体に溶け込んでゆくようなコーラスである。

歌詞の和訳を下記に掲載するが、良い訳があればご紹介ください。

 心の叫び  (翻訳: by Kei)

 

川が泡立ち海に流れ込む場所で

銀の指が私を見つけるために浮かびあがる

賢く、かつ大胆に

 

心の叫びに導かれて

私は深淵なプール

私は暗い春

謎めいて暖かく

私はあなたに明かす

時とともに

(時は心の鍵を握る)

全ての鍵は愛

(愛は心の花を創る)

心の奥そこに、花が咲く

(心の炎の情熱)

情熱と願望

 

広がる大地

朝の空気の中で黄金に輝き

波打ち舞い上がる

用心深く、守る

私はあなたのシェルター

私はあなたを包む

 

第3シーン

アイルランドの女

The Countess Cathleen / Women of The Sidhe 

(キャサリーン侯爵婦人・シー(妖精)の女達)

アイルランド女性を象徴する2つの女性像が表現される。ひとつは母なる女性、他のひとつはセクシャルで男を誘惑する魅力的な女性像である。前者は”キャサリーン伯爵夫人”として、後者は”妖精の女達”として表現される。

リバーダンス第一幕のハイライトのひとつ”キャサリーン伯爵夫人”は、アイルランドの国民的詩人であるウィリアム バトラー イェーツ(William Butler Yeats 1865〜1939)が1899年の創った戯曲の題名から取られている。また”ケルト幻想物語”(イェーツ、井村君江訳、筑摩文庫)にも「キャスリーン、オシェー伯爵夫人」という物語がある。後者の物語は、美しいキャスリーンという伯爵婦人が貧しい民衆を飢餓から助けるために全ての財産と自分の魂を悪魔に売り渡して死んでしまうという物語である。

シー(Sidhe)は、アイルランドの土着のゲール語で妖精を意味する単語でアイルランドやスコットランド高地地方で使われている。別名でSi,Sith,Sidhともいう。 女妖精は、イェーツの妖精に関する多くの作品に多くの種類が登場する。アイルランドの妖精は、アイルランド人がキリスト教の洗礼を受けるはるか昔からこの土地に住んでいた。アイルランド人にとって妖精の存在は、聖母マリアに匹敵するほど身近なものであるという。現在でもその妖精達はキリスト教の死者の記念日にちゃっかり現れるという。世間ではハロウィンといわれる。ビデオではジョアンバトラーが主演ダンサーを演じるが彼女の足の動きの美しさは何度見ても溜息ものである。失礼。フィドル(バイオリン)、イーリアンパイプ(バグパイプ)、クレイドラム、アコーデオン等々、アイルランドの民族楽器の総出演による伝統的音楽がとても印象的だ。

 

魅惑的なアイルランドの妖精女について

アイルランドの偉大なる詩人、W・B・イエーツ (W. B. Yeats) の解説本”妖精ラバー”(直訳”妖精愛好家”ではいかにも”オタク”を連想してしまうので、”愛すべき妖精!?” とでも訳そうか)によると女妖精の中で特に美しいのがLhiannan-Shee (lannan-shee)又はLeanan Sidhe のようだ。通常アイルランドの妖精は醜いのが一般的だがこのLhiannanだけは違うようだ(他にもマーメードのように美しい妖精は沢山いるはずだが)。このLhiannan-Sheeは、ピーターパンのお供のようなチャラチャラの美人妖精というよりは、瞑想者であり、知的であるがどちらかというとイメージの暗い女妖精である。この暗さがまた魅力のひとつでもあるのだが。この妖精は、好きになった男からは極めて美しく見えるらしい。シヘは好きになった男の人間の生血や生気を吸い取って永遠の命を得ている。吸い取られた男は早死にすると言われる。生血を吸い取るという意味では彼女はバンパイヤの一種であり、彼女の永遠の美しさはこのようにして保たれると言われている。彼女に生気を食われる男はこの世のものとは思えない別世界のエクスタシーを味わえるということである。何とも体験してみたい話である。リバーダンスの女妖精達の舞がこのLhiannanであるかどうかは解らないが、このような妖精の舞を通して美しく、知的で、フォースを感じる現在のアイルランド女性像をシンボリックに表現しているのではないかと思えてくる。ところでこの妖精は、普段はアイルランドとイギリスの間に位置するアイリッシュ海の海底奥深くに住んでいる。真夜中に孤独な若者を探しにアイリッシュ海に浮かぶマン島付近を徘徊するといわれている。日本の男性諸君、アイルランドやイギリス訪問の際は是非マン島に行ってみよう!!(参考:http://camel.conncoll.edu/ccother/ejcam/leanansidhe.html)

 

日本の怪談とアイルランドの妖精の話

 アイルランドの妖精達の話を読んでいると、日本の怪談に出てくる雪女等の幽霊との共通点があるようにお感じになられる方も多いと思う。実は雪女等の日本の代表的怪談の作者、小泉八雲ことラフガディオ ハーンは、父がアイリッシュで少年時代の大半をアイルランドで過ごしているのである。当然彼の心にはアイルランドの妖精達が住み着いたに違いない。日本に来てから彼の心のアイルランドの妖精達が日本の幽霊と融合し多くの怪談を生み出したのである。

 

ハロウィンのカボチャ

ハロウィンがキリスト教の伝統ではなくアイルランドの土着信仰から発生したものであるということは日本の偉大なる作家、故司馬遼太郎氏の”街道をゆく-愛蘭土紀行-(朝日文芸文庫)”にも書かれている。ところで、ハロウィンに家の前にお化けの顔のようなカボチャを飾るが、これは古代ケルトの首狩りの伝統から来ていると言われている。古代ケルト人は戦争や儀式で殺した人間の首を切り取り、魔除けや、記念物として家や施設の扉の周りに張付けにし、時には埋め込んで飾っていた。古代ケルト人は人の魂は頭部に宿るという信仰を持っており、頭部には、特別なフォースが宿っていると信じていた。つまり現在のハロウィンのカボチャは、人の生首を飾っていた古代ケルトの風習の名残なのである。あのカボチャは悪霊を追い払う怪物などではなく人の”生首”の象徴なのだ。現在もヨーロッパ各地の古い教会や建物の戸口周りに人の頭部が敷き詰められたような装飾をよく見ることができる。あれも、キリスト教がヨーロッパに入ってくる遙か以前からある古代ケルトの文化の名残なのである。

 

第4シーン 

Caoineadh Cu Chulainn (Lament) クーフリンの歌曲(哀歌)

 クーフリンの哀歌は侵入者のために戦って死んだ5世紀頃のアイルランドの伝説的英雄への追悼歌である。アイルランドにはクーフリンにまつわる多くの英雄伝説が残っている。クーフリンは日本で言えばヤマトタケルのような存在なのだ。日本のヤマトタケルと違い、アイリッシュのクーフリンに対する哀悼の念からは、アイルランドの侵略され続けてきた民族の悲しみが感じられる。しかしこの音楽からは決して恨や悲壮感等は感じられない。力強さに満ちた哀歌である。これもアイリッシュの民族性なのだろうか。 イーリアンパイプとオーケストラによるステージだが、このイーリアンパイプの演奏を聞いただけで他がなくても満足できるほどの存在感のある演奏だ。リバーダンスショーの感動は決してダンスだけではない。イーリアンパイプと管弦楽の見事なハーモニーの融合が、聞くものに至情の感動を与えてくれる。

 

第5シーン

Distant Thunder (遠い雷雨)

 音楽や余分なものを全て取り除いた主演ダンサーと数名のダンサーからなる男性の迫力あるタップダンスパフォーマンスである。舞台の背景は稲妻と巨大な石舞台(ドルメン)が映し出される。古代ケルト人の勇者の戦いの踊りを連想させる。この背景のドルメンはその形からみてアイルランドのクレア州北部バレーン高原にあるポールナブローン ドルメンであろう。数あるアイルランドの石像遺物の中でも有名なドルメンの一つである。

 

第6シーン

SHIVNA (シビナ)

シビナとは、12世紀頃に実在したとされる伝説の地方の族長の名前である。キリスト教の聖者に反抗し樫とイチイの森の中に生涯閉じこめられたといわれる。

 

第7シーン

Firedance (火の踊り)

 スパニッシュギターの印象的な導入で開始されるフラメンコである。古代ケルト文化圏は現在のヨーロッパは無論のこと、南はスペイン、西は小アジアに至る広大な汎ヨーロッパ的な広がりを持っていた。リバーダンスを作曲したビル ウェランはフラメンコの中にケルト的な要素を見出し、火のように燃え上がる女性の情念を表現したフラメンコを古代ケルト文化の分化した進化形の一つとしてリバーダンスの中で取り上げたのではないか。よくリバーダンスを見た人から、アイリッシュのリバーダンスになぜ突然フラメンコが出てくるのかという質問を受けるが、そういう人には私は、今のスペインも古代はケルト人の王国でありケルトの伝統がフラメンコを生み出した要素の一つになっているんですと答えることにしている。ほとんどの人は納得してくれて、たしかにリバーダンスの中でのフラメンコの存在はほとんど違和感を感じないと言ってくれます。アイルランドとスペインとの地理的距離をリバーダンスは感じさせない。アイルランドもスペインも今やEUとして一つになってしまった。ひょっとすると現在のEUは古代ケルト世界の再来を意味するのかも知れない。

 

第8シーン

Slip into spring -The harvest

春が来て、そして収穫の秋へ

フィドル(バイオリン)とオーケストラによりアイルランドの春から収穫の秋までのアイルランドの季節の移り変わりが表現される。民衆のアイルランドの大地への感謝、収穫への感謝が季節の移り変わりとともに表現されているようだ。

 

第9シーン

Riverdance (リバーダンス)

 リバーダンスの由来は、作曲者ビルウェランの本人の発想か否かは不明だが、ケルト文化を川の流れに例え、アイルランドの古代から現在までを回想し、新大陸という大洋に注ぐ様を表現したものと言われている。そしてもう一つの意味がある。それは一滴の水滴が集まり川となり、やがてそれは大地に浸透し、大地を潤し新しい命を育ててゆく、その様子表現したのがリバーダンスという解釈である。

第9シーンは、リバーダンスシンガーズの澄み渡った「クラウドソング」といわれるコーラスにはじまり、続いて「リバーウーマンの踊り」主演女性ダンサー(ビデオではジョアンバトラー)によって限りなく優雅に踊られる。そしてジョアンとマイケル フラットレーによる男女のダンスの共演がハイライトとなっている。ここで川は新大陸に注ぎ、川は大地と結合し「大地の目覚(Earth rise)」が表現されてゆくのである。最後はラインダンスのような大人数のダンサー達による壮大なリバーダンスで幕が締めくくられる。第一幕はこれで終了する。

リバーダンスの歌詞の意味はおおよそ以下の通り。

 

リバーダンス (翻訳:By Kei)

一途にあなたを探し求める

私の叫びを聞いてください

 

私の息づかいを

風に感じてください

 

私の色を映し出す

空を見てください

 

ひらめきとささやきが始まる

 

私はあなたのために生き

あなたを愛おしむ

私はあなたの体に血を巡らせる

 

生命に身をゆだねる魔力と力を感じて

あなたの秘密があかされるまで

指先の全てで模索する

 

永遠に回り続けるダンスの中で

私はあなたの唇にゆっくりと近づく

 

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