東海珍名所 五色園(前編)
(09/6/6)

ここは、2005年に開催された愛知万博の会場にも程近い、愛知県日進市にある「五色山大安寺」。ゲートみたいな山門を通って進めば、
参道の奥にまだ新しい大きく立派な本堂があり、紫陽花も咲いているような普通のお寺に見えます。
が、本堂に辿り着くまでの間には、何か不可思議な物が目に飛び込んできます。

人がたくさん集まっている? 林の先で人が何かしている? 道の真ん中に人が突っ立っている? 池の向こう側で何かしている?
何だ?!何だ?!何だ?!

ここ「五色園」は浄土真宗の開祖である親鸞聖人の伝説や様々なエピソードを、人形で表現するという斬新なアイデアを具体化したものです。
境内のあちらこちら、池のそばから山の中、草ボウボウの岩場とか、
思いもかけない場所に人形が何らかの出来事を表現した形で展示してあります。
この人形たちは等身大というより、2メートル近くの大きさがありますが、昭和7年から順次作成されており、全てコンクリート製です。
コンクリート製なので、彩色もペンキで彩られており、むろん、何度か塗りなおされていますが、
そのお陰か、今でも人形達のあざやかさや表情豊かな造型が永久的に残されています。
作者は東海の珍名所において決して語らずにはいられない人物「浅野祥雲」氏であり、
この五色園の作品は、浅野祥雲氏作品群の三大聖地の一つであり、最高傑作とも言われているものです。
「浅野祥雲」氏についてはこちらを参照して下さい。
いきなりそんな横綱級を出しちゃっていいのか?いや、いや、やっぱ最初にここをどうしても紹介したい!
ではでは、広大な境内のあちこちに展示されている個性的な人形達を、オリエンテーリング感覚で探しながら、ご紹介していきます。
・月見の宴
親鸞聖人は、松若君として京都の日野の里にて、日野(藤原)有範と吉光御前の間に生まれたとされています。
松若君は2歳になっても一言も話をしなかったので、周りの人は奇異に思われていました。
そんな8月の十五夜に月見の宴が開かれ、父の膝の上に抱かれていたじっと空を眺めていた松若君が、突然前に出て両手を合わせて月を拝み「南無佛」と唱え出しました。
人々は驚き喜び、松若君が非凡の和子であると歓喜したとそうです。

語り部を中心にして人々が座しています。 微妙な微笑みの女性?

真ん中の黄色い着物の子が親鸞こと松若君です。隣が母君かな? 親鸞聖人の物語がここから始まります。
・赤山明神貴婦人邂逅
親鸞が26歳の時、比叡山の麓「赤山禅院」で美しい女性に会い、一緒に連れてって欲しいと懇願されました。
しかし、仏教の教えにより山には女性は入山できないことを説きましたが、「女人だけを除いて、はたして真実の悟りに達することが出来るでしょうか」と嘆き、袖から白絹に包んだ玉を取り出して、「仏の教えを低く卑しい谷に下してあらゆる人を導いて下さい」と言って、その姿は消えてしまいました。

ご対面です。 デカい女性。手の上の物がどうしても○○ちに見えてしまいます・・・。 山の中にひっそり仏像がありました。
・信行両座
親鸞が法然の許しを得て門弟たちを信の座「信不退」と行の座「行不退」の二つの席にわけ、どちらの考えでいるか問いました。
「信不退」は弥陀の本願を信じるだけで生涯信心を失わない不退転が得られると信じること。
「行不退」は本願を信じてなお、不退転を得る為には念仏の行を積まなければならないという考え方。
ほとんどの門弟は行の座に着座しましたが、高弟の信空と遅れてきた熊谷蓮生房が信の座に着き、親鸞も信の座へ。
最後に師匠の法然までもが、信の座に着き、行の座に着いた僧達は皆驚いて、自分を恥じました。

って事で、お坊さんたちが面と向かって座ってます。 で、右側からダッシュしている人が!

「いーーゃ、待たれい!遅れてすまん!」 皆さん厳しいお顔してますが、右端は渡辺哲?
・桜ヶ池大蛇入来の由来
肥後の国の光円阿門梨は遠州(静岡県)桜ヶ池に入定されました。未来の問題が悩ましくなり、早く弥勒菩薩の御出世に会いたいが、人間の寿命には限りがあるために、6年の苦行の結果、長寿第一の大蛇に入定しました。
これをきいた法然は嘆き、我が悟る所の他力の要路を、阿門梨に告げたいと池の面に尋ねると、雷鳴と共に大蛇が現れました。
法然は他力の教法を説かれましたが、説き既に遅しと大蛇は嘆き、両眼から涙を流しました。

大蛇に乗った阿門梨と法然がご対面。 水が湧き上がる感じも描写してます。 大蛇の造形も素晴らしいですねー。

境内の中央に位置する大きな池です。 おたまじゃくしもいるし、蓮の花も綺麗に咲いています。
・御田植
稲田の草庵を拠点に布教にあたっていた親鸞聖人はあるとき、大部の平太郎という篤信家に招かれ大部郷に念仏布教の足を伸ばしました。しかし季節柄、みな田植えに勤しみ聞法道場まで出かける暇もありません。
田んぼでは、誰も念仏を唱えてないので、このままでは、皆が駄目になると思い、親鸞は泥田に入って念仏の歌を唄いました。
聖人の朗々とした力強い声が水田に響き渡り、はじめ戸惑いをみせていた村人たちもいつしかその声に魅了され、声をそろえて唄いだしました。

皆で田植えです。 おばさんの目線が気になるようなー。 全然唄っているようには見えませんけど?

田んぼを後方の高台にも百姓と今に乗った少年がいます。
・不動明王尊

森の中に作ってあるので、写真を撮るのもちょっと大変。 不動明王の目がずれてますが・・・。

蛙を模ったような石です。 池の畔に経つ銅像。 お隣は誰かよく分かりません。 山の中にある親子悲願仏
・縁結び弁財天

蓮がいっぱいの池の中央に島があって、そこに弁天様がおります。 子供たちが遊べる遊具も一応ありますが。
・川越の名号
流罪勅免の使いに会うため国府に向かいましたが、途中雪に見舞われ、柿崎につくころにはすっかり日も暮れてしまいました。
そこで聖人はこの地の扇屋の門をたたき一夜の宿を請うことにしましたが、扇屋夫婦には邪険に断られ、軒下で念仏を唱えながら夜の明けるのをお待ちになりました。
流石に無情の夫婦も、念仏の声を聞いて尊さが身にしみて自らの非礼を詫び、聖人を家の中へお招きになり、聖人は御仏の教えをお説きになると、夫婦はたちまち念仏の行者となりました。
扇屋の妻は聖人の発ったあと、、既に川を渡られた聖人にお形見をお願いしすると、聖人は向こう岸からこちらに向かって空中に六字の名号を書かれました。すると妻の手元の紙に「南無阿弥陀仏」の六字が浮かび上がったとか。

川を渡った後に老婆が白い紙を差し出したんですねー。

親鸞聖人が空中で文字を描くと紙に文字が!素晴らしいイリュージョンです。
・鹿ヶ谷 鈴虫松虫の剃髪得度
勢力を強める法然門下に対し危機感をもった他宗派は、興福寺を代表として朝廷に対し教団の撲滅を願い出ました。そのため御所では念仏停止の是非を論ずる評議が行われることになりました。
そのころ、法然の弟子、住蓮と安楽は鹿ケ谷の草庵において御法事を営み、御仏の功徳を人々に説いておられました。
そこを通りかかった院御所女房の鈴虫と松虫も深い感動をおぼえたのでありました。
以後、機会を見つけては聞法に通うようになった鈴虫と松虫は、発心して尼となったので、 このことを知った上皇は激怒し、興福寺の訴えを取り上げ念仏停止の裁断を下しました。

な、何奴! まー、待て! 鈴虫と松虫でございます(って、秋の虫かよ!)

で、尼になってしまいましたー。 これから出家しま〜す!
・御流罪
住蓮、安楽の両僧が官女、松虫・鈴虫を尼にした科を事縁として、五ヵ年の御流罪となり、親鸞35歳の時、越後へ。
都を発って十四日目の晩に国府へ到着し、そして萩原年景公の心ばかりの情けで粗末な小屋へ。
聖人はこの苦難をものともせず、他力本願のみ教えを広めることに昼夜不断の努力をされました。その甲斐あって村人たちは日増しに聖人のまわりに集い、念仏の声はいよいよ盛んになりました。
萩原年景公も後に上人の御徳を慕い、恐れ多しとあって国分寺のほとりに草庵を建て、そこへお移し申し上げました。
そして上人39歳の十一月、この御流罪ご赦免の令がくだりました。

この場所、辿り着くまでが大変。結構山の奥にあります。 草ボウボウになっていて、一体は草の中に紛れてます。
・肉付きの面
蓮如上人が、越前の国、細呂木の郷吉崎において御教化されているころ、少し離れた金津というところに与惣次という農民が住んでいました。与惣次は夫婦ともに念仏の信者であり、仕事を終えると毎夜のように山道を駈けてお参りにでかけていました。しかし、ひとり残された老婆はそこのとが気に入りません。そのため大の仏法嫌いになっていました。
ある晩、二人をおどかして吉崎通いをやめさせようと、老婆は鬼の面をかぶり暗がりで待ち構えました。そこへ嫁がひとり先にやってきので、ただおどかすつもりだったのですが、嫁は鬼を見ただけで動転し、一目散に逃げ帰ってしまいました。
そして次に息子がやってくる前、しばし待つ間鬼の面をはずそうとするのですが、面は顔に食い込みはずれません。老婆は声をあげて泣き始めました。そこに息子がやってきて、顔を隠した母にわけを尋ねられたので、ことの次第を話しました。
話を聞いた息子はすぐに母を連れて嫁とともに吉崎へ戻り、蓮如上人より御仏の教えをいただきました。そして老婆はそのありがたさに思わず手を合わせ念仏を唱えました。すると、不思議なことに鬼の面はポロリと取れて落ちました。しかしその面には無理に引き剥がそうとしたため、顔の肉の一部がこびりついていたのでした。

確かにこりゃ驚くわなー。 嫁さん驚いているけど、指も崩れてますねー。
まだまだ人形たちのパフォーマンスは続きます。後編へ