'98.12.15.記載 宮沢賢治「春と修羅」解析
濱田節子
(初めに)
詩は一見自由奔放なスケッチに見えるが、熟慮された構想のうえにその手段としての
心理的トリックを駆使した世界観の呈示である。「二重の風景」は、風景をLandscape
で考えるのでなく、 a view , a sight,つまり、考え方・見識と解釈すべきだと思う。
なわち「二重の考え方」である。これは単純に伏線と考えるべきものでなく、時間・空
間にたいする認識、「死」という不可逆な方向性とその連鎖の相互関係のなかで未来を
模索する実験なのである。
"mental sketch modified"というのは「考え方の草案をつくるのに修正(変更)され
たもの」という意味だと思う。
「春と修羅」というのは「太陽と地球」の暗示、Haru と Asura →Halo と Earth ,つ
まり、光冠と地球である。修羅が地球,及び地球の精神」の化身であるとき始めて詩集
「春と修羅」が読めるのである。「序」において、
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがった地質学が流用され
相当した証拠もまた次ぎ次ぎ過去から現出し
みんなは二千年ぐらい前には
この「二千年」というのは、修羅が地球であることを考えれば、
わずかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
一点が修羅の十億年、地球の十億年ならば二千年は、
十億×二千年×365年×24日×60分×60秒
一点は地球の観念で推し量れないものかもしれないがとにかくこの詩の二千年というの
は天文学的数値を暗示している。そしてもっと驚くべき見解として十億年は【自由多い
考え】であり、二千年は【ニセ(偽)の考え】あるいは【二重の嘘の考え】と読める事
である。
一千→一線→ a line,
a lie →嘘。
億→多く。
年→念→idea,→考え。
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
(「春と修羅」より)
修羅が地球であることを考えれば【人や銀河や地球や宇宙】となり、一見なんの脈絡も
ない羅列に意味が生じ、解釈(modified=訂正)が可能になる。
海胆→uni,
univierse→宇宙。
これらの関係は詩集において繰り返し歌い問い続けられている、たとえば「高原」な
どもその一つである。
海だべがと おら おもたれば
やっぱり光る山だたじゃい
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだぢゃい
「海」だと思ったら「山」だ、というそのままの解釈、これは賢治の思考の基本であ
る。そしてこれを(mental sketch modified)英語で訂正解釈すると、
【継ぎ目(現実と非現実、あの世とこの世)かと思ったら二重の偽の太陽だ、裂け目
(継ぎ目)のここに誰かが息ふけば懐かしい草原=地球(grass→glass・鏡・虚)であ
る】
海→sea,
seam→継ぎ目、合わせ目。
おら→or→すなわち、言葉を換えて言えば、
やっぱり→too→two,
光る→shine,
sham→見せかけの、にせの、
山→サン→sun→太陽の暗示。
ホウ→hole→穴、裂け目、
髪毛→hair,
hear→ここ、
風→フウ→who→誰。
◎風が何の暗示であるか、すぐに解らなかったがいろいろ読んでいくうちに「誰か」
ではないかと思い至った。誰という目にははっきり断定できない何かそういうものだ
と思う。たとえば「風の又三郎」は「誰かの再来、太陽の子」という感じである。
又→again, 三郎→sun→太陽の子。高田というのは他方(もう一つの)くらいの意味
かもしれない。
鹿→a deer,
dear→懐かしい。
踊り→dance,
downs→起伏した草原。
賢治の詩の解釈にあたって、その意図をどこからどのように切り出せばいいか迷う。
視点を現実の果てしない宇宙からさらに鏡(空・あの世)に移し、もう一つの壮大な宇
宙を想定する。つぎに現在認識している世界を、質的変換によってあらゆるものの価値
を変移し、観念的な優劣の解放を読む目の基点に措いたつもりである。
(すべてがわたくしの中のみんなであるように/みんなのおのおののなかのすべてですか
ら)
(わたくし=修羅=地球の精神)
【すべてが地球の中のみんなであるように、みんなの中の地球ですから。地球のみん
な、みんなの地球ということである】
第1章「言葉の意味するもの」
言葉で表現されている以上、どこもかしこも言葉の説明、解釈に終始するが、賢治独
自の言葉にたいする見解として二重の意味を含有し、そのことが時間・空間・もの、景
色全般にわたって細密にして雄大に構築された巨大な虚構ワールドになっており、その
どれもが外れるものではない。
(mental sketch modified)この断りは「考え方の草案をつくるのに修正(変更)した
もの」だから、逆の作業、英語あるいは疑似語の範疇で修正して読んで下さいという暗
示だと思う。
ただし、何でも他の言葉に置き換えれば読めるというものでもない、賢治は法華教の精
神を顕さんがためにこのような手段を用いたのである。
思えばわたし自身、長い時間を要して作品世界の扉を発見したのであって、扉は観念
的なものではなく幾十、幾百の在るが無いといった問答のなかから彷徨を繰り返し余儀
なくされ、それでもなお輝く志向の高さに惹かれながら、むしろ有り難くも遭遇できた
という境地である。
偶然ひらめく、しかし根拠がない。そういう気がする、しかし前後の脈絡を壊してし
まう。いや、やっぱりここは絶対にこういうことを言おうとしているのだ。何なのだろ
う?こうした試行錯誤は十数年にも及んだ。
賢治解読を始めたその日から思考方法は外れるものではないという確信があった。だ
から支離滅裂だけは免れたが、壁は厚く、問いに答が響かない日々に苦悶した。
特に「セロ弾きのゴーシュ」解読に確かな手ごたえを感じ、納得出来るまでには数
年、否、十年近い月日をかけている。歩いていても、電車に乗っていても、食事のとき
もゴーシュを考え、自ら朗読した「セロ弾きのゴーシュ」の録音テープを聞きながら仕
事をし、就寝時にもそれを回すという奇妙で孤独な生活が続いた。そしてある日、言葉
が言葉を超えて解読の手がかりを直観したのである。まさに三重苦のヘレンケラーが
「水、Water!」を感知し得たその瞬間にも等しい感激であった。
もちろん、一つの扉が開いたからと言って即、解読にはつながらない。賢治の法華経
精神の時空に出会えたと思いながらも、生まれでたばかりの赤子のようにわたし自身、
新しい世界の混沌に戸惑っているが、やがては整理され賢治の光明として明確に昇華さ
れていくに違いない。
この偉大な賢治作品はそれに触れる人々みんなの宝物であって、一人一人が考え至
り、巨大な時空の眺めを感受、驚嘆できるものである。未来の自由な景色を歌い、本当
の豊かさを謳歌出来るよう祈った賢治精神に誰でも出会えるはずである。
ものの高みから教わるというより一人一人が自分の尺度で発見、混沌から自由の輝き
に道が続いており、作品に印刷された文字はあたかも能動的に発展するかのような活性
が秘められている。受動的、他人思考型の教育連鎖から脱皮しないかぎり、少々難しい
かもしれないが、見えないものを見るという気迫をもち、偏見と自惚れを捨てれば必ず
作品に近づけるはずであるが、優秀だから読めるというような平面的な作品ではない。
畏れ多いほどの賢治である。
月を捕らえようと屋根に上った人間が、月はとてつもなく遠いところにあると知った
途端諦めてしまう。それでは永遠に月に近づけない。月どころか、見えない空間に旅
だったとし子への鎮魂歌にこめる熱情から発したこの心理的な実験は一人とし子のため
だけでない、祈りに満ちた地球人の巨大な心象風景である。
=太陽について=
たとえば人は死ぬと太陽(自ら照らすもの)になるという思考は「雪」という現象で
捉えている。雪(snow→SNはSun,太陽の暗示である)はふぶきであったり、みぞれで
あったり様相を変えるがその基本は「太陽の暗示」であり、ほかにも山(sun)山男、
あけび(山女)Snの元素記号からだと思うがスズのtinなどもある。ただ単に、地球
(ゴーシュ)にとっての楽長(中心、太陽)という場合もある。同じように、コロナと
いう現象も死の入り口と考え、「稜」(かど)などで表している。
corner→corona,
死の入り口は「四月」死月(month→mouth)
太陽の隠喩は数多い(たとえば春→Halo)と思うが、「真空溶媒」という聞き慣れな
い言葉もその一つだと思う。 Hollow solvent,→HaloとSolというように。
読みながら豊饒な言葉がきらきらと多面的に輝きそれこそ眩惑されてしまうが、賢治の
透徹した世界観によってもう一つの景色が展開するとき大いなる力(エネルギー)を与
えられるのである。疑似語という言葉のあやからどんどん広がっていくもう一つの世
界、隠れた見識、主義主張。この鍵を発見したことで抽象的にすぎる詩が、未来の新し
い地球という景色に変換されるのである。
=地球について=
地球はかって「やまなし(Pear)」のような形をしているに違いないと言われていたこ
とからだと思うが、やまなしは地球の暗示だと思う。
「雨ニモマケズ」のなかでデクノボーという言葉があるが、これも地球の暗示である。
decline ball(傾いた球体)、土偶、つまり地球は土の塊である。
「丘の眩惑」のなかに土耳古(トルコ)玉製とあるがズバリ地球の暗示、どろんこ玉製
のという意味だと思う。。
もちろんGlobeからgrove(森・林)、Earthから電線、earthen(土製、陶製の)、
あるいはやはり地球という意味のGroundなども作品に多く使われている。
木が沢山あると林や森になる、木は人間の暗示。tree →three→triad(三つで一組
みのもの)→父母子→人間。
=重力の解放=
この意味は束縛、規約から自由になるということで、自由という言葉もおそらく随所
に出てくるはずである。少し読んだだけでも、
氷・凍った→freeze,→free(自由)
燃え落ちる 燃え落ちる(「丘の眩惑」)
flare down,→freedom(自由)、
どしどし(「丘の眩惑」「コバルト山地」)
freely→自由に。
前述の天も、ten,十、のプロセスを経て自由になる。賢治作品において全ての道は「自
由」に通じるのだと思う。たとえば「小岩井農場」という詩、パート九で終わっている
が行き着く先は「十」自由ではないかと思う。
二重の風景(二重の見識)というくらいだから、あらゆる言葉は隠喩に満ちていると
言って過言でないが、わたしは全部読んだわけではない。それどころか詩集をパラパラ
ッと目を通したに過ぎない、にもかかわらず強く直観したのは「セロ弾きのゴーシュ」
などを読み、改めて詩集を読むと、その基盤が見えてきたのである。わたし自身は詩と
は無縁の人間でとても詩的世界には介入出来ないと思いこんでいたので賢治の意図とい
うものを目の当たりにして密かに驚愕した。賢治解読の鍵は宗教による世界観、限界を
超えて拓かれていく未来への心理的見解報告であり、三次元空間では推し量れないトポ
ロジーの世界である。
これはこれ
惑う木立のなかならず
しのびをならふ
春の道場
この詩のもう一つの意味は【これは開き口、欲望の地球ではない、そらに続く日輪の囲
いの穴、死への入り口である】ということだと思う。
これはこれ→apart from this,
aperture→穴、開き口。
惑う→lost,
lust→欲望。
木立→林→grove,
globe(地球)
しのび→spy,
sky→空。
ならう→follow→あとに続く。
春→Haru,
Halo→日輪。
道場→fencing hall,
fencing holl→囲いの穴。
この二重の関係を端的に表した詩がある。
たけにぐさに、
風が吹いているといふことである
たけにぐさの群落にも
風が吹いているということである
(「病床」より)
これは【作り話に誰かが息を吹き込んでいるということである(非現実)、(現実の)
たけにぐさの群落にも風が吹いているということである】という意味だと解釈する。
たけに→take in→ぺてん。
風→who→誰。
吹く→blow→息を吹きかける。
正しくて愛しきひとゆえ いざさらに一を加
えん
この詩のもう一つの意味は【全くゼロの人(死)ゆえ、再びもう一つの宇宙に生きる
べきである】というようなことだと思う。
正しい→Just,→ちょうど、まったく。
愛しき→love,→ゼロ
(テニスなどの数え方から)
加える→addition,
edition→版。(複製)
一→uni
univers,→宇宙。
賢治曰く「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと
である」と。
言葉は約束である。海といえば海、山といえば山を想起し、それ以上でもそれ以下で
もない。言葉は観念化する。海といえば海以外の景色は想定しにくくなる。心の海と
言ったところで海の性質を外れるものではない。それを秩序と呼び、表現は蓄積された
データに基ずき読者の心理を刺激するものとどこかで信じて疑わない。新聞やテレビの
ニュースの言葉の裏にもう一つの意味などあれば混乱は免れない。それはあたかも「リ
ンゴは落ちる」という理の当然に等しい暗黙の法則でさえある。
人は死ぬ、命あるものはみんな死ぬ。死とは何か?を問い続ける賢治の表現手段が言
葉であったとき、言葉とは何か?という問題は不可避だったに違いない。地球上の人も
しくは生物は死という共通の条件下にあるが、意志疎通の手段である言葉は多種多様で
ある。わたしたち日本人は日本語という約束のもとに生活しているが、世界には英語、
ドイツ語、エスペラント語その他諸々の言語が同じ役割で存在する。賢治は日本語で表
現しながらその伏線に他国の言葉を引用し、その多義性によって景色(見識、思考)を
二重に書き込んだのである。
言葉の壁を超えてあるものが同じ感情を象徴することがある。「ZYPRESSEN」はドイ
ツ語で糸杉(cypres)のことだが、ひのきもまた(a sun tree, Japanise cypres)であ
り、それぞれ喪、哀悼、悲しみの象徴とされている。ゴッホの「糸杉」、賢治の
”ZYPRESSEN”二人は深い慟哭を祈りに昇華して表現媒体にしたのではないかと思われ
る。と同時に「太陽の木」という英訳をも賢治はこの詩のなかに活かしている。
第2章「二重の時間・空間」
=時間について=
賢治が場所や時間を具体的に書き込むとき、それはその通りの場所や時間ではあるけ
れど、少し考えれば必ず現実から離れた全く様相の異なる時空をもう一つの風景として
暗示しているのである。
なぜなら、その名付けられた場所はそこであってそことはまるで無関係なものだし、
時間も同様である。
たとえば「丘の眩惑」に<一千八百十年代>とある、これはつまり、西暦一千八百十
年代という意味ともう一つには【嘘八百の自由な考えに代える】と読める。
一千→一線→a line,→ a lie→嘘。
十→自由。
具体的な数値もしくは数えられたもの、たとえば五月、五日などは五が<five>とい
うことから少し曖昧ではあるが<forever=永遠>を暗示しているのではないかと思う。
「恋と病熱」という詩があるが、それは恋が<love=ゼロ>の暗示であることから、病
熱もまた<fever→forever>、つまり「無と永遠」という意味だと思う。
「注文の多い料理店」(序)に<十一月の山の風のなかに>とあるが、これは自由な宇
宙の太陽の誰かのなかに、という意味だと思う。
一は uni, から宇宙、ニは double, から二重の、三は sun, から太陽、四は死、五
は上記の理由から永遠などというように、数もまた暗示されるもう一つの意味を包含し
ているのだと思う。
=空間について=
ものはみな
さかだちをせよ
そらはかく
曇りてわれの脳はいためる
この世界
空気の代わりに水よみて
人もゆらゆら泡をはくべく
この歌から天地倒錯の糸口を感じるがこれだけではその主眼たる意図は見えてこない。
しかし、空気の代わりに水を吸って泡をはくというのは明らかに質的変換、それも大き
な意味での存在の基盤を揺るがすような置換を暗示しているのだということが解ってく
る。
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
(「詩ノート」より)
重力を考えなければ、上も下もない。山は空にあり空は地になる。
みんなは二千年ぐらい前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白亜紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
(「序」より)
(二千年)ぐらい→lie,
lie→嘘。
前→before→(何何)の力で、
青ぞら→青はセイ、Sainted→在天の、死んだ、
今は世にない。死界の暗示。
そら→sola→solar→太陽の、
無色→透明→transparency,
transfer→映す、複写する。
pare→pear→西洋ナシ、地球の暗示。
孔雀→peacock,
pereを想起させ地球の暗示。
新進→fresh,
flash→きらめく、
大学士→a university man(professor)
universal→宇宙の暗示。
気圏→airspace,
earth place→地球の場所、位置。
いちばんの上層→upper air,
apple →april
(四月は死のmonth→mouth)→死の入り口。
氷窒素→氷→freeze→free→自由。
窒素→nitorous→nature→自然。
化石→fossil,
hustle→張り切って仕事をする、精力
的にがんばる、元気のいい活動。
発掘→unearthing,unearthly→神秘的な、
層面→a layer,
a liar→嘘つき。
みんなはニセ(偽)の考え、嘘によって死界の太陽いっぱいの転移された地球があっ
たと思い、きらめく宇宙の地球の死の入り口に輝く自由な自然あたりからすてきに元気
のいい活動の神秘を見たり、と歌う。そして次の白亜紀というのはわたしたちが歴史で
習ったそれを指すのではない。白亜紀末には胎盤をもった哺乳類が出現したとあり、紛
らわしいが、人類という報告はない。どういうことかというと、それはこの「序」を読
んだだけでは解答に出会えない。たぶん、この「春と修羅」を全部読了し得た後にこの
白亜紀の意味が解るという組立で書かれており、この詩集そのものも再読、巡回のなか
で賢治の心理的な実験を知ることになる。
賢治はこの実験を、「気層」という言葉で表しているらしい、気層転じて奇想であ
る。また「むら気」の"crank"つまり、奇妙な考え、「けら・合羽」「カラスなどの鳴
き声」「ひび」「かめ」など"crank"に近い発音のものも"cloak""clock""crack""crock"など、その範疇と考えていいと思う。そして色は「黒」がそれを暗示しているのではな
いかと思う。では「白」はといえばwhite,雪のあるということから太陽のあるという意
味に変転する。ちなみに雪はsnowであり、SNとつくものはSun,太陽の暗示だと思う。
賢治は死ぬと太陽(自ら輝くもの)になると暗示して詩を詠んでいる。白亜紀という
のはこの意味をふまえた賢治の夢見る未来の時代なのである。透明な人類の、とあるが
透明→transparency,
transfer→映す、複写する。
pare→pear→西洋ナシ、地球の暗示。
転移された地球の人類、太陽となったのだから「巨大な足跡」には違いないと思う。
層面→a layer,
a liar→嘘つき。
白亜紀砂岩には a liar(嘘つき)という暗示もある、賢治は夢と同じくらいユーモア
を併せもっていたに違いない。
ちなみに「銀河鉄道の夜」の銀河鉄道は
"A trans Galaxy railroad"だと思う。二重の空間内での移行(transiyion)はキィワー
ドでもある。余談になるが、銀河というのは 銀→偽の暗示、河は river→ reverse 逆
の、反対のという意味ではないか?北十字から南十字へいく旅というのは
NorthからSouthへ、No(無)からsource(根元)に逆行したのではないか?十字は自由
な特質。夜はnight→naught(無)、本当はなにもないという暗示だと思う。
「ハルレア」と言ったのは"Halo rare"くらいの暗示で珍しい光冠(コロナ)という意
味ではないか。
そういえば「岩手軽便鉄道の七月」っていう詩があるけど、岩は地球の暗示、軽便と
いうのは"cavein" 陥没箇所の暗示ではないか?かって「銀河鉄道の夜」という作品は
メビウスの輪の軌道だと十五年くらい前に書いたけど、メビウスバンドから出来るクラ
インの壷の構造の暗示ではないかと思う。
何か考えているとあれもこれもというふうに関連を帯びていることに気づくが、ここ
で賢治の思考基盤となったと思われる「如来寿量品」を読んでみたい。
余がこの上なく完全な「さとり」をさとって以来、既に幾先万億劫という多くの時間
が経過しているのである。たとえてみれば、すなわち、その数は五十・千万億という
世界にある大地の微粒子の数に等しいのである。さて、ある人がこの世界に生まれて
きて、この微粒子の一つを手にして、東方における五十・千万億という無数の世界を
越えて行き、その微粒子の一つ捨てるとしよう。この方法によって、一回に一微粒子
ずつ幾千万億劫のあいだ捨てつづけて、かの人がすべての世界を大地のないものとす
るとしよう。そして、これらの大地の微粒子のすべてをこの方法により、また前述の
ような捨て方で、東方に捨てるとしよう。その場合、良家の息子たちよ、おまえたち
はどのように考えるか、これらの世界の大地の粒子の数を、誰が推測したり、計算し
たり、測ったり、あるいは比較したりすることができようか。
(法華経・如来寿量品より 坂本幸男・岩本裕・訳注)
ここに時間を越えた時間、空間を越えた空間にたいするメッセージが読み取れる。た
とえば地球の土を一微粒子ずつとてつもないほどの時間をかけて異空間(東方=新生)
に運び込み、もう一つの地球を形成した後、再び異空間(東方=新生)にこれを築くと
いう推し量れないほどの時間・空間の教示は、賢治をして「人の生死は明滅であり、わ
たくし(地球)は現象となる」と言わしめたのだと思う。かってわたしは七つ森は地球
の暗示である、との見解を示したが天地を逆さに考えれば七つ森は天の七つ続きの山、
つまり七つの海(地球)なのである。
森→wood, 小さな森→grove,
globe →地球。
ちなみに「天」はten→十→自由の暗示である。だから「七つ森」というのは
「自由の七つの海」ということである。
読んで読み砕いてある日その精神に触れることができる、この逆さにものを見るとい
う思考はすべてに表裏がある、といった単純な見識ではない。強いて言えば「大循還」
ともいうべき相の変化に例えた賢治の祈りに基づく実験的な意図だと思う。
文学という領域のなかで言葉の言葉たる所以を最大限駆使して生み出された作品群の
驚くべき語彙の豊饒さは解読を困難なものにするが、それはとりもなおさず読者自身へ
の戒め、あるいはカオスの教示である。作品は多くの暗号によって具体的な景色を醸し
出しているので、その共通項に考え至るまでにずいぶん時間を割かなければならなかっ
た。しかしそのなかで見えてきたのが先に述べた質的変換による大循還である。人の生
命が自然に融合しながら生まれては消え、消えては生まれるという点滅にも似た営為の
うちに巨きな宇宙の息吹きを提示しているのである。
大循環の"circle"も移行の"trans'fer"とともに賢治の時空の基本思考である。
賢治の作品を解読するにはあらゆる状況に応じて言葉を吟味、想像力をフルに回転さ
せる柔軟性が求められる。解読作業に思いこみ、一義的な視点というのは危険である。
混沌は自然の光景そのものだから、一人一人の胸のうちにゆっくり了解できる時間とい
う軸もまた必要不可欠なのだと思う。
第3章・解釈
「春と修羅」
(mental sketch modified)
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖ハ璃の風が行き交い
ZYPRESSEN春のいちれつ
くろぐろと光素を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろうの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで鳴くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんとうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを伐る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
<「春と修羅」解析>
"Halo and Earth"→「光冠と地球」
「太陽とわたし」
「春と修羅」の春は「太陽の光冠」の暗示、修羅は海山自由に行き来する地球の精神と
してのわたし。
修羅→阿修羅(Asura) 非天、非類、不端正と訳す。十界、六道の一、衆相山中、ま
たは大海の底におり、闘争を好み、常に諸天と戦う悪心なり。
「対照法華」巻末「法華字解」「宮沢賢治の思索と信仰」小野隆祥・著より
アスラ→asura「生命(asu)を与える(ra)者」の意。後には「非(a)天(sura)」と解釈され
て、悪魔とされる。 (岩波文庫、法華経(上)坂本幸男・岩本裕.訳注)
修羅は山中、または大海の底におり、とある。つまり変化する「相」のどこにも行き
来するものとしての「主である」と言ったのだと思う。
わたくしという現象→変化する相のどこまでも。「現象」というのは現れた形であれ
ば、そのまま、ありのままの状態であって、それ自体何かと比較して優劣などを競うも
のでなく平等以前の存在そのもの。
心象のはいいろはがねから
心象→mental,→mentality→考え方、心理。
はいいろ→灰色→ash color,
ash→亡骸、colonist→移住者。
はがね→steel,
steal→盗む、そっと行く。
【心象の亡骸の移住者のところへそっと行く】
要するに死んだ人の所へそっと行くという夢想。
あけびのつるはくもにからまり
あけびは通草。pass, grass→glass,
pass は通行許可証、草は鏡の暗示。
あの世への通行許可証だろうか。
「やまひめ」ともいうから山で太陽の暗示とも。
つる→turu,
true→真実。
くも→苦悶。
からまり→twist,→歪む。
【あの世への通行許可証の真実は苦悶に歪み】
のばらのやぶや腐植の湿地
のばら→nobara→nobel→新しい。
やぶ→grove,
globe→地球。
腐植→corrosive,
correlative→相関的な、
湿地→damp ground,
damp→湿気、失望、落胆。
ground→地球の暗示。
【新しい地球や相関的な失意の地球】
いちめんのいちめんの諂曲模様
いちめんのいちめんの→つまり二つの面。
諂曲→twist,
twice→二度、二回、二倍。
【二つの景色の二つの風景】
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
正午→noonday,
new die→新しい死。
管楽→the wind、
wind→風→who→誰。
より→to→too→何何も又、
しげく→frequent,
free quest→自由探求。
琥珀→琥珀色した天球というのは地球のことで、琥珀は地球の暗示。
かけら→splinter,
sprit→霊、精神。
そそぐ→flow→生じる。
【新しい死の誰もが自由探求、地球の精神が生じるとき】
いかりのにがさまた青さ
いかり→anger→angle→角。
corner→corona→コロナ。
にがさ→bitter,
vital→生命力。
青さ→青はセイ→sainted→在天の、死んだ、
今は世にない。死界を暗示。
【コロナの生命力、また死界】
<青について>
わびしい草穂やひかりのもや
緑青は水平線までうららかに延び
雲の累帯構造のつぎ目から
一きれのぞく天の青
強くもわたくしの胸は刺されている
それらの二つの青いいろは
どちらもとし子のもっていた特性だ
(「オホーツク挽歌」より)
緑青はgreen rust, verdigris,
green と verdigris の共通項を考えると、
新鮮、若々しさなど。
天の青→天はten→十→自由。
青はセイ→sainted→在天の、死んだ、
今は世にない。死界を暗示。
うららか→bright,clear,fine,
fine→美しい、
とし子の特性というのは「若々しさ」と「死んでしまった」という表裏の条件。
「緑青は水平線までうららかに延び」というのは「若々しさはどこまでも美しい」
「一きれのぞく天の青」というのは「平和が見える自由の死界」などの意味だと思う。
四月の気層のひかりの底を
四月→死月→死month→死の入り口。
気層→奇想→crank,
ひかり→shine,
sham→見せかけの、にせの、
底→the sole,
sol→太陽。
【死の入り口という奇妙な考えの見せかけの太陽】
唾し はぎしりゆききする
唾し→spit、→(ぱらつく)小雨、小雪
(雨は支配者の暗示、雪は太陽の暗示)
はぎしり→grind one's teeth,
glide one's earth,
(glide は水面、雪の上、空中などをすべるようにすすむ)
【小さな太陽となってどこでもすべるようにすすんでいく】
おれはひとりの修羅なのだ
ひとり→sole,→soul→精神。
修羅→阿修羅→Asura→Earth→地球の暗示。
【わたしは地球の精神なのだ】
(風景はなみだにゆすれ)
風景→sight→見地、見解。
なみだ→tear,
tear→裂く、むりに引き離す。
ゆすれ→shake,
shackle→束縛、拘束。
【見解は束縛を引き離す】
砕ける雲の眼路をかぎり
砕ける→broken→衰弱する。
雲→cloud,
crowd→群衆、人々。
眼路→medium→中間、媒体、媒介。(眼路は見渡す限りの意)
かぎり→bound→出発しようとしている。
【衰弱した(死に向かう)人々は<現世とあの世の>中間を出発しようとしている】
れいろうの天の海には
れいろう→rainbow→虹。
(玲瓏は玉などが光って輝くさまの意)
天→ten→十→自由。
海→sea,
seam→つなぎ目。
【虹の自由へのつなぎ目には】
聖葉ハ璃の風が行き交い
聖はセイ→sainted→在天の、死んだ、
今は世にない。死界を暗示。
ハ璃→針→needle→穴をあける。
風→who→誰か。
【死界に穴をあける誰かが行き交う】
ZYPRESSEN春のいちれつ
ZYPRESSEN→糸杉→哀悼、喪の象徴。感嘆の意。
春→Halo→光輪、光冠。
いちれつ→a row,
around→回り。
【ああ、悲しい光輪の周辺】
くろぐろと光素(エーテル)を吸い
くろぐろと→curo→crank→奇妙な考え。
光素→こうそ→こうす。
corpse→(人間の)死体。
吸い→breathe,
bless→神聖にする、清める。
【奇妙な考えで死体を神聖なものにし】
その暗い脚並からは
暗い→shade,
shades→黄泉の国。
脚並→pace,
pass→通行許可証、
【その黄泉の国の通行許可証では】
天山の雪の稜さえひかるのに
天は自由、山は太陽の暗示→自由の太陽
雪→snow,→SN
sun→太陽。
稜→かど、神の威光。
corner→コロナの暗示。
さえ→even,→just→等しい、同じ。
ひかる→shine,
sham→見せかけの、にせの、
【自由の太陽から生まれた太陽のコロナも等しく見せかけである】
(かげろうの波と白い偏光)
かげろうの波→air wave,
air'way→通風口。
白い→white→雪のある→太陽の、
偏光→変更
【通風口と太陽への変換】
まことのことばはうしなわれ
まこと→sincerity,
sin certain→確かな罪。
言葉→word,
world→世界。
【罪ある世界は失われ】
雲はちぎれてそらをとぶ
ちぎれる→tear,→涙。
そら→sola→Solar→太陽の、
とぶ→fly,→飛ぶ、飛び越える、逃げる。
【(死に逝く)人々は涙で太陽(日輪)を飛び超えていく】
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
かがやき→bright,
blight→希望、幸福などを奪うも
の。滅ぼす。
【ああ、希望、幸福を奪う死の入り口の太陽をすべるように水となり火となってゆきき
する、わたしは地球の精神なのだ】
(玉髄の雲がながれて
どこで鳴くその春の鳥)
玉髄→chalcedony,
玉はball,globe,つまり地球。
髄はpith→pithecanthrope
(初期の人類)
ながれて→移住して→transmigration,
→輪廻転生。
春→Halo→太陽のかさ、
鳥→bird,→死にゆくものの化身。
birth(あの世に誕生する命の暗示かもし
れない)
【地球の人々(死んだ)は形を変えてどこで誇り高く生きているのだろう、光輪に行き
交ったその死人(鳥)の行く末は】
日輪青くかげろへば
青く→死界。
かげろへば→obscure→世に知られずに、
【世に知られない死界の太陽】
修羅は樹林に交響し
樹林→a wood,a grove,→地球の暗示。
交響し→sympathize,→同情する、共鳴する
【地球の精神は地球に共感し】
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
陥り→fall into,
hole→穴、すきま、裂け目。
くらむ→dazzle→隠された、
天→ten→十→自由。
椀→wooden bowl→地球の暗示。
黒い→curo(クロ→音)→crank→奇妙な考え。
木→tree,→three,
triad→三つで一組みのもの→父母子
人間の暗示だと思う。
群落→植物がたくさん生えている場所、
木の群落ということは夥しい数の人。
枝→branch,
blanch→白くなる→雪(太陽)になる。
かなしく→sadly,
suddenly→急に、突然。
しげる→grow,
glow→赤々と燃える。
【裂け目に隠された自由の地球から、奇妙な考えの夥しい数の人間が列をなす。その太
陽は突然、赤々と燃える】
賢治が白亜紀と呼ぶのはこの死人が変移された夥しい数の太陽が光る時代を言う。そ
してそれはひかり→shine→sham(偽の)であり、発掘→layer→liar(嘘つき)するか
もしれません、と奇想,"crank" であることを密かに告白している。しかしこの意味す
る意図は自由への飽くなき希求の精神であり、死にゆく人への愛をこめた鎮魂歌なのだ
と思う。
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
喪神→sousin→south→南。
source→源、起こり、原因。
森→wood→地球の暗示。
ひらめいて→flash,
fresh→新しい、
からす→crow,
crowd→群衆。
梢→twig,
twin→一対のうち一つ、
【すべて二重の考え方を、始まりの地球の一つから新しく飛躍する人々よ】
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
気層→奇想→crank→奇妙な考え。
いよいよ→more and more,
"mor"は"mortal"死すべき、死を暗示してい
るのではないか。
すみわたり→clean→飛び越える。
ひのき→桧→棺のうえの飾り。
Japanise cypres
→ヒノキの類の常緑樹。
a sun tree,→太陽の人。
しんと→新と、
立つ→rise→そびえる、復活する、生じる。
【奇妙な考えで「死」を飛び越え、太陽人が新しく自由に復活するとき】
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんとうにおれが見えるのか
草地→grass,
glass→ガラス、鏡。(あの世の暗示)
ことなく→eventless,
evenness →平等に、
ひと→ヒート→heat→炎熱。
かたちをした→shaped,
shift →置き換える、移す。
農夫→know 夫→知っている男、たぶん、自分。
けら→cloak,
crank→奇妙な考え。
【あの世の太陽を過ぎてくるもの、平等に炎熱(太陽)に置き換えられたもの、奇妙考
えを持ったその知っている誰か、本当に地球の精神たるわたしが見えるだろうか?】
それは氷の未来圏からなげられた
戦慄すべきおれの影だ
(「未来圏からの影」)
氷→凍る→freeze,→free,(自由)
戦慄→shiver →粉砕する。
<それは自由の未来圏からなげられた砕かれるべきおれの影だ>
まばゆい気圏の海のそこに
まばゆい→dazzle,→隠された、
気圏→air space,
earth place→地球の場所、位置。
海→sea,
seam→継ぎ目。
そこ→sole,
sol→太陽。
【隠された地球の場所の継ぎ目の太陽】
(かなしみは青々ふかく)
かなしみ→grief,
green→草地。
青々→green,→若々しい、
【草地(もう一つの地球)は若々しい】
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを伐る
ZYPRESSEN→糸杉、哀悼の意。
しづかに→quiet,
quietus→死。
ゆすれ→quake→おののく、震える。
青ぞら→青はセイ→sainted→在天の、死んだ、
今は世にない。死界を暗示。
そらはsola→solar→太陽の。
【ああ、死におののく。鳥(死人)がまた死界の太陽を突っ伐っていった】
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
まこと→sincerity,
sin certain→確かな罪。
言葉→word,
world →世界。
つち→earth→地球。
なみだ→裂ける。
【罪ある世界はここになく、地球の精神は裂けて地球に還る】
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
新しい→fresh,
flash,→ひらめいて、
そら→sola→solar→太陽の、
ほの白く→何となく雪のある(white)→太陽の
暗示。
肺→lung,
language→言葉。
ちぢまり→contract,
contradict→否定する、反対する。
【ひらめく太陽に生まれたなら、太陽は言葉を否定する】
(このからだそらのみじんにちらばれ)
からだ→body→死体。
そら→sola,
solar→太陽の、
みじん→三人→太陽(サン)人。
ちらばる→disperse,
displace→置き換える。
【このからだ(死体)は太陽人に置き換えられた】
いてふのこずえまたひかり
いちょう→a maidenhair tree, →初めての地
球。(treeは地球の暗示。)
こずえ→twig,
twine→一対のうち一つ、
また→再び、
ひかり→shine,
sham→見せかけの、にせの、
【初めて聞く地球の一つ、再び見せかけである】
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
いよいよ→more and more,
"mor"は"mortal"死すべき、死を暗示してい
るのではないか。
黒く→curoku(音)→crank→奇妙な考え。、
雲→cloud,
crowd→群衆。
火ばな→spark→生気、活気。
降り→fall、→(何何)になる。
そそぐ→pour→与える。
【ああ、死は奇妙な考えで、(死にゆく)人々に活気を与える】
まさに(mental sketch modified)である。読みながら修正し、修正しながら読んでい
くこの心理的な実験は「山」と言ったら「山」しか想像できない観念との闘いでもあ
り、そのままでも既刊の賢治解釈の多さに示されるように特異な光彩を放っているのだ
から途方もない拡がりに戸惑うのも仕方ないかも知れない。けれど、この豊饒の言語群
が受け身を拒否し、言語が言語を引き出すという奇妙な暗躍に一つの脈絡を発見した以
上、賢治の意図に添って読んでいくのも愉しい。苦行の伴う作業ではあるがその汗が何
倍にもわたしを驚喜させてくれるのである。
わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です 「序」より
現象→a phenomenon→驚異→wonder,
仮定された→想像上の、
有機交流電燈→有機というのは人間、
交流→alternative→二者択一の、代わりの、
ひとつ→uni,
univers→宇宙。
青い→死界の、
照明→illumination,
illusion→幻想。
【わたくしという不思議は想像上の人間の代わりの宇宙の死界の幻想です】
ちなみにこの「序」の書かれたという日付、大正十三年一月二十日というのは「対照自
由、太陽で考える宇宙の入り口の二重の死」と読めてしまう。対照が大笑のほうが明る
いがここは二重の風景なのだからやはり前者が妥当かと思う。
現象というのは本来あるがまま、見えたままの知覚できる自然界、人間界の出来事あ
るが、ここでは逆の見えないものとしての「わたくし」である。
逆といえば「春と修羅」について「こんなものは大衆めあてで書いたのではありませ
ん」という賢治の書き送った文章を読んだことがある。これも言葉通りではないかもし
れない。なぜなら「めあて」というのは対象ということで、それは認識作用の目的とし
て、われわれに対立してあるものだからである。この「春と修羅」という詩集は二重風
景として大衆(読者)に認識作用を促すために書かれているのだから、「これは大衆の
ために書いた」というのが本心だと思う。
=「春と修羅」まとめ=
心象の亡骸の移住者のところへそっと行く。あの世への通行許可証の真実は苦悶に歪み
新しい地球や相関的な失意の地球二つの景色の二つの風景。
(新しい死びとの誰もが自由を求める、地球の精神が生じるとき)
コロナの生命力、また死界。死の入り口と言う奇妙な考えの偽りの太陽。
小さな太陽となってどこでもすべるようにすすんでいく。
(考え方は束縛を解放する)
死にゆく人々は(現世とあの世の)中間を出発しようとしている。虹の自由へのつなぎ
目には死界に穴をあける誰かが行き交うああ悲しい光臨の周辺。奇妙な考えで死体を神
聖なものとしその黄泉の国の通行許可証からすれば自由の太陽から生まれた太陽のコロ
ナ(死の入口)も等しく見せかけである。
(通風口と太陽への変換)
罪ある世界は失われ群衆は涙で太陽を飛び越えていく。ああ、希望を奪う死の入り口の
太陽をすべるように水となり火となって行き来する、わたしは地球の精神なのだ。
(地球の人々はどこにいるのだろう、その死の入り口をいった鳥は)
世に知られない死界の太陽地球の精神は地球に共鳴し、裂け目に隠された自由の地球か
ら奇妙な考えによる夥しい数の人間が列をなす。その太陽は突然赤々と燃える。
すべて二重の考え方を、始まりの地球の一つから新しく飛躍する人々。
(奇妙な考えで死を飛び越え、太陽人が新しく生まれる)
あの世の太陽を過ぎてくるもの、平等に炎熱(太陽)に置き換えられたもの奇妙な考え
をもったその知っている誰か隠された地球の場所の継ぎ目の太陽。
(もう一つの地球は若々しい)
ああ死におののく。鳥がまた死界をつっきっていった。
(罪ある世界はここになく地球の精神は裂けて地球に還る)
ひらめく太陽に生まれたなら太陽は言葉を否定する。
(この死体は太陽人に置き換えられる)
始めて聞く地球の一つも見せかけである、ああ死は奇妙な考えで(死んだ)人々に活気
を与える
=要約=
地球の精神であるわたくしは、死界へゆく鳥たち群衆(人々)を、死の入り口である太
陽のコロナのあたりを行ったり来たりしながら、ある奇想(奇妙な考え)をもって夥し
い数の死びとをあの世(死界)で平等に太陽に変換する。この詩はその中間(媒介)で
あり彼らへの鎮魂歌である。この考え方は地球の束縛から解放し自由へと続く道の示唆
である。死びとの向かう変換された新しい地球には言葉(観念、束縛)はなく、若々し
い活気に満ちている。わたしの奇想によるこのもう一つの死界は偽りの空想にすぎない
が"zypressen"哀悼をもって、死後、自ら輝くものに変換されるという考えを地球の精
神として捧げる。
これが二重の風景のもう一つの景色である。
もちろんこれから沢山の賢治作品を読み、照合していくうちにはそれなりの修正もある
かもしれない。そういうテキストなのだと思う。
第4章「春と修羅」の構図
=余白の活性=
一読して分かるように、詩の文字は帯状にでこぼこしている。平坦と下降、上昇に特別
な意味を込めたと言うより風景の自然を模したと言うにふさわしい。上下の空白が詩の
文字群によって切り離されたように見えるのは空白を在るものと見なした場合であり、
文字群のみが在るもの、関心の対象であれば、そうは見えない。普通に書けば見えな
かった余白が「春と修羅」では見えてくる。このようなデザインに配置したのはそうい
う意図があってのことだと思う。
空白・余白というものは在るけど無いものなのである。そういうふうに奇妙な考え
(賢治の謙遜)でものを見ていくならば、見えない空間にいったとし子にだって遭える
かもしれない。47行(始終死地)目には亀裂(空行)も用意されたこの詩は二重の空
間の媒体、二つの空間の媒介としての詩という見方さえ出来るほどである。書でも絵画
でも余白は大事な意味をもつが、この詩では意味そのものの空間を担い、余白の活性化
とでも言うべき無の有言、無限大の広がりを呈している。
(在ると認識すれば有り、無いと思えば見えないのである)
=括弧の意味=
賢治の詩における( )のなかというのは何を意味しているのだろう?( )のなかと
いうのは普通は<補足、つぶやき>など極端にいえば無くても差し障りのないことが多
い。この「春と修羅」に関する限りそういう差異を感じない。同じなのである、たとえ
ば、
まことのことばはうしなはれ(20行目)
とあって
(まことのことばはここになく)(45行目)
と括弧でくくられた同じに思える詩句が繰り返される。「うしなわれ」と(ここにな
く)の違いは何か。同じ意味と読みがちだが、「うしなわれ」たところと、(ここ)は
異空間なのかもしれない。つまり、括弧のないところは賢治の迷いの時空(鳥=死び
と)であり、括弧内は死びとが太陽に変換された賢治のほんとうの天上なのかもしれな
い。どっちがどっちと判別が困難なように意図したのだと思う。括弧のないほうには
「おれは」「おれは」「おれを」「おれが」と一人称が四回も出てくるのに対し、括弧
内では(修羅のなみだはつちにふる)というように客観的である。
ところでこの詩は五十三行で構成されている、空間と空間をつなぐ裂け目の空行もも
ちろん一行と数えて。(存在し、意味ある空行)全体を数えてみると括弧は5、6、
11、19、25、26、35、36、42、45、46、50の各行である。共通し
ているのは5と6がつく行はどれも括弧でくくられている、否、15行目と16行目に
は括弧がない。永遠の自由(50)はあっても、自由な永遠・自由な無というものはな
いのかもしれない。5は"ferever"永遠を暗示し、6は無、無限を暗示しているのでは
ないかと思う。11は自由な宇宙、19は自由な空(クウ)42は"fortytwo"から
"fortune"運命。(運を天にまかす、というから?)
賢治は規則性というのもを外している。より自然に近くという構図を考えたとき、冗
談とも受け止められる三つの数字をも括弧のなかに引き入れたのだと思う。
「春と修羅」は詩作品のページそのものを絵として眺めた場合の詩(実体)と余白(空
間)との二重性、詩作品の中の括弧内(客観)外(主観)という二重性、詩作品の意味
の二重性、まさに三つ(太陽)の二重性、二重の風景である。
なお、五十三行の意味は「永遠に自由な太陽」という暗示だと思う。そして日付の
1922、4、8. というのは、嘘の空白、二重に死は、と読めてしまう。
<終わりに>
「春と修羅」というのは凄い詩である。二重の思考によって存在と非存在をぶつけて無
に帰してしまうようなエネルギシュな考察に「到底詩ではありません」なんて謙虚なこ
とを言うもんだからみんな騙されてしまう。わたしも長いこと「春と修羅」には触れる
まいとすら思ってきた。なぜなら詩的センスなんてものがわたしにあるわけがないか
ら、ここは詩人の分野と信じて疑わなかったのである。ところがひょんなことから、そ
うデクノボーは地球だと確信したとき何故か詩集が手放せなくなってしまった。土偶
(デクノボー)は土耳古玉製、どろんこだま製か、などとどんどん考えていくうちに賢
治は「死」というものから「見えるもの」と「見えないもの」を「言葉」という道具で
実験をしているのだということに気づいた。認識作用というものが観念という束縛によ
っていかに堅固であるかという、いわば心理実験なのだがその内容は人に説明しては意
味がない。語らずして、いつか風のいたずらで扉の鍵が外れる日もあると思ったのかも
しれない。
聖書において主は「始めに光りあれ」といい、キリストは「光りの証のためにきた」と
いう。法華経・序品第一では「眉間 白豪毛大光普照」とある。そして賢治は「ひとつ
の青い照明です」と書く。
こうではないか、ああではないかと考え、修正を余儀なくされながら作品世界へ入ろ
うとする。一つの言葉をどこまでも突き詰めて考えると、現実と仮象が錯綜し、混沌の
深みに沈んでしまう。しかしそれでも読み続けていくとある日、ランダムドットの小さ
な閃きがある連鎖をもって語りかけてくる。そういう集積が賢治の扉を開けたのであ
る。多面的に光りを放つ賢治の作品はこれからまだまだ多くの感動と本当の学びの道場
として人々の心を動かし続けていくに違いないと思う。 '98.8.28
参考:ちくま文庫版より
='98.12.15.ホームページに記載=