『鎮魂歌』 〜God bless TOWERS ! 〜
1999年11月9日、とあるレンタルビデオ店貸し出し業務終了。しばらく返却のみ受け付け期間を設け、18日には完全閉店。レンタルビデオ店が一件、この世からなくなる。
装飾を片付け終えた殺風景な店内にはむき出しの棚が並んでいる。ほんの数日前まで棚のスペースが許す限界まで並べられていたビデオソフトはもうない。それ以外では、カウンターとモニターと、いくつかの備品と返却待ち空ケースだけが残る閑散とした店に僕は座っている。いずれ取り外され壊され、産業廃棄物として投棄されるのではあるが、大量のソフトで軋んでいた陳列棚はその役割を終え、つかの間の平穏に立ち尽くしている。何も並んでいない棚は、とても無防備で所在なげにうつる。当然あるべき物の欠落、その非日常性が不安定さを助長する。
のべ数百数千、数万時間に及ぶ磁気情報を抱え続けてきた棚。物理的重量と共に、内容的重量をも支えていた。今さらだけど、実はそれは凄い事だったように思える。だがもうその膨大な重荷はどこかへと運び出されてしまった。責務をまっとうしたのだ。今あるのはくたびれ埃をかぶった無機質な骨組み。肉を削がれた骨格の列、2時間前後の記憶と記録、想像と表現が込められた肉の組織一本一本は、もうない。埋葬前の遺骨。箸はどこだ?
僕にとって店はある時以来、家になった。いつも店が行動範囲の中心にあり、そこから同心円的広がりで移動をしていた。どこか別の場所に行っても必ず帰ってきた。どこか行く前は必ずそこを始点として離れていった。常に経由するターミナル。家。無理矢理たとえるなら東京に出てくる多くの地方出身者がいざというとき帰ればよいと考える実家に似た感覚で、そこを家のように感じてた。まずビデオ屋に帰る、いつでも帰れる。そこに行けば誰かいる、なんとかなる。年中無休、毎日在るゼロ地点。ずっとそんな気がしていた。
永久に続くはずない、いつかこうなる、覚悟はできていた、現実は厳しい、不況のあおり、考えが甘過ぎる、安易に流される、努力が足りない、態度が悪い、危機感が足りない、競合に負けた、経費節減、方位が悪い…
突然消えてなくなるのは幻想の証し。変化、悪化は、いつも突然訪れる。現実的行動力と実際的想像力に多少問題を持つ僕は、うまい具合に対応しきれていない。強がり言いつつ感傷に浸り、クールな素振りに努めながらも内心の動揺を隠すのに必死。そんな自分を自覚しつつ、次の一手を考えている。どうする。大丈夫なのか。今までと違い、今回は始点が…ない。ゼロからではなく、ゼロがなくなった後のスタートなんて初めてだけれど、まあなんとかなるだろう。
でもその前に、或いは最後にこれだけ…
「God bless TOWERS !」
というわけで、ひとつの時期が終わりました。僕が長らく働いていたレンタルビデオ店が、閉店しました。たかがひとつ店がたたまれたり、仕事がなくなる事なんて、実際日常茶飯事だと思います。世の中にはもっと大変な事、不幸で悲惨な出来事がいくらでもあります。こんな感傷的で陳腐な文を書く程の事ではないし、興味のない方は無視されるのが得策かと思われます。これはあくまでも僕個人のレベルで特別な位置を占めているだけの話であり、ま、管理人の近況報告ととっていただけると幸いです。
ただ、いくつか精算せねばならない事もあります。実はここからが本題。前置き長いのは僕の傾向。
今できる最初の一歩。処理をつけます。このサイトはそもそも『レンタルビデオ屋店員』という肩書きを明記して始めました。そして今現在、僕はレンタルビデオ屋の店員ではありません。だからこのままの形で続けるのは無理があり、自分としても不本意です。よって今後ここは、何考えてるのかはっきりしない奴、前置きが長いだけで内容が伴わない奴「鉄男」の個人サイトとして展開する予定です。コンテンツも一新する可能性ありです。タイトルも変わるかも。ただ今後の身の振り方が決まっていない現在、それがどのような形になるかまだはっきりと明言できませんが、その点は御了承下さい。そして、最後になりましたが、恐れ多くもこのサイトをリンクして下さっている親愛なる偉大なる敬愛する方々には大変御迷惑をおかけします。後日詳細決まり次第連絡いたします。
99.11.14 鉄男
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