「SURF INTERVIEW」第3回目は、学生時代にTBSでアルバイトをし、松宮さんとスキーの実況を一緒にした貴重な経験を持つ元FM富士アナウンサー・村上俊也さんです。

「松宮さんつながりで、日芸で会いませんか?」ということで、東京・江古田にある日本大学芸術学部にて、インタビューしました〜。

【インタビュー・2002.12.11 M.Kakehara(管理人)】


◆村上俊也氏プロフィール◆
1969年1月11日、岩手県生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。1991年4月、エフエム富士にアナウンサーとして入社。1996年からはフリーアナウンサー、スポーツライター(日刊スポーツ、週刊ベースボールなど)として活動。趣味はスポーツ観戦、旅行、釣り、食べること。血液型はO型。

---- 今回の「SURF INTERVIEW」、松宮さんの大学の後輩でもあり、TBSでアルバイトもしていて、アナウンサーとしての後輩である村上俊也さんを、お二方の出身校・ここ日芸(日本大学芸術学部)のなんと”学食”にお迎えしましてお送りしようという企画であります。場所のセッティングは村上君がしてくれたんですけども(笑)。しかも、今日は松宮さんの誕生日でもあり・・・。

村上(以下、村)「49回目、ハンパですけど(笑)」

---- おとといは早くも雪が降りまして、ね。

村「雪だるまも学食の入口の前にあったりしますが。松宮さんもこの雪を喜んでいるんじゃないでしょうかねえ・・・」

---- 久々に来て、懐かしかったりしますか?

村「しますよー。前、僕がいるころは、あの2階の部分にファーストフード屋があったんですが、今はつぶれちゃったみたいですねえ(笑)」

---- その後、体の具合も順調に回復ということで、何よりです・・・。

村「遅くなりましてすみません。おかげ様で何とか。」

---- ちょっと太りました?昔のイメージと違うような(笑)

村「最近病気をしたせいもあって走っていないのもあるんですが。でも昔に比べると太りましたかね。実は、こういうのがあるんですけど」

といって村上氏が取り出したのは、マップル山梨・1995年版。その中に、FM富士アナとして取材を受けた時の写真が。

---- あ、まさに僕にはこんなイメージだったんですけど!

村「これでも(大学時代より)太ってたんですがね〜(笑)」

”飯食べに行くぞー!”

---- ところで、村上君は大学時代にTBSラジオでアルバイトをしてまして。

村「担当してたのは風見律子の番組と『杉山清貴のロッテリアサウンドウェーブ』などのADです。」

---- 懐かしい番組(笑)。「サーフ」のことで何か覚えていることってありますか?

村「直接はやってないのでそれほど詳しくはないんですが、でもラジオ制作としては同じですからね。それこそ、遅くまで仕事してると「サーフ」の生放送の時間だったりするわけですよ。で、ちょっと覗いたり。」

---- 村上君からもらった年賀状に「サーフ」のステッカーが何気に貼ってあったりしたこともありましたよ。

村「番組のコーヒーのポットなんかにも貼ってありましたけれど。それから、”飯食べに行くぞー!”って松宮さんを先頭に大名行列、松宮さんの場合は大名の松宮さんが先頭にいる訳ですが(笑)ぞろぞろとをスタッフが行く時に、どさくさにくっついて行ったり。あの頃はバブルでしたからねえ、誰がいても気にしない(笑)。」

---- いやあ、いい時代だ!

村「あと、ディレクターの東さんが、放送回数、1回間違えたのがあったり。」

---- どおりでサーフのデータを集めて年表作っていると、どこかでつじつま合わなくなってくるんですよ。しばらく間違えたままだったんですかね?松宮さんと当時お話はしましたか?

村「いやいや、恐れ多くて。同じ番組やってなかったせいで密にとはいかないんですがね。でも、お互い”いる”ことには気づいていたんだと思うんですよ。」

---- その後、村上君は晴れてFM富士のアナウンサー、と、松宮さんと同じアナウンサーの道を歩むわけです。

村「その時も「サーフ」には大変お世話になりました。」

アナウンサーの苦労?!

---- ・・・というのは?

村「当時、FM富士って開局間もなくて、レコード会社のプロモーターがほとんど来なかったりしたんですよ(笑)。新譜もなければ、アーティストの情報もない。そんな時、「サーフ」で松宮さんが伝える情報をノートにメモして活用してたんです(涙)。」

と取り出したノートがこれ。ヤクルトファンだというのがすぐにお分かりになると思います(笑)。実に克明にびっしり書かれていて、しかもすごい量!大変貴重な資料です。当然、当HPの資料用にお借りしました!

---- 放送聴きながらメモってたんですか?

村「生で聴ける時はそうしてましたけれど、帰りも遅かったですから、疲れてる時は録音しておいて後日、という感じでしたね。もっとも、放送に使う時はちゃんとウラは取りましたが!(笑)」

---- あはは!(笑)

村「やってた番組では、できるだけナマの情報をより多く入れるようにしたし、最後の曲を紹介する時は”ラストナンバー”じゃなくて”クロージングナンバー”とこだわりました。」

---- よかったですねえ、さすが松宮さんの後輩!そして、フリーになってから、なんと松宮さんと一緒に仕事をされた、と・・・。

松宮さんと一緒に実況!

村「1998年の長野パラリンピックなんですけど、アルペンスキーの実況をやりました。3月8日からの8日間。頭4日が松宮さんで後半が僕、という感じだったんです。ダウンヒルは松宮さん、ジャイアントスラロームは僕がやりました。NHKでもたまに振り返ってますが、公式映像に声入ってます。」

---- 雪国育ちの村上君ですから、スキーの実況はお手のものだったんじゃないですか?

村「ところがスキーは初めてで(笑)、野球はやってたんですけどね。とにかくしゃべることがたくさんあるんです。スタートをまず伝えて、次に大事なのがゴール。観客席近くにブースがあって、当然見えないところの状況も伝えなくちゃいけない。4つあるテレビのモニタ見て、コンピュータ見て、とんでもないものを引き受けてしまったな、と。とにかく見よう見まねで、こういうポイントでこういうこと言ってるとメモして。もう松宮さんだけが頼りでしたよ!マンツーマンで教わりました。」

---- 松宮さんはどんな感じでしたか?

村「日大のスキー部出身で、自らスキーが1番早いアナウンサーを自称しているだけありましたから、自らコースを滑って、どこにどういうものがあるかをちゃんとチェックしてたんです。スタッフは近くの宿に泊まってたんですが、松宮さんは知り合いの宿に泊まるということで、スキー場のリフトを乗り継いで帰り、で、また朝来る(笑)という感じでしたねえ。」

---- 「それじゃ!」ってサーって滑って帰る・・・

村「そうそう」

---- いやあ、いかにも松宮さんらしい!

村「実況の合間には、鼻にシュッシュッと鼻炎スプレー点けてました。さすがにアロハは着てませんでした!(笑)」

---- 蓄膿症で入院・手術したこともありましたからね。そう言えば、98年って亡くなる前年でしたね。

村「某君から聞きましたけれど、『あの日はしんみりしてた』そうですよ、TBSの中は。重い空気で・・・。」

---- さて、最後に今後の村上君についてですが。

村「ラジオをこれまで中心にやってきましたが、イベント、司会、スポーツライターなど、楽しませることをこれからもやっていきたいですねえ。不景気で大変ですけれど(笑)。
あとですね、探してましたら古い懐かしい資料が出てきまして今日それを持ってきました。TBSの技術の工作室を移動して、4階のアナウンス部の隣に営業が移って来て制作にプレッシャーをかける(笑)という時の引越しの時にもらったものなんですが・・・」


という妙に若い松宮さんが載っている番組表や、TBS RADIO2(2と書いてCLUBと読ませる)ころのリリースなども見せていただきましたので、差し障り無い程度に(笑)載せさせていただきます。

              

「新番組ピックアップ」を覗いてみると、「サーフ」の記述がありました。
「・・・AM0:00からは、世界で1番早いMUSIC PROGRAM「SURF&SNOW」。今年で5年、現在のロックブームの仕掛け人的な番組だが、今もトンがった放送を続けています。」 ”トンがった”ってすごい表現ですが・・・。(^^;;

---- というわけで、村上俊也さんでした。どうもありがとうございました!

村「ありがとうございました!」

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