Take That Biography
this photo from my Spanish friend Marta
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1990年...Jason と Howard がいた Break Dance Crews、”Street Beat”と、 Gary と Mark がいた”The Cutest Rush”とが互いに地元タレントスカウトのNigel Martin Smithによって紹介される。 JasonはNigelをすでに知っていた。そして、Nigelはこの時に、完璧なティーンのBandをつくることを構想していて、彼は5人目のメンバーが必要だと考えた。そこで、オーディションの結果、Robbieが選ばれた。この時、後にThe Beatles や Led Zhepelinを超えた90年代を代表するブリティッシュバンドTake That(誉めすぎ!)は生れた。Take Thatはこの年の9月にNigelをManagerとして契約する。しかし、不運なことに彼らにはメジャーなレコード会社がつかなかった。
1991年...TV Show や 英国のクラブを回ってプロモーション活動をするものの、レコード会社はつかなかった。そこで、Manager Nigelは彼らのデビューSingleを自費でリリースすることを決心し、この年の7月にNigelのレコードラベル”Dance UK”がついたSingle,”Do What U Like”をリリースし、UK チャートで最高82位になり、この時にImage Videoも作り、このVideoにおいて彼らはNudeになる。このSingleリリースの後に、多くのレコード会社はTake Thatに注目し、彼らを欲しがった。Take Thatはこの時 RCA record と契約し、11月にリリースされた”Promise”は38位になる。
1992年...1月、Hardな日程で、England tourを始動し、初アルバム”Take That and Party”は2位になる。そして、3番目のSingle,”Once You’ve Tasted Love”はUK chart 47位だった。しかし、4番目のSingle、”It Only Takes A Minute” は 7位となり、初めてUKチャートTop10にランク インし、この曲で彼らの生活は変わった。TVの出演が多くなり、Pressにも書かれるようになった。8月、5番目のSingle”I Found A Heaven”をリリース。この曲は15位にとどいた。この時、レコード ショップを回るプロモーションtourが計画されたが、安全性の問題で中止となる。しかし、このニュースがまた彼らを有名にした。10月には”A Million Love Songs”が7位となり、この曲をひっさげてUK tourを始める。この時のticketは即完売した。12月に、video、”Take That And Party”がリリースされ、UKチャートビデオ部門1位となり、クリスマス ソングとして、7番目のSingle,”Could It Be Magic”がリリースされ、3位に輝いた。この年、7つのSmash Hits Awards と 8つのTV Hits Awards を獲得する。
1993年...1月、Take Thatは 英国でもっとも権威のある 英国版グラミー賞とまで呼ばれるBritish Awardsに2部門でノミネートされ、”Could It Be Magic”でベスト シングル賞を獲得する。 そして、2月には8番目のSingle、”Why Can’t I Wake Up With You”がリリースされ、このSingleは2位になり、3月にはプロモーションで、初めて来日、また アメリカにも訪れ、Single ”It Only Takes A Minutes” と Album”Take That And Party” を アメリカでリリースする。 9番目のSingle”Pray”はこの年の7月にリリースされ、このSingleは初めて全英Single Chart1位となった。その後、9月にコンサートで来日する。 LuluとデュエットしたSingle”Relight My Fire”もまた 全英チャートNo1に輝き、Video”Take That−The Party Live At Wembley”は1位になる。また、Album”Everything Changes”は1位になり、Single”Babe”もまた1位となる。
1994年...2月、British Awardsでビートルズ メロディーを好演し、この時に2つのBritish Awards(Best Single と Best Video)を獲得する。このあたりで、初めてヨーロッパ ツァーを敢行し、3月に12番目のSingle、”Everything Changes”をリリース。もちろん、このSingleは1位を記録。そして、Garyは 二つのIvor Novello Awards(Best Song Writer Of The Year と Best Contemporary Song)を”Pray”でGetした。13番目のSingle、”Love Ain’t Here Anymore”は6月に3位に、Video”Every Thing Changes”は1位になる。そして、8月にはMTVを1日占拠した”Take That Day”が行われた。さらに、UK Tour 中にSingle”Sure”をリリース、1位となる。12月にはPrincess Dianaのチャリティー コンサートでトリをつとめた。それから、この年のSmash Hits Awards 9つ全てを獲得する。
1995年... British Awards で初めてNew Single”Back For Good”を演奏する。この曲はこの時注目を受け、翌年の涙のBritish AwardsでBest Single賞をGetする。3月にヨーロッパ ツァーがまた始り、4月にSingle”Back For Good”がリリース。このSingleは4週間1位に輝き、Billboardではこの年の後期に最高7位までいく。また、Album”Nobody Else”をリリース、もちろん1位となる。7月、酔ったRobbieがOASISのStageに乱入し、ラジオのインタビューでその素行の責任を取ってTake Thatからの離脱を表明する。このころGaryとRobbieの不仲説が流れる。そして、Gary、Mark、Howard,Jasonは4人でTake Thatを続けることを決める。そして、4人となって初のSingle”Never Forget”をリリースし、1位となる。また、Robbieなしで、Nobody Else Tourは 始った。(日本には10月にそのコンサートのため来日。)5番目のVideo”Home Town”は1位に輝き、残ったメンバー4人は9月1日に今後のミーティングをする。一方、Robbieが急にTake Thatを離脱したのは契約違反だとして、Robbieは訴えられる。アメリカでもプロモーションを行い、12月にSmash Awardsで公演、またすべてのSmash Awardsを取る。
1996年...彼らのラストSingle”How Deep Is Your Love”をリリースし、1位となる。そして...British Awardsの1週間前にThe SunはTake That 解散を一面にした。Take Thatは British Awards で 発表しようと思っていたらしく、黙秘を続け、レコード会社はそのうわさを否定したが、報道が増すにつれてそれも出来なくなり、2月13日に突如マンチェスターで記者会見が開かれ、Garyはそのうわさは事実であると認め、Take Thatの解散は発表された。この年のBritish Awards ではラスト Single”How Deep Is Your Love”を公演し、”Back For Good”でBest Single賞を得た。3月には最後のAlbum And Video”Take That Greatest Hits”をリリースし、各国各地でプロモーション活動を行う。もちろん、これらは1位となったが、この年の4月4日の”The Ivo Niche Show”の公演を最後に彼らは解散し、Soloとしての活動を始めた...。
Back ground sound : Take That last song,"How Deep Is Your Love"