数字に見る許冠文映画人生(1)

 許冠文(マイケル・ホイ)の映画人生はどのようなものであったのか。まだ総括するには早すぎるが、少なくとも前半戦は終了したと見ていいだろう。彼の20世紀における映画人生を数字とともに振り返ってみたい。彼の出演作品は確認されているもので25本存在する。そのうち主演作と呼べるものは1974年製作の「Mr.Boo! ギャンブル大将」以降のもので、ほとんどの作品で出演以外にも製作や脚本、監督としても参画している。まさに自作自演、といったスタイルで映画に関わってきたと言える。

【許冠文出演作品リスト】
No. 公開年 邦題(カッコ内は日本未公開作品) 年間総合順位 興行収入(HKドル) 上映日数
1 1972 (大軍閥) 3 3,464,725 21
2 1973 (一樂也) 6 3,015,595 21
3 1974 (聲色犬馬) 9 2,105,823 14
4 1974 (醜聞) 30 1,233,117 1
5 1974 Mr.Boo! ギャンブル大将 1 6,251,634 29
6 1975 (天才與白痴) 2 4,553,663 22
7 1976 Mr.Boo! ミスター・ブー 1 8,531,700 30
8 1977 (發錢寒) 5 5,056,560 21
9 1978 Mr.Boo! インベーダー作戦 1 7,823,020 21
10 1981 新Mr.Boo! アヒルの警備保障 1 17,769,048 37
11 1981 キャノンボール 8 5,465,241 41
12 1984 新Mr.Boo! 鉄板焼 9 19,516,674 28
13 1985 帰ってきたMr.Boo! ニッポン勇み足 8 17,089,402 19
14 1986 香港チョココップ 5 22,485,500 21
15 1986 新Mr.Boo! お熱いのがお好き 17 13,707,075 20
16 1988 ホンコン・フライド・ムービー 4 29,378,769 42
17 1989 ミスター・ココナッツ 3 31,246,447 14
18 1990 フロント・ページ 4 26,348,460 40
19 1991 (豪門夜宴) 15 21,921,687 32
20 1992 (神算) 7 36,399,307 27
21 1993 (丐世英雄) 21 16,808,816 21
22 1993 いつも心の中に 18 18,739,620 28
23 1995 (富貴人間) 51 7,622,045 26
24 1997 チャイニーズ・ボックス 131 1,117,695 28
25 2000 (創業玩家)

 興行収入と年間総合順位(現地映画と外国映画の香港市場における年間興行収入順位)をグラフにしてみた。興行収入は鑑賞料金の推移があるため、単純に比較することはできないが、順位とともに並べることで相対的な位置は推測できるだろう。ここに見られる傾向から、彼の映画人生は5つに区分される。

 1)映画参入期 (1974年以前)
 2)第一次黄金期 (1974〜1981年)
 3)低迷期 (1982〜1987年)
 4)第二次黄金期 (1988〜1993年)
 5)円熟期 (1994年以降)


【許冠文出演作品の興行収入と年間総合順位の推移】

1)映画参入期(1974年以前)

 この時期の出演作品は4本。いずれも他の監督の作品に俳優として出演する形になっている。僕はいずれも未見であるから断言することは出来ないが、彼が出演していることが目玉の作品ではないであろうと思われる。既にテレビタレントとして有名になっていた許冠文だが、映画界では依然新人である。つまりこの時期は映画に出演することにより、人脈を広げ、映画製作のノウハウを吸収していた時期と言える。しかしながら出演作品は上位にランクされており、比較的順調なスタートであったと言えるだろう。

2)第一次黄金期(1974〜1981年)

 初めて年間興行収入総合1位を記録した「Mr.Boo! ギャンブル大将」から1981年の「新Mr.Boo! アヒルの警備保障」までの作品群がその時期に当たる。満を持して自作自演した「ギャンブル」で確固たる地位を築くと、その後は立て続けにヒットメーカーとして驀進し、「Mr.Boo! ミスター・ブー」、「Mr.Boo! インベーダー作戦」、「新Mr.Boo! アヒルの警備保障」と総合1位の座を独占し続けている。特に「アヒル」では歴代興行収入記録を更新するなど、まさに絶頂期であったと言える。そして同作品でマイケルは「第1回香港映画金像賞」の最優秀主演男優賞を受賞しており、名実ともに香港映画界のトップに登りつめた。また日本で爆発的なブームを巻き起こし、「キャノンボール」にゲスト出演して国際的に売り出そう、という戦略が展開されたのもこの時期だ。

【「Mr.Boo! ミスター・ブー」を100とした時の推定観客動員数比率】

3)低迷期(1982〜1987年)

 しかしその後の許冠文の作品は従来のような勢いを失ったかのように見える。相変わらず自作自演を貫き独自の作品を世に出してはいるが、順位的には1位を獲得する力は失ってしまっている。当時は成龍(ジャッキー・チェン)らのアクション・コメディが隆盛を誇っており、許冠文のようなショート・ギャグの積み重ねで作品を構成するスタイルはウケなくなって来たのかも知れない。また同ジャンルの作品が多数出ることにより競争が激しくなったこともあるだろう。いずれにしてもこの時期の作品は、ややテンポが遅いような印象を受ける。許冠文自身も自覚していただろうと思われる。様々な新しい共演者を迎えていることもその証左だ(葉倩文、葉徳嫻、梅艶芳、鍾楚紅などの女優陣が特に顕著だ)。

4)第二次黄金期(1988〜1993年)

 こうした低迷期を脱したのが1988年製作の「ホンコン・フライド・ムービー」だ。この作品では前作の倍以上の興行収入を叩き出している。アクの強いしつこいギャグは影をひそめ、ストーリー重視のスタイルに脱皮しているのだ。もちろん随所に笑いは散りばめられてはいるのだが、それはストーリー進行の必然として組み込まれている。しかし全く新しいスタイルというわけでもないだろう。70年代の自身のスタイルを更に進化させた、と言ったほうが正確かも知れない。それはどのようにして可能となったのか。実は彼はこの作品以降、役者に専念しているのだ。ここで出会った監督とは高志森(クリフトン・コウ)だ。この才能溢れる若手監督との共同作業により、許冠文は息を吹き返す。そして「ミスター・ココナッツ」で完全復活を果たし、自己最高の興行収入を記録する。作品としての質の高さに加え、タイムリーな話題(中国返還前の香港がテーマ)を扱ったことも、この作品の成功をもたらした一因だろう。また総合順位では第3位という高位置を占めることになった(1位は周潤發主演の「賭神」、2位は成龍主演の「奇蹟」)。以降、「いつも心の中に」まで、一定のレベルを維持しながら俳優として映画に関わっていくことになる。

【許冠文出演作品推定観客動員数上位10作品】

5)円熟期(1994年以降)

 近年の許冠文は出演作が極めて不定期になる。自身のHPで語っているように悠悠自適の半引退生活を送っているようだ。そして最新作である「創業玩家(未)」で再び高志森とコンビを組み、大陸ものに取り組んでいるが、非常に肩の力を抜いた印象を受ける。また大御所としての地位を得て(香港芸能人協会終身名誉会長)、苦しい映画の世界から足を洗ったかのようにも思える。しかし、まだまだ彼の映画人生は終わっていない。彼自身語っているように、「いい脚本があればまた出演したい」のだから。彼を再びスクリーンに引き戻すのは、君の脚本かも知れない。

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