僕の名前は矢部淳平。救命で働き始めて結構経つ。

一緒に研修医としてがんばってきた太田川と俺の、念願だった後輩が出来たもののその後輩が問題で・・・。

(こずえ)「疲れた。」

医局には医師が全員揃っていたがこずえさんのつぶやきに顔を上げたのは、薬師寺先生だけだった。

雨宮こずえさんは研修医、とは言ってもこの間入ったばかりなので身分的には俺や太田川よりも下っ端なはずだけど、その態度は医局長代理である神林先生より大きい。
指導医の進藤先生にも平気で自分の意見を言って、ついでに嫌味を言っていることまである。

俺が今問題に思っているのはこのこずえさんの『疲れた』発言。
以前は進藤先生が「疲れているのはお前だけじゃない、口に出すな」と言ったが、「疲れたから、『疲れた』って言って何が悪いのよ?言論統制だわ、人権侵害よ!それに、恋人である拓海や親でさえ私のことを『おまえ』って言わないのに、何の権利があって『おまえ』って言うの?いったいどんな教育受けて育ったのよ。」と、二倍どころか三倍にして返されるので、今では何も言わない。

(拓海)「今日は?」

(こずえ)「ゼリー食べたい、マスカットの。」

こずえさんの言葉に、薬師寺先生は苦笑しながら立ち上がり、医局を出て行ってしまった。おそらくいつもどうり食堂に行ったのだろう。こずえさんのお父さんである雨宮秀一さんは、こずさんのためにゼリーはもちろんのことムース類やケーキ、プリン等ありとあらゆるものを食堂の冷蔵庫の一角を借りておいて置く。それをこずえさんがお昼の時などに持ってきて、みんなで食べる。食べなかったものは、食堂と清掃のオバサン達の胃袋に収まっている。そして夕方にはまた補充されている。

夜こずえさんの「疲れた」が出ると、こずえさんのリクエストに沿って薬師寺先生が持って来る。こういったやりとりはいつものことだし、誰ももう気にしていないってわかっている、でも・・・・。

(矢部)「こずえさん、いい加減にしたらどうなんですか?」

立ち上がりかけていたこずえさんは、俺の言葉に怪訝な顔をして俺を見た。

(矢部)「その・・・薬師寺先生は、こずえさんの恋人でも、ここでは一人の医者なんです。こずえさんの先輩の。それなのに、あんなふうにパシリみたいに使うなんて、そんなのやっぱりいけないことだと思うんです。」

こずえさんの「疲れた」は、「何か甘いものが食べたい」という意味だ。でも、夜こずえさんは自分でそれを取りには行かない。いつの間にか、当然のように薬師寺先生が取りに行くようになった。

(こずえ)「君に関係ないでしょう、君に頼んでいるわけじゃないんだから。」

(太田川)「でもこずえさん、やっぱり先輩医師なんですから・・・」

やはり俺と同じく気になっていたらしく、太田川が加勢してくれた。

(こずえ)「それはそれ、これはこれよ。自分より先に医者になっていたら、使っちゃいけないわけ?」

普通はそうでしょう!

(こずえ)「なんでよ、どこにもそんな決まりないじゃない。それに、拓海に文句言われるならともかくとして、あんた達にとやかく言われる筋合いないわ。」

だけど・・・

(馬場)「いい加減にしろよ、矢部。」

(進藤)「そうだ、嫌なら薬師寺先生が『イヤだ』と言えばいいだけの問題だ。」

(矢部)「こずえさんに弱い薬師寺先生が、そんなこと言えるわけ無いじゃないですか!僕、この頃ずっとこずえさんが薬師寺先生をこうやって使う日数を記録つけていたんです。一ヶ月のうち三、四回はやっているんですよ。薬師寺先生の優しさをそんな風に利用するなんて、酷いです。」

(太田川)「そうです。こずえさん、薬師寺先生のこと本当に好きなんでしょう?どうしてそんなわがままばっかり言って困らせることができるんですか?」

(香坂)「やめなさいよ、二人とも。」

(こずえ)「ウルサイ!あんた達に関係ない!!先に医者になっていたら敬えだぁ?なに、あんた達私に敬って欲しいわけ?その資格があるとでも??」

俺と太田川は黙った。俺達より後で医者になったとはいえ、元々のセンスと第一外科で「天才」と謳われる江木先生の特訓を受けた秘蔵っ子であるこずえさんの手術の腕は、俺達より上だ。

(こずえ)「私に敬って欲しかったら、まず手術の腕を磨きなさいよ。」

(拓海)「おい、何の騒ぎだ?こずえ。資料室でいくら待っていても来ないから、心配したぞ。」

ゼリーが入った袋を片手に薬師寺先生がやってきた。

(こずえ)「今行くわ。」

こずえさんと、状況がわからないので疑問符を顔に貼り付けたままの薬師寺先生は、出て行った。

 

そして数日後、俺と太田川が屋上でおにぎりを食べていると、薬師寺先生が少し困ったような顔をしてやってきた。

(拓海)「二人の気持は嬉しいけど、こずえに余計な事を言わないでいいよ。」

(矢部)「余計なこと?」

(拓海)「こずえに文句言ったんだって、この間。その件に関して、俺は気にしてないから。」

(太田川)「だって・・・!」

(拓海)「俺がいいって言ってるんだから、この件はいいんだよ。とにかく、いいね。」

俺達に釘を刺すと、薬師寺先生は行ってしまった。

(矢部)「俺、薬師寺先生を見損なったよ。そんなに彼女の顔色伺って楽しいのかな。」

(太田川)「惚れた弱みとは言え、なんでそんなに・・・どうしてあんなにしてまで付き合っているんだろう。」

(馬場)「矢部、太田川。お前達本当に気づいてないのか?」

医局で愚痴っていると、馬場先生に呆れたように声をかけられた。

(矢部・太田川)「へ?」

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