(こずえ)「このたびは、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。お詫びに行かなければと思っていたんですけど、病院に出向くわけにはいかず・・・」

(薬師寺)「いやいや、頭を上げてください。いいんですよ、そんなことは。元はといえば、拓海が原因らしいじゃないですか。」

サトウという偽名を使ってこずえにコンタクトを取ってきたのは、薬師寺院長だった。偽名を使った理由は、珍しい名前なので正体がばれて、こずえと直接話をさせてもらえなくなるかもしれない、と思ったからだそうだ。

(薬師寺)「さ、そう硬くならずに。ココのランチは美味いんですよ。」

今、こずえと薬師寺は院長の顔が利く小料理屋の個室で向かい合って話をしている。ランチといえども本格懐石料理を二人は食べ始めた。

(薬師寺)「この年になると、どうも洋食は口に合わなくて。それに、こういう料理なら少しずつなので、私のようなトシのものでも食べ切れますしね。」

(こずえ)「そんな、院長はまだまだお若いですわ。」

二人は、当たり障りの無い話をしながら箸を進めているが、こずえは院長が自分をわざわざ呼び出した理由がわからず内心戸惑っていた。これが、院長夫人のほうだったら、拓海に近づかないように警告しに来たと思えるのだが、院長はそういうタイプではない。

(薬師寺)「先生、隠さずに教えていただけますかな?」

食事が終わり、デザートもほぼ食べ終えたところで院長が改まってこずえに切り出した。

(こずえ)「何を、でしょうか?」

(薬師寺)「ウチの息子を・・・拓海を、どう思っているかです。」

こずえは黙って院長を見た。

(薬師寺)「先生、私は薬師寺病院の院長です。ですが、同時に拓海の父親です。拓海は、先生が現れてから変わりました。お恥ずかしい話ですが、先生と会う前は家にろくに帰ってこないで女性の家を泊まり歩き、どこか何もかも投げやりな生き方をしていました。ですが、今は違う。家にも帰ってきて、逃げずに私と向き合うようになった。私は、全て先生のおかげだと思っています。」

(こずえ)「そんなことは・・・」

(薬師寺)「先生、先生が拓海のことをなんとも思っていないんだとしたら、それはそれで仕方が無いことだと思っています。失恋することも、拓海にはいい経験でしょう。ですが、もし、万が一。拓海のことを少しでも気にかけてくださるなら、どうか一度前向きに考えてやってくれませんか。お願いします。」

頭を下げている薬師寺を、こずえは複雑な思いをかみ締めながら見ていた。

                   

(拓海)「はぁ・・・・」

(隆一)「幸せが逃げるぞ。」

拓海は不思議そうな顔をして兄を見た。

(隆一)「ため息をつくと、幸せが逃げるって言われているんだよ。」

(拓海)「俺の幸せは、とっくに逃げ出しているさ。」

(隆一)「医局に入ってきて、一体何回ため息をついたら気が済むんだ?俺が数えただけでも二十回以上になっているぞ。何があったんだ。」

拓海は隆一の言葉に答えたものかどうかと考えている。

(隆一)「雨宮先生に振られたか?」

(拓海)「な、なんでそのこと!?」

(隆一)「言わなくても、わかるさ。最近の様子を見ていればな。完全に振られたのか?」

(拓海)「何の苦労も無く、かわいい嫁さんを手に入れて幸せな結婚生活を送っている兄貴にはわからない悩みだよ。」

隆一は、拓海の言葉を聞いて表情を改めた。

(隆一)「本当に、そう思っているのか?」

(拓海)「え?」

(隆一)「俺が、彩と何の問題も無く結婚できたと思っているのか?彩が、すぐに俺との結婚を承知してくれたと?」

(拓海)「だって、彼女は最初から兄貴に好意を・・・・」

彩のことは、拓海もよく知っている。彩は最初、薬師寺病院に勤めていてそこで隆一と知り合って愛を育んだはずだ。

(隆一)「あぁ、そうだ。でも、彼女は両親を亡くして天涯孤独の身の上だ。俺との事は、身分違いだって思っていた。彼女がなんで他の病院に移ったと思っているんだ?」

そういえば、彩が薬師寺病院を辞めたのはかなり急な話だった。いつも穏やかな兄が、婦長に転職先を教えろと食ってかかったと、噂で聞いたこともある。

(隆一)「俺には、彩が必要だった。だから、彼女を追いかけた。諦められないなら、お前も追いかけたらどうだ。顧問弁護士じゃなくなったんだ、今度はただの男と女として向き合えるだろ。」

言いたいことだけ言うと、隆一はカルテを持って出て行ってしまった。

何かを決心した拓海は、傍に合った電話に手を伸ばした。


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