(たまき)「なんで私の指導医が、あの人なのよ。まじめそうだし、お兄さんの先生のほうがよかったのに。」

(拓海)「不満そうだね、俺が指導医じゃ物足りない?」

医局で一人不満を漏らしていたたまきは、突然拓海に話しかけられて驚いた。拓海は、ドアのところで苦笑いしている。

(たまき)「いいえ、別に・・・・」

(拓海)「変えてもらいたかったら、外科部長に頼んであげるよ。確かに、兄貴のほうが『まじめ』だって評判だしね。」

全部聞かれていたことに恥ずかしさを感じながら、たまきはうつむくことしかできずにいると、天の助けか拓海のデスク上の電話が鳴った。

(拓海)「はい。」

(こずえ)「拓海先生でしょうか?私、弁護士の雨宮です。」

思いがけず電話の相手がこずえだったので、拓海も思わず緊張した。

(拓海)「あぁ、そうだよ。」

(こずえ)「今、お電話大丈夫ですか?」

(拓海)「大丈夫、すっげえ暇だから。」

たまきが怪訝な顔をしてこちらを見ていることに気づき、拓海は慌ててメモ用紙に『回診に行ってこい』と書くと、たまきはいぶかしげな顔をしながらも出て行った。

(こずえ)「鬼山さんと連絡が取れて、今日のお昼だったら時間が取れるそうなんです。拓海先生のご都合はいかがでしょうか?あちらは刑事ですので、いつ現場に呼び出されるかわからないので出来ることなら、早く済ませておいたほうがいいかと思うのですけど。」

拓海は承知し、こずえが病院まで迎えに来てくれることになった。

 

こずえが選んだお店は、小ぢんまりとしながらも上品なたたずまいの小料理屋さんだった。しかし、「準備中」の札がかかっている。

トン、トン

こずえが引き戸を軽くノックすると、すぐに女将さんが顔をだした。

(女将)「まぁ、雨宮のお嬢様。お待ちしていました、さぁ、どうぞ。」

こずえと拓海はすぐに奥の座敷に案内され、お茶の支度をしながら女将さんが尋ねてきた。

(女将)「お連れ様がいらっしゃったらすぐに始めさせていただきますけど、本当にお酒無しでいいんですか?」

(こずえ)「集まる人間が、全員まだ仕事中ですので。今度、仕事ではなくプライベートで来たときにご自慢の日本酒コレクションを楽しませていただきますわ。」

こずえがにこやかに答えたとき、鬼山が入ってきた。

(鬼山)「今日は暑いなぁ〜、二十五度ぐらいいくんじゃないかぁ?」

(女将)「お料理、始めさせていただきます。それと何か冷たいものもお持ちしますね。」

(こずえ)「鬼山さんがこの中で一番涼しい格好をしているんですのよ。」

こずえの言うとおり、黒のタンクトップの上にアロハシャツの鬼山は、きちんとスーツを着ている拓海やこずえよりどう見ても涼しげだ。

(鬼山)「そりゃそうなんだけどさぁ、クーラーかけよう。」

(こずえ)「駄目。私が冷房病になったらどうする気ですか?」

それを合図にしたかのように、女将が冷たい飲み物と一緒にお料理を持ってきてくれて、食事の時間となった。

(鬼山)「じゃ、せっかくのご馳走だし料理食べながら始めようか。ところでさ、君は暑くないの?そんなネクタイまでしっかり締めて。楽にしたら?」

(拓海)「え?あ、イヤ俺は・・・・」

結局、拓海は鬼山に勧められるまま上着を脱ぎ、ネクタイを緩めて事情聴取を受けることになった。しかし、鬼山の事情聴取はどこで会ったのか、何度会ったのか、など本当に簡単なもので済んでしまい拓海はまじめに仕事をする気があるのだろうかと、心配になってしまった。

 

そして拓海の心配はよそに、鬼山は最上級の会席コースを平らげるとまた忙しそうに出て行ってしまった。

(女将)「お連れさん、あわただしく出て行ってしまいましたね。こずえちゃん、まだお時間あるの?」

(こずえ)「えぇ。」

答えながら、こずえは拓海のジャケットをハンガーから外し拓海の後ろに回り、後から着せ掛けてくれた。

(女将)「お客様は?」

(拓海)「俺も、特に急ぎの用事は無いので・・・・」

拓海が答えると、女将は敷地の花壇が見ごろなので、是非見ていって欲しいと勧めてきた。こずえが断るかと思ったが、案外あっさり頷いたので拓海とこずえは二人で花壇を見て回ることになった。

 

 

(拓海)「今回は、本当にありがとう。助かったよ。」

(こずえ)「気になさらないでください、顧問弁護士として当然の勤めです。鬼山さんと上司の方には話をつけてありますので、あの親子が起訴されたとしても、拓海先生が証人として呼び出されることはないはずです。」

花壇の花を見ながら、お礼を言った拓海にこずえはそっけなく答えた。

(こずえ)「たまきが、お世話になることになったそうですね。」

(拓海)「え?あぁ・・・・彼女は相当不満そうだったけどね。」

一人、医局で不満を漏らしていたたまきを思い出して、拓海は笑った。

(こずえ)「たまきは研究志望なのに、わざわざ他の病院にまで研修に行かせる制度があるなんて、驚きました。」

(拓海)「研究も大切だけど、顕微鏡とデータを見ているだけじゃ、人の命を扱っているって実感がなくなるからじゃないかな。それよりさ・・・・お礼に、今度夕飯でも奢らせてくれないかな?」

(こずえ)「先ほども言いましたが、私がしたことは当然の仕事です。どうぞお気になさらないでください。」

(拓海)「でも、それじゃ俺の気が」

ピーピーピー

自分のポケベルの音に、拓海は舌打ちした。

 

数日後、医局にて拓海とたまきの怒鳴り声が響いていた。

(たまき)「どうして駄目なんですか?通常、これだけ日にちが経てば次の段階に移っても大丈夫なはずです!」

(拓海)「確かに、普通だったらそうだろう。でも、彼の場合はもともと普通の人より体力が無いんだ。もっと慎重に、じっくり経過を見るべきだ。」

(たまき)「早く治療を終えて、職場に復帰することが彼の願いです!!」

(ナース1)「ねぇ、どうしたの?」

(ナース2)「502の石崎さんのことよ。手術してもう結構経つから、香坂先生としては早くリハビリを受けさせて退院させたいの。ご本人やご家族からも、そういう要望出ているし。でも、拓海先生はまだ経過をみるべきだって・・・・」

(ナース3)「でもすごいわよね、香坂先生。普通、指導医にあんなに自分の意見を言える研修医いないわよ。」

(ナース2)「いくら、港北医大で研修期間を終えてきていて、一人前の医者とはいえねぇ・・・・。」

拓海とたまきの言い争いを見ながら、ナース達はめったに見られない研修医と指導医の言い争いを興味津々の様子で見ていた。

 

(拓海)「悪い、遅くなって。」

(大久保)「遅いぞ、何やってたんだよ。」

拓海が焼肉店の席に着くなり、大久保からからかい気味の声があがった。

(手塚)「お前から誘ってきたのに、ずいぶんな扱いだよなぁ。」

(拓海)「悪かったって、ここは奢るから許してくれよ。」

(大久保)「みんなが揃ったところで、乾杯のやり直しとするか。」

乾杯のやり直しをすると、拓海はころあいを見て大久保と手塚に呼び出しをかけた本題を話すことにした。

(拓海)「なぁ、大久保。お前達雨宮さんのこと、覚えているか?」

拓海の言葉に、大久保は一瞬怪訝な顔をした。

(大久保)「雨宮さん・・・・あぁ!あの子か。」

大学生だったこずえを拓海がゲームで騙したのは、大久保や手塚と飲んでいる時にノリで決まったことだった。二人が出会うために設定された合コンで大久保は今の妻と知り合い、こずえの件の発覚で揉めたもののその後も交際が続き、めでたく二年前結婚していた。

(拓海)「彼女がさ、俺の病院の顧問弁護士として現れたんだ。」

(手塚)「で、まさか昔のことで何か言ってきたのか?」

(拓海)「いや、何も。完璧にビジネスライクで俺とも何事もなかったかのようにしゃべってくれるさ。完璧に『お客様』としてな。」

(大久保)「そうか。弁護士になったってのは、由美から聞いてたんだ。まさか、お前の病院の顧問弁護士になるとはな。」

(手塚)「いいチャンスじゃないか、お前は彼女のことをずっと忘れられずにいたんだ。」

(拓海)「うん、まぁな・・・で、大久保に頼みがあるんだ。彼女と、プライベートで会えるようなんとか奥さんに頼んでもらえないか?俺が誘っても、彼女はあくまでも『顧問弁護士とお客』って態度を崩そうとはしないんだ。」

(大久保)「由美に?そうだな・・・お前が本気だってこと、ちゃんと話してなんとか機会を作ってくれるよう頼んでみるよ。あの件は、いまだに影響力大きいよなぁ。由美も、夫婦喧嘩の時に持ち出して来るんだ。『あなたは、こんなことを思いつく人なんだから、私に対しても思いやりが無いのよね』って。」

大久保の嘆きに、拓海達は苦笑いしか浮かばなかった。

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