筝の祭典
沢井筝曲院15周年コンサートは、1995年2月18日
当時まだオープンしてまもない名古屋市のど真ん中
栄に建った「愛知芸術・コンサートホール」で行なわれました。
前日、リハーサル会場に現れた、忠夫先生と一恵先生。
お二人サングラスをかけられ「ウワァ〜〜っ!なんてカッコイイ!」
15周年の合奏曲は忠夫先生が、お嬢様のために作られた曲
「Kのための斗為巾」 100人位で大合奏でした。
丁寧にアドバイスをされる、先生。
又当日の午前中には有資格者「東海アンサンブル」の弾かれる
「連なる」のリハーサル風景を見ることが出来ました。
アドバイスを続ける先生の、お姿。演奏スタイル。。
今でも、脳裏にはっきりと焼き付いています。
私の生涯の財産です。。カッコ良過ぎる!!
第一部 13::00〜
忠夫先生、一恵先生、東京から石垣清美さんを団長とする沢井合奏団、
そして、東海アンサンブルのプロの演奏。
第二部 15:00〜19:30
各教室ごとの演奏と、全体の合奏曲の構成からなっており
終了は夜8時近く迄続きました。
ともこは始めて聴く沢井のプロの演奏に夢中で聞入り、、
二部の本番では、頭がガンガン痛かったのを覚えています。
その時は、確か「Kのための斗為巾」と「螺鈿」を演奏しました。
コンサート終了後の打ち上げは、ホールと少し離れたレストランで
9時から行なわれました。寒い冬の夜でした。
でもみんなやり切った満足感でワイワイガヤガヤと、夜の栄の真中を
大移動、レストランに向かった記憶があります。
そして会場での乾杯の音頭は、忠夫先生の次男で事務局の中心者学さん!
25歳で新婚さんと聞いていました。(間違ってたらごめんなさい。)
忠夫先生も一恵先生も嬉しそうでした。
そして参加したみんなも嬉しそうでした。
やり切った満足感と心地よい疲れ。ビールの美味しかったこと!
歓声と拍手の打ち上げ♪
教室のみんなと先生とのスナップ写真。。夢のような二日間でした♪
でもそれは、忠夫先生との最初で最後の出会いとなりました。
その頃の我が家は・・・3月10日に21年続いた喫茶店を閉店し
次の新しくオープンさせる、串揚げのお店の切り替え下準備に追われ
忙しい毎日をおくっていました。
長男の大学卒業を機に、転職と言う我が家にとっての一大企画でした。
珈琲会社時代から数えますと、マスターにとってコーヒー人生30年.
コーヒーが大好きで、こだわりを持ったマスターです。
頭の切り替えをして串揚げ修行に入りましたが、相当なプレッシャー、
葛藤不安などなど・・辛い日々でした。
私も、今迄は毎日お店に出すパンを手作りで焼きお店に立っていましたが、
グルメの店、マイナーな串揚げ専門店に戸惑いながら走り廻っていました。
4月24日にオープンしこぎつけましたが、折りからのバブル崩壊の
直撃、串揚げの知名度・・予想を遥かに上回る厳しい出足でした。
11月には、いつも蔭になり日向になってともこを支え助けてくれた母が
亡くなりました。母は一番の強い味方でした。辛く苦しい時代でした。
その頃の沢井筝曲院も・・
あんなに元気に乾杯の音頭を取っていた 学さんが3月に事故で突然の逝去。
そして、すぐに忠夫先生が倒れられたと伺いました。。。
忠夫先生は約10ヵ月くらいの闘病生活のあと、やっと復帰!!
みなで喜び合いました。が喜びも束の間・・
学さんが亡くなられて一年後の3月に帰らなぬ人となりました。。。。。
4月の東京での葬儀には、名古屋からも大勢の人が出席されたようでした。
ともこは参加出来ませんでした。そのことがずーっと心残りでした。
完
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