Life of happening

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2003年6月21日(土)映画鑑賞
 うちの親父は見もしないのにレンタルビデオショップに行ってはビデオを借りてダビングする。我が家がむしろレンタルビデオ屋並みの品揃えを誇っている(笑)
 ひさびさの休みだったのもあって、夜中ずっとそのビデオを見ていた。私はあまり洋画は好きでない。やはり日本人の顔が好きなのだなぁと思うのであるが、見たのは、『七人のおたく』『波の数だけ抱きしめて』『彼女が水着に着替えたら』などという古い映画。若き日のウンナン、織田裕二や中山美穂、松下由紀に原田知世がいた。
 たまに映画を見ると心が妙な気分になる。おそらく、映画によって非日常な世界に自分の心が連れていかれてしまうからだろうが。とりあえず、何とも切ない最後を演出する『波の数だけ〜』はなかなか心を締め付けられるものだった。もっとも、原田知世ファンの私としては、『彼女が水着に〜』が個人的に好きだが(笑)。
 などと言っていたら、急にビデオを借りに行きたくなってしまった。今日は原田知世を借りてこよう(笑)

2003年6月11日(水)約束
 別に渡辺徹の歌ではない(世代が古いっ!)。「さっよならさ〜グッバイマイシスタ〜」ではないのである(しつこい)。昨日、友達とご飯を食べに行く約束をしていたのだが、すっぽかされたのだ。
 人間誰しも急な予定が入ったりすることがある。どんなに大切な友達との約束でも行けなくなる事情ができることもあるだろう。だが、連絡は早くしろよ。行けないなら早めにごめんと言えよ。その間ずぅっと待ちぼうけを食わされた俺の立場はどうなるんだよ。
 いささか愚痴っぽくなってしまったが(実際愚痴だが)、人間との約束というのはそれが肝心だと思う。死にものぐるいで約束を守ろうとする人もいるが、そこまでしなくてもいいと思う。急な事情や仕事などから先約であっても断らなければならないこともあるだろうから。大事なことは、約束をした相手に対して、どれだけ早めに謝りの連絡を入れられるかだ。早めに連絡を入れれば、約束した相手もすぐにその時間の埋め合わせを探すことができる。ギリギリまで引っ張られたのでは、切り返しがきかないのだ。
 私が嫌うことは二つ。約束のキャンセルの連絡が遅いこと。約束の時間に遅れること。いずれも、人間としての信用にかかわる問題であるように思う。基本的に、私は時間にルーズな人は信用しない。それは仕事でも同様。会社の中で時間にルーズな人間は信用していない。いつ裏切られるかわからないからだ。時間に無頓着な人間は自分に甘いと思うからだ。
 ここまでえらそうなことを言った以上、少なくとも自分は時間を厳守しよう。

2003年5月27日(火)ものすごい久しぶりの更新
 いつジオにHPを消されるだろうかとひやひやしながら過ごしていたこの半年余り。やっとHPを更新する気分になることができた。
 今回のHPの凍結は、いつものとおり精神的な理由である。何を隠そう、この私が5年ぶりに「恋」なるものをしてしまった。よくよく考えると、前の「恋」の前の「恋」(あぁややこし)もその5年前だったので、私は5年に一度「恋」なるものをするのだろうか、とつい等差数列のごとき法則性を見出しそうになってしまうが(笑)、とにかく「恋」なるものに落ちた。
 ここでわざわざ「恋」にカギ括弧をつけたのは、単に女の子を好きになって付き合ったというものと区別するためである。自分が電撃に打たれたような衝撃に襲われ、頭がその人のことで埋め尽くされてしまうような状態になる場合においてのみ、「恋」と呼ぶことにする、という意味である。そうでなければ、私には5年に一度しか彼女がいないことになってしまう(笑)。
 しかしながら、昔から私のこの「恋」なるものは、成就したためしがない(泣)。今回も当然のことながら、思わしくはない。もっとも、だからと言って轟沈したとか玉砕したとかいう話ではない。ただし、結論が出るにはもっともっと時間がかかることだろう。
 とりあえず、HPを更新し、少しずつライフワーク(日課)を作ることによって、規則正しい(?)生活を送る気になれた。また気まぐれな更新になるであろうが、なにとぞお付き合い願いたいm(_ _)m

2002年10月3日(木)眼の見える幸せ
 3日前、コインランドリーで自分の洗濯物を入れた籠にぶつかってメガネを割ってしまった(爆)。片方だけが割れたので、何とか見えないことはないのだが、片方だけ見えないからかけていると妙に気分が悪くなってくる。おかげで会社の連休中に行く予定だった北海道半周一人旅もキャンセルすることにした。
 今日メガネを買ってきて、両目とも健やかに見えることの幸せを実感。やっぱり眼が見えないと苦労するものだ。なんせ、街中を歩いていてもきれいなお姉さんに目が止まらない(爆)。
 そういえば、昨日一昨日と会社の仲の良い同僚と上司とで洞爺湖に行ってきた。ペンションの受付のお姉さんがとても僕好みだったのだが、そのときにはもうメガネが片目なかったから、メガネなしでそのお姉さんと対峙したのだが、メガネがなかったのが少し悔やまれる。きれいなお姉さんだったのに…(爆)
 とりあえず、連休はまだ続くので、少し長めのドライブくらい行っておこうかな。たまにどこかに遠出しないと欲求不満になってしまう。ドライブに行くのなら酒も飲まずに済むし。最近毎日のように飲んでいる。適度に休肝日を作らねば(笑)

2002年9月24日(火)幸運
 日曜日の夜、札幌に戻ってきて初めてオフ会に行った。東京ではみちMk2のサイトの仲間の人たちとかSeira姉のところの人たちとしたことがあったが、札幌に帰ってからはネット自体をほとんどしていなかったこともあって、オフ会は全く持ってご無沙汰していた。
 きっかけはML。札幌プチチャット同好会というところに去年ぐらいに遊びに行って、MLにも登録しておいた。何回かMLは回ってきたのだが、たまたま先月のオフ会の通知は都合があったので、最近はほとんどチャットにも顔を出していなかったのだが、思い切って参加してみることにした。
 結局次の日の昼まで一緒に話したり遊んだりしていた。とても感じのいい人たちばかりで、良い交友関係がまたひとつ増えて嬉しく思った。初めての私を温かく迎え入れてくれたのが何より嬉しかった。
 私はこの手のオフ会ではずれがまだない。つまり、自分と気が合わない人たちばっかりだったりとか、妙な犯罪じみた集団の集まりだとか、そういう変な目にはまだ遭ってない。そういう意味ではとても幸運だと思う。
 昨夜はその余韻がまだ冷めなかったのか、家でも一人でキムチ鍋をして食べた。思うのだが、キムチ鍋は熱々のうちに食べるのは当然美味しいと思うが、十分冷めてから食べるキムチ鍋というのも、辛さが柔らかくて好きだ。というわけで、当然2〜3人分のキムチ鍋を私一人で食べきれるわけがないので、ちゃんと今日の朝用に残しておいて、冷めたキムチ鍋を食べて出社した。辛さの抑えられた、朝には丁度良い感じのキムチ鍋になっていた。
 人間でもキムチ鍋でも、落ち着いた冷静な状態だと、人に優しくなれるような気がした(笑)。

2002年9月20日(金)大きな古時計
 最近「大きな古時計」が売れているらしい。私が小学生ぐらいの頃、学校の教科書に載っていたが、今も載っているのだろうか。とても淋しげで切ない曲だと記憶している。小学生ながら、歌いながら泣きそうになってしまったのをいまだに覚えている。今でも歌うと少し目が潤んでくる。
 「おじいさんの生まれた朝にやってきた時計さ
  今はもう動かない その時計」
 この歌詞がどうにもこうにも耐えられない。なぜかこの歌詞を歌うと泣きそうになってきてしまうのだ。私はどうも、一緒に育った何か、というものに対して特別な感情を込めてしまうようだ。たとえば、『フランダースの犬』というお話があるが、あれも一緒に育った犬と少年が最後に死んでしまう。『フランダースの犬』を見て泣かないことはない。最終回だけ見せられても確実に泣く。
 そのせいだろうか。私にも一緒に育った犬がいる。小3のときから一緒に育った犬で、一人っ子の私にとっては、妹も同じような存在だ。もう彼女は15歳。そろそろ覚悟しなければならない。その日のことを想像するだけでどうにも辛く、涙が溢れそうになる。我が妹よ、別れの日も近いのかもしれないが、どうか少しでも長い時間、健やかなる顔を見せていてほしい。そう願う今日この頃である。

2002年9月11日(水)独りの時間
 昨年度、けっこう私は精神的に病んでいた状況があった。とにかく独りになりたくなかった。誰かと一緒にいる予定がなくては不安になった。この状況についてはessayでも書いたのでいまさらくどくどと書く気はないが、とにかく独りの時間を楽しむことが出来なかったのが昨年度の私だった。
 だが、一年経って、けっこう独りになりたがる自分がいる。今週も同僚や上司との飲み会があって、たくさん話をする機会があって大変有意義な時間もすごしたが、しかしながら、何日もそれが続くと、独りの時間が欲しくなる。仕事も休みが欲しくなる。昨年度の私にはそんなことは絶対になかった心境である。しかし、今は仕事もなく、全く独りになれる時間を欲しくなったりする。これが今年度と昨年度との絶対的な違いなのだ。なぜ独りになりたいのかというと、気持ちや考えを整頓する時間が欲しいからだ。人と会って話をしたりするのは、言うなれば本屋に行って本を買いあさるのに似ている。立ち読みをして、非常に面白そうな本と出会う。そうした本を買いあさり、それを家で読む。しかし、それだけではその本を理解することは出来ない。しっかりと自分の中で消化し、再読する。そして、読み終えたら本棚に整理する必要がある。買い込んだ本を整理するには時間がかかる。乱雑に本棚に並べておくと、いったい何の本だったかを忘れてしまうことがある。自分の中でその本をもう一度確かめながら本棚に並べていくことが必要だと思う。独りの時間とは、その本棚に並べる作業に似ている。または、パソコンにたとえるなら、自分の頭にインストールされた様々なアプリケーションやファイルを最適化するのが、独りの時間とも言えるだろう。
 次の休みは今週の日曜。それまで、その日をゆっくり過ごせるよう、今はとにかく頭のコンピューターに情報を詰め込むだけだ。そして、独りの時間に整合性がつくようにつくように整頓するのだ。

2002年9月11日(水)卒業式の思い出
 卒業式、特に高校の卒業式というのは、青春が凝縮されているように思う。もちろん、みながそうだと言う気はないが、少なくとも私にとっては高校の卒業式は、私の青春の全てが凝縮された日だったように思う。
 高校時代、ある女の子を好きになった。今思い返しても、どうしてそんなに好きになったのかはわからない。とにかく、夢中になって仕方なかった。高校3年間、その子のことを追い続けた。しかし、では彼女と私との仲はどうだったかと言うと、特に親しいというわけでもなく、知り合い以上友達未満といった間柄だった。高校3年のときに、彼女と親しい友達の中に私と親しい友達がいたせいで、顔を合わせる機会も増えたが、それでもやはり友達かどうかもあやしいような微妙な関係だった。
 彼女は私のことを「苗字+くん」で呼んでいた。私もまた照れくさかったので、「苗字+さん」で呼んでいた。それが、卒業式の日に変化した。式が終わって教室に戻り、廊下でみなが写真を撮り合ったりしているとき、彼女が私を下の名前のみで呼び止め、「一緒に写真に入りなよ!」と言ってくれたのだ。一瞬、呆気に取られ、身動きが止まったのを今でも覚えている。もっとも、それは先に言ったように、彼女の友達の中には私の友達がいて、彼・彼女らが私を呼び捨てで呼んでいた影響だとは思うが、とにかく原因が何であれ、私は名前で呼ばれたのが嬉しかった。卒業式のあの瞬間に、私の青春が凝縮されたように思う。あまり良い思い出がなかった高校時代だったが、あの思い出があるから、私は救われたような気がする。
 大学に入って1年目、夏休みに高校の学校祭に行ったときに彼女と再会した。そのときは、普通にお互い名前を呼び捨てで呼び合った。それから彼女とは会っていない。どうしているのか。あのまま順調にいっていれば、彼女は今年、国家試験(医者の)を受けることになる。そんなことを思い出した今日この頃である。

2002年9月11日(水)私物化
 これを書こうと思ったのは1週間以上前だったのだが、なかなか書く暇がないままになって今日になってしまった。
 私は人を私物化することが大嫌いだ。同様に、人がそうするのを見るのも大嫌いだ。たとえば、私のような職業にはよくある光景だが、先生が生徒を、または卒業生を私物化して、まるでその人の保護者であるかのように振舞うのは、私にとっては目に余る。同様に、恋人によって自分が私物化され、その人の中に囲い込まれるのも大嫌いだ。だから、私は恋人に全く干渉しない。もちろん、約束を忘れていたとか連絡もせずに心配させたとか、そういうときには何かしらのことを言うこともあるだろうが、基本的に誰と遊びに行こうが何をしようが構わない。最終的に自分のところに戻ってくるのであれば、干渉は全くしない。当然、自分も恋人に対してそういう態度でいてくれることを望む。私を私物化して自分色に染めようなどと考える人とは長く付き合えない。もっとも、だからこそ私は長く付き合うことが今まで出来なかったのであろうが。
 私のような職業は、けっこう先生が生徒を、または卒業生を囲い込むことがよくある。生徒や卒業生もまた、その先生が好きなので、その囲い込みを喜んで受け入れる。しかし、それが本当にいいことだろうか。その人に囲い込まれることによって、私物化され、自由な行動を規制されてしまわないだろうか。もちろん、親ではないのだから、私生活を束縛することはないだろうが、ある種の人間関係においてはなかなかの効力を発揮するように思う。生徒や卒業生の人生は彼・彼女自身のものであり、同時に彼・彼女と空間と時間とを共にする者全員のものでもあるのだ。それを私物化し、監督、指導しようなどと考える人が時に目立って見えることがある。私は私物化したくない。生徒や卒業生には、より多くの人と触れ合う機会を提供し、時間と空間とを共有したいと思う。

2002年9月2日(月)
 というわけで、今月からは気が向いたときだけ徒然書くだけの生活記に変えます。まぁ、Essayにくらべて論理性の薄い感情的なことを書くコーナーだと御理解いただければ幸いですね。ではでは。