Ring Story
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・プロローグ―9月
平日の午後、卓也は住宅街を歩いていた。
「あ〜あ、体育出たかったなー、せっかくバスケだったのに」
学校の友人とバスケットをする。それが最近の卓也には唯一の楽しみだった。
それもこの頃は月に一度できたら良い方だった。
この仕事を始めるようになって、もう慣れた事だったが。
一気に人口が減った静かな昼間の町は、自分も住んでいる町だとは思えないそっけなさだった。
狭いコンクリートのスペースの中で、体中の力が抜けた様に眠りこける犬。
朝は元気にしっぽを振ってくれたが今は見向きもしない。
―なんかだるいな…。
人前では元気がとりえのような性格だが、もう中学生だ。
悩みの一つ二つ、考えたい事の一つや二つもある。
そして、「なんとなく」ってのが理由でめんどくさくなるって事もある。
「渋谷に行くのめんどくせーなー」
わざと声に出してつぶやいてみる。
声は宙にポカンと浮かんで消えた。
空を見上げる。
風は随分涼しくなっては来たが、陽射しは夏の名残のように強かった。
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・1―9月
夏の名残を惜しむ様に、キャップとTシャツ、Gパンという軽快な服装で小百合は走り出した。
今年の夏も仕事に追われ、自分の夏休みなど無かったに等しい。
シーズンオフの海は人気も無く、一人練習に励むサーファーの影が小さく見えるだけだ。
裸足で走っても粒の細かい砂は柔らかく触るだけだ。
少し冷たい潮風も走った体には心地よい。
腕を思いっきり広げて大きく息を吸う。ゆっくりゆっくり吐き出す。
切れかけていた自分の充電が出来た気がした。
「さゆりぃー!!」
遠くから姉の呼ぶ声が聞こえる。
小さな丘になっている場所から姉の姿が見えた。
長い髪が風に舞ってキラキラ光る。細く頼りない腕が揺れる。
何かの映画みたいだ、と思った。
足元にじゃれ付く犬を蹴らない様に気を付けながら、小百合は姉の元に走る。
「ほらほら!もう焼けてるよー。食べないなら私が全部食べちゃうよー」
「えー、待ってよお姉ちゃん!それ、私が食べるお肉だからね!」
「いいじゃんいいじゃん、小百合このピーマンあげるっ」
「野菜ばっかりこっちにやらないでよぉ!おかあさ〜ん何か言ってよぉ!もうっ」
日常的な姉妹の会話に微笑む両親。どこから見ても完璧な家族の休日。
しかし、小百合は知っていた。
皆がこの日、小百合の為に休みを取った事を。
それを小百合に気付かれない様にしている事を。
小百合に対する家族の優しさを。
小百合は静かに感じ取とっていた。
「あーっ!おいしいなぁーっ!」
涼しい風を受け、小百合は大きな声で叫んだ。
「どうしたの?小百合」
「びっくりしたぁ!急に大きい声出さないでよぉ」
自分を見つめる優しい人たち。
私は幸せだ。
こんなこと恥ずかしくて言えないけどね。
小百合は心から、しかし気付かれないようにそーっと…感謝していた。
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・2―10月
「感謝してー…もっとしてー…」
全然気の乗らない歌を口ずさみながら公輝は走っていた。
何か歌いたい気分だったが、歌いたい歌を思いつかなかった。そういう事は良くあるのだ。
近所の公園の、いつものランニングコースも涼しくなってきたせいか常連ランナーの姿が増えてきた。
「あっ!」
思わず声を出してしまった。
もう来ないだろうと思っていた人物が走っていたからだ。
もう40を越えた年齢だろうか。
走るフォームが明かに他の趣味で走っているような人達とは違う。
彼が走っている姿を見せたのは半年ぶりだった。
つい、足が彼の後を追った。あまりのスピードに息がすでに苦しくなる。
公輝は彼の事をぼんやり思い出す。
父の話だと、彼は昔本物のランナーだったそうだ。
事故の怪我だったか、病気が詳しくは覚えていないがアクシデントにより、
二度と試合に参加できるようには走れなくなったそうだ…。
とはいえ、小学生の公輝が易々と追いつける速さではなかった。
やべぇ。見失うかも。
ちょっとよそ見をした瞬間。
急に目の前の男が立ち止まる。
「うわっ!」
思うようにブレーキがかけられず、公輝は男の背中にぶつかってしまった。
「す、すみません!」
男はさして驚いた風でもなく、少年を見下ろす。
「…お前、足速いな」
しゃべった!!
公輝の頭は予想外の事に軽いパニックを起こした。
「へ?あ、ありがとうございます!」
「選手になりたいのか?」
また思いがけない質問だった。
どう答えたらいいのだろう。公輝は答えに窮した。
うーん。やっぱ、正直に言うのが一番だろう。
「えっと、あの…僕はいろいろ、やりたいことは他にもあって…。まだ決めてないんです…」
少しの沈黙。
「…そうか」
ふっと男の目が細くなる。
とても優しく笑う人だと公輝は思った。
「選手になりたいのなら、俺なんかの後ろを走っちゃ駄目だと言おうとしたんだがな」
公輝の頭に―正確には被っていたフードに―ポンと手を置き、くるっと向きを変えた。
片手を軽く挙げて男は去っていった。さっきと変わらぬスピードで。
どうして嘘でもそうだと言わなかったのだろう。
自分の言った答えは間違ってはいなかったが、それでも間違っていたのだと思った。
でも答えは今も分からない。
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・3―10月
「はぁ。これ!これだけなんだよね!答え分からないの!」
七世は髪をぐしゃぐしゃと掻き上げる。
あと一問。最後の問題。
これがかれこれ30分もの間、彼女を苦しめ続けている。
「七ちゃぁ〜ん。終わったーぁ?」
待ちくたびれたと言わんばかりのだらけた姿で椅子に座る杏奈。
「待ってぇー。もーーーーうちょっとだけ!」
「う〜ん。それ20分前にも聞いたと思うんだけどなぁ」
「ごめぇん。あとちょっとで解けそうなんだよ!何かきっかけさえあれば!」
「そっかぁ。でも早くしないとあそこのスペシャルプリンパフェクレープ売りきれちゃうよ」
「うがーっ。それだけは嫌!」
「でしょ?じゃ、頑張れ!中2の問題じゃ私もどうしようもないからね」
「うー…頑張る」
今日も一日雑誌にテレビ、天てれの収録というハードスケジュールをこなした七世だ。
この楽屋での休憩時間や他の戦士とのおしゃべりの時間はとても貴重な自由時間になっていた。
こんなつまらない事で楽しい時間が台無しだなんて…。
それに、今日は杏奈と1週間もおあずけにしていた『スペシャルプリンパフェクレープ』が待っているのだ。
…それなのに七世は動けなかった。
去年までだったら年上の戦士に解き方のヒントくらいは教えてもらえたのだが、今年は自分が最上級生なのだ。
頼みの綱だった山元竜一はまだ収録から戻ってこない。
「もう!あっちの学校の方が進んでるのにー!」
「自分で頑張るんでしょー?」
杏奈の鋭いツッコミ。
「えーい、もういいやっ!」
荷物を次々とバッグに詰め込む。お気に入りの帽子も被る。
「ちょっと、いいの?七ちゃん!?」
「いいのいいの!こんな問題よりうちらにはスペシャルプリンパフェクレープだぁっ!!」
「七ちゃんがいいならいいけど…」
15分後。
「んま〜〜い!!!!!」
「このクリーム!ちょーーーぉ美味しいよ!!」
二人の顔はこれでもか、というほどにほころんでいる。
「でもラッキーだったよね!最後の2個だったなんて!」
「ねぇっ!やっぱり私の決断は正しかったのだー!」
「あははっ!後で苦しまないようにねぇー」
20分後。
早速七世は苦しんでいた。
後悔していた。
あの時もう少しで分かりそうだったものがもう遠くへいってしまったようだ。
親に聞いてもいいのだが、仕事が忙しい彼らを煩わせたくはなかった。
そして後悔がもう一つ。
目の前のクリームソースたっぷりの母特製グラタン。
嫌でもさっきのこてこてカスタードクリームを思い出させる。
気持ち…悪ー…。
翌朝。
胃の気持ち悪さと、出来てない課題のプレッシャーで目覚ましよりも早く目覚めた。
しぶしぶ机に向かう。
一問前の問題が目に入る。
『後悔先に立たず』
「…あーあ。バカだよねぇ」
それでも、久しぶりに見る夜明けとひんやりした空気に七世の心は少し前向きになった。
爽やかな朝だというのに騒々しいカラスが電柱にとまっている。
またイライラの種が芽を出し始める。
「もーうっ!
うるさーい!!
」
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・4―10月
「うるさいって言われたばっかりやろ」
志穂の言葉も弟の耳には入らないようだった。
散らばっている空き缶をどんどんと高く積み上げていく。
「ああ、こっちずれてる」
「さわらんで!」
弟の大きな声に一瞬ビクっとなった自分が悔しかった。
「こんなもん、何が楽しいんや」
志穂が立ち上がった瞬間。
ガシャガシャーンと激しい音を立てて崩れた空き缶の山。
「お姉ちゃんがやったー!」
それに輪をかけて大きな弟の泣き声。
「…はぁ。なんでこうなるんやろ」
志穂は一つため息をついた。
お決まりの一通りの母親の小言を聞き終え、自分の部屋に戻る。
今年になってようやく与えられた念願の一人部屋だ。
これで弟から逃れられる。
今の志穂には弟の一挙一動が癇に障った。
なぜだろう。この前まであんなに可愛がっていたのに。
「私、どこか悪いんかなぁ」
不意に部屋のドアが開き、何かが投げ込まれた。
はぁ。
ため息を一つついて、志穂は蜘蛛の形のゴム人形を廊下に放り投げた。
「何かあったんと違う?」
母親が心配して様子を見に来た。
「ううん。何もない」
「ならええけど。晩御飯できたで」
「今行く」
今日の晩御飯はオムライスだった。
「ぶっ!」
志穂は吹き出した。
「へったくそな字ー」
「うるさいわー」
ケチャップで書かれた下手くそな字は「ごめんな」と読めた。
「あんたのにはお姉ちゃんが書いたげるわ」
後ろで「やめろー」と叫ぶ弟を無視し、志穂は卵の上に大きなハートを書いた。
これも負けないくらい下手くそな絵だったけれど。
「いただきまーす」