12月1日〜10日までのひとりごと

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12月10日(火)
今日は学食(…とは呼べないような立派な設備ですが)で
X'mas Dinner がありました。

豪華で美味しかった。
大学の食堂とは思えません。
(ほぼ全寮制なのでかなりの人数をまかなってる)
そんな贅沢三昧なところがいかにもセワニーらしいけど
今日は許す。
なんたってタダだし。
(特別企画で玩具を寄付すれば教職員はタダだったんです。
ちなみに学生はミールプランなので関係ないです)

で、Buffetスタイルなので自分で野菜を盛り付けていると
Choir の先生が後ろにいて
「いや〜、野菜("green")はいいよ、野菜は」
とか話しかけてくれたり。
入口で会ったときは Lessons & Carols で歌った
ラテン語の歌とかいきなり歌い出して
「いや〜、ラテンはどうだい、ラテンは」
とか言ってくるし。

先生ってば、お茶目でかわいい。

ますますファンになってしまうのです。

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12月7日(土)
今週末は“Nine Lessons and Carols”という
Choir のクリスマスコンサート礼拝があります。
これは Choir にとってもコミュニティーにとってもかなりのイベントらしく
他の州からもわざわざ聴きに来る人がいるとか。
そんな訳で、ちょっとキャンパスが賑やかになってます。

Choir としてはそんな一大イベントに向けて、
サンクスギビング明けから一段と気合いの入ったリハーサルを重ねていたのです。
気合いが入れば入るほど、先生の指導する姿を見るのが楽しみで
もうリハーサル中は幸せいっぱい。
ついついニコニコしてしまいます。
もちろん歌ってる気持ちよさもあるのだけど。
『身体を“楽器”として使ってる気分』を垣間見てる感じ、わかります?
(あくまでも“気分”ですよ。まだそこまでめざましく上達はしてません)

今日は一回目。
初回にしてはなかなかの出来、らしい。(先生のコメント)
明日は通常の日曜礼拝+2回のコンサートで
丸一日 Choir に捧げるわけですが。
来週怒涛のように忙しくなることに薄々気がついてはいても
時間を割くことが全く苦にならないというか
むしろウキウキしてしまいます。

もうすぐクリスマスですねぇ。

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12月5日(木)
初雪です。
今日は朝から『雲の中』(“Sewanee fog”という通称がある)で
夕方頃から、その霧の粒が雪になって木々や地面に付着したようです。
『降らない』で『現れる』雪って、初体験です。
現れるというか、空気中に雪の粒子が立ち込めてるというか。
で、その粒子が木の上や車の屋根の上で一休みしてるような。
なんだかしんしんと冷え込んだ真っ白な空気とあいまって、とても幻想的。

初雪、とは言っても
サンクスギビング前のある朝、
雪のような細かい白い粒が
虫のようにふわふわと空中を漂っていたこともありました。
数も少なく、一定に降り続くというわけでもなく、
ほんと気まぐれに「漂ってる」感じ。虫みたいに。

なんかそういうのってどこか不思議で、嬉しくなってしまう。
世の中には、私が未だ経験したことのない、
想像したことすらないような、
そんな美しい自然からの贈り物が
まだまだたくさんあるんだろうなぁって、思うから。

濃い霧が立ち込めた日って
気持ちまで一緒にどんよりしてしまう日と
その幻想的な雰囲気に、心穏やかでどこか神聖な気分になれる日と
二種類あって。
今日は後者だったので、なんだか静かに幸せです。

セワニーを離れたら
こんな霧も、懐かしくなったりするのかしら。
きっと気分が滅入ってしまった日があったことなんかすっかり忘れて
霧の日の幻想的で穏やかな美しさだけが
思い出の中に残るんだろうな。

そう思ったら、今のうちに思う存分満喫しておこうと
それで今日はこんなにポジティブに感じられたのかもしれませんね。

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12月4日(水)
日本語の学期末企画で『Shall We ダンス?』を見せてます。
ただ見せるだけではつまらないので
今学期授業でやったことが聞き取れるかどうか、
ちょっとした課題を設定してみました。

自分のことやお互いを何と呼んでるか(私、僕、〜さん、〜先生 etc.)、
その他、何か聞き取れた日本語はあったか、
というごく簡単なものですが。

目標があるとちゃんと日本語にも耳を傾けてるようで
「そうですね」とかいうセリフがあると大喜びしてます。
あと、読み書き(ひらがなとカタカナだけね)やってるところだから
「ダンス〜!!」とか得意気に読み始めたりして。カワイイ。

映画自体の面白さもあって、かなり楽しんでくれてるようです。
こういうのをきっかけに日本に興味を抱いてくれたり
たった3ヵ月足らずの学習歴でも聞き取れるセリフがあった、というのが
今後の自信と動機づけになればいいな、と
先生としてはそんなことを願ってやみません。

言葉を学ぶことは
その国の文化や価値観を学ぶこと、
そう思います。

初心者レベルではそこまでやらないけど、
極端な例としては『侘寂』とか『業』とかは
その言葉や概念を生み出した文化背景を知ってないと
どう頑張ったって真に理解はできないわけで。
(文化背景を知ってても難しいよね、きっと)

もっと身近な例では
『父・母』と『お父さん・お母さん』とか
『叔父・叔母』と『伯父・伯母』とかの使い分け、など
文化と言語って、やっぱり切っても切れないと思う。

でね。
そういうのもしっかり教えられればいいんだけど
言語に関しては一応専門分野でも
文化に関してはさっぱり素人なのですよ、残念なことに。

で、私にとっては映画ってとても有効な手段なのです。
注目ポイントを前もって設定したりはするけれど、
後で感想とか質問とかを聞いてみると
意外なところで文化の違いを見つけてたりして
そういうのが、こちらとしても面白い。

とはいっても映画鑑賞だけでは話せるようにならないので
せいぜい一学期に1〜2本がいいとこですが。
フィードバックを読むのが楽しみ。

ところで今日、ある学生がやたらしょんぼりしていて。
ちょっとクラス外でのケアも必要なのかな、という子なので
どうしても気になって授業後に声をかけてみたら
5年近く付き合ってた彼女と別れちゃったのだと。

あまりの落ち込みようになんとか元気づけたくて
「まぁ、そういうこともたまにあるよね」とか
「でもね、だからといってあなたが嫌なやつって訳じゃないんだよ」とか
言ってみたりはしましたが。

なんだかこういう時って、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。
私の言葉はあまりにも無力で
彼の心の奥に届いてはいないのだということを
ひしひしと感じてしまうから。

大学一年の時なんて
周囲のいろんなことが一気に変化する時期で
だからこういう別れが訪れることもあるよなぁ、と。
今はすごくショックかもしれないけど、必ずこれからいい出会いもあるよ、と。

思ったけど、言葉にするときっと嘘くさくなってしまうから、言わない。

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12月3日(火)
早いものでもう12月。
日本でいうところの師走じゃないですか。
光陰矢の如しとは言うけれど
カレンダーの日付を見ても
「騙されてるんじゃないか」と思ってしまうくらい
今年もあっという間に過ぎ去っていきましたね。

...って、あと一ヶ月残ってはいるんだけど。

そんな時間の流れの中で
日本にいた頃よりもきちんと季節の移ろいを実感できていない気がします。
街並みの変化を肌で感じられないからかしら。
(季節によってお店のディスプレーや音楽が変わったり、
街全体の『雰囲気』が変わったりしますよね)

でも、そう考えてみると
人為的な演出なしには季節を感じられないというのも
なんだか分明に毒されているようで淋しい気もします。
だってここ、これ以上ないってくらい自然が豊富なのに
何故木々の変化だけでは季節の移り変わりを感じ取れないのだろう。

幼い頃からの記憶にある『季節』の変化って
都市(ってほどでもないけど)生活とは切り離せないものになってるのでしょうか。
私はそこまで『都会っ子』という自覚はないけれど、(そしてたぶん違うけれど)、
もう商業活動から離れたところでは暮らせなくなってるのかもしれませんね。
以前はどちらかというと田舎の方が落ち着くなぁ、と思っていたけれど
実際にこんな自然だけに囲まれた環境で暮らし始めてみると
なーんとなく物足りなさがあるのは否めないし。

でもさぁ、やっぱり『師走の街並み』とか『新年の街並み』とか
『卒業・入学シーズンの街並み』とか
そういうの、ありません?
そういうイベントごとに表情を変える街の雰囲気が
最近はちょっと懐かしくいとおしく思えたりします。

***

で。
宣言通り、掲示板の仮日記の続き。

今年いっぱい(5月まで)で日本語講師としての任期が満了するため
それに向けて周囲と自分との間で少しずつ、少しずつ変化が起こりつつあるのを感じます。
正確には自分の中での意識の変化なのだろうけれど。

思えば今までの進路選択とか、
重要な分岐点で選択の決め手になったのは、
「自分がその選択肢にワクワクできるか」だったなぁ、とふと思う。

高校の選択にしても、大学の選択にしても。
もっと細かく言えば、部活やサークルや専攻や。
いろんな条件を並べて、理屈で考えてみようとしても
最終的に「わくわく」できなければどうしても踏み切れない、しっくりこない、
そんな性格のようです。

逆にいえばね。
そういう風にして選んできた道って
「もうこれしかない」って確信がもてて
で、実際に始めてみるといつもとっても充実していて
振り返ってみるとどれもこれも自分にとってベストな選択だったなぁ、と思うのです。
それは結構自信をもって言える。
そういう意味では「直感」ってすごいです。

今回も少しずつ方向性が定まりつつあるけれど。
まだ最終決定ではありませんが
あとは現実的な問題をクリアしていくだけで
ほとんど自分の気持ちは固まりつつあります。
だって他のどの選択肢よりもワクワクして
考えただけで前向きな気分になれるんだもの。

もう一つよくやるのは、
それぞれの選択肢の中で生きる自分像を思い描いてみて
どれが一番好きになれるか、かなぁ。
やっぱり自分のことは好きでいたいし。
演劇に興味があるからこういう考え方をするのかもしれないけれど
例えば、自分の人生を映画のストーリーに置き換えてみて。
もちろん主役は自分で。
で、監督として、演出家として、観客として
主人公にどんな生き方をしてほしいか、
どんな姿が「面白く」て「興味深く」て「魅力的」か
そういうことを考えてみたりする。

大好きな友達に近況報告するときにね、
無難な妥協案を選んで、安心だけどちょっと心残りなんだ、って言うよりも
リスクはあるけど自分でも心からワクワクできる第一希望を選んだんだよ、って
熱く語れる人間でいたいなぁ、と思うのです。
私自身が、そういう生き方してる人に会うのが好きだから。

『リスク』とは言っても
進路選択において一番難しいのは
自分で何がしたいのか、それを見極めることで
一旦決心がついちゃえば(で、それを守り通す意志があれば)
現実的なハードルを飛び越えるのは意外と容易い、
というか最終的には何とかなっちゃうものだ、
というのが信念だったりもします。

運動神経ないので“現実のハードル”を飛び越えるのは至難の技ですが。(余談)

しっかし。
ここまで最終決定を直感に委ねた選択を重ねてくると
もう「カタギ」な生活には戻れなくってよ、って予感も薄々あったりして
いいのかしら、という問いがたまにふと心をよぎるけど。
でもなんかね、クサイようだけどこの passion を無視しては生きていけない気がするのですよ。
お金持ちになれなくっても、安定した生活はまだまだ遠くても
私にとっての幸せってそういうことなのかなぁ、なんて。

最近ではそんなことを考えたりもしています。