2月1-10日のひとりごと

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2月9日(日)
夜中、ふと気づくと隣に人が滑り込んでくる気配があって。
“気配”というか、寝息とか腕に触れる感触から
隣で人が寝ていることは明らかで。
とはいえ私の部屋は一人部屋で
気づいたら誰かが隣で寝ているなんてことはまずあり得ないから
『ビューティフル・マインド』みたく“imaginary friend”ができちゃったのかしら、とか
なんだ私ってばそんなの創り上げちゃうくらい人恋しかったのか、とか
ここで目を開けてしまうともう一生この人と付き合わなきゃいけないんだろうか、とか
そんなことを考えつつ目を開けるべきかどうか悩んでる、
...という奇妙な夢を見ました。

普段あまり夢を見ないし
セッティングが現実の自分の部屋そのままだったので
目が醒めてからもしばらくは夢か現実か判断できないような不思議な感覚。

...疲れてるんだろうか?
最近ちょっと心身ともに不調なので、そういうのとも関係あるのかしら?
風邪薬は日本のだから
『幻覚作用』とかある訳でもなかろうしねぇ...。
(アメリカのでもそんなのあったらオオゴトだけど
基本的にアメリカ製品は何があっても不思議はない、ような気がしません?
...偏見かなぁ??)

それにしても、もしあの時目を開けていたら
どんな人がいたのかしら、と思うと
顔ぐらい見といてもよかったかな、なんて。
ま、『“現実”(夢だったけど)を確かめるのに躊躇してしまう気持ち』、
ありますよね?

そういえばこの部屋は家主のおじいさんのご両親の寝室だったらしいのですが
つい先日そのお母さんが亡くなったばかりなので
そんなのとも関係あったりして。

なーんかね、そんな『不思議体験』しても
もうあんまり驚かなくなってしまった自分に
ややびっくり。

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2月8日(土)
午後4時までダラダラと寝たり起きたりを繰り返し。
単なる怠けなのかもしれないけれど
最近は週末になると起きているのすら苦痛で
こんな風にベッドで非生産的に過ごすことが多いです。
ま、これぐらいやっとかないと
平日のエネルギーが蓄えられないので
やや罪悪感あるけどいっか、ということにして。

この慢性疲労は鉄分不足が原因なのかなぁ...?
最近 Wal-Mart に行ってないので
レバーフライ食べてない。

それでも夜はどうにかのそのそと起き出して
Jim David という俳優さんの
『South Pathetic』という one-man comedy を観てきました。

彼、すごいです。

一人十四役(以上?)を全て完璧に演じ分け、
しかもその一人一人が「あ、あのキャラだ」ってすぐにわかるの。
一時間半ぐらいの舞台だったのだけど
これって相当の集中力だよなぁ、と思いました。
この舞台のためだけでなく
このレベルに至るまで、かなりの訓練を積んだのだと思う。
脚本も本人らしいし。

“えげつなくならない”コメディーって、
実力ないとここまで上手くいかないんだろうな、と思います。
下ネタとか持ち出して笑いを取るのは比較的簡単だけど
それはある意味『誰でもちょっとコツを掴めばできる』レベルで
そこから得られる笑いもまぁ無難、というかそれなり。
彼のように真正面から『笑い』に取り組む姿勢は
すごく誠実で、真剣で、自分の仕事に対する誇りが感じられて
観ているこちらにも心地よさが残るんです。

「この人プロだぁ」って思いました。
ワークショップとか体調が悪かった所為もあって逃してしまったのだけど
もっと知り合いになりたかったなぁ、と思うと
ちょっと惜しい気がしてしまいます。

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2月7日(金)
今日は Choir のコンサートで Chattanooga へ。
Chattanooga はここから一時間ぐらいの小都市(?)で
ビルとかちゃんとした商業施設なんかがあります。
まぁコンサートの為に行ったので
教会内にしかいませんでしたが。
(ちなみにたった一時間の距離にも関わらず時差があるので
訪れるにはちょっとややこしい街だったりもします)

それにしてもリハーサル中の先生の熱の入れ様ったら。
前進しながらの小刻みなステップ、という新たな“技”も開発されていて
ますます目が離せません。
先生素敵。

しばらくこんなことなかったのだけど
行きも帰りも車酔いしてしまい
気分の悪さに耐えるのが大変でした。
風邪で平衡感覚が弱ってるのかしら...?
まさかねぇ。

学校に着いてから
同じく Choir に入っている日本人留学生の友人の部屋でお喋り。
たぶん3時間ぐらい。
なんだかずいぶんいろんなこと話したなぁ。
こういう時間って、やっぱりすごく必要です。
今年は彼女が来てくれて精神的にかなり助かっています。
毎年最低一人は身近にであれ遠くにであれ
折にふれ日本語で語り合える友人の存在が必ずあるというのは
感謝すべきことなのだなぁ、と思います。

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2月1日(土)
朝10時から夜10時まで久々に暗室ごもり。
こう書くとなんだかものすごく大変そうですが
まぁ、始めてしまえばあっという間なんだよね。
また別の日に、って方が
やる気を出して、時間を作って、薬品を準備して......と
いろいろあってかえって大変なのです。
今日は調子もよかったしね。

何をやっていたかというと、コラージュ写真。
何枚かの写真を切ったり貼ったりして組み合わせるというもの。

難しかった。
とりあえず『作る』ことはできるのだけど
“いい”のかどうかがイマイチわからないんだよねぇ。

最近思うのだけど、芸術を学ぶことって
「美しい」と感じる心を養うことなんじゃないかしら。
それは今の先生になってからことさら感じることが多い。
彼女はすごく実験的で好奇心旺盛なのです。
いろんなことを試してみて、
どんなものにも美しさを見出しちゃうタイプ。

(ちなみに写真家の Jerry Uelsmann は
『思いついたことは何でも試してみる価値がある』と言ってます。
先生もかなりそのモットーを貫いてる感じがする)

美しいものに敏感に反応できるアンテナは
もともと備わったものということではなくて
たくさんの作品に触れて養われた部分も大きいと思う。
「○○という写真家の写真を見てごらん」と言われ
見てみると自分の写真のコンセプトを突き詰めた『完成版』がそこにあったりする。
先生の中に蓄積されたいろんな芸術家の様々な『美』の形を垣間見る。
そんな風にして、
私が最初気にも留めなかったようなネガを「すごくいい」と言われ、
プリントしてみたら「すごくよかった」り、っていう発見もある。
例えばブレてたりするのも
意図的ならいいんだ、って思うようになったし。
実際、そういう写真の方が面白くって味があったりするんだよね。

ま、結論としては。
コラージュとかモンタージュとか
そういう合成写真に対しても
「お、こりゃいいぞ」ってピンとくる感性を
早く養いたいものです。