2月11-20日のひとりごと
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2月18日(火)
The Laramie Project の初日を来週の木曜に控え、
今更ですがテキサス訛りに挑戦することにしました。
これは役をもらったときからずっと考えてはいたことなんです。
「無謀だって思われるかもしれないけど、
役者として自分に自信をもつために挑戦したい。
日本人だってことを言い訳にするのはもう嫌だ」
と頼んだら、最初は突然の申し出にびっくりして躊躇してた発音矯正の先生も
協力してくれることになりました。
さすがに演出の先生はヒヤヒヤだろうなぁ、と思って
「初日の前日になってもあまりにもひどかったら止めていいから」
ってお願いしたら
「アヤがやりたいことなら何でもやっていいよ」
って言ってくれました。
今学期授業や舞台でお世話になるまで
この先生ちょっと近づきにくいかなぁ、という印象があったのだけど
この一言で何だかすごく好きになってしまいました。
今までの舞台や授業で演出してくれてた先生とはまた違う感じで。
それぞれによさがあって。
やっぱりいろんな先生や演出家と勉強するのは
“考え方の幅が広がる”って意味で大切なんだろうなぁ。
訛りに挑戦したいというのには訳があって。
私の役、テキサスの地方出身で
台本では訛ってることになってるのです。
演出の先生にやれと言われたわけではないのですが
やっぱりそろそろきちんと英語と向き合いたいなぁ、と思いました。
アメリカ人の役者だったら(で、真剣にプロ意識もって取り組んでたら)
やっぱり役作りとして挑戦するでしょ?
日本人だからしなくていいってのは甘えてるようで悔しい気がして。
セワニーで参加する舞台は、おそらく今回で最後です。
そして、ちゃんと英語で舞台に立つのはこれが初めてです。
私は今まで日本人であること、英語母語話者でないことに甘えてたと思う。
そして周囲にも“甘やかす”空気が出来上がってたと思う。
日本人だから、っていう『特別扱い』は
日本に帰ったら当然のごとく通用しないし
アジア人なんか珍しくもない都会に行ってもあり得ない。
だからいつかはきちんと向き合わなきゃいけないし
マイノリティーとか希少価値とかそんなのには左右されない、
どこに行っても自信をもって武器にできる“実力”をつけていくことを
そろそろ真剣に考えてかなきゃいけない。
だから他のキャストと区別されずに英語のセリフがもらえたというのは、
苦手意識を克服するまたとないチャンスだと思いました。
役の設定がテキサス訛りなら
「日本語訛りの“少ない”(完全に抜ければ万々歳だけど)英語が話せてOK」なだけでなく
きちんと『役作り』するのがスジってもんではなかろうか。
日本人だからそこまでしなくていいよ、っていう特別扱いはもう嫌だ。
そう思っちゃったのです。
で、一度思っちゃうと実行しないと気が済まないかなぁ、と。
完璧な結果にはならないかもしれないけど、
でも挑戦してやり切れれば自信になると思う。
演技に英語を使うのに怖じ気づいたりしなくなるかもしれない。
それより何より、純粋にみんなを驚かせてみたい。
初めて舞台上で使う英語が口を開いてみればテキサス訛りなんて、
なんか面白いじゃない?
発音記号を使ったりとか音の出し方を理解したりとか
大学時代の言語学がこんなところで大活躍。
ホント、人生どこで何が役に立つかわからんものです。
つくづく無駄なことなんて何一つないんだなぁ、と改めて思います。
一つ上の目標を設定したら急にわくわくして
すごく楽しい気分になってしまいました。
これを“break-through”にできるかも、と願いつつ。
頑張ろ。
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2月15日(土)
地響きするぐらい雷鳴ってますけど。
光り方も遠くでピカとかかわいらしいもんじゃなくて、
空全体が一瞬ビカビカって真っ白になるの。
光の中にいるみたい。
こんな雷雨の中歩いて出かけるのは命知らずというものでしょう。
ということで今夜行くつもりだったジャズのコンサートは見合わせることに。
残念。
今日は2週間後に控えた『The Laramie Project』に向けて
一日中セットの木材削ってました。
公演前にはこういう“work day”というのが設けられるのですが
毎回、こういうとこでテキパキ動ける人ってかっこいいなぁ、と思います。
早く裏方の仕事も覚えたいなぁ。
舞台でいつも思うのは、衣装や舞台装置、舞台監督など製作スタッフのありがたさ。
(もちろんキャストも手伝いはするけど)。
かなりの時間を割いて、公演の成功に一役も二役もかってくれて
それなのにパンフレットに名前は載るものの
注目やら賞賛やらはほとんどキャストが浴びるんだから
役者中心にやってる私がいうのもナンだけど、なんか理不尽。
そんなわけで、前々からこのスタッフの貢献ぶりを
部外者にも知ってもらいたいなぁ、と思っていたのです。
ということで、次の写真のプロジェクト『ドキュメンタリー』では
舞台の裏方をテーマにすることにしました。
今日は仕事の合間に写真撮りまくり(笑)。
いいのが撮れてるといいなぁ。
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2月14日(金)
『ボウリング・フォー・コロンバイン』観てきました。
マイケル・ムーアかっこいい。
アメリカ人とは思えない(失礼)冷静で鋭い切り口と
いろんな人にどんどんインタビューに行っちゃう行動力とが
彼を素敵に輝かせている(本人はそんなこと全く意図してないんだろうけど)。
あの、一見無邪気で全然毒がなさそうながらも
ターゲットに喰らいついて離れないようなしたたかさがすごく魅力的。
2時間のドキュメンタリーの中に
母国の問題をしっかり追求してやろうという信念が感じられる。
NYのテロに触れたくだりでは、
個人的には「よくぞ言ってくれた!」と思いました。
あれは絶対いつか誰かが指摘しなきゃいけないことで、
けどアメリカ人以外が言ったところで『聞く耳もたず』みたくなりそうだから、
彼がああいう形で問題提起したのはすごく意味があると思う。
“犯人”探しや報復攻撃の正当化のみに躍起になって
テロに至るまでのいきさつを考えた人は一体どれだけいたのだろう。
それ以前に、アメリカによって異国で為された“悪事”の数々が
きちんと国民に伝わっていたとは思えない。
私自身もいわゆる『反米感情』というのを理解したことはなかったけれど
あの事件以降、「あぁ、こういうことか」と感じるようになった。
無知なのだ。
あのテロを単発の一方的な被害としてしか捉えられないアメリカ人がどんなに多いことか。
世界情勢とか、自分の国が異国でどんなことをしているのかとか、
そういうことを絶望的に知らない。
例えばNYに爆弾落とされて一般人がたくさん犠牲になって
それでしゃあしゃあと『誤爆だ』とか言われたり
挙げ句の果てに国民がそのことを知りもしなかったら
そりゃあなた達だって怒り狂うでしょ、
とアメリカ以外で育った者として思う。
だからといってテロを支持することには決してならないけど、
でも反米感情が生まれる“苛立ち”は、なんとなくわかる気がする。
犠牲者やその遺族を思うと本当に心が痛むけど
だからといって悲劇は報復攻撃や侵略行為の理由にはならない。
ある意味自分たちがまき続けた『種』の当然の結末だったというのは
あまりにも冷酷すぎるだろうか。
でも、冷たいようだけど反米感情を煽っても仕方のないくらいの歴史を重ねてきたのだ、
という事実をせめて知っていて欲しいと思う。
もっと多くの人が問題をきちんと認識しない限り、平和などあり得ない。
この国に『平和教育』というのはあり得るのだろうか、と思う。
バランス感覚のない国家において
『戦争正当化キャンペーン』みたいなニュースばかり見せられて
そこで生きてかなきゃいけないのは、ある意味可哀想だなぁ、とも思う。
映画の中でインタビューに答える人を見て
「この人、本気でこういうこと信じてるんだろうか」
っていう場面が何度もあって。
普通の感覚があったらどう考えても辻褄が合ってないことを
平然と言ってのけちゃったり
自由とか権利とかとワガママとを履き違えちゃってたり
その姿は改めて見せられると滑稽ですらある。
でも、それがまかり通っちゃってる社会なんだというのは
やっぱり何かがおかしい。
映画の中でも指摘されていた、
アメリカ人が感じている実体のない不安・恐怖。
インタビューに答える人の姿から、それはひしひしと伝わってきて
(それがムーアの意図だったからなのかもしれないけれど)、
そんなのを抱えてしか生きられない彼らの姿は
なんだか痛々しくて、哀れにさえ思えてしまった。
だからカナダ人が出てきたときには心底ほっとした。
人間らしく生きていくってこういうことだよね、と思えたから。
さすがに極端にのんびりし過ぎなのでは?ってとこもあったけど、
みんなずっと幸せそうに見えた。
『この不安に駆られた生き方はおかしいんだ』
ってのが、ちゃんと描かれていた。
あと、上映中に救いだと思えたのは
アメリカ人の観客からも笑いが漏れていたこと。
「あ、これがおかしいって感覚、ちゃんとあるんだ」
と思うと、少しほっとした。
とはいえ映画館がガラガラだったのが気にかかる。
とにかくいい作品です。
こういう作品がアメリカの、しかも白人によって創られたというのは
とても意味があると思う。
彼が非白人だったら
国内で白人との対立とか抗争が生まれちゃいそうだし
はたまた非アメリカ人だったら、
それこそ某大統領にいちゃもんつけられて攻撃されかねないし。
彼が“内部”の人間だったという事実が
観客がこの映画のメッセージをきちんと受け止めるのに
一役買っているのではないかと思う。
見当違いの反感によってメッセージが歪められるのを
最小限に抑えられたのではないかと思う。
でも、マイケル・ムーア。
勇気あるなぁ。
こんな映画作っちゃって、この人暗殺されたりしないんだろうか、と
他人事ながら心配になってしまったよ。