2002年9月の日記
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9月30日(月)
今日から Lysistrata のリハーサル開始。
台本を開いてみたら、私のとこには
「日本語で即興」って書いてある。
英語のセリフのとこには「(Japanese accentで)」だって。
ギリシャ中から女性が集まってくる設定なのでこういうのもアリらしい。
実際、私の他にも「訛り」付きの英語、という役はあるし。
でも、なんか、心がザワザワした。
こういうのって複雑。
英語で勝負しなくていいというのは、確かに気は楽だけど
いつまでもこんなんじゃいかんと思う。
それに、どこか「味噌っかす」のようでちょっとへこんでしまった。
言語面でのハンデに対する配慮というか思いやりなんだろうけど
やっぱり、なんだか悔しい。
それでも今日はそんなへこむことばかりでもなく。
日本語の学生でちょっと「大変だった子」が
オフィスアワーに来るようになり、授業中に笑顔も増えてきた。
以前は怯えた子羊のような顔して不安そうに座ってただけに
そういうのは、とても嬉しい。
思うに。
自信がないときこそ、積極的に行動に出ちゃった方が楽なんだよね。
彼女も、私がオフィスに来るように声をかけるまでは
ただただ「外国語への恐怖」が先立ってた感じだったけど
最近は少しずつ自信も出てきて、語学の面白さもわかってきたみたい。
ぶっちゃけた話、授業後に15分や20分オフィスに来たところで
実はそれだけでは「飛躍的な上達」って、あり得ないと思う。
ただ「私は毎日これをやってる」という積み重ねが自信となって
パフォーマンスのときの支えになってるんじゃないかな。
毎日先生とマンツーで話すとなったら、やっぱり勉強してくるだろうし。
そういう意味では、とても貴重な実のある15分なんだよなぁ、と思う。
いざという時の、精神的な拠り所のような。
そういえば私が英語で演技を学ぶことに抵抗が少なくなったのも
去年、先生にマンツーで指導してもらってからだな、と思い出した。
どうしても英語で萎縮してしまう自分をなんとかしようと
先生に相談して発音やら、ひいては演技そのものやらを指導してもらったのだった。
最近、そういう努力をしていただろうか...?
でも、やっぱり周りに期待されているのが
「日本人」として、だけの私で
いつまでたっても物珍しさ半分の特別扱いというのは
やっぱり、なんだか、悔しい。
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9月29日(日)
昨日までに撮ったフィルムを現像しました。全部で8本。
まだプリントしてないからどんな感じかはっきりわからないけど
とりあえず無事にネガになるとほっとします。
この段階で失敗すると取り返しがつかないので。
ネガって、宝の小箱みたいだな、と思う。
時間の関係で全部プリントするわけには到底いかず、
プロジェクトのコンセプトに沿わなくてまだ「日の目」を見ていないネガって
たぶん結構いっぱいあると思うのね。
ときどき以前のものを見返すと、「おぉ、これいい感じ」っていうのがたくさんあるし、
一度プリントしたものだって、やり方によっては全然違った仕上がりになるわけだし。
時間と集中力と体力に制限がなかったら、ずっとそんなネガで遊んでいたいよ。
そんなわけで、フィルムを現像し終わると
新しい玩具を手に入れたようでわくわくします。
早く秋休みにな〜あれ。
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9月28日(土)
久々の青空!!!ものすごく気持ちがいい。
今週末はキャンパスが賑やかです。
というのも、「ファミリー・ウィークエンド」だから。
これは以前は「ペアレンツ・ウィークエンド」と呼ばれていたもので、
父兄がこぞって子どもの様子を見にくる、大学あげての泊まり込み保護者参観みたいなもの。
胸にしっかり名札をつけた「保護者」(大学生なのに、ねぇ?)の方々が
キャンパス中を歩き回る姿は、なんだか可笑しくもあります。
ということで、午前中は「先生のふり」して
しっかり三者面談のようなことをしてしまいました。
しかし自分の子どもと大して年齢の違わないような講師に
「お宅のお子さんは頑張ってますよー」とか言われたところで
説得力あるんですかね?
でもまぁ、好意的なお母さま方ばかりでよかったです。
そしてどうやら今のところは学生にも授業の評判はいいようで、ほっと一安心。
午後は部屋にこもってたらせっかくの青空がもったいない、ということで
勉強そっちのけでカメラを抱えてキャンパス中を歩き回り
一眼レフで3本、HOLGA(プラスチックカメラ)で4本。
いやこれも写真の課題の一環だし、と自分を納得させ。
いいのが撮れてるといいな。
途中、「森の小路」みたいなところを歩いていたら
おもしろい感じのキノコが生えていて夢中で撮影してしまいました。
薄暗い木々の下、ひざまずいてキノコの写真撮ってる姿というのは
冷静になって想像してみると結構アヤシイ。
でもきっと芸術はそんなところから生まれるのです。
ただ空が青いというだけでこんなにウキウキ楽しい気分になっちゃうなんて、不思議。
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9月27日(金)
演技のクラスメートに頼まれ、オーディション用の写真を撮ることになった。
演技の先生(去年、写真をプレゼントしたのです)や写真の先生に薦められたらしい。
なんか嬉しいね、こういうのって。
でも、光栄ではあるがややプレッシャーでもありますね。
思うに私の写真は「偶然の産物」みたいなところが大きい。
コンタクトシート(インデックスプリントみたいなやつ)にしてみて初めて、
お、これっていいかも、みたいなケースがほとんどで
最初から「ここでこれをこんな風にとろう」みたいなことって、たまにしかない。
ちゃんと使いものになるのが撮れるんだろうか。どきどき。
その先生は今日も授業後、個人的に Medea の指導をしてくれる。
最近演技関係のクラスであんなにスランプなのに
それでもずっと信じて期待してくれてることに、とても励まされる。
この先生はとても理解があって、本当に素晴らしい先生です。
言語面でのハンデがある私に「特別メニュー」を考えてくれたりする。
そして、すごく学生のことを見ている。
私が英語だと萎縮してしまう時期があることや
言葉の明瞭さ・正確さにとらわれるばっかりに
内面で起きている「ドラマ」がブロックされてしまって
なかなかすんなりと表現されてこないこと、やその苛立ち、など
もうとっくにお見通しでした。
そんなおかしなコンプレックスから脱却するためにも
そろそろ発音矯正、しなきゃねぇ。
...と思ってたら、そういう知識がある先生に既に話を持ち掛けておいてくれたらしい。
なんだかこういう時、
つくづく「自分はいろんな人に護られて、支えられて生きてるなぁ」と思ってしまう。
紆余曲折ありながらもそれなりにやってこれたのって、
自分の力というよりも、いろんな出会いに恵まれたおかげなんだろうな、と。
どんなにキツイ時期だって「世界中が敵にまわった」ことなんて、考えてみれば一度もない。
常に「よき理解者」たる人がいてくれた。しかも結構たくさん。
私って本当に幸運だ。
こんなに期待されて気にかけてもらってるなんて、幸せなことだ。がんばろう。
なんとなく、もうそろそろスランプ終わりって気がする。
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9月26日(木)
今日もしとしとと雨です。
いつになったら青空が見えるのだろう?
...なんて、私なんかはマイナスにとらえてしまいがちですが
我が家のアナちゃん(イヌ)は楽しくてたまらない感じ。
こういうの見ると、なんか和んでいいよね。
ここ数日はせっせと写真をUPしているわけですが。
「あの写真で勇気づけられました」
なんて、これ以上ないくらい素敵な感想を頂いてしまいました。
うれしい。
なんか疲れたなー、と思って帰ってきても
こんな一言でほわ〜んとあったかい気持ちになれる気がします。
言葉のもつ力って、すごいよね。
たった一言で傷ついたり、救われたり、
そんなことって、とても多いと思う。
思うに私は「自分を知ってほしい」願望が強いのかもしれない。
それが遂にはこんなHP開設に至った大きな要因でもあったのではないかと、今になって思う。
「私はこんな風に生きています」ってことを、誰かに知っていてほしくて
そんな想いが、演劇や写真や文章に表現の手段を求めているのではないかと。
正直言ってしまうと一番最初に「HP開設しました」のお報せメールを送るときは
どうしようかなぁ、と不安な気持ちもあったのです。
自分を表現するときにオープンになればなるほど
同時にそれが「受け入れられない」リスクも負うわけで。
HPって、かなりオープンな自己表現手段だからね。
少なくともここはそうです。
だから「この人こんなこと考えてたんだ」っていうのが
それまでの人間関係に良くも悪くも働く可能性を秘めてるわけで。
人間関係の「距離感」が変わるときって、
なんだかものすごいエネルギーの変化があるようで
上手く表現できないけど、それで私はなんとなく躊躇してしまったりするのです。
だから逆に自分が表現した何かが
他の誰かに受け入れられて、その人の心に多少なりとも響いた瞬間というのは
もう例えようもないくらい、嬉しい気分になってしまうのです。
大袈裟な言い方かもしれないけど、自分の存在価値が見出せたような気がするから。
そんなわけで、私も勇気づけられました。ありがとう。
...というのは、舞い上がり過ぎですかね?
だってホントに嬉しかったんだも〜ん。
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9月25日(水)
こちらは朝からしとしとと雨です。
急に肌寒くなってしまいました。
今日はジャズダンスの実技テスト。
先週までは何をやっても3テンポぐらい遅れてたけど
どうやら奇跡的に「何とか」なったみたい。やれやれ。
しっかし改めて思うけど劇団四季はすごいよ。
そもそもダンスを始めたのは
役者として、いざという時に「踊れる」下地を作っておきたかったのと
あとは、まぁ四季の舞台をみた直後の余韻で。
影響されやすすぎ。
しかし四季の皆さん、あなた達はすごい。
舞台でさっそうと「走る」のすら、あんなに難しいとは。
ダンススタジオは3面鏡張りで自分の姿がしっかり見えてしまうのですが
「ジャズ・ラン(基本の走り方)」とかやっても
こんなときばっかり脈々と流れる日本の血が、ジャズのリズムを盆踊りに変換してしまうらしい。
盆踊りとはいかないまでも「欽ちゃん走り」にしか見えなくて、我ながら可笑しくてたまらない。
この可笑しさが分かち合えるクラスメートがいないのが悔やまれますね。
この動きのギャップ、Phyical Comedy で使えないかなぁ...
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9月24日(火)
祝ペーパー提出!めでたい。
こんなとき「火事場の馬鹿力」という言葉がアタマにうかぶ。
課題の出ていた演劇史の授業終了まで全く白紙だった日本語のレッスンプランも
なんと2時間弱で終了。無事乗り切る。
授業2時間前にあの状態でオタオタしなくなったなんて、図太くなったもんだ。
それにしてもホントに「火事場」で「馬鹿力」だったなー、今日。
帰って来てからベッドに直行。
で、仮眠を取った後は気分転換に南部名物(らしい)のコーンブレッドを焼いてみる。
初めてのわりには妙に創作意欲に満ちていて
いきなりクランベリーや胡桃、チーズ入りなどオリジナル作品に。
結果。
なかなか美味しかったよ。とくにチーズ入り。
日本でお気に入りの懐かしき某パン屋のチーズマフィンは
パルメザンチーズ入りだったのか、というささやかな発見。
う〜ん、幸せだ。
しかし明日もしっかり授業があることを忘れかけている。
そろそろ思い出さないとやばい。
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9月23日(月)
上手くいった授業(日本語)の後は空がいつもより青く見えるから不思議だ。
すっかり晴れ晴れとした気分になって、
この調子ですんなりとペーパーまで終わってしまうんじゃなかろうか、なんて気までしてくる。
油断大敵。ですけど。
...という晴れ渡った気分とは裏腹に、演劇はややスランプ気味。
「Physical Comedy(身体を張ったコメディー;いわゆる道化みたいなもんです)」の授業後にそう思う。
観客を笑わせるのは「笑わそう」という意図がミエミエだとまず上手く行かない。
まずオープンであること。自分の殻に閉じこもってちゃダメなわけです。
そしてやってる本人は大真面目であること。これ大事。
なんでスランプかというと、最近引込み思案だから。
演技の授業はやってみないことには始まらない。
「失敗」なんてものはまずほとんどの場合存在しないものだと思う。
むしろ人前に出て何かを集中して演じる、という場数を踏むのが何よりも大切なのだ、と。
ところがどっこいなんだか怖じ気づいてしまって
すっと立ち上がって前に出ていけない自分がいる。
英語で即興、なんてのに怖じ気づくならまだ救いようがあるけど
言語能力が全然関係ないエクササイズで怖じ気づいてるようじゃいけません。
実際にやってみて全然上手くいかなかった、という「失敗」よりも
挑戦する機会を逃してしまった、という「失敗」の方がずっと後味が悪い。
そんな授業の後はさっきまで青かった空も雲って見えるから不思議だ。
次回は「スランプだ」とか甘えたこと言ってないで
どんなエクササイズが与えられたとしても一番に立候補しよう。
...と、ささやかな誓いをたててみる。
スランプ脱出の鍵は、たぶん実行あるのみですね。
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9月22日(日)
ペーパーやばい。
そして日曜の夜なので日本語の授業の準備もやばい。
...のに律義に日記を書いてる自分がいたりする。
現実逃避もここまでくると大したもんだ、と我ながら思う。
で。
現実逃避ついでに、午後に車で40分ぐらいの Wal-Mart へ買い物へ。
ショッピング、というより「買い出し」です。生活かかってるので。
とはいいつつ山のふもとにある「Piggly Wiggly」という
南部にしかないようなスーパーにしなかったのは、
やっぱり「違う空気」が吸いたかったからだろうな、きっと。
ちなみに余談ですが。
Piggly Wiggly のマスコットキャラはブタさんです。
ちゃんとレジのとこでTシャツまで売られてます。自社ブランドってやつですかね。
そのわりに、というか、それだから、なのか、豚肉は置いてないらしい。謎。
先週は締め切り控えてたこともあってストレス溜まってるなぁ、と感じてた。
日本にいた時は気づかなかったけど、そんなときは環境を変えるに限る。
日本だと、いつでもどこでも「ふと思い立って」行けるし、大体のことは自力でできた。
から、ストレス溜まる前に環境を変えて適度に気晴らし、ってのは意識せずにできてたんだと思う。
車はおろか免許さえない私は、ここではそうはいかない。
「気晴らし」するにも誰かの助けが必要なのだ。しかも英語で。
例えばね、ちょっと今夜はワインでも飲みたいな、なんて時があるでしょ。
そんな時、日本だったら普通にコンビニに行って小さなボトルを買ってくればいいわけですよ。
ついでにクラッカーとチーズとかも買ってきちゃえば、
そりゃもう深夜だろうが何だろうが簡単に気晴らしできちゃうわけですよ。
(朝型だから深夜にコンビニ行ってワイン買う、なんてことはまずしなかったけど)
ところがどっこい。
ここではまず山の下のリカーショップまで連れてってくれない?と頼み、
ドライバーがみつかったらパスポート持参で店まで出かけて行き
(私はいまだに21未満じゃなかろうかと疑われる。面倒くさいったらありゃしない)
しかもそこにはチーズなんてものはないから別の場所に連れてってもらい...
とか、そういうことになっちゃうわけです。
そこまでして飲みたいか、ということになると「ま、いっか」とか、なっちゃうわけです。
そんな些細な「解消し損ねたストレス」って意外とタチが悪いけど
でもある意味、ほとんどのことに他人の助けがいる、というのは
いい「練習」になってるかな、とも思う。
誰かに頼みごとしたり甘えたりするのって、必要以上に苦手だったから。
そんなこんなでお買い物。
ドライバーを引き受けてくれた人に気を遣ってしまう時もあるけれど
今日は普通に「あぁ、やっぱり違う空気はいいなぁ」と思った。
何かが違う。
山を下りてる間だけ、ふっと肩の力が抜けてる感じ。
先生で学生でマイノリティーで英語も完璧じゃなくて、って
意識してなくてもきっといつもどこか緊張してるんだろうな、と思う。
たまにそういうのが嫌になったりもするけど、
でもすごく「肥やし」になってる気がする。
から、頑張ります。
あー、短めの日記にしておくつもりだったのに。
ペーパーと授業の準備、終わるだろうか。謎。
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9月21日(土)
あきらかにヤバイ状態のペーパーの締め切りを控え
もっと焦らなければいけないハズなのに
うっかり昨夜深夜まで電話してしまったために、
ボーッとしていてどこか呑気な土曜の朝。
ふと、それはもう唐突に
「誰一人として他人を傷つけずに『戦う』ことはできるだろうか」
と、考えてみる。
『戦う』。
必ずしも誰かを相手に、ということではなく、自分のおかれた状況や、抱えている問題と。
でも社会の中で生活している以上、どうしてもそこに他者が関わってきてしまうことは
まぁごく普通にあるわけで。
大学を出てから、妙に『戦わなければ』ならない機会が増えた、気がする。
大学時代までが極端に平和で、恵まれすぎていたのかもしれない。
特にこれといって『ドロドロとした』、現実の厳しさに直面せずにきてしまったようで
たまにそんな、自分の世間知らずっぽいとこが嫌になったりもする。
自分のこと嫌いなわけでは決してないけど、
「こんな甘やかされた状態でいいのか?」みたいな。
大人になりきらないうちに年齢だけ重ねてしまったような危機感にも似ている。
ま、とにかく。
そんなこんなでどうも争いは苦手だ。
極端に自分が傷つくのを恐れているだけなのかもしれないけど
できることなら平穏に暮らしていきたい。
なんでかな、と考えてみるに。
他人から嫌われたり憎まれたりするのは、それはもうツライものだけど
自分が他人を傷つけたり憎んだりしている状況は、たぶんそれ以上に苦しい。
「どうしてもあの人と上手くやっていけない」という現実を自覚してしまうと
それはもう、本当に苦しい。
誰だって、みんなと円くやっていきたいでしょ。
それが上手くいかないときは、自分にも少なからず原因がある訳で。
クリスチャンになったから、というわけではないけれど
「全ての人を平等には愛せない」という
ごくシンプルな結論にたどり着いて、自分の心の狭さを知る。
たとえ「見返り」がなくても、相手に好かれてなくても、自分は相手に親切でいられる。
なんてことは、少なくとも今の私にはかなり難しい。
そんな自分の「醜い」部分に直面するのが嫌なのかもしれない。
そんなわけで、他人を傷つけると自分自身ももっと傷つく。
という半ば自分可愛さの論理で、やっぱり他人を傷つけることなく生きていけたらいいな、と思う。
でも自分を護るためとか、どうしても「これだけは譲れない」という大切なものを護るため、
時には『戦わなければ』ならないこともあるんだ、ってことが最近わかってきた。
でね、思うわけですよ。
「他人を傷つけずに『戦う』ことってできないのかなぁ」と。
できると思う。
根拠はないけど。証明もできないけど。
...ってのは、甘いですかね?
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9月20日(金)
ふと思いたってHP作成を本格的に開始。
今月中には公開できるようになりたいものです。
演技のクラスの後、先生が個人的に Medea のモノローグを見てくれる。
どうやらこのまま「プロジェクト」となっていくらしい。
私は彼女のように激しく嫉妬に狂ったことがあるだろうか、と思う。
嫉妬とは言わなくても、理性が追いやられるほどの強い感情に突き動かされたことがあるだろうか。
私が彼女の立場に置かれたら
嫉妬が怒りとなって外に向かい、「復讐」という具体的な行動に至るというよりは
悲しみとなって内面に向かい、心の奥底にしまいこまれ
そして、悲嘆にくれながらも何事もなかったように取り繕った顔をして
自分自身すらも欺きながら、ただただ「嵐」が過ぎ去るのを待ってしまう気がする。
これって、健全ではないのかもしれないけれど。
私の感情は、大体において理性に負ける。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
感情に流されて大問題を引き起こすことはないかもしれないけど
理性が頑張りすぎてるために、結果としてなんか損してることも多いかな、とも思う。
そういえばミスチルの歌で
「いつも考えすぎて失敗してきたから」って、あったよね。
それはともかく。
私は何故か、彼女に惹かれる。
だからこそ、「嫉妬に狂った恐ろしい悪女」みたいな
単純な構図で彼女を演じることは絶対にするまい、と思っている。
彼女は決して、理解不能な「異常な」人間ではない。
むしろ、すごく人間的だ。
気質の激しさは、自分を抑え、体裁を繕うことを知らない純粋さでもあるかのように見える。
私のように、感情のベクトルが内面に向かいがちな人間でも
追いつめられたら彼女のような行動に走ってしまうことがあるかもしれない。
「あぁ、あんな立場に置かれたら、自分でも彼女と同じ行動をとってしまうかもしれないな」と、
観る人がそう共感できるような、素敵なヒロインにしてあげたい。
「してあげたい」っていうのは、傲慢かな。
でも彼女、すごく可哀相で、健気で、そして魅力的な気がするんだもの。
...とは言っても、現実に存在してたらちょっと友達にはなりにくいかな、やっぱり。