日々の想い
Sep.〜Dec. 2003 in N.Y.
最新の日記
9月4日(木)
部屋が決まる前にクワイアー(聖歌隊)決定。
紹介されたとこに超気軽に電話したら
「じゃあオーディションするから一曲『とっても』上手に唄える歌準備してきて」
とか言われ、あまりの展開にかなり泣きそうでしたがどうやら無事パスしたらしい。
すんごく大きくて厳かな雰囲気満点の教会です。楽しみ♪
明日はいよいよスタジオでのオリエンテーション。
これから一年間、共にレッスンに励むクラスメートと初顔合わせです。
土曜には候補になってる部屋を2つ見に行く予定。
どっちかが決まれば落ち着けるんだけどなぁ...
9月7日(日)
『Washinghton Heights で$495! 』
とかいう広告が出てたのでちらっと街を見に行ってみた。
(一応)マンハッタンでこの値段、
スタジオ(要するにワンルームでの一人暮らし)ってのはすごい!
未開の地181st.で降り、何故か駅員操縦のエレベーター(階段がない)で地上に出ると...
ありえんかった。
そこは既に知らぬ国。
昼間から響き渡るサンバ(?)のリズム。
って、選挙カー?どこの国の選挙なの???明らかにNY(アメリカ)のではなさげ。
封鎖されて歩行者天国と化した道にあふれかえる人。人。人。
『週末は地域のマーケットで賑わう』ってこのこと!?これ毎週やってんの!?!?
誰も英語なんか喋ってないし八百屋の値札すら意味不明。すごすぎ。
ラテン系(かな?)移民パワーに圧倒されつつ数時間の『外国旅行』を楽しんでまいりました。
パスポートいらずで安上がり♪
しっかし日本人も数では負けてないだろうと思うんだけど
まだまだNYに『パスポート要らずの日本』はできてないようです。頑張れ日本。
かくいう最近の私は道をうろつくとやたらと中国語で話しかけられる日々です。
ウォー シー リーベンレン。(私は日本人です)
9月10日(水)
とりあえず部屋決まりました。クィーンズです。
とはいえ決めてよかったのやらどうやら...
駅から歩く距離が結構あるので冬が怖い。
今週末に引越しです。
その後しばらくネットにつなげなくなるかもしれません。
(プロバイダーと契約したりが済むまで、ですが)
9月11日(木)
そういえば今日は9月11日でしたね。
朝9時ちょっと前にお昼のパンを買いにスタジオの近くのスーパーに行ったら
ちょうどアナウンスがあって、最初のテロが起きた時間にしばし黙祷のひとときをもちました。
あれからもう2年も経つんですね。
私はあのテロで誰か知っている人を亡くした訳ではないのだけど
なんだかNY市民が抱える未だに癒えぬ痛みがひしひしと伝わってきて涙してしまいました。
演技の訓練とかやってると、どうも感情の動きに敏感になってしまうようで
辛いことや哀しいことやはたまたハッピーなことや、
小さな何気ない心の動きを隠しておくのが下手になっちゃったみたいです。
それは役者としては『強さ』だけど、社会の中では『弱さ』になるのかしら?
あ〜、なんか上手く表現できないけど。
ここにいる間は、社会的に“弱く”なってもいいから
役者として“強く”なることを最優先にしていこうと思ってます。
どうせここはニューヨーク。
“クレイジー”な人は掃いて捨てるほどいるので
スーパーの中で突如泣き出したって大して目立たないのさ、きっと。
***
決まりかけてた部屋、土壇場でキャンセルしてしまいました。
コインランドリーがやや遠くて(徒歩10分ぐらい)
冬場に雪が降ったり冷え込んだりする中洗濯抱えて10分はツライかと...
部屋の日当たりも気になって。
私、寒かったり日光を十分に浴びれなかったりすると
どうも気が滅入ってしまうのです。
残ってるのはブルックリン。
20日にならないと結果がわからないのでしばらく気を揉む日々です。
どうしても駄目なら不動産屋かなぁ...
なんか電話で話した感じだと、NYの不動産屋やブローカーって“悪どそう”で。
偏見かしら?
9月22日(月)
日曜未明にスタジオに泥棒が入りコンピュータ1台を持ち去ったそうな。
現金は盗まれておらず別のオフィスに穴を開けたものの何も盗らず
“被害”はコンピュータのみ。
情報が目的なのかしら...?なんだか怖いね。
10月18日(土)
8月2日に日記で書いた高瀬一樹さんがNYで日本人対象に開いているワークショップに
通訳補助みたいな形でお手伝いできることになりました。
いろんなことが、いろんなふうに繋がっていくんだなぁ。
ここから更に次に繋がるよう、がんばります。
10月31日(金)
久しぶりに泣いた。
Voice のクラスの後、先生に発音矯正のセッションが設定できないか相談していたときのこと。
こういう時間外のセッションがしたいのは現実的に上達するかどうかよりも精神的なものが大きい。
要するに私は『英語を克服するために何かをしている』という拠りどころが欲しいのだと思う。
「I want to do that because I'm not confident in speaking English yet.
(英語で話すことに自信を持つためにやりたい、今はまだ自信がない)」
と言った途端に涙が止まらなくなってしまった。
常日頃から英語へのコンプレックスはある。
平気な顔して暮らしてるけど、きっと日本語圏外で暮らす以上それは避けて通れないのだと思う。
普段はそんなこと気づかない振りをして、何ともない振りして自分すら騙しているようなものだ。
そんな心の奥深くにしまいこまれたものって、でも決して消えてなくなるわけではない。
言語化することで急にリアルに、そしてコントロールしきれないほど強烈に溢れ出してきたりする。
NYではセワニーと違ってマイノリティーとしての窮屈さもないし
日本語へのアクセスってありとあらゆるところに転がっているからかなり暮らしやすい。
でも、だからといって言語の壁が解消する訳ではない。
「住んでいる地域の言葉が話せないのは社会的に障害者になったようなものだ」
タイを訪れたとき、日本語礼拝で牧師さんが話していた言葉を思い出した。
彼は日本で10年間牧師を務めた後シンガポールで宣教師になる勉強をしていたとき
言葉が不自由なためにずいぶん悔しい思いをしたそうだ。
母国語でなら容易にできること、例えば自分の専門分野のことだってすんなりいかないことが多い。
何気ない雑談だって意外と神経を使う。
相手に上手く伝わらなかったり何度も聞き返されるくらいなら別にわざわざ持ち出す話題でもないかな、なんて
ついつい億劫になって引っ込み思案になってしまったりする。
つまり今日はそんな隠されたコンプレックスが反乱を起こす日だったのです。
Voice の次の Shakespeare のクラスまでずっと涙が止まらなくて
自分でもなんで泣いてるのか解らないくらいボロボロになってしまったけど、
でもこういう日って必要なのかな、とも思う。
NYで演技を学ぼうと決める前からこういう日があるだろうことはわかっていた。
訛りがあることや頭の中に浮かんだことをストレートに表現できないもどかしさは
セワニーにいた頃から事あるごとに経験していた。
それでも敢えてここに来ようと思ったのは、そんな悔しさ不自由さ以上に得るものがあるはずだと確信していたから。
そして私は日々それを吸収している。
これはすごく幸せなことだ。
日本語だったら(英語が母国語だったら)セリフ覚えるのも即興するのも発言するのもずっと楽なのに、
なんて思うことはたまにあるけど、でも実は同時に“外国人”であるメリットもあるのかもしれない。
言葉に敏感になれたり、はたまた言葉に惑わされることなく台本を読めたりもするのかもしれない。
今日は思う存分自分を泣かせてあげて、明日からは英語を言い訳にせずに頑張ろっと。
そんな訳で。
今日は『泣き日』でしたとさ。
11月1日(土)
引っ越しました。
昨晩はほぼ徹夜で荷作り。
今朝は早くから同じく今日引っ越すルームメート(+彼の友達)が私の部屋の壁撤収作業。
つくづく引っ越すことにして正解だったよ。
その壁を女手で取り払うって無謀に近いんじゃ...って作業でした。
友人の知り合いの知り合い、みたいな若いご夫婦に手伝ってもらい、無事引越し終了。
ブルックリンからクィーンズに移動しました。
NJに住む日本人から中古(とはいってもほぼ新品)のベッドを格安で譲ってもらい、
これでやっと落ち着けます。
う〜ん、考えてみれば前の部屋、すごくよかったんだけどなんか落ち着かなくもあったかなぁ、と今になって思う。
部屋も綺麗で日当たりも眺めもよいのだけどなんだかしっくりこないというか、常に気を遣っているというか...
何が原因ってわけではないのだけど。
(まぁ今だから公表するけど、強いて言えば『マフィア射殺事件』とか『公園通り魔事件』とか
『ドアマン ナンパ(プロポーズ)事件』とか『従業員やる気なさすぎスーパー事件』とか
笑えるような笑えないような事件がいろいろあったか...)
今度の部屋は入った初日からすごく落ち着く感じ。
実は北向きなのだけど北側と西側に窓が一つずつあるし
部屋の構造もきちんとプライバシーが保たれてて音とか気にしなくていい感じだし
何といっても近所が安全。
アジア人(中国人?)のコミュニティーみたくなってて
他のどの地域よりも美味しい食べ物がずっと安く手に入ります。
(中国家庭料理っぽいお惣菜が$4以下で二食分ぐらいくる)
アメリカで暮らしたことある人ならこのすごさがわかると思うけど、
近所のスーパーでサッポロやキリンやシンハやチンタオ(←アジア系のビールね)が普通に売ってるってすごくない?
駅にもコインランドリーにも歩いてすぐだし
近所の図書館では無料でインターネットへのアクセスもあります。
スタジオへの通学も楽になったみたい。
部屋は大学の寮よりもちょっと広いくらいで窮屈かもしれませんが
ぜひぜひ機会があったら遊びに来てくださいね。
ようやく真のNY生活開始、かな?
11月17日(月)
地下鉄にて。
10代のグループが8人ぐらいで乗り込んできてうるさいのなんのって。
どうやら女の子二人をふざけて違う路線に無理やり連れ込んじゃったらしくて、
彼女たちは駅に停まる度に降りていこうとするし彼らは邪魔するし...って感じなの。
犯罪の臭いはしないのだが悪ふざけの臭いはプンプン。
閉まるドアをこじ開けるわ耳をつんざくような奇声を発するわで大迷惑なのです。
乗客みなの心の中に『F***!』という言葉が蔓延した頃。
貫禄ある車掌(♀)が車内放送にて一喝。
「ドアが閉まるの邪魔するんじゃないよ、F***!!」
普段はFワードあまり好きじゃないんだけど、このときばかりはスッとしました。
他のお客さんと顔を見合わせて苦笑ってしまったよ。
思うに。
アメリカでここまでFワードが発達したのは
それを使いたくなる機会に満ち溢れているからなのね。
っていうかアメリカの親。
子どもの躾はきちんとしろ。F***!
おっと失礼。
11月18日(火)
『舞台上で恥ずかしがるのは役者の恥』
ダイアンがクラスで言ってたことを解釈するとこんな感じ。
そしてそれはかなり真実だと思う。
演技のトレーニングというのは
人前でできないことを少しずつなくしていくことでもあるのだろう。
思えば日本でワークショップを取り始めた頃は
人前に出るだけで緊張したりしてたっけ。
セワニーの頃は悪態がつけない、って悩んでたっけ。
気づけばいつの間にか大抵のことは抵抗なく挑戦できるようになったよなぁ。
いや、上手いかどうかは別として、ってことですけど。
「え、こんなことしていいのかしら?どう思われるかな?」
などという戸惑いがなくなってきた。
今日の Body クラスでの即興も重なり、そんなことを思う。
周りがアメリカ人ばかりということも相俟って、キスシーンなどでも難なくこなせる環境にあるのは幸せなことだ。
どちらか一方が照れてたらなかなか難しいことだからね。日本人ばかりだとやっぱりやりにくいと思う。
役者って実生活でも演技してるんじゃ、って誤解が生じるかもしれないので一応書いとくと。
舞台上と実生活ってやっぱり別。
演技をするときにはよく『リスクを負う』ということが言われるのだけど、
これって実生活では(特に臆病者の私にとっては)なかなか難しいことでもあります。
リスクを負うというのは、つまり自分のありのままを差し出すということ。
もちろんそれは弱い部分だったり醜い部分だったりするわけで、
同じ場で演技をするパートナーやそれを見守る仲間との信頼関係の上に初めて成り立つものです。
自分のどんなにパーソナルな部分を見せてもそれによって軽蔑されたり引かれたりしないという信頼。
スタジオの外にはリハーサル中に起きたことを持ち出さないという暗黙の了解。互いへの敬意。
そういうのがあって初めて恋人でもない人とキスしたり抱き合ったりできる訳で、
俳優としてキスシーンに抵抗がなくなるのと、実生活で誰とでもキスできるようになるのとは全く別なのです。
と、そこまで書いて。
リスクを負うのにも得意分野と不得意分野があり、
私が不得手とするのは confrontation(対立)とセクシャルな部分。
怒りをきちんと認めて相手にぶつけるのが苦手。自分の中の女らしさを肯定し色気を出すのが苦手。
いくら舞台上と実生活って別とは言っても、
実生活で苦手なこと(あまりしないこと)は舞台上でも難しいのだなぁ、と思う。つくづく思う。
例えばキスシーンにしても。
キスされるのは平気でも自分からキスするのには一瞬の戸惑いがよぎるのです。
怖気づくわけではないのだけど、一瞬素に戻って立ち止まってしまう感じが確かにあって。
即興後のコメントで案の定そこを見抜かれて指摘されたりもして、
う〜ん、次の課題はその辺かな、なんてことを思ったわけですよ。
舞台上で恥ずかしがるのは役者の恥。
格好よくありたいというプライドを捨てて莫迦なこと・ダサいことをするのは(幸いなことに)へっちゃらでも
実生活で不得手なことを克服するのにはやはり時間がかかるようです。
こんなことも一歩ずつ。
何年か後に気づいたら「あれ、これって前は難しかったのに...」ってことになるんでしょうね。
楽しみです。
...と書きつつ。
なんだか俳優ってこんなことに一喜一憂したりして滑稽な人種だよなぁ、とつくづく思う。
と同時に。
俳優ってこんなことに夢中になれて素晴らしい生き方だよなぁ、とも思う。
心から思う。
11月20日(木)
また英語のことで泣いてしまった。
シーン発表の後、クラスメートから英語のことでコメントがあって、
概してポジティブな内容でラリーも同意していたのだけど、私自身は手放しで喜べなかったのです。
それはきっと私自身が目指しているレベルにはまだまだ到底満たなくて、それを自分ではよくわかっていて、
にも関わらず褒め言葉をすんなり受け入れたりすると
「まぁこの程度できればいいじゃない」みたいに妥協しているようで悔しかったのだと思う。
どうも自分では納得できず、手放しで喜べなかったのです。
うっかり忘れていたけど、私は子どもの頃から意外と負けず嫌いで強がりだったのだ。
それで「キャスティングの幅も限られてくるし、このままじゃいけないと思う」と口にした途端、
説明できない強い想いに身体が乗っ取られて涙が止まらなくなってしまったのです。
だってそれは、今の自分にとってどうしようもなく真実だったから。
きっと心のどこかには、普段“ご主人さま”から相手にしてもらえない想いが潜んでいて
言語化した途端に抑えきれないくらい自己主張を始めて、
唐突に激しく噴き出してきたりするものなのだ、と思う。
それは悲しいことでも恥ずかしいことでもいけないことでもなく、
ごく自然で必要なことなのだと思う。
実際、心の浄化作用のようで心地よくもあったりする。
最近思うのだけど涙を流すことと傷ついていることは必ずしも一致しない。
嬉し涙とかそんなんじゃなくても、涙を流しながら癒されていくことってあるのだ。
ただクラスメート全員の目の前で泣き出してしまったため、後で弁解のメール出しときました。
どう見ても傍目には傷ついて泣いてるように映っただろうから。
このことがきっかけで「アヤに英語のことを指摘するのはタブーだ」みたくなるの、嫌だったのです。
学ぶために来ているんですもの。その話題を避けてちゃいけない。
貪欲に、したたかに、学んでいきたい。
11月21日(金)
発音矯正の個人セッションが始まりました。
Voice の先生やラリーに相談した結果、
レッスン代をサポートしてもらいつつ、毎週30分のみの短縮バージョンということで可能になったのです。
時間は短いけれどかなり助けになりそうな中身の濃いセッションで
英語のリズムや弱く軽く発音される語の捉え方などを身につけていくことになるようです。
言語学も大好きなので、こういう音韻論的な分析の仕方が面白くてたまりません。
先生方の好意によって実現したセッションだけに
本当にいろんな人に支えられて、今の最高に恵まれた環境があるのだなぁと再確認する。
必ずいつかこの好意に応えることができるように、日々の経験を無にしてはならない。
期待に応えて『面白い人間』になるのはいわば義務でもある。
ここまでよくしてもらってるのだから、「あの子を指導した」と誇りをもたれるような仕事がしたい。
いつまでも外国人であること・母語話者でないことを言い訳にしていてはいけない。
むしろ強みにしていきたい。
これを克服できたらきっとものすごい武器になる気がする。
現実的にも、精神的にも。
必ずできる。
根拠はないけど、信じてる。
***
夜。
スタジオで行われた Friday Series の受付のお手伝い。
4人の女性による、食べものに関するパーソナルモノローグの組み合わせのような舞台だったのだけど
全員とてもいい役者さんで、すごく迫力がありました。
特に摂食障害についてのモノローグは本当にパワフルでぐいぐい引き込まれました。
口先だけでなく全身全霊で再体験し、それを語ってるような
そんなリアルさが観る者を惹きつけてやまないのだと思います。
マイケル(Mihael Howard)とベティー(奥さま)も観に来ていて、終了後しばらくお話ししました。
マイケルはいまだに(ワークショップでの)通訳がよかったよ、と事あるごとに言ってくれます。嬉しいな。
はっきりいってかなり“お偉いさん”というか大御所なのに
いつもものすごく親切でフレンドリーに接してくれるのです。私ってば幸せ者。
帰り際にロビーに飾ってあったチューリップを一輪すっと引き抜いて
「It's for you.(はい、これアヤに)」ってプレゼントしてくれました。
もう80過ぎなのにこのスマートさとお茶目さが大好きです。
こんな素敵な年齢の重ね方、したいな。
12月2日(火)
今週はロサンゼルスから Caryn West という人が来てオーディションについての授業をしています。
NYとLAの違い、舞台と映画の違いなのかもしれないけれど、
正直言ってとても抵抗があることも多々あり。
そのうちの一つ、そして最大の点が自分を如何に見せるか、というところ。
彼女によれば男も女も“fuck-able”なイメージを作り出さねばならないとのこと。
特に女性。
ピンヒールのハイヒール、膝上丈のスカート、胸元が見えるようなブラウス etc.
男性はごく普通のタイトなシャツに良質な生地のパンツでいいというのに
どうして女性はこんなに露出が多くなければならないの、と思う。
これは彼女の主張なのではなく、彼女は映画界の現実を正直に伝えてくれているだけなのかもしれない。
でも、私はそういう現実が脈々と存在していることに対して
抵抗というよりも一種の嫌悪感のようなものすら感じる。
ストーリーに必要のないヌード・SEX。
そういうのがハリウッド映画の質を下げてるんじゃないの、と思う。
興行成績において『いい作品』と芸術的観点で『いい作品』とは、
哀しいことに現在のアメリカでは一致していないのではないか。
その一端を担っているのはアメリカ文化の根底にある
sex-oriented(“セックス志向の”) な obsession(“取り憑かれること・強迫観念”)なのではないか。
個人的にそれはアメリカ文化の“nasty”な面だと思う。
ヌードやSEXが悪いと言ってるんじゃない。
そういうのをテーマにした美しくて芸術性の高い作品はある。
芸術的な同意の上でより良い作品を創るためのヌード・セクシャリティーなら納得できる。
そうではなく、アメリカの大量消費的な姿勢というか、
人間(女性)の性すら商品化してしまうような空気が嫌なのだ。
だからいくら経済的・物質的には豊かになっても精神的にはいつまでも貧しいんじゃないの、と思う。
彼女曰くオーディションでの(“fuck-able”な)服装は“パッケージ”なのです。
そして現時点で私は自分が“fuck-able”な女優としてパッケージされるのを拒んでいる。
確かにそれで映画への道は閉ざされるかもしれない。
けど、例えば自分の意に反したパッケージに身を包み
自分の意に反したイメージを前面に押し出すことで仕事を得たとして
果たして私は幸せだろうか?
虚しくないだろうか?
そもそもアジア人って見かけと英語の訛りだけで
既に他の“fuck-able Americans”とは明らかに違うのに
敢えて周りと同じパッケージに身を包む意味があるのか?
それが『自分が世間から見られたいイメージ』とはかけ離れていても
右に倣えで同じような格好をする意味はあるのか?
かなり毒舌かもしれないけど
アメリカの低俗な大量消費文化の“商品”に成り下がるよりは
自分自身への尊厳を失わずに、何十年経っても胸を張って誇れるような作品を創りたい。
ショービジネスをわかってない世間知らずの理想論かもしれないけど、そう思う。
と同時に。
こういう意固地な考え方が俳優としての可能性を狭めることになるのかもしれない、とも思う。
基本的に誰かの意見を真っ向から否定して拒絶することはしたくない。
それは自分にとって勿体ないことだと思うから。
『絶対に正しい』ことなんて滅多に存在しないし
全ての観点にはそれぞれ尊敬すべきところ、学ぶべきところはある。
そういう可能性を端から切り捨ててしまうのは自分を制限しているようでもったいない。
自分の中の譲れない信念と、新たに出会う価値観とのすり合わせ。
今はきっと両者のバランスを探っていく時期なのかもしれない。
でもやっぱり私は
『セクシーな映画女優』よりも『演技派の舞台俳優』でありたい。
12月15日(月)
気がついたらずいぶん長い間『書く』ということをしてなかった。
日記もお休みしてたし、レッスン記録もメモ書きのまま。
『書く』ということだけでなく
『表現』すること全般から遠ざかってしまったように思う。
写真も撮ってない。
歌も唄ってない。
話すことすら英語では儘ならない。
だから、なのかな。
最近ちょっと調子悪い。
独りでいると途轍もなく淋しくて心細いのに
他人に囲まれていると相手の“エネルギー”に押し潰されそうになってしまう。
誰かといないと孤独なのに
誰かといると疲れてしまう。
あ、違う。
たぶん、ここでいう“誰か”というのは
調子のいいときの私を知ってる“誰か”で、
私の個性や能力を認めてくれる“誰か”で、
夢や可能性を一緒に信じてくれている“誰か”でなきゃダメなんだ。
思うに。
私にとって、それがどんな形であれ
表現すること、そしてそれが受け入れられることは
最大の自己肯定の方法なのだろう。
仕事としては全く不安定で“割に合わない”博打のような演劇から離れられないのも
「とにかく自分を知ってほしい」想いが強いからなのかもしれない。
“It's not the field to go into if you wanna be rich,
then you better have passion.”
(お金持ちになろうとして選ぶ道ではないのだから、情熱はもってるべきだよ)
そういえば、ちょっと前に先生がこんなこと言ってたっけ。
しばらく表現することから離れていて
自己肯定ができずにいたツケが
今、こんなふうにやってきているのだろうか。
いわゆる欝状態に突入しているようだ。
最近、何でもいいから働きたいな、と思う。
働くことは一つの自己肯定の手段でもあると思う。
労働に対する見返りが数字となって還ってくるでしょう?
なんか、お金がどうこうというよりも
自分が社会に多少なりとも貢献してる気がするのがいい。
「あ、私って役に立つんだ」って思えるから。
とはいえ今はビザの関係で自由に働くこともできず。
内緒で(“違法”に)バイトするのが普通、みたいな空気もあるけど
小心者なだけにそれもどうかなぁ、なんて思ってしまう。
でも“収入”という目に見える自己評価の手段がないことも
最近の『どうしようもない役立たず感』に拍車をかけてるのかなぁ、とも思う。
役に立ちたいな。
誰かに必要とされたいな。
それだけの為に何か新しいことを始めたいな、と思いつつ
日常生活の些細な物事をこなしていくだけでも
ものすごい勇気と気力とエネルギーとが消耗されてく、
そんな毎日です。
街はそろそろクリスマスですね。
12月17日(水)
別れは突然やってくる。
母親から一通のメールが届いた。
『お知らせ』という何ら当たり障りのない件名を目にした瞬間、内容を悟った。
でも、誰が?
それを確認するためにメールを開く。
私が中学生ぐらいの頃からずっと入院していた北海道の祖母が亡くなった。
明治生まれだったからずいぶん長生きした方なのだと思う。
それでも町の“長者番付”ではまだまだ大関になったばかり、とか叔母さんが言ってたっけ。
脳梗塞で入院してたから、会話ができなくなってからずいぶん経つ。
いつ召されてもおかしくないような状態だったのに
それがあまりにも長い間続いていたので
いつの間にか、このまま永遠に別れの瞬間は訪れないような気がしていた。
全ての生命にはいつか必ず終わりがくることを忘れていた。
小さい頃は遊びに行くたびに
「ばぁちゃんの生命の灯火はもう消えかかってる」なんて言いながらお小遣いくれたっけ。
なのに消えかかっていたはずの灯火はそれから20年以上も輝き続けた。
いつも廊下には栄養ドリンクの箱が山積みになってて
「リポビタン、リポビタン...」って言ってたっけ。
きっとあんなにたくさん飲んでたから倒れてからもこんなに長生きなんだよ、って
みんなに冗談みたいに言われてたっけ。
そういえば夏に帰国したときに部屋を片付けていて
祖母から昔もらった手紙が何通も出てきたっけ。
おばあちゃんは「〜でしょう」を「〜でせう」って書くんだよね。
昔の女の人だから、書くことにたぶんあんまり慣れてなくて、
ところどころ仮名遣いが間違ってて、
でもそれがすごく可愛らしかったんだ。
つい2・3日前に地下鉄に乗っていて
ふと「そういえば北海道のばあちゃんどうしてるかな」って想ったんだ。
古典の世界では夢に誰かが出てくると
夢を見た本人でなく、夢に出てきた相手の強い想いが通じたのだと考えたらしい。
今まではあまりピンとこない考え方だと思ってたけど、
あながち有り得ないこととは言えないのかもしれない。
とりあえず弔電を送る手配をして、
スタジオの先生に報告のメールを書いた。
『悲しいけど長生きだったし、納得できない別れじゃないから大丈夫』
“大丈夫”と書いた途端に抑えきれず泣き崩れた。
大丈夫なはずなのに、どうして、わたしは、泣いてるんだろう。
涙も突然やってくる。
最後におばあちゃんに会いに行ったのは、いつだっただろう。
最後に話したのは、いつだっただろう。
最後に話したのは、どんなことだっただろう。
どうして、わたしは、最後に交わした言葉を、思い出せないのだろう。