「カレンの村より」
2001年春のワークキャンプで訪れたカレン族の村、
メー・マー・ロー(Mae Mar Law)の写真です。
『A Minister and His Chicken ‐村の朝』
村に行くと、いつもこの牧師さんが家に泊めてくれます。
これは“寝室”(普段は“Dining Room”なのかな?)から撮ったもの。
朝日をバックに立つ彼と、
餌をついばむ鶏(と、たぶん犬か豚)との対比がいいなぁと思います。
いかにも『村の朝』という感じなのです。
この写真から受ける印象って
すごく穏やかで、あったかくて、どこか神聖で
村で彼らと過ごしていたときのような、まっさらな気持ちになれるのです。
無条件に幸せだなぁ、と思えるのです。
心の何処かにそういう場所を持てることって
実はとても恵まれていることなのだと思います。
2回のワークキャンプを通して
「幸せってどういうことなのだろう」と強く考えさせられました。
まだ答えはみつからないけど
そもそもこの問いには答えなんてないのかもしれない、と最近思います。
真の幸せというものは
「〜だから」と条件でくくれるものではないような気がするのです。
だって理由なんかないんだもの。
彼らを訪れると「生きてる」ことを心と身体で感じて
無条件に幸せな気分になれるんだもの。
(2002.12.17.)
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日曜の朝。
階段の上では大人たちが礼拝に向けてミーティングをしています。
なんで見たことない人がここにいるんだろ、
みたいな不思議そうな顔で私達を見つめている彼。
本当に、ただ純粋に「見る」ことだけに没頭してる感じ。
朝だからまだ半分夢の中なのかな?
だとしたら私達は彼にとって
夢の中の登場人物のようなものなのでしょうか。
彼の記憶の中に
あの日、あの時、私達が同じ空間に存在したことは
一体どれだけ残るのだろう。
どんな意味を為すのだろう。
実際はほとんど影響なんかないのかもしれない。
そう思う一方で
普段は『外国人』なんか訪れないであろう村を訪ねるときは
自分の訪問がいかに『特別なこと』になり得るかを感じるのです。
良くも、悪くも。
自分がここにいるという事実には何らかの影響力がある。
それをひしひしと感じて、ちょっと襟元を正したいような、
そんな気分になったりします。
そんなとき、いつも思うのです。
彼らの生活スタイルを侵してはならない、と。
どんな場面でも同じなんだろうけれど
『交流』の最大原則は、互いへの『respect』なんじゃないかなぁ。
『??? ‐この人誰だろ』
(2002.12.13.)
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突然の来訪者に、
もう構って欲しくてたまらない様子の子ども達。
一生懸命息をひそめてカサの中からこちらの様子をうかがう
『必死に押し殺した』躍動感がいいなぁ、と思います。
実際のプリントではカサを抑えている小さな手が見えていて
それがまた可愛らしい。
こちら側では村の大人達と私達が立ち話をしています。
視線をそらすとそろそろと顔を出し、
振り返るときゃあきゃあ言いながら『秘密基地』に隠れるのです。
ただのカサとダンボール箱でも
想像力次第ですごく素敵な遊び道具になるんだよね。
(2002.10.19.)
『A Small Kingdom ‐秘密基地』
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「他人の空似?」
『In My Dream‐温もり』
一日の仕事を終え、夕飯も食べ、就寝前のひととき。
村の人が集まって来て、写真を囲みながら
キャンプの話に華を咲かせました。
こんな時、日本語と英語とタイ語と、ときにはカレン語が飛び交います。
私は村で過ごすそんな時間も好きだったりします。
『言葉だけ』に頼ることなく、本当にコミュニケーションしているのを感じるから。
そんな私達の話の輪の中にいたこの子、
そのうちはしゃぎ過ぎて疲れたのか
いつの間にかおばあちゃんの腕の中で眠ってしまいました。
すごく無防備で穏やかなこの寝顔、
まるで天使のようだなぁと思います。
見ているだけで優しい気持ちになれるというか
癒されるというか...。
ところでこの顔、
どこかで見たことあると思いません?
(2002.12.17.)
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