「On the Edge」
Beggining Photography のプロジェクトの一つ
『3 Unconnected Prints』からの2枚です。
この2つの作品を見て
当時の先生は「彩がセワニーをどう見てるかがわかる」と言いました。
そのとき使われた表現が“on the edge”です。
曰く、構図の取り方など私が全く意図してなかったところに
「外の世界へ飛び出したいエネルギー」が表われてるのだと。
意識下の想いが作品に反映されるだなんて、
しかもそれをズバリ言い当てるだなんて、なんだかすごい。
そう思ったものです。
ちなみにこれを如何に“Unconnected”として発表したかには触れませんが
もう一つがあればちゃんとプロジェクトの意図に沿ったものになるのですよ。
まぁ、実際この課題の主旨は
「全く関連性のない作品なんてあり得ない」ことに気づかせるところにあったようで
蓋を開けてみればきちんとその主旨をくみ取った発表になりました。
この作品には運命のようなものを感じます。
これは Is It Already Dusk? のテクリハで
一日中劇場に缶詰めになっていた週末、
30分だけ時間をもらって外に出たときに撮影したものです。
演劇のページを見て頂ければわかりますが
Is It Already Dusk? のテーマは『生きること』です。
第一部では『愛する人の不当な死』が描かれます。
そこでは小道具として“鳥の玩具”が使われました。
鳥と死。
偶然といえば偶然なのですが、
数時間後に再びこの場所を通ったときには、
もうこの小鳥の亡骸はありませんでした。
あの30分がなかったら、この作品は存在しなかったのです。
写真を現像するときも、
このプリントに限っては一回で
「これしかない」と思えるものができました。
(普通は何度も修正しながらやり直すのです)
そんな訳で、この写真は世界に一枚しかない、
特別に思い入れのある作品なのです。
『Life ‐生命』
この写真の focus は
息絶えた小鳥の亡骸とそれに向かって萎れかかっているタンポポです。
どちらも生命の終わりに直面し、まだわずかに息のあるものが
ついさっき息を引き取ったものをいたわるかのようにそっと身を寄せている、
そんな関係性が私に強く語りかけます。
他者との関わりが存在するおかげで
この作品は生きていくことの厳しさと共に救いを感じさせてくれる、
dark だけれども希望のもてるものになっています。
それが Beginningクラスでの “(自称)代表作” としている理由です。
技術的なことを少しだけ解説すると
小鳥とタンポポだけに focus があって背景がぼやけているのは
aperture(絞り)を大きくして撮影したからです。
一般に aperture を大きくして撮影すると、焦点の範囲は狭くなります。
ある特定の被写体のみに focus を絞りたい場合は
aperture を大きくすればいいわけです。
(その分シャッタースピードは短くなります)。
実は意図的にそのような設定を選んだわけではなかったのですが
結果として、こんなにはっきりとその効果を実感することになりました。
こちらはセワニーにある Memorial Cross です。
南北戦争の記念碑、だったかな?
山の下の景色が見渡せる場所なので
ちょっと時間があって気分を変えたいときなど
ここまで足を延ばしたりします。
写真を撮るにも絶好の場所なので
以前はよくここに来たりしていました。
(「あの日、あの時」の『May 6, 2002』は
ここで撮影されたものです)
最近は被写体(十字架)のもつメッセージ性が
あまりにも強すぎて、
写真自体のメッセージを圧倒してしまう気がして
あまり撮っていませんが...。
この構図の取り方で
先生の “On the Edge” の指摘があったわけです。
(正面からではなく斜めから撮ったことで
視点が十字架を越えて、もっと奥の
「外の世界」に吸い寄せられるのだそうです。
ちなみにその構図は
『Life』のタンポポと小鳥の配置にも共通してるとか)
「“center” にいる人にはこういう写真は撮れない」
とも言われたので、まぁいいことなのかなぁ。
何枚か撮った十字架の写真の中では
一番力強くて気に入っている作品でもあります。
背景の空の感じ、実物はもっと綺麗なんですよ。
『The Cross ‐丘の上に十字架立つ』
(2002.12.17.)
写真 Top