Is It Already Dusk? --- Tiny Epic Project
公演:2001年4月24-27日 @Tennessee Williams Center, Sewanee
[Is It Already Dusk? ‐第一部より]
【プロジェクト概要】
2001年秋にスタートしたプロジェクトです。
NYから演出家を、SFから舞台(技術)監督を迎えての企画。
既成の台本を舞台化するのでなく
ワークショップを重ねる中で一つの作品を創り上げていくというもの。
もともと『生きる』ことをテーマに、ということだったようですが
プロジェクト始動と前後して、NYでテロが起きました。
そんなこともあり物語の軸にはあの事件があります。
このプロジェクトの通称『タイニーエピック』は
ご存知の通り、このHPのタイトルにもなっています。
ここセワニーで成し遂げた初めての舞台だったこと、
第一線で『プロ』として活躍している演出家との初めての『仕事』だったこと、
そんなこともあってとても意義深い、思い入れのある企画となったこと、
そして『タイニーエピック』のコンセプトに共感を覚えたこと、
などの理由からです。
詳しくはタイトルに関するコラムをご覧ください。
【あらすじ】
2001年9月11日のテロに関する新聞記事などがもとになってます。
第一部。
公園で遊ぶ子ども。手には新しい鳥の玩具。
母と一緒の、平和なひととき。
と、その瞬間。
彼女は何かを目撃します。
振り向くとそこには倒れた母の姿が。
彼女の世界は悲しみに溢れ、
やがてそれは攻撃的な憎しみへと変化します。
第二部。
大人になった彼女はアメリカに渡ります。
親切な人との出会いを通して
全てのアメリカ人が敵なのではないと気づく一方、
9年間務めた神学校では教会に集う人々の強烈な反日感情に直面し、
怒りと憎しみをつのらせます。
彼女の身体は、被爆の後遺症から癌に侵され、
視力すら失いつつありました。
そんな折、NYでテロが発生します。
TVの画面に映し出される光景が
被爆直後の広島と重なり、フラッシュバックに悩まされます。
ある日のこと。
教会に半ば好戦的なスピーチをしに行く途中、
一羽の蝶が舞い込んできます。
蝶は、彼女にとって母の象徴のような存在でした。
それを境に、彼女の心の中に変化が起き始めます。
その日、彼女はスピーチの内容を変えました。
そしてある晩彼女は夢を見ます。
焼け野原となった街をさまよいながら
瓦礫の中で『何か』を必死に探しています。
そして、ついに見つけたものは
真っ黒に焼け焦げた自分自身の心臓でした。
それを機に、彼女は気がつきます。
連鎖反応のように繰り返される憎しみを乗り越え、
平和と和解のために歩まねばならない、と。
******************
第一部は音楽とそれに合わせた動きのみの構成。
(セリフは一言もありません)
第二部は日本語と英語によるナレーション(↑)と、
その合間に挿入された数々の『エピック』で構成されています。
『エピック』は、WTCで犠牲になった人々(など)の
生前の一コマを抜き出したもの、という感じです。
観光旅行、看病、結婚式の控え室、老夫婦、恋人の語らい、旅立ち etc.
それらのシーンが、テロの救出作業シーンの合間に
浮かび上がってくるのです。
【感想】
この作品を創り上げていく過程は
ものすごく勉強になりました。
役作りというのは
台本を分析して頭だけで行われるものではないのだ、ということ。
実際、この作品には『台本』と言えるようなものはありませんでした。
強いていうならナレーションの原稿と
挿入されるシーンの順序を書いたメモ、といったところでしょうか。
動きだけでそのキャラクターの特徴を表現すること。
立ち方、歩き方、お茶の飲み方、など
何をするにもその人らしさって現れるのです。
で、それを表現するときに
「ここで脚をこう動かして、...」
とか頭で考えても上手くいかない。
集中すべきは、そのキャラクターの根底に流れている特質なのです。
しっかりそれに集中していれば、
あとは何をやっても『その人らしく』身体が動いてくれるもの。
準備段階で徹底的にやったのは
ある『もの』を脊髄に入れ(イメージ上でですよ)
それが身体の状態や動きにどんな影響を及ぼすか、というもの。
『もの』とは、例えば
リス、蝶々、ヘビ、ポップコーン、...etc.
私は『お米』と『レモン入り炭酸水』とかやって
何故か爆笑をかいましたが。
ちなみに炭酸水のイメージは子どもを演じるのに役立ちました。
で、それを脊髄に感じたままの状態で
ある一つの動作をするのです。
紅茶を入れて飲む、鳥に餌をあげる、冷蔵庫を開けて何かを食べる、など。
さらにその動作の始まりから終わりまでの間に
年齢の変化を加えます。
紅茶を入れるときは老人で、
飲んでるうちに若者になり、
飲み終わってカップを置くと子どもになってる、とか。
逆もありますね。
始まりは子どもで終わりは老人のパターン。
本番3週間前ぐらいまでは
あらすじもなく、台本もなく、
どんなものができあがるかすらさっぱり分からない状態で
ずーっと『リスの要素をもった人がものを食べつつ年老いていくところ』
なんてことをやっていたもので
初めの段階から比べるとメンバーがかなり減ったりもしました。
でもそのおかげで(?)
最終メンバーは舞台作りに真剣に取り組む人ばかりで
このプロジェクトを通して素敵な出会いがたくさんありました。
ほとんど誰も理解できない言語(日本語)で演じるということで
言葉を越えたところでの表現が求められ
個人的にはそういう意味でもとてもいい経験でした。
「何を言ってるのかは理解できなかったけど、
キャラクターが感じている怒りや悲しみは
ものすごく伝わってきた」
という嬉しいコメントを少なからず頂き、
まさにそれこそ目指していたところだったので
役者として感無量といったところです。
ただ、日本人としては内容にちょっと疑問があったりもしました。
こう言ってはナンだけど
『たった二つ』のビルが犠牲になった自爆テロと
スイッチ一つで街一面が焼け払われた原爆とを
同じ土俵で語るのは違うんじゃないか、と。
そんなところにアメリカ人のテロに対する
誇張された被害者意識を垣間見たり。
ま、さすがに本番2-3週間前になって
初めて発表された『あらすじ』に
待ったをかけるなんてことは、しませんでしたけど。
このプロジェクト全般に対してはとても満足しています。
学ぶことがたくさんあったし、
自分の集中力(=演技)も最大限に発揮できたし
今までの舞台の中で一番誇りをもてるものになりました。
ビデオを編集してキャスト全員に送ってくれると言ってたのに
まだ届きません。(苦笑)
首を長くしすぎてキリンになりそうです。
(2002.12.14.)
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