開演前は、いつもドキドキする。全身を駆けめぐる血の音が聞こえ、破裂するんじゃないかと思うぐらい心臓が早鐘を打つ。

 上手くできるかな。歌詞を間違えないかな。途中で棒立ちになったりしませんように。

 幾ら祈っても祈り足りない。気絶しそうな不安と緊張。

 でも。

 がんばろうね、と涼平くんが笑う。
 いくぞ、と龍一くんが背中を叩く。

 それだけで僕は、何も怖くなくなるんだ。




Give you my heart




 会場は既に人でいっぱいだった。楽屋の小窓から覗くと、きらきらと可愛らしい格好をした女の子たちが、一様にステージを見つめている。

「見て見て! お客さんすごいよー!」
「慶太ッ、よそ見ばっかりしてないで、準備できたのかよ?」
「ちぇ、龍一くんのイジワル」
「意地悪じゃねぇっつーの! 頭にピン留め付けたまま歌う気かよ?」

 あれれ、と慶太は髪に手をやり、途端に顔を真っ赤にした。龍一くんのバカバカバカ、と小声で八つ当たりをしながら、急いで鏡の前に座る。ピン留めは四つもついていた。
 バツが悪そうに髪を直す慶太を鏡越しに見ながら、龍一はケタケタと笑う。

「ほら見ろ〜、そんなんで出てったら慶太クン大恥かくとこだったぞ〜」
「……平気だよ〜だ。きっとみんな可愛いって言ってくれるもん」
「じゃあ出てみ?」

 龍一はニヤ〜と笑って慶太の髪に、次々とまたピン留めを差した。何故かカーラーまで。

「やめろーぅ!」
「ンまぁ、ケイタくん、かぁわいー!」
「二人とも、ちょっといい?」

 ばたばたとふざけ合っていたところに、涼平が現れた。マネージャーと、スタッフのチーフも一緒だった。三人の真剣な表情に、慶太と龍一は嫌な予感がした。とりわけ涼平が、真っ青な顔をしていたのだ。

「何かあったんですか? もしかして、事故とか」

 龍一が尋ねる。

「いや、事故はこれからというか、何というか……」

 いつもぽんぽんと歯切れのよいチーフが、いやに口ごもる。

「ファンの子がね、いや一部の子なんだけど、すごいことになってて」
「どういう……?」

 慶太の問いに、チーフとマネージャーはきまりが悪そうに顔を見合わせた。マネージャーは言いづらそうだった。何度も唇を湿し、ようやく言葉を絞り出す。

「慶太の凱旋イベント、ということもあって、みんなかなり興奮してるんだ。ステージに上がりかねない勢いだ。人数も多いし、ともすれば将棋倒しになるかもしれない」
「ほんとですか……」

 慶太は眉をひそめた。涼平が言う。

「とりあえず一曲、様子を見ることにしたんだ。歌ってる間に収まるといいんだけど……」

 慶太は胸をぎゅっと押さえた。
 収まらなかったら、どうするのだろう。
 だがそれは訊けないまま、イベントの幕は開いた。



 歌は、大切な大切なデビュー曲。
 心を込めて、歌った。

 客席からはキラキラとひかりが飛び散り、歓声とも悲鳴ともつかぬ声が上がる。圧縮されていく人、人、人。

 果たして歌は届いたろうか。



 一曲目を歌い終わったと同時に、三人は袖へ呼び込まれた。すぐ横にいる龍一の呼吸が荒い。涼平も汗だくになっている。一曲ぐらいでへばるような二人じゃないのに、と思った時、自分も喉がカラカラになっていることに気付いた。汗ばかりがベタベタと冷たい。

 イベントを中止しよう、というスタッフの提案に、

「わかりました」

 頷いたのは涼平だった。驚いて慶太は涼平の肩を掴んだ。

「涼平くん、どうして!?」
「これ以上は無理だよ、慶太。あんまり危なすぎるよ」

 返す涼平の唇は、小刻みに震えていた。開始前、年長の涼平一人にだけ、最悪の場合は中止になるかもしれないと告げられていた。それが現実になるとは。悪い夢だったらよかったのに、とそれだけを思っていた。

「イヤだ、絶対止めない! お願いします!」
「慶太、このまま続けたら、ファンの子たちが暴動を起こしかねないよ。そうなったらステージなんてメチャメチャになってしまうし、君たちだって危ないんだ」
「やらせてください! 慶太の地元なんスよ、それなのに中止なんて……慶太があんまり可哀相スよ」

 龍一が食い下がった。お願いします、と頭を下げる。

「ステージの後ろのほうにずっといますから! 触られたりとか絶対にしないから」
「龍ちゃん……」

 涼平が辛そうに龍一を見る。続けたいのは自分も同じだった。だが……。

「オレら、もしケガしても、絶対文句言いませんから! スケジュールも絶対に穴あけたりしませんから! だからお願いします!」
「お願いします!!」
「龍一、慶太」

 マネージャーが二人を起こした。すがるような目をする慶太と龍一に、優しく、だが首を左右に振った。

「どうして……」
「三人のケガも心配だけどね。それ以上に心配なのが、ファンの子たちのケガなんだよ」

 龍一は、あ、と小さく声を漏らした。こんなに混み合った会場では、たった一人が転んだだけでも、それはたちまち大惨事を招くだろう。始まる前に言っていたではないか、将棋倒しになるかもしれない、と。

 慶太は、先ほど見た会場の様子を思い出した。中学生や高校生が多いだろうが、小学生だっているに違いない。前のイベントの時は、最前列に3年生か4年生ぐらいの子がいて、一生懸命一緒に歌ってくれていた。もしもあんな小さな子が、周りから押されでもしたら……。怖ろしさに身体が震える。だがそれ以上に慶太の心は震えていた。

「……ねぇ、これ、ドッキリでしょ? 僕テレビで見たことあるよ、どっかにカメラあるんでしょ?」
「慶太、あのさ……」

 涼平に肩を掴まれたが、慶太はそれを振り払った。

「ドッキリじゃないなら、やろうよ。三人でお願いすれば、みんな絶対分かってくれるよ。ねぇ、歌おうよ、龍一くん、涼平くん!」

 だが涼平は力無く首を振った。

「もう、決まったから」

 その時、慶太の耳に、場内アナウンスが聞こえてきた。

 本日のイベントは、都合により中止します、と。



 次々と解体されていく舞台装置を、慶太はぼんやりと眺めていた。世界中から自分の歌う場所が奪われてしまった、そんな気がしていた。

「慶太」

 マネージャーが声をかける。

「そろそろ戻ろう。次の打ち合わせもあるし」

 慶太は黙ったまま頷いた。

「ごめんな慶太。ほんとごめんな」
「……うん」

 謝ることではない。だから許すのもおかしいことだ。だがきっとマネージャーはそうとしか言えないのだろうし、慶太もそうだった。

「まだ納得出来ないだろうけど、でも……」
「大丈夫です、ちゃんと、わかってますから」

 慶太はマネージャーを見て、小さく微笑んだ。

「すごく歌いたかったんです。その気持ちと、まだちょっと折り合いが付かないだけですから」
「そうか」

 どちらからともなく、二人は立ち止まった。

「ほんとにね、ただ歌いたかったんです……」
「慶太……」
「ファンは勿論だけど、昔からの友だちとか、応援したり心配してくれてる親戚の人たちみんなに、僕は元気だよって伝えたかったんです」
「うん」
「元気だよ、歌も踊りもこんなに上手になったよって」
「うん」
「それから、それからさ……」

 くしゃりと顔をゆがませた。堪えきれない涙がぼろぼろと頬を伝う。

「涼平くんと、龍一くんを、みんなに……見せびらかしたかったのに」

 どうだい、僕の仲間は格好いいだろう?
 僕の仲間はすごいだろう?
 最高だろう?
 僕は大丈夫。
 この二人がいるんだもの。

「僕は……」

 涙を隠すように、慶太は俯いた。

「ぼくはただ歌いたかっただけなんだ」





 好き、ただそれだけで、僕はずっと歌ってきたし、
これからも歌っていく。

 give you my heart
 心をあげる。
僕が歌う歌は、みんな君のもの。

 だから、
 give me your heart

 君の思いを僕に頂戴。
 好きという一つの思い、それだけが僕の糧だから。

 それだけで僕は歌えるから。





おわり。


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☆あとがきのようなもの

w-inds.のことを知るにつれ、ファンにとって避けては通れない出来事をも知りました。
神谷はリアルタイムでそのことを知りません。ファンの方がネットで公開されている、イベントレポからしか知り得ていないのです。
そんな自分が、こんな小説を書くのは大いに不遜なことだと思います。
勿論、ファンのことも、w-inds.およびスタッフサイドのことも、実際とは全然違うでしょう。マネージャーさんが男性か女性かもわからないし、
なにより出来事そのものの流れさえ違うと思います(汗)。
でも、知ってしまったからには、このもにょりとした気持ちを、どうにかしたい。その一心で書きました。
マナー向上等の啓発的意味合いは、まったく意図しておりませんが、もしそのように読めて、
実際を知りもしないのに不愉快だ、と思われた場合は、どうぞご容赦ください。
いつも以上に自己満足な小説をお読みくださって、本当にありがとうございました。(神谷炯 2002.9.26.)