オリンピック                                                戻る
開催 トピック
1896 第1回 アテネ
14ヶ国。8競技43種目。
選手は男子のみで280人
陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8競技43種目。
陸上競技ではアメリカが全11種目のうち9個の金メダルを獲得
マラソンではギリシャの故事にちなんでマラトンからパンアテナイ競技場までの約40キロのコース。25人の選手が出場。ギリシャのスピンドル・ルイス選手が優勝。
1900 第2回 パリ
19ヶ国。16競技60種目
1066人(うち女子12人)の選手
初めての女性金メダリストに、テニス・シングルスで優勝したイギリスのシャーロッテ・クーパー。
1904 第3回 セントルイス
13ヶ国。16競技87種目。
681人の選手
「キセル・マラソン事件」8月30日、猛暑の中、40キロのコースで、アメリカのフレッド・ローツ選手 は20キロ過ぎで力つき、たまたま通りかかった車でスタジアムに帰ろうとしたが、ゴールまで5マイルのところで車がエンスト。体力を回復したローツはそのままゴールを目指し、1着でゴール。ローツを車に乗せた男性が告発したために、およそ1時間後にゴールしたアメリカのトーマス・ヒックスが優勝。歴史に残る、不名誉なエピソード です。
1908 第4回 ロンドン
22ケ国。23競技110種目
1999人の選手
7月19日の日曜日。セントポール・カテドラルで行われたミサで、ペンシルバニアのエチェルバート・タルボット主教は各国選手団を前に「オリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加したということであろう」と説教。それから5日後、イギリス政府が大会役員を招待して開いたレセプションの席上で、クーベルタンIOC会長は、この言葉を引用して演説。のちのちに語り継がれることになる。
1912 第5回 ストックホルム
28ケ国。15競技108種目。
2490人の選手
日本がオリンピックに初参加。
1909年5月、クーベルタンからの呼びかけによって嘉納治五郎(当時、東京高等師範学校=のちの筑波大学=校長だった)がアジアで初めてのIOC委員に就任。ストックホルム大会への参加に向けて大日本体育協会を創設。
1911年11月18日、19日に日本で初めて国内選考会が開催され、短距離で優勝した東京帝国大学の三島弥彦と、マラソンで世界最高記録を作って優勝した東京高等師範学校の金栗四三の2人を日本代表としてストックホルム大会に参加。
競技の結果は、世界の壁を痛感するものでした。短距離の三島選手は外国選手との体格差の前に100メートル、200メートルともに予選最下位。400メートルは予選通過したものの疲労のため準決勝を棄権。期待された金栗選手は炎天下のレースにもかかわらず外国人選手の無理なペースに合わせて走ったために32キロ過ぎに日射病で倒れてしまった。
1916 ベルリン開催予定
開催不可能。
第6回大会は1916年にドイツのベルリンで開催される予定だったが、直前に第一次世界大戦が始まり、ベルリン大会の開催は不可能となる。
戦争が終わった翌年、クーベルタンIOC会長は5年ぶりにIOC総会を召集。1920年に開催されるべきオリンピックの開催地を決めることが大きな議題でした。ヨーロッパの国はどこも戦争の深い傷跡を残しており、とくにベルギーも大きな被害を受けていたが、IOC総会では、あえてそのベルギーのアントワープを開催地に選ぶ。
1920 第7回 アントワープ
29ヶ国。23競技161種目。
2,668人の選手
テニスに出場した熊谷一弥と柏尾誠一郎の活躍。シングルでは熊谷が銀メダルを。またダブルスでも熊谷と柏尾のペアで銀メダルに輝いた。
1924 第8回 パリ
44ヶ国。19競技140種目。
3070人の選手
アメリカがすばらしい強さを見せ、140種目のおよそ3分の1に当たる45種目で金メダルを獲得。
マイクロホンが使われるようになる。それまで競技運営の連絡などには大きなメガホンが使われていたが 、観衆の大歓声でかき消されて選手や役員に連絡や指示が行き届かないのが問題でした。マイクロホンの登場で、その悩みは解消されたのです。
選手村が設置されたのもこの大会が初めて。それまで選手の宿舎にはホテルが利用されていたが、メーンスタジアムであるコロンブ競技場の周囲に1軒4名収容のコテージが建てられた。
レスリングフリースタイルで内藤克俊選手が銅メダルを獲得。
1924 第1回 シャモニー・モンブラン
冬季大会
16ヶ国。4競技14種目。
258人の選手
1928 第9回 アムステルダム
46ヶ国。16競技119種目。
2694人の選手
陸上・三段跳びで、織田幹雄選手が15メートル21という記録で見事に金メダルを獲得。日本人で史上初の金メダリストとなる。また同じ競技に出場した南部忠平選手も4位に入賞。
人見絹枝選手/陸上・800メートル/銀メダル
(当時、100メートルの世界記録保持者であった人見選手。期待された100メートルでは準決勝で思わぬ敗退。急きょ800メートルへの出場を決め、見事に銀メダルを獲得。)
鶴田義行選手/水泳・200メートル平泳ぎ/金メダル
(2分48秒4のオリンピック新記録で優勝。日程が三段跳びよりも6日遅れだったため、日本人金メダル第1号とはなれなかった。また、水泳では800メートルリレー(男子)で銀メダル。)
100メートル自由形で高石勝男選手が銅メダルを獲得。
1928 第2回 サンモリッツ
冬季大会
1928/2/11〜19
25ヶ国。5競技14種目。
464人

6名の日本選手が初参加。完敗に終わる。

1932 第10回 ロサンゼルス
1932/7/30/〜8/14
37ヶ国。16競技128種目。
1328人
ヨーロッパから遠隔地だったため、参加国・選手数が激減。
陸上競技で初めて写真判定装置が登場。
満州事変の勃発などで国際世論の風当たりが強い中、日本は192人の大選手団を派遣。
競泳・男子6種目中、5種目で日本選手が金メダルを獲得。
陸上・男子100メートルで吉岡隆徳選手が決勝に進出。6位入賞。
陸上・三段跳びで南部忠平選手が優勝。日本選手が2連覇を果たす。
馬術・大賞典障害飛越個人で西竹一選手が優勝。
1932 第3回 レークブラシッド
冬季大会
1932/2/4〜13
17ヶ国。4競技14種目。
252人
50年ぶりの暖冬で競技運営がやや混乱する。
日本からは2競技に17人の選手が出場。
ジャンプの安達五郎の8位が日本選手の最高成績。
1936 第11回 ベルリン
1936/8/1〜16

49ヶ国。21競技148種目。
3956人
アドルフ・ヒトラーがベルリン・オリンピック大会組織委員会総裁に就任。
オリンピック史上初めての聖火リレーが行われる。
レニ・リーフェンシュタール女史が監督したこの大会の記録映画が1938年のベニス映画祭で金賞を受賞。
陸上・三段跳びで、田島直人選手が優勝し日本人がこの種目3連覇を果たす。原田正夫選手が2位に入り、日本人が1、2位を独占。
当時日本の占領下にあり、日本代表として出場した朝鮮出身の孫基禎選手がマラソンで優勝。
陸上・棒高跳びで、激闘の末、西田修平選手と大江季雄選手が2、3位に入賞。帰国後、2人は銀と銅のメダルを2つに切ってつなぎ合わせ、激闘の思い出にした。
水泳・男子競泳で金メダルを3個獲得。200メートル平泳ぎは三段跳びと同じくオリンピック3連覇となる。
水泳・女子200メートル平泳ぎで前畑秀子選手が金メダル。日本人女性初の金メダリストとなる。この競技をラジオ中継したNHK・河西三省アナウンサーの「前畑がんばれ!」の絶叫が伝説となる。
1936 第4回 ガルミッシュ・パルテンキルヘン
冬季大会
1936/2/6〜16
28ヶ国。4競技17種目。
668人

大会前日、大会会場周辺に張られていたユダヤ人排斥のビラやポスターを撤去するようヒトラーに要求。一度は反発したヒトラーだったが、ラツールIOC会長の厳然とした申し出に屈して、要求通りにポスターなどを撤去する命令を出す。
日本からは3競技に48人の選手団を派遣。
フィギュアスケート女子に12歳の小学生、稲田悦子選手が出場。26人中10位となる。
1940 東京予定 第12回東京大会が中止となる
ベルリン大会の次、1940年の第12回大会は東京で開催される予定だった。1940年は紀元2600年(神武天皇が即位して2600年)に当たる記念すべき年で、国家的祝祭を計画していたが、1937年には日中戦争が勃発。オリンピックの開催が近づくにもかかわらず軍部の発言力はますます強まり、ついに1938年7月15日の閣議で「東京オリンピック大会の開催は中止されたし」との勧告を出すことになってしまった。
IOCは急きょヘルシンキを代替地として開催準備を進めたが、まもなくソ連のフィンランド侵攻が始まり、第12回大会は中止となってしまう。
さらに、第13回大会はロンドンが開催地として決定したものの、開催地決定からま もなくヒトラーによるポーランド侵攻を引き金に第二次世界大戦が始まってしまい、 再び中止せざるを得ない状況になってしまう。
1944 ロンドン予定 第二次世界大戦のため中止
1948 第14回 ロンドン
1948/7/29〜8/14
59ケ国。19競技151種目。
4064人
第二次世界大戦の責任を問われ、日本とドイツは招待されなかった。
ベルリン大会で感動を呼んだ聖火リレーが踏襲された。こののち、1951年のIOC総会で聖火リレーは『オリンピック憲章』に正式に加えられた。
判定機器がさらに進歩。写真判定器や跳躍距離測定器が登場した。
日本選手、幻の金メダル
 当時、日本の競泳陣は日本大学在学中の古橋広之進、橋爪四郎らの強豪揃い。泳ぐたびに世界新記録を更新しているような状況。当時、日本水泳連盟会長やJOC総務主事などの役職にあった田畑政治は、なんとかロンドン大会への出場がかなうよう奔走したが、結局出場はならず。そこで田畑はやむを得ず、ロンドン大会と同時に全日本水上選手権大会を開催。その大会の1500メートル自由形で、古橋が18分37秒0、橋爪が18分37秒8のそれぞれ世界新記録を樹立。ロンドン大会の金メダリスト・アメリカのジェームズ・マクレーンの記録は19分18秒5。
翌1949年8月、ロサンゼルスで開催された全米屋外選手権に古橋と橋爪が出場。22 歳だった古橋は400メートル、800メートル、1500メートル自由形と800メートルリレーの4種目でいずれも世界新記録をマークして優勝。8月16日の1500メートル自由形では、予選A組に出場した橋爪が18分35秒7の世界新記録を出すと、直後のB組に出場した古橋は18分19秒0という脅威的な記録をマーク。計時員は自分の時計を疑うほど。世界に日本水泳陣の強さをアピールした。
1948 第5回 サンモリッツ
冬季大会
1948/1/30〜2/8
28ケ国。5競技22種目。
669人
1940年と1944年の冬季大会が、世界大戦の影響で中止となる。
スイスのサンモリッツが20年ぶりに二度目の冬季大会開催地となる。
1952 第15回 ヘルシンキ
1952/7/19〜8/3

69ケ国。18競技149種目。
5429人
ソビエトが初参加。大量の選手団を送り込み、参加選手数が回大会より871人も増えた。
日本が16年ぶりにオリンピックに参加する。レスリングの「フリー・バンタム級」の石井庄八選手が唯一の金メダルを獲得。
33回も世界記録を更新して期待された水泳の古橋廣之進選手は400メートル自由形決勝で無念の8位。
1952 第6回 オスロ
冬季大会
1952年2月14日〜25日
30ケ国。4競技22種目。
694人
冬季大会で初めての聖火リレーが行われる。
アルペン競技に大回転が登場する。
第二次世界大戦後初となるこの大会に、日本は18人の選手団を送り込む。
天才少年として期待された高校3年生の猪谷千春選手が、回転で11位となる。
1956 第16回 メルボルン
1956/11/22〜12/8日
(メルボルン)
67ケ国。17競技145種目。
3178人
(ストックホルム)
(馬術(ストックホルム)6/10〜17)
29ケ国。1競技6種目。
159人
初めて南半球でオリンピックが開催される。
オーストラリアの検疫に関する法律などにより、馬術競技のみストックホルムでの単独開催が特例として実施された。
ハンガリー動乱などの影響で参加国、選手数が減少する。
水泳の古川勝選手など、日本が4個の金メダルを獲得。
1956 第7回 コルチナ・ダンペッツォ冬季大会(イタリア)
1956/1/26〜2/5
32ケ国。
4競技24種目。
820人

オーストリアのトニー・ザイラーが、スキーのアルペン競技で初の三冠王となる。
日本の猪谷千春選手が、スキー回転競技で銀メダル。冬季大会で日本初のメダルを獲得する。
1960 第17回 ローマ
1960/8/25〜9/11
83ケ国。18競技150種目。
5315人

マラソンで、まだ無名だったエチオピアのアベベ選手がはだしのまま石畳のコースを走り抜き優勝を飾る。
日本は16競技に219人(選手167人、役員52人)の大選手団を送る。
男子体操で日本チームが団体総合の金メダルを獲得。
日本は金メダル4個、銀メダル7個、銅メダル7個を獲得。
1960
第8回 スコーバレー
冬季大会
1960/2/18〜28

30ケ国。4競技27種目。
665人
コース建設費用がかさむボブスレーのかわりに、バイアスロンが正式競技として初登場する。
日本は選手41人、役員11人の選手団を派遣するが、成績はふるなかった。
1964 第18回 東京
1964/10/10〜24
93ケ国。20競技163種目。
5133人
柔道とバレーボールが正式種目に加わった。
最終聖火ランナーをつとめたのは、広島に原爆が投下された昭和20年8月6日に広島市近郊で生まれた早稲田大学の坂井義則。
ウエイトリフティングの三宅義信選手が、10月12日、日本の金メダル第一号となる。
レスリングで日本勢が金メダル5個を獲得する大活躍。
遠藤幸雄を中心に、男子体操陣も金メダル5個を獲得。
マラソンの円谷幸吉が銅メダルを獲得。エチオピアのアベベがオリンピック2連覇を達成した。
4階級が行われた柔道で、日本は3階級を制覇。しかし無差別級ではオランダのアントン・ヘーシンクが優勝し、日本の4階級制覇を阻む。
女子バレー決勝戦で、東洋の魔女と呼ばれた日本チームがソビエトをセットカウント3対0で下し金メダルを獲得。
日本の金メダル獲得数は16で、アメリカ、ソビエトについで3位となる。
10月23日夜、女子バレーボール決勝戦のTV視聴率は85%にも達したといわれる。
1964 第9回 インスブルック
冬季大会
1964/1/29〜2/9

36ケ国。6競技34種目。
1091人
ボブスレーが復活、リュージュが新登場するなど、競技・種目数が大きく増える。
日本は4競技に選手48人、役員13人の選手団を派遣。
スキーでは90メートル級純ジャンプの笠谷幸生選手の11位が最高成績。入賞は、女子スケートで5位に2人、6位に1人だけにとどまる。
女子スピードスケート3000メートルで6位に入賞した長久保初枝選手は、実はこのとき妊娠していたというエピソードが残っている。
1968 第19回 メキシコ
1968/10月/2〜27
113ケ国。18競技112種目。
5498人
海抜2240メートルという高地でのオリンピック開催となる。選手の健康が心配されたが、陸上短距離や跳躍の競技で好記録が連発。
人種差別問題で、南アフリカの参加が取り消しとなる。
最終聖火ランナーに史上初めて女性を起用。ランナーは20歳のエンリケッタ・バリシオだった。
サッカーで、日本チームが銅メダルを獲得の大健闘。釜本邦茂選手は6試合で7ゴールを決め得点王となる。
ウエイトリフティングの三宅義信選手がオリンピック2連覇。弟の義行選手も銅メダルとなり、兄弟で表彰台に立つ。
日本の金メダル獲得数は11個。東京に続き、アメリカ、ソビエトに次ぐ3位となる。
1968 第10回 グルノーブル
冬季大会
1968/2/6〜18
37ケ国。6競技35種目。
1158人

フランスのクロード・キリーがスキーのアルペン競技で史上2人目の三冠王となる。
日本は6位入賞者さえなく、次回の札幌大会に向けて大きな不安を残す。
1972 第20回 ミュンヘン(西ドイツ)
1972/8/26〜9/11
121ケ国。21競技195種目。
7121人
男子水泳でアメリカのマーク・スピッツが、出場した7種目すべてに世界新記録を出して金メダルを獲得するという快挙を成し遂げた。
日本水泳陣では、男子100メートル平泳ぎで田口信教選手が、女子100メートルバタフライで青木まゆみ選手が金メダルを獲得。
男子体操が団体総合4連勝、個人総合3連勝を果たす。個人種目別などもあわせ、金 5、銀5、銅6個のメダルを獲得する独壇場。
メキシコでは行われなかった柔道が復活。大活躍が期待されたが、6階級中、金メダルは3個と、予想外の成績に終わる。
男子バレーボールで日本が金メダルを獲得。
1972 第11回 札幌
冬季大会
1972/2/3〜13

35ケ国。6競技35種目。
1006人
70メートル級ジャンプで、笠谷幸生選手が金メダル、金野昭次選手が銀メダル、青地清二選手が銅メダル。日本が金銀銅を独占する。
フィギアスケートに出場したジャネット・リン(アメリカ)が日本中で大人気となる
日本は地元とあって大選手団を送り込むが、メダル獲得はジャンプの3個だけにとどまる。
1976 第21回 モントリオール
1976/7/17〜8/1
92ケ国。21競技198種目。
6043人
人種差別問題など、国際的な政治問題の続発で参加国が激減する。116の国と地域がエントリーしたものの、最終的には94の国と地域の参加にとどまった。
日本の男子体操が団体総合で5連覇を果たす。
女子体操でルーマニアのナディア・コマネチが10点満点を連発。日本でも大人気となった。
女子水泳では、東ドイツのコルネリア・エンダー選手が金メダル4個、銀メダル1個を獲得する大活躍で話題となる。
女子バレーボールで、日本が金メダルを奪回。
日本の金メダル獲得数は9個。ソビエト、東ドイツ、アメリカ、西ドイツに次ぐ5位。
1976 第12回 インスブルック
冬季大会
1976/2/4〜15
37ケ国。6競技37種目。
1123人
日本は6位内入賞者がゼロに終わる。期待されたジャンプの笠谷選手も70メートル 級で16位、90メートル級で17位と不本意な成。
男子滑降で、地元オーストリアのフランツ・クラマーが圧倒的な強さで優勝。
女子アルペンでは、西ドイツのロジャー・ミッターマイヤーが滑降と回転の2種目で優勝、大回転でも銀メダルを獲得して話題。
1980 第22回 モスクワ
1980/7/19〜8/3
80ケ国。21競技203種目。
5283人
79年12月、ソビエト軍のアフガン侵攻に対する制裁措置として、アメリカのカーター大統領がモスクワオリンピックのボイコットを表明。
多くの選手、コーチが参加を訴えるなか、5月24日に開かれたJOC臨時総会において不参加を決定。
西側諸国が不参加の中、全204種目中でソビエトが80個、東ドイツが47個という大量の金メダルを獲得する。
1980 第13回 レークブラシッド
冬季大会
1980/2/13〜24
37ケ国。6競技38種目。
1072人
この地で1932年以来2度目の冬季大会開催。
男子のスキーで、スウェーデンのインゲマル・ステンマルクが回転と大回転の2 種目を制覇。天才ぶりを実証する。

70メートル級ジャンプで八木弘和が銀メダルを獲得。日本ジャンプ陣の名誉を回復する。
女子フィギアスケートで、渡部絵美が6位に入賞。
1984 第23回 ロサンゼルス
1984/7/28〜8/12
140ケ国。21競技221種目。
6802人
聖火ランナーからも参加費を集めるなど、増大する運営経費と商業主義が話題になる。
モスクワ大会の報復として、ソビエトや東欧諸国など16の国と地域が参加をボイコ ット。
アメリカのカール・ルイスが陸上で4冠王となる。
男子体操で、具志堅幸司が個人総合優勝。森末慎二が鉄棒で10点満点を出して優勝。
柔道・無差別級で、山下泰裕が2回戦で負った右足のケガをおして優勝を遂げる。
アメリカが221種目中83個の金メダルを獲得。東側諸国不参加によって起こった異常事態ではある。
日本は10個の金メダルを獲得した。
1984 第14回 サラエボ
冬季大会
1984/2/8〜19
49ケ国。6競技39種目。
1274人
ジャンプで東ドイツのイエンス・バイスフロクと、フィンランドのマッチ・ニッカネンが激しい優勝争いを演じる。
スピードスケートで男子の黒岩彰が期待されるが不振。かわって伏兵の北沢欣浩が500メートルで銀メダルを獲得する大健闘。
1988 第24回 ソウル
1988/9/17〜10/2
159ケ国。23競技237種目。
8473人
陸上男子100メートルでカナダのベン・ジョンソンが9秒79の驚異的な世界記録で優勝する。しかしそれから2日後、ジョンソンのドーピングが発覚し、金メダル剥奪、記録抹消という事態になる。
アメリカのフローレンス・ジョイナーが100メートル、200メートル、400メートルリレーで優勝。
男子100メートル背泳ぎで、鈴木大地が優勝。
柔道の金メダルは、95キロ超級の斉藤仁だけに終わる。
日本の金メダル獲得数は4個。
1988 第15回 カルガリー
冬季大会
1988/2/13〜28
57ケ国6競技46種目。
1423人
スピードスケート男子500メートルで黒岩彰が銅メダルを獲得。
女子のスピードスケートで橋本聖子が5種目すべてに日本新記録で入賞する快挙を 達成した。
日本選手のメダルは銅1個に終わるも、5位が4、6位が2、7位1、8位1など、近年の国際冬季大会としては最高の成績をおさめた。
1992
第25回 バルセロナ
1992/7/25〜8/9
169ケ国。25競技257種目。
9368人
東西冷戦の集結もあり、史上最大規模の平和の祭典に。
14歳の岩崎恭子が女子水泳200メートル平泳ぎで金メダルを獲得。「今まで生きてきた中で一番シアワセ」の名台詞を残す。
30度を越える猛暑の中、女子マラソンで有森裕子が銀メダルを獲得。
男子マラソンでは、谷口浩美が23キロの給水地点で転倒。8位でゴールし「こけちゃいました」の名台詞を残す。
柔道男子で、78キロ以下級の吉田秀彦、71キロ以下級の古賀稔彦が相次いで金メダルを獲得。
1992 第16回 アルベールビル
冬季大会
1992/2/8〜23
64ケ国。6競技57種目。
1801人
橋本聖子がスピードスケート1500メートルで悲願の銅メダルを獲得。
スピードスケート男子500メートルで、黒岩敏幸が2位、井上純一が3位となってメダルを獲得。
ノルディック複合団体で、日本が金メダル。ゴール前、最終走者・荻原健司が日の丸を振りながら笑顔で力走する姿が話題に。
日本は、これまでの冬季大会13回の出場して得たメダル7個と同数を、この大会だけで獲得する快挙。金1、銀2、銅4。
1994 第17回 リレハンメル
冬季大会
1994/2/12/〜27
67ケ国。6競技61種目。
1739人
この大会から、夏の大会の2年後の冬開催となるよう、開催サイクルが改められた 。
スピードスケート男子500メートルで堀井学が銅メダルを獲得。
女子スピードスケート5000メートルで山本宏美が銅メダルを獲得。
複合個人で河野孝典が銀メダルを獲得。
複合団体では日本がオリンピック2連覇を達成。2位ノルウェーに5分近い大差をつけてのゴールだった。
ジャンプラージヒル団体で金メダルの期待を背負った日本のエース原田雅彦が痛恨の失敗ジャンプ。銀メダルを獲得。
日本の獲得したメダルは金1、銀2、銅2。
1996 第26回 アトランタ
1996/7/19〜8/4
197ケ国。26競技271種目。
女子マラソンの有森裕子が銅メダルを獲得。「自分で自分をほめてあげたい」のひと言が流行語となる。
自転車の1000メートルタイムトライアルに出場した競輪選手の十文字貴信が銅メダルを獲得。
女子柔道48kg級の田村亮子。北朝鮮のケー・スンヒに決勝で惜敗し銀メダル。
柔道では、女子の恵本裕子、男子の中村兼三、野村忠宏が金メダルを獲得。
サッカー予選リーグ。日本が強豪のブラジルを破る大金星。
野球の日本チーム。期待に応え銀メダルを獲得。
アメリカのカール・ルイスが陸上の走り幅跳びで奇跡的な金メダル。オリンピック4連覇の偉業を達成した。
2000 第27回 シドニー
2000/9/15〜
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※参考書籍『近代オリンピック100年の歩み』(監修/財団法人日本オリンピック委 員会 発行/ベースボールマガジン社)