ネパール旅行記(2000・12・23〜31)
12/23(土)

午前5時起床。5時45分家を出る。まだ暗闇である。トランクの車の音が響く。 6時10分信太山発、和泉府中乗り換えで関西国際空港6時43分着。全日空カウンターで搭乗手続きを済ます。チャータビンなので座席はすでに決まっている模様。少し早いが出発ロビーへ。今日から冬休み混雑しているかと思ったが、朝が早いためか空いている。免税店はまだシャッターを閉じている。しばらくして開店、いつものウイスキー(寝酒用と土産)を買って搭乗。
9時25分無事離陸。25分の遅れ、機内は日本人客ばかり、少し空席がある。旅行業者「風の友社」が今回の旅行を取り仕切っているようである。 ほぼ予定どおり14時カトマンズ着。約12時間のフライだった。ヴィザをとるための手続きに手間取り入国が一番最後になってしまった。我々が並んでいるところに西欧人の団体旅行業者が横から入ってきたため余計遅くなった。それに対してだれも文句をいわない。一人興奮していた。「郷にいれば郷に従う」である。
クルが迎えに来てくれていた。2年ぶりの再会である。インターナショナルゲストハウスの車でタメルへ。明日、ポカラへ行くデラックスバスの予約をしてからダルバール広場まで歩く。広場で18時までスケッチをする。広場は2年前と同じで少しも変わらない。
19時夕食をクルのお勧めのレストランで一緒にする。観光客はなく、ネパール人向けの店ようである。ダルバートを食べる。ビールが冷えていない。マトンのつまみを食べるが固い。余り美味しくない。20時30分ホテルに帰り風呂に入る。日本時間だと1時10分。子供に電話して予定どおりの旨つげる。自分の用意した薬を持たず、子供の薬を誤って持ってきた。下痢になったら最悪である。24時犬の泣き声で目を覚ます。夜は更けていく。長い一日が終わった。

12/24(日)
5時までうつらうつらした。明け方寒かったのでブランケットを1枚足した。毛布が重く、鼻づまりがひどく、ウイスキーを飲んだのだが熟睡できなかった。5時起床。部屋で簡単な朝食をすませる。クルの話しでは、バス内で朝食と昼食が出るとのことだった。 6時タクシーが来る。クルも見送りにきてくれた。バス乗り場へ向かう。まだ外は暗い。どのバスに乗るか2年前は解らず苦労した。今回はクルが一緒なので安心である。それでもバスの上に荷物を上げてもらうだけでチップを要求され20ルピー支払う。これはチップというより外人は当然支払わねばならないようである。払っていないツーリストがバスの中で払っていた。我々が乗ったデラックスは、トラベランス バス サービス会社。
8時、バス内で朝食軽弁当ドーナツ、クッキー2個、スプライトが出る。栓をぬくと錆がビンの口についている。気にしてはいけないのだが気になる。途中バスが止まったので、立ち小便をする。昼食も簡単なサンドイッチとコーラが出た。途中、結婚して1年になる インド人夫婦とお茶を飲む。おごってくれた。一緒に写真をとる。教育の先生をしているとのこと。なぜか似顔絵を描く気にならない。
14時ポカラ着。2年前少し日本語を話す「菜の花ロッジ」の使用人が迎えにきていた。「菜の花ロッジ」でスディープとクルの妻に会う。クル夫妻の家は新しく建て替えてあった。部屋に落ち着いた後、フイシュテルホテルにスケッチに行く。ポカラに来ると必ずここに来てスケッチをしているようだ。
1枚スケッチをした帰り、「ブックフェイム」に寄る。スディープのお父さんに会う。カレンダーを買う。クルの妻から明日夕食の招待を受ける。今日はクリスマスイヴ、スディープとプラディープの二人を連れてレイクサイドを散歩がてら買い物をする。ネパールダンスを見ながら夕食をする。フルコースを食べる。少し高くついた。22時前風呂に入り寝る。明日は6時起床サランコットに行く予定。
12/25(月)
6時起床。パン、バナナ、サラミで朝食を済ます。7時クルの車でサランコットへ。2年ぶりのマチャプチャレ、アンナプルナが朝日に照らされ美しい。
車から下りると子供たちが集まってくる。彼らを振り払うのに苦労する。2年前と道が変わっていた。 あまりにも 山が大きすぎ、スケッチブック6号変形が合わず、2枚ほど描くがだめだった。
妻と一緒のためか外国にきているという実感が沸かない。サランコットは余りにも観光ずれしてしまったようである。ネパールの子供とヤギを一緒に写真をとってやるとモデル料を請求してくるのには唖然とした。マニー、マニーと何処までも付いてくる。終いには石をなげてきたのには腹立たしくなる。サランコットまでの車代でもトラブル。ここにも昔と違う面を観たような気がした。16時の待ち合せでロッジに帰る。
事務所でビールを飲む。使用人と口論する。コミニュケーション不足で誤解からこのような事になったのだと思う。夕食はクルの奥さんの台所兼食卓で彼の息子二人と我々二人の4人が食事ダルバートをご馳走になった。家庭料理の味がして美味しかった。小生は初めて手で全て食べた。スプーンで食べるより美味しかった。奥さんが一緒に食べないのはなぜか聞くべきだった。土産物を彼女の息子達にプレゼントした。奥さんに何もプレゼントするものを用意していなかった。妻が着ていてセータをプレゼントした。とても喜んでいた。21時寝る。明日は近辺でスケッチするつもりである。夜中の2時犬の泣き声で目が覚め、その後妻の鼾でウトウトして朝になる。
12/26(火)
7時起床。妻は室内からスケッチ小生は屋上からスケッチしてから朝食にでかける。モーニングサービス「湯で卵2個、トースト2枚、ジャガイモなど野菜のいためもの」86ルピーだった。安くて美味しい。午前中室内からスケッチする。
昼食は「ラサレストラン」へ、ヌードルスープとチーズトマトサンドイッチとネパールティー。野菜サラダがあったので、下痢をしないか恐る恐る食べた。結局今回の旅行では一度も下痢をしなかった。
午後、ダムサイドまで歩く。1枚スケッチした。夕食は日本人が経営しているレストランへ「焼き飯、やきそば、クリームソース。オニオンスープ。ポテトフライ、ビール、」500ルピー一人250ルピーだった。女主人オーナが挨拶にきてこのレストランを600萬円で1ヶ月前購入した。土地代が1ヶ月5万円必要である。使用人を現地で雇用して教育するのがとても大変である。ストレスがたまってしょうがないという。旦那はバングラデッシュの人で彼女は川崎で飲み屋をしていたという。
22時過ぎゲストハウスに帰る。バスタブの湯が途中から水になる。寒い。2時30分犬の泣き声で目がさめる。前回までは、これほど犬が多いとは思わなかった。
12/27(水)
カトマンズに帰る日、7時過ぎクルの奥さんがネパールティを持ってきてくれた。今回の旅行で彼女だけが我々二人を歓迎してくれたように思う。プレイムが荷物をグリーンバスまで運んでくれた。彼は1ヶ月後結婚をするという。100ルピーをチップにあげた。彼は人懐っこいユーモアのある働きものだ。べカーリで焼き立てのパンを買い食べる。
グリーンバスに日本人は乗っていない。少し空き席がある。後ろの座席のイギリス人が車酔いでゲロしていた。11時20分、休憩をかねレストランで朝食をとる。4人家族のスリランカの主人と少し話しをする。彼はアメリカの助教授で彼の妻も流暢な英語を話す。デジカメで1枚撮る。E−メイルを送る約束をする。アジア人同志なぜか話しやすい。欧米人はアジア人を少し蔑視しているように感じるのは、小生の僻みなのだろうか。バスはチェックポイントで長く待たされる。学生のデモがあるようだという。大型バス、トラックが数珠のように3度ほど待機させられた。
予定時間を大幅に遅れてカトマンズに入る直前。思ってもいない事が起こった。市民が道路を封鎖して通してくれない。ここから下りて歩いて行ける人は自分で行って貰って良いという。タクシーはない。
バスは引き返して警察署に行く。ガイドが英語で事情を説明するのだが、良くわからない。隣りの欧米人に聞いても早口で聞き取れない。どうするべきかネパールのガイドに聞く、乗っているよりしようがない。言葉が解らないと自分がどのようにすればよいのか不安である。だからと言ってどうすることもできない。少しオオーバだけれど、アウスシュビッツに送られるユダヤ人と同じである。
妻が長時間トイレに行っていないので、ガイドに聞く。ポリスのトイレを使ってくださいという。真っ暗闇のなか。もう一組の西欧人と一緒にトイレに行く。トイレも電灯はない。生憎懐中電灯はバッグのなか。欧米人がライターを時たま点灯してくれた明かりを頼りに用をすます。これで一安心。ガイドが差し入れを配りはじめた。インド人がけ札警察で事情聴衆される。長時間になるのか不安がよぎる。
しばらくしてパトカーの先導でバスが動きだした。途中、機動隊の人達がバスの中に入ってくる。騒乱状態のあった場所の路上ではタイヤの焼いた残り滓。投石が散らばっていた。市民は、ほとんどいない、町角に立つ武装警官を横に見ながら、パトカーに先導され、グリーンバス乗り場に無事着く。
ここからタメルまでは目と鼻の先、それでも大きなトランクがあること。インターナショナルゲストハウスの場所がすぐに見つかるか不安。
丁度人力車がきたので乗る。少し窮屈だったが60ルピーで無事ゲストハウスに入る。インターナショナルゲストハウスは同じ部屋だった。日本語を話す人がいない。
富士ゲストハウスに電話して今日の出来事のアウトラインがわかった。インドの有名俳優がテレビでネパールの悪口を言ったことが発端で、ネパール人が常日頃の鬱憤ばらしにデモをしたとのこと。明日はストライキで車は動かない。店は開かないという。富士ゲストハウスオオーナ、パクリン氏から「なぜ富士ゲストハウスを利用してくれない」と聞かれる。バスタブがないゆえだと妻のせいにしてなんとか言い訳する。
夕食はインターナショナルゲストハウスでする。天ぷら定食を食べる。200ルピー美味しかった。日本人客が食事をしていた。明日はアサン、インドラチョーク方面には行かない方が良いという。インド人の店が放火されたと言う。スワヤンナープに歩いて行くことにする。 日本に電話してから風呂に入り寝る。
12/28(木)
7時起床、カトマンズゲストハウスのレストランで朝食。ストライキでほとんどの店が閉まっている。朝食後、富士ゲストハウスへ行く。途中、毎回ルピーを交換してくれる絨毯屋の兄さんが声をかけてくる。「店を替えてここでやっている」という。100ドル7400ルピーで交換してもらう。
富士ゲストハウスの主人とナラヤンに再会。奥さんは日本人を連れてポカラに行っているという。カトマンズの情報はここが一番良い。
スワヤンプナートへ歩く道は1本道、途中、川があり、橋を渡り30分程で着く。何個所か絵になるところあり。帰りに描くことにして目的地を目指す。
今回はどこも行けないのでゆっくり寺を見る。午前中のカトマンズ市内はガスがかかって見えない。スケッチを1枚する。
お菓子を食べていたら猿がきてもう少しで鞄を取られる処だった。帰りドーナツを買って歩きながら食べる。スケッチをしていたらたくさんの見物人が集まってくる。トイレがしたくなって探していたら、現地の人がす―と消え、「たちしょん」をして出て行く。同じ場所に自分も行き用を済ます。その場所を見て驚いた。大便がたくさんあって、臭くて今思いだしても 気分が悪くなりそうである。それからはスケッチをする気にもならずゲストハウスに帰る。
屋上でスケッチをしながら昼食をとる。タシさんと少し話しをして明日の予定を告げる。但し、ストが続くと予定が立たなくなる。30日、空港までのタクシーが動かない時どうするか不安がつのる。ゲストハウスで夕食後、タメルに出る。スーパーマーケットが開店していた。どんなものがあるか物色する。ウイスキーのあてを買ってゲストハウスに帰る。
12/29(金)
昨夜早く寝たため、12時過ぎに目が覚める。5時頭を洗うため風呂に湯を入れるが、やはりぬるい。ゲストハウスで朝食をとる。日本人家族客がスト解除になったので、ポカラに行くという。
我々も車を1日チャータして市内見学をする、8時30分出発。運転手「ガネッシュ」パシュパトナートに行く。ガスが立ち込めている。丁度これからお葬式が始まるところであった。一人一人お別れの儀式を済ませ、薪の上に運ばれ、火を点け焼かれる。スケッチ1枚する。たくさんの人が見物、写真を撮っていた。
2枚目のスケッチは川を描く。10年前にも油絵を描いた。ここは絵になる場所が多い。少し時間を延長した。1時間30分いたことになる。
ボダナートへ。ボダナートは絵を描くところがない。写真を撮ってトイレを探す。食堂でトイレを借りたので、子供に5ルピーあげる。
1周したら何処から入ってきたかわからなくなり、迷子になる。どうにか駐車場を探して車を見つけ一安心。
パタンに向かう。11時着。ここで2時間昼食とスケッチをする。昼食はコーラとバナナとパンで済ます。子供がたくさん寄ってくる。大人のネパール人が追い払ってくれた。ミカン売りが来て買う。安い。コーラの空き瓶をくれと言う。このビンを返品すると金を返してもらえるようだ。
1枚スケッチをして、広場を少し見学してバクダプールに行く。外国人は観光料を取られるのだが,パタンでは助かった。バクダプールではしかたなく観光料350ルピーを支払って入る。
バクダプールの建物は美しい。管理がよくできている。絵を描いていても子供が寄ってこない。1枚スケッチをする。広場やヘビの彫刻のある池(浴場)をみて帰る。
少し遅かったが最後の予定地の寺、世界遺産になっている寺へ向かう。20分ほど山道を走り段々畑を登る。夕方の田園風景が美しく印象に残る。20〜30分ほど塔の回りを見て、写真を撮って帰る。
ゲストハウスに着いたのは18時夕闇が迫っていた。マネージャは日本語が話せるので少し話しをする。明日もストはしない。大丈夫との事。
19時チベット料理を食べに行く。この店は最初に入れば良いのだが、最後の日に行くのは最低である。ツンバ、モモ、など一人125ルピーと安い。20時すぎスーパマーケットに行く。妻は土産ものをここで買い済ましてしまった。
富士ゲストハウスへ情報収集に行く。丁度パクリン氏と奥さんが日本人を連れて夕食から帰ったところ、ネパールティをいただく。明日は王様の誕生日なので、ストライキは解除されるという。1月になるとまたストがあるかもしれないという。最近良くあるようである。風呂に入り、22時寝る。1時に目が覚める。荷物をまとめる。
12/30(土)
7時起床。チェックアウト2000ルピーと13ドル支払う。残金は空港までのタクシー代と空港利用税を除くと600ルピーである。朝食で125ルピー使い、アサン広場に向かって歩く。
ネパールらしさの市場を見る。いろいろな生鮮食品、香辛料、人が溢れ、活気がある。岩塩が売られていた。まるで大理石の破片を売っているようであった。余程買おうと思ったが残金がほとんどないのであきらめた。
インドラチョークではほとんどの店が閉まっていた。このあたりはインド人が多く住んでいるのだろうか。ガラスを割られている店があった。今日は土曜日で休みなのかその当たりは解らない。いずれにしてもデモの影響はあったに違いない。
旧王宮博物館に入る。入館料250ルピーは高い。王様の身の回り品にしては質素である。塔に登れたのが良かった。ビデオカメラを持って入れなかったのが残念。ネパール人達が利用するデパート店は閉まっていた。
12時30分タクシーでカトマンズ空港に行く。廃車したような軽自動車。途中数回エンストする。その都度運転手がボンネットをあけてエンジンを駆ける。大通りでエンストなかなかエンジンがかからない。こちらも心配になり運転手に他の車に変わりたい旨告げる。運転手もあきらめ、他のタクシーを止めて乗り換える。
乗り換えたタクシーもオンボロ車なのに自棄にスピードを出す。事故を起こされるのではないかとひやひやして無事国際空港13時10分に着く。200ルピーを支払う。
空港はすでに沢山の乗客が列をなしていた。空港利用税が1000ルピーから1100ルピーに値上がりになっていた。
ネパールの人が親切に荷物をチェックしてくれたので助かった。がその人がチップを要求してきたので、がっかりした。もちろんチップはあげなかった。
手荷物検査も終わり待ち合いロビーでビールを飲む。アナウンスがないのに搭乗口に乗客が列を作る。日本人が少なくなると不安になるので、一緒に並ぶ。
今回の旅行でネパール旅行は終わりにしようと思った。次に来るのは退職後である。15時20分予定どおり離陸する。
タイ国際空港で22時30分まで時間待ち。みやげものを見る。妻は余計なものは買わない。チョコレート、錫製のワインカップと蝶の標本を買ってしまった。アルコールは1本も買わず。関空まで4時間45分。
12/31(日)
5時30分無事関空着。快速電車で和泉府中からタクシーで帰宅する。 今回のネパール旅行は短期間にもかかわらず、過去4回の旅行に比べたくさんのハプニングを経験した。その意味では有意義な旅行だった。