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世間には議論好きな人というのがいて、なにかにつけてあれやこれやと議論をふっかける人がいる。筆者の知り合いでは大学時代の先生で一人そういう人がいる。この先生とは今でもよく飲みに行くが、アルコールが入ると「議論虫」が疼くようで、あたりかまわず、どんなトピックでも議論しようとする。
ところで筆者は議論が嫌いである。議論嫌いの理由の何割かはこの先生にあったりもするが、とにかく議論が嫌いである。議論して満足のゆく結果に到達したことなど一度もない。テレビの「朝まで生テレビ」のようなものが議論であると勘違いしている人が多いが、あれはただ参加者が自己の主張をわめいているだけで、議論でもなんでもない。声の大きい方が勝つ、ただそれだけの催し物である。
そんなこちらの事情はお構いなしにアルコールが回って赤ら顔になった件の先生は三白眼でこちらを睨みつけながら事を始めようとする。
「おい、お前、君は今の内閣のこと、どー思っとるのか。答えたまえ」などと出し抜けに言う。こちらもそういう展開に慣れているので「先生はどう思ってるんですか」と切り返す。すると先生、得意げに自説を展開する。ふむふむ、と空返事しつつ、「それで君はどー思っとるんだ」と再度切り込まれたら、「先生と同じ意見です」と言うのである。すると先生、「君はくだらん男やのー。情けないよ、わしは。おのれの意見はないのか、まったく」などと言う。こちらの勝ちである。
すると先生、今度は何を思ったか隣で一人で飲んでいるおじさんに話しかける。「まったく、この男はね、自分の意見がないんですよ。どう思いますか」などと言うのだ。これはよくない展開である。話し掛けられたおじさんも最初はおっかなびっくり対応しているものの、お互い酔っ払い同士、どこかに共通する周波数でもあるのか知らないが、やがて二人で盛り上がっている。
「森ってのはね、実はすごい首相なんだよ」
「ありゃあダメだ」
「何を言ってるんだ、あなたは」
「ありゃーだめだめ」
などと延々やっている。こちらは議論から開放されたので、ゆっくりビールが飲める。先生が隣席のおじさんと口角泡を飛ばしている隙に板前さんに「トロの刺身ください」などとドサクサ紛れの注文をしたりする。白熱する先生を尻目にうまいトロに舌鼓を打つ。
「つまり、いーですか、北方領土というのは日本の領土でね」
「あんた右翼か」
「右翼じゃないよ。右翼じゃないが、北方領土ってのはね、返還されて当然なんだよ」
「そうは言うがね」
「何を言ってるんだ、北海道の第七師団がねえ、知ってますかあんた」
いつの間にか北方領土問題になっている。憲法九条問題に発展するのは時間の問題である。
やがて10時を過ぎる頃になると先生は我に返る。「あ、いかん、もうこんな時間か。帰らねば。女房が怒り狂うさかいに」などといって一方的に議論中止を宣言する。隣のおじさんはせっかく乗ってきただけに残念そうである。国後、択捉の処理はまだ済んでいない、とでも言いたげである。
こちらは目当てのトロの刺身が食べられたので満足である。議論好きな先輩というのは強ち悪いものでもないかな、などとちらりと思う。
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