茶化し続けて三十年


世間には冗談の通じない人というのがいる。いつも真剣、いつもマジメというタイプである。そういう人は冗談ひとつ言うにも「さあ、ここからは冗談ですよ。はい冗談言いましょう」という具合に安全な領域を確定してからでないと冗談を楽しめない。もちろん、そういう状況での冗談がおもしろくないのは言うまでもない。

このカタブツ型の人は、ふだん冗談しか言わない筆者のような軽薄タイプが気に入らないようである。関東と関西では笑いに関する感性が違うので当然なのだけれど、関西の中でもやはり冗談の通じない人というのは存在する。こちらとしては会話全体を冗談で塗り固めたいのであるから、そういう人とは話がかみ合わない。お前ほんまに関西人か?とこちらは思うけれども、人にはそれぞれのスタイルがあるのでそう強く文句も言えない。

で、そういうマジメ人間はたいていの場合「これだけは茶化してはいけない」という自分なりの聖域を持っている。ところが、こちらはそういう「茶化してはいけない」ものを茶化してこそおもしろいのであって、どうすれば神聖なものを茶化せるか、と常日頃考えているわけであり、そこで争いが起こる。「おもしろけりゃいいんだ」と思って迂闊にペラペラやっていると、

「きみ、そういう発言はいくらなんでも不謹慎だよ」

と、こうなる。

冷め冷めである。笑いというものに恐ろしく真剣であるこちらとしては、その笑いをぶち壊す姿勢が許せないわけであるが、むこうにすれば神聖にして侵さざる領域が侵されたというのでこれまた激怒している。こちらが怒っていて、むこうも怒っているのだからケンカ両成敗だと思うのだけれど、マジメ人間はマジメなので、自分が正しいと信じて疑わない。「私は正しい。なぜなら私は真面目だからだ」ということなのだろう。ましてや、そういうカタブツな人そのものを茶化す対象にするなどもってのほかである。

「よりによってこの僕を茶化すとは何ごとだ!」

と大モメになること必至である。まわりの人は、そんなカタブツ人間の性質が分かっているので、決してそういう人を茶化したりしない。いわゆる大人なのである。しかし、成熟という事柄から百万光年離れた場所にいる筆者としては、敢えてリスキーな茶化しに挑戦したい。大きな笑いを得るためには大きなリスクを背負う必要がある。発言する瞬間に「これ、イケるかな〜」と思いながら発言する。ストライクとボールの間隙を狙うピッチャーの心境である。その結果、たいていの場合、茶化されたほうは気分を害する。それでも周囲が爆笑してくれたら筆者としては成功である。生きててよかったと思う。 笑いより大切なことってあまりないだろうと思っている。

かくして日々新たな敵が増えてゆくことになる。

 

2005年4月22日




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