皆さんはキャロル・ケイ(Carol Kaye)というベース奏者をご存知だろうか?
恐らくよほどの音楽愛好家でなければその名を知らないのではないかと思われる。
ところが、彼女のサウンドを聴いた事がある人となると、大袈裟ではなくて無数に(日本でも)存在すると思われる。
ざっと挙げてみよう。
シュープリームスの「Can't Hurry Love」、「Stop In The Name Of Love」、フォートップスの「I Can't Help Myself」マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「Ain't nothing but the real thing」などのモータウンのヒット曲、或いはビーチボーイズの「God Only Knows」「California Girls」はたまたサイモン&ガーファンクルの「Scarborough Fair」などを聴いた事がないという人はかなり少ないだろう。
これでもまだ「聴いた事がない」というのであれば、さらに挙げてみよう。
「ゴッドファーザーのテーマ」、「M*A*S*Hのテーマ」、「ミッション・インポッシブル」「刑事コジャック」「シャフトのテーマ」バットマンのテーマ」
これらの映画ないしはテレビ音楽を聴いた事がない人がいるなら、これから先は読んでいただかなくて結構である。
さて、上に列挙した数々のヒット曲でベースを弾いているのがほかならぬキャロル・ケイその人である。(他にもスティーヴィー・ワンダーやプレスリーやシナトラとも共演しているが、書ききれない)
恐ろしいほどに輝かしい経歴である。ほとんど人間国宝クラスである。本来ならジャコ・パストリアスやマーカス・ミラーやジェームス・ジェマーソンと同列、いや、その影響力を鑑みればそれ以上に尊敬されてしかるべきベーシストである。
しかしこのキャロル・ケイ、その偉大な業績に比して一般的認知度および評価がかなり少ない。ほとんど犯罪ではないかというほどに評価が少ないのである。

なぜなら、キャロルが「白人で女性のスタジオ・ベース奏者」だからである。(彼女がモータウンの本拠地デトロイトではなくロスアンジェルスの音楽家だったことも災いしていたかもしれない)
かく言う筆者もつい2年ほど前まで彼女のことは知らなかった。ネットサーフ中に偶然見つけたサイトに彼女のことが書かれていて、「モータウンで白人女性ベーシスト??」と驚愕したのだった。そして従来の自分がいかに偏見に囚われていたかを思い知ったのであった。あのファンキーでグルーヴィなベースが女性によるものだとは夢にも思わなかったのだから・・・。しかも白人であった・・・。
ご存知の通りモータウンはベリー・ゴーディ率いるデトロイトのレコード会社であるが、その売りはなんといっても「黒人の黒人による音楽」ということであった。モータウンのベース奏者としてジェームス・ジェマーソンが神格化されているが、それは彼が「黒人で男性」であったことと無関係ではない。
モータウンのヒット曲が本拠地デトロイトのみならずロスアンジェルスでも録音されていたことは知られているが、その録音に誰が参加していたかについての詳細な記録はほとんど無い。

経緯は省略するけれど、その後キャロル・ケイ本人とメールのやり取りをする事が出来、50年代から60年代の録音事情に関するいろいろな資料を頂いた。少なくとも1973年頃まではスタジオ・ミュージシャンをアルバムにクレジットする慣習など存在しなかった事や、ユニオンが結成されておらず、時として事実とは異なる演奏家のクレジットがなされていたことが判明した。
ざっと上記のようなわけで、キャロル・ケイの名は音楽シーンの表舞台に長らく登場しなかったのである。
しかしながら、それでもなおベース指導者としての彼女の恩恵を蒙った音楽家はたくさんいる。
彼女の書いた教則本で練習した者の中には元ポリスのスティングやジャコ・パストリアス、元TOTOのデビッド・ハンゲイト、クラプトン・バンドのネイザン・イースト、ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズなど多数いる。エレクトリック・ベースの世界でいかに彼女の影響が甚大であるかが、この顔ぶれでも見て取れる。
バイオグラフィー
前置きはこのくらいにして彼女のバイオグラフィーを簡単に紹介してみよう。
プロ音楽家の両親(クライド&ドット・スミス)のもと、キャロル・ケイはワシントン州エヴァレットに生まれた。
1949年に彼女はプロのギタリストとして演奏および指導を始めた。LA近郊のいくつものナイトクラブでボブ・ニールらトップ・グループと共にビバップ・ジャズ・ギターを演奏していた。
1957年、偶然にもスタジオ・ワークのキャリアが始まる。サム・クックのレコーディングに参加したのを皮切りに、最初の五年はハリウッドのスタジオでギターを弾いた。
1963年、キャピトル・レコードの録音日にフェンダー・ベース奏者が現れなかった為、彼女はフェンダー・ベース(当時はエレクトリック・ベースをフェンダーベースと呼んでいた)を手にした。それから彼女のベース奏者としての多忙な日々が始まり、あっという間にレコード会社、テレビ会社、映画会社などから「No.1コール」と呼ばれ売れっ子スタジオ・ミュージシャンとなった。
彼女はミシェル・ルグラン、クインシー・ジョーンズ、エルマー・バーンスタイン、ラロ・シフリン、デビッド・ローズ、デイブ・グルーシン、ジョン・ウィリアムスら有名ディレクターの下で働くのを楽しみ、同時に何百と言うアーティストたちのために無数のヒット曲を録音した。

1969年の初めに、彼女は最初の教則本「エレクトリック・ベースの弾き方」を書き、何百人もの生徒を教えた。彼らの内の多くが今や有名プレイヤーに育っている。
70年代半ば、彼女はハンプトン・ホーズのジャズ・トリオで演奏する為にツアーに出て、全米各地でセミナーを開いた。彼女は全米におけるエレクトリック・ベース教育の第一人者である。
影響を受けたミュージシャンは音楽家の両親以外に、チャーリー・クリスチャン、デューク・エリントン、ソニー・スティット、マイルス・デイビス、ホレス・シルバーなどなど。
次回は彼女のサウンドについてさらに迫ってみたい。
To be continued....
※このページを作成するにあたり、
彼女のサイトの写真や頂いたメールの引用をキャロル本人が快諾してくれました。
Thank you CAROL for your help and permission to use photos and quote your mail.
2003年2月26日