氏名
略歴
配役
生没
浅野 薫
浅野藤太郎とも。副長助勤。三条制札事件で失態を犯し、御陵衛士に合流しようとした。しかし、最期は沖田に斬られる。
中村 俊太
?〜1865?
漢 一郎
入隊は慶応3年と末期。土方に同行し、北関東を転戦。会津戦争にて戦死。
1838〜1868
新井 忠雄
三条制札事件に出動。御陵衛士となり、のちに赤報隊に参画。維新後は判事に。
1835〜1890
蟻通 勘吾
池田屋事件に出勤。会津戦争にて重傷を負い、戦列を離れるが、後に蝦夷地に渡航。箱館山の上にて戦死とされるが、病死か自刃の可能性もある。
山崎樹範
1839〜1868
安藤 早太郎
弓の名手。脱藩し虚無僧となるが、その後入隊。野口の介錯をした。池田屋事件で重症を負い死亡。
河西祐樹
1821〜1864
市村 辰之助
下記市村鉄之助の兄。市村家次男。美濃出身。五兵衛新田駐屯後に脱走。
?〜1871
市村 鉄之助
土方の小姓。兄と共に入隊したが、兄の脱退後も隊にとどまり、土方と共に箱館戦争に従軍。日野の佐藤家に土方の遺品を届けた。
池松壮亮
1854〜1877?
伊東 甲子太郎
水戸出身。参謀。北辰一刀流の達人。元治元年新選組に入隊。参謀。討幕派の志士と通じており、御陵衛士着任を名目に新選組から脱退。油小路の変で新選組により暗殺。
谷原章介
1835〜1867
井上 源三郎
多摩出身。諱、一武。八王子千人同心の子。通称『源さん』。天然理心流門下生。周斎から目録を取得している。六番隊組長。鳥羽伏見の戦いで戦死。
小林隆
1829〜1868
茨木 司
武蔵国の生まれ。新選組の幕臣取立てに異議を唱え離局を企てるが難航し、会津藩邸使者の間にて自刃。新選組・大石らに暗殺されたという説もある。
大塚幸太
?〜1867
内海 次郎
伊東甲子太郎の門弟。三条制札事件などに出動し奮戦する。御陵衛士になり、新選組から分離。
1836〜?
大石 鍬次郎
一橋家家臣の次男。『人斬り鍬次郎』の異名あり。1864年に入隊。近藤投降後、脱走するが捕縛され、斬首。
根本慎太郎
1838〜1870
沖田 総司
白川藩の武家の生まれ。幼名、惣次郎。諱、房良。早くに父が死亡。総司の面倒は長姉みつがみていた。天然理心流門下生。9歳から試衛館に出入りし、若くして塾頭に抜擢されている。新選組結成後は一番隊組長となる。新選組屈指の剣豪。しかし、結核にかかり、戦線離脱。植木屋平五郎の離れを借り、そこで療養していたが、勇の死後間もなく病死。美形と名高いが史実はヒラメ顔。
藤原竜也
1842〜1868
奥沢 栄助
初期の隊士。池田屋事件で負った傷がもとで死亡。
松島圭二朗
?〜1864
尾形 俊太郎
熊本出身。鳥羽伏見の戦い後、甲陽鎮撫隊で副長助勤を勤める。会津戦争まで新選組に同行。仙台藩士とともに新選組の降伏組の一員として残留。
飯田基祐
?〜?
尾関 雅次郎
和泉出身。旗役。文久3年浪士組に。近藤の専横に反発し、永倉、原田らと会津藩に訴え出たこともある。箱館戦争まで参加。
熊面 鯉
1844?〜1892
か
氏名
略歴
配役
生没
葛山 武八郎
元虚無僧。池田屋事件に出動。永倉らと局長の増長を批判する建白書を会津に提出。その後切腹。
平畠啓史
?〜1864
加納 惣三郎
某映画で男色傾向があるイメージがついてしまったが、島原通いが頻繁になり、それが原因で斬殺された。しかも実在したかどうか分からない。
?〜?
加納 鷲雄
伊豆出身。北辰一刀流。伊東とともに新選組に入隊。油小路の変で九死に一生を得た。近藤の首実検をした際、これが近藤であると断言した。
小野雅人
1839〜1902
河合 耆三郎
播磨出身。米問屋の息子。読み書きそろばんが達者なので勘定方に。慶応2年公金横領の罪で謹慎を命じられ、後に処刑。
大倉孝二
1838〜1866
楠木 小十郎
八・一八の政変に出動。その後、長州の間者とみなされて、原田左之助に殺害される。美形だったらしい。
1847?〜1864
近藤 勇
多摩出身。幼名、宮川勝五郎→宮川勝太→島崎勝太→島崎勇。諱、昌宜。甲陽鎮撫隊時は、大久保剛→大久保大和。農家の三男坊。17歳で天然理心流・近藤周助の養子となる。江戸の試衛館で、土方、沖田らと出会う。文久3年、近藤らは浪士隊に入り、京都へ。新選組が旗揚げされる。官軍に投降後、斬首。
香取慎吾
1834〜1868
近藤 芳助
養父は幕臣・近藤芳三郎。会津戦争時、隊を離れる。維新後は市議、県議を歴任。
1843〜1922
さ
氏名
略歴
配役
生没
斎藤 一
江戸生まれ。御陵衛士復帰から、山口次郎。会津戦争後、藤田五郎。小野派一刀流。試衛館からの知り合いだったとか、元々会津のものだったとか謎が多い。三番隊組長。会津戦争後、新選組を離脱。高木時尾と結婚後、警視局に出仕、西南戦争にも参加。
オダギリジョー
1844〜1915
佐々木 愛次郎
八百屋の娘とともに同志に殺害された。美男として有名。実は柔術の達人。
1845?〜1863
佐野 七五三之助
大津の川瀬邸を家宅捜索するなど活躍。新選組幕臣取立てに抗議して、御陵衛士に転身をはかるが挫折して、守護職邸にて自刃。見届けに来た大石に斬りかかり傷を負わせた。
安藤 望
1834〜1867
沢 忠輔
京都時代は賄い方をつとめ、流山以降は土方につき、土方の最期に立ち会った。死後から一年、故郷に遺品を届けている。
?〜?
篠原 泰之進
筑後出身。北辰一刀流。新選組からの分離を画策して御陵衛士となる。油小路事件の後は薩摩藩に庇護を求め、鳥羽伏見では中村半次郎の部隊に加わる。近藤を撃ったのはこの人。
小梶直人
1828〜1910
島田 魁
美濃出身。郷士の子。心形刀流、種田流槍術。新選組第一次募集で入隊。伍長。巨漢怪力で有名。箱館まで新選組として土方についていった。降伏後、西本願寺の夜警をつとめ、境内で亡くなった。
照英
1828〜1900
芹沢 鴨
局長。水戸の郷士。前名、下村嗣次。神道無念流指南免許。幕府募集の浪士組みに参加。新選組の初代局長になる。乱闘事件、焼き討ち事件などを引き起こし、結果新選組によって暗殺される。
佐藤浩市
1830〜1863
相馬 主計
近藤投降の際、救出するために尽力を尽くし、後に箱館戦争に従軍。土方の死後、最後の新選組隊長となる。1872年突然切腹し、果てる。
小橋賢児
1843〜1872
た
氏名
略歴
配役
生没
武田 観柳斎
出雲出身。元医学生。元治元年に新選組に入隊。軍学者として重用される。五番隊組長。勤皇思想に傾き、薩摩藩に近づくが失敗。このことがばれて、暗殺される。
八嶋智人
1833?〜1867
谷 三十郎
松山藩士の子。種田流槍術。道場を開き、万太郎と共に教えていた。池田屋事件に出動。大坂での石蔵屋への斬り込みと活躍するが、祇園石段下で急死。暗殺か。
まいど豊
1832?〜1866
谷 周平
谷三十郎の弟。諸士調役。池田屋事件の前に近藤勇の養子となる。慶応3年ごろ養子縁組が解消。鳥羽伏見の戦いの後、江戸で脱走した。
浅利陽介
1848〜1901
谷 万太郎
谷三十郎の弟、周平の兄。池田屋事件に出動。石蔵屋斬りこみ、腕を負傷。後に道場経営に戻る。
若松 力
1835〜1885
藤堂 平助
江戸出身。諱、宜虎。通称『魁先生』。北辰一刀流の使い手。八番隊組長。池田屋事件で額を負傷する。伊東ら御陵衛士に参加。油小路の変にて惨死。津藩、藤堂和泉守の落胤の噂あり。
中村勘太郎
1844〜1867
富川 十郎
常陸国の生まれ。新選組の幕臣取立てに異議を唱え、離局を画策するが挫折したために自刃して果てる。
鈴木慶太
1844〜1867
な
氏名
略歴
配役
生没
永倉 新八
元松前藩士。諱、載之。神道無念流免許皆伝。新選組二番隊組長となる。鳥羽伏見の戦いののちに新選組を離脱。明治になり、松前藩に帰参。杉村義衛と改名し、77歳まで生きた。
山口智充
1839〜1915
中島 登
多摩出身。甲陽鎮撫隊出陣にあたり加盟。諜報員として活躍。箱館戦争に参戦後降伏。戦友の絵を描き、同志の冥福を祈る余生を過ごす。
1838〜1887
中西 昇
伊東道場の師範代とも。御陵衛士の分離には同行せず、後に隊を脱する。佐原太郎殺害犯の容疑者の一人。
猪狩賢二
1842〜?
中村 五郎
慶応元年(1865)江戸で入隊。甲子太郎分離時、密命を受けて新選組の動向を探るよう残留したとも。新選組の幕臣取立てに異議を唱え、離局するが失敗し自刃。
長倉正和
1849〜1867
新見 錦
水戸出身。神道無念流。文久3年浪士組に入った。新選組副長。芹沢暗殺が決まった際、芹沢の右腕である新見を粛清。切腹させられた。
相島一之
1836〜1863
新田 革左衛門
池田屋事件の負傷が原因で死亡。しかし、池田屋で負傷したのではなく、同日方向寺であった斬り合いで負傷したという説もある。
赤堀二英
?〜1864
野口 健司
水戸出身。神道無念流。芹沢暗殺後、ただ一人の水戸人として残るが、隊規違反をして切腹。
岡本幸作
1843〜1863
野村 利三郎
近藤の小姓。鳥羽伏見など末期の戦争に参戦。近藤投降時、新政府に捕らわれるが、後に奥州に転戦。宮古湾戦で戦死。
1844〜1869
は
氏名
略歴
配役
生没
服部 武雄
赤穂浪士。神奈川奉行所御雇となり、そのとき篠原らと出会う。御陵衛士として分離。油小路事件で斬死。七、八名を相手に奮闘した話は有名。
梶浦昭生
1832〜1867
原田 左之助
松山藩の足軽の子。諱、忠一。切腹した経験あり。腹に傷が残る。種田流槍術を学び、江戸へ。十番隊組長。鳥羽伏見の戦いののちに永倉と共に新選組を離脱。その後、彰義隊の一員になり、上野で戦死。満州で馬賊になった噂もあり。
山本太郎
1840〜1868
稗田 利八
新選組時代の名前は池田七三郎。鳥羽伏見で負傷、甲州勝沼戦争で顔面を負傷。会津から敗走して、高崎藩兵に降伏。
1848〜1938
土方 歳三
石田村の豪農の末っ子。諱、善豊。俳号、豊玉。甲陽鎮撫隊時、内藤隼人。上野松坂屋に丁稚奉公の後、家伝薬の行商をはじめる。25歳のとき、天然理心流に入門。近藤らと共に京へ上り、新選組を旗揚げ。副長として近藤をサポート。局中法度作成など、『鬼』副長として京を震え上がらせた。近藤勇投降後、箱館まで戦い続け、戦死を遂げた。もてもてイケメン(笑)。女性にもてまくったことでも有名。
山本耕史
1835〜1869
平間 重助
常陸出身。芹沢に同行して上洛。副長助勤。芹沢暗殺の当夜は運良く助かったが、責任を取らされるのを恐れて脱走。
剛 州
1824〜1874
平山 五郎
播磨出身。神道無念流免許皆伝。新見亡き後、芹沢が片腕と頼んだ人物。左目を失明している。芹沢と共に暗殺される。
坂田 聡
1829〜1863
ま
氏名
略歴
配役
生没
松原 忠司
小野脱藩浪士。坊主頭に白鉢巻に薙刀のコスプレ(笑)で有名。失策の責任をとって切腹したときの傷の悪化もあって、女性宅で心中。
甲本雅裕
1837〜1865
三木 三郎
甲子太郎の弟。鈴木三樹三郎とも。油小路の変では薩摩藩に匿われる。赤報隊へ参画後に軍曹となる。維新後に警察署長を歴任。
平泉陽太
1837〜1919
毛内 有之助
津軽を脱藩後、江戸で伊東と親交を深める。御陵衛士となり、油小路事件で戦死する。
1835〜1867
や
氏名
略歴
配役
生没
山崎 烝
大坂出身。元鍼医師。入隊は1863年末ごろ。諸士取調役並監察、副長助勤などを歴任。松本良順に救急治療法を習い、新選組の医者として活躍。鳥羽伏見の戦いがもとで死亡。
桂 吉弥
1834〜1868
山南 敬助
元仙台藩士。三南とも。諱、知信。北辰一刀流免許皆伝。新選組の総長になる。元治元年、突然隊規を破って脱走。隊規違反により切腹。未だ切腹の真相は謎。遊女明里との別れは有名(子母沢氏の創作説もあり)。
堺 雅人
1833〜1865
山野 八十八
美男で有名。八一八の政変以前からの古参隊士。土方付属で箱館まで転戦。その後、土方が箱館から逃がしたようである。
鳥羽 潤
1844?〜?
吉村 貫一郎
南部藩出身。1865年入隊。監察として活躍。鳥羽伏見の戦い後、脱走。後日大坂の南部藩仮屋敷に姿を現し、切腹。
1840〜1870