浅利慶太 〜当たり外れの大きい訳者〜
彼の手掛けた作品:
ノートルダムの鐘(歌詞はこちら)
独断と偏見で選ぶ彼の名訳
一位、僕の願い
二位、罪の炎
三位、天使が僕に(二、三は一つの曲か?)
ゴミ箱行き
一位、ゴッド・ヘルプ
二位、ノートルダムの鐘
さて、浅利である。最初にハッキリ言っておきます。私は彼の訳が基本的に嫌いです。
日本語の文として不完全な物が多い。彼がよく犯す過ちは三つ有ると考えます。
1、許容範囲を超えた字余り
2、歌詞が雰囲気だけで作られており、その実意味が無い
3、手抜きとしか思えないやり方で原詞を持ってくる
1、字余り
ノートルダムの鐘に限らず彼の翻訳ミュージカルでもよく有る。
本作品では、
あなたは自分を偽り 人も騙すことは出来る(24音節)
でも決してごまかすことは出来ないのだ(18音節)
貴方の罪を見てるノートルダム(16音節)(”ノートルダムの鐘”〜ノートルダムの鐘〜)
実際の音符は19、15、8である。
東宝に翻訳ミュージカルでは厳格に守られてる一つの音符に一つの音節と言うルールが有る。勿論浅利は東宝とは無縁だが、幾ら何でも5音節の字余りは如何な物だろうか。
日本語の音の特徴として開音節*と言うのが挙げられる。翻訳ミュージカル界において、これがどう影響するかと言うと、或程度言葉を詰め込まないと曲にスピード感がでないのである。一音一音節では曲が間延びする危険があるのだ。一音一音節を厳守しつつ曲全体を早める事で対処したのは”ジャベールの自殺”〜レ・ミゼラブル〜等。だが映画サントラでこれは可能だろうか。否。仕方ない、平仮名複数を一音符に詰め込んで上手く行った例が”川の向こうで”〜ポカホンタス〜の冒頭であろう。
*開音節 音節が母音で終わること。
しかしこの歌はスピード感を出す必要が無い。よって、この字余りは浅利氏の怠慢、または能力不足と判断しました。
2、歌詞が雰囲気だけで作られており、その実意味が無い
全て罪と悪に見えるものは
この世から消してしまえと信じてる(”ノートルダムの鐘”〜ノートルダムの鐘〜)
これは日本語としてどうだろう、、、。命令形で書かれた内容を信じる対象にするのは有りなのか?字数の問題が有るのは分かってるがそこを言葉を駆使して表現するのが訳者の勤め、そんなのは言い訳にすらならない。
他にも彼の訳したミュージカル〜アスペクツ・オブ・ラブ〜では
ジョージは愛していた ありのままの人生を
強く信じていた 今を生きる事を(”Hand Me Wine & Dices”〜アスペクツ・オブ・ラブ〜)
今を生きる事は、信じる対象となりうるのだろうか、、、。だとしたら今を生きる事を信じるってどういう意味だろう、、、。理論的に説明できる人、メール下さい。彼の詞からは軽く読むと何となく感じは伝わるが、よく見ると意味がないという印象を受ける事が多い。
3、手抜きとしか思えないやり方で原詞を持ってくる
一項目としたが、実例を見つけたのはこれだけである。
ゴッド・ヘルプ 救いを与えて
生まれたときから飢える者に(”ゴッド・ヘルプ”〜ノートルダムの鐘〜)
ゴッド・ヘルプって、、、。外来語として日本語に馴染んでるともいえない、こんな表現を何故訳詞に採用したのか、理解に苦しむ。加えて日本語の問題、救いは与える物なのでしょうか。分かる方、メール下さい。
こんなに訳者として失格要素てんこもりの彼だが、一度英語を突き放して彼独自世界を作ると、なかなか良い詞を書くようだ。例えば”僕の願い”。
(皆と一緒に楽しく暮らしたいと言う願いを歌った後で)
この願いがもしも僕に許されるその日が来るなら
もう 何もいらない(”僕の願い”〜ノートルダムの鐘〜)
”天使が僕に/罪の炎”も日本語として綺麗にまとまっていて、良いと思う。
原語からあえて距離をとりこの歌詞を作れる辺りは評価に値するだろう。音楽の抑揚や流れに日本語がしっかりと同調し耳に心地よい仕上がりになっている。
いい歌詞を書く力があるのに時々素人以下の手抜きな詞を作るので、二倍に頭にくるのである。そして”劇団四季だから”というただそれだけの理由だけで彼を評価する族も許せない、、、。以上の理由から私は彼を好きになれない。