顕時は出家し、下総の寺に身を寄せていた。
山から吹きおろす風は、六浦とは違った冷気を帯びている。
古い寺の伽藍で座禅を組むと、爪先から寒さが身に染みる。
ここは鎌倉より春が遅いのだろうか。
夜が明けるのも、ゆるやかな気がする。
顕時は座禅を解いて、伽藍の戸を開けた。
薄闇の空に、細い月が浮かんでいる。
辺りが少しずつ明らみ、梟の鳴き声が林に消えていく。
また一晩、ここで過ごしてしまった、と彼は呟いた。
ここに住んで三ヶ月経つが、寝床で寝つけた日はあまりなかった。
幾度となく同じ夢を見て、眠りも浅いままである。
鎌倉に未練がある訳ではない。
城入道・安達泰盛の娘である妻は、仏門に入っている。
子息は養子だが、金沢の家督を継ぐよう遺言してある。
所領は減じたが、家人を養うに欠くことはないだろう。
顕時が案じているのは、養女として足利に嫁がせた、篤子のことである。
二月騒動の後、実時は、出家した祥子に代わって時輔の子女をひきとると申し出た。
時宗はその申し出を断ったが、顕時も父同様、得宗家が養育することに難色を示した。
「内に火種を抱えるのは、如何なものか。
庶子の序列も乱れることになりましょう。
ここは親族にあたる我が金沢家に御譲り下され」
時宗の思いは、顕時にもよくわかっていた。
しかし、得宗家に育つことが、明寿や篤子のためにならぬことは明らかだった。
政略に扱われ、自らの意のままに生きることはできないだろう。
…時輔のように。
顕時の真摯な言葉を受けて、時宗は、明寿と篤子の将来を彼に任せた。
償うことも許されぬ無念を口にすることもなく、すべてを顕時に委ねたのである。
篤子には、自分の生母のような生き方はさせたくなかった。
だが結局、自らの保身と北条のため、篤子を貞氏に嫁がせたことを、顕時は悔やんでいた。
小山の家にも、すまなく思っている。
小鳥の囀りが響いて、顕時は我に返った。
庭に歩み出ると、家人が寄ってきて、彼に来客を告げた。
その名を聞いて、彼は驚いた。
思わず、門の傍まで駆け寄る。
門の前には、尼姿のその人が立っていた。
顕時の姿を目にとめ、そっと会釈をする。
祥子だった。
「朝早くにすみませぬ」
と祥子は頭を下げた。
顕時は首を振り、祥子に白湯をすすめた。
二人が会うのは、篤子の婚儀以来である。
祥子は、篤子の結婚について、顕時を責めるようなことはしなかった。
「篤子は武家の娘ですから心配要りませぬ。」
そう言って祥子は微笑み、彼と彼の妻に礼を述べて帰っていった。
母と娘が顔を合わせたのは、宴が始まる前の僅かな時間だけである。
それだけでも、篤子にとっては充分だったらしい。
着付けを直す妻の前で、涙を見せて嬉しそうに笑ったという。
祥子は白湯を一口飲むと、静かに床に置いた。
それから、顕時の顔を見つめ、
「お聞きしたい事がございます、人払いをしてくださいませ」
と言った。
部屋の傍らにいた家人が席を外すと、祥子は懐から文を出して顕時に見せた。
それは明寿からの文である。
祥子は尋ねた。
「城入道殿に不徳はなかったとのこと。これは真でございまするか?」
顕時は無言で肯いた。
城入道殿の不徳、とは霜月に起こった騒乱のことではない。
それは時宗の死にまつわることである。
時宗暗殺の噂は、二年経った今も消えることがなかった。
続く→空華→2−2/2−3/3−1
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3−3/
続3−3/
しぐれ/2002.01
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