散華1


「義宗殿ではないか。兄上に何の用じゃ?」
山内亭の門前で、宗政が親しげに声をかける。
義宗は驚いて、振り返った。
宗政は屈託なく笑って、
「いや、わしも兄上に用があって参ったのじゃ。一緒に上がらせてもらおうではないか」
と言う。
今日は寄合の日ではない。
義宗は時宗に私的な話があって参じた。
けれども、宗政に微笑みかけられると、嫌とはいえない。
二人は並んで門をくぐる。
すると、橘の香が風に揺らいだ。
「良い匂いじゃ」
宗政は上機嫌である。
橘の爽やかな香は牡丹の香より、彼の好みなのだ。
中門廊から家人が降りてきて、二人に頭を下げた。
申し訳ありませぬ、時宗様はお出掛けになられました、と言う。
ではまた、失礼つかまつる…と義宗が帰ろうとするのを止め、宗政は言った。
「待たせてもろうてよいか」
家人が肯くのと同時に、宗政は館に上がった。
義宗もしかたなく後を追う。
二人は主殿を通り抜け、厨に入る。
囲炉裏の縁に腰をかけ、宗政は義宗に酒をすすめた。
日暮れにはまだ早い時刻である。
義宗がためらっていると、宗政は笑った。
「用があるというのは口実じゃ。わしは兄上と酒を交わしに参った。つきおうてくれ」
「なんじゃ、しかたないのう」
義宗は苦笑して、杯を受けた。

建治三年六月。
あと十日程すると義宗は評定衆になり、宗政は武蔵守を叙任する。
二人が公務以外で顔を会わすのは、久しぶりのことだった。
「やつれた様じゃが、身体は大事ないか?」
「心配には及ばぬ。少し疲れておるだけじゃ」
宗政の問いに、義宗は明るく答えた。
義宗は引付を経ない評定衆就任であり、早い出世である。
六波羅北方を務めたとはいえ、幕政の中心である評定衆に加わるにあたって、彼は非常に緊張していた。
先月、連署であった叔父義政が突然出家したことも、心労になっている。
「そうか?兄上も気にかけておられたぞ」
「執権殿が?」
「ああ。おとといの晩、兄上に何か話があって参ったであろう。それなのに、あまり話さ
ずに帰ったそうではないか。如何がしたのじゃ」
「…」
義宗は黙った。
宗政が親身になってくれるのは、ありがたい。けれども、同じ幕政を司る者として、迷
惑はかけたくないと義宗は思っている。
「今幕府は一つとなって、蒙古にあたらねばならぬ。兄上が北条一門を取り立てるの
は、そのためじゃ。されど、それを得宗の専制と非難する者もおる」
宗政はきっぱりと言う。
「もしその者たちが義宗殿を責めたてておるのならば、正直に申してくれ。制裁をする
   つもりはないが、人事を練りなおさねばならぬ」
「いや、そうではござらぬ。」
義宗は少しむきになって、答えた。
「わしが執権殿に話したかったのは、時輔殿のことじゃ。今回の人事や叔父上の所領のことではない」
「時輔兄上のこと?」
宗政は怪訝な顔で、義宗を見た。
しまった、と義宗は思う。
酒のせいで余計なことを口走ってしまった。
「そのことはもう気するな。兄上も義宗殿の選択に感謝しておられた。自分を責めてどうするのじゃ」
宗政は素早く、義宗を諭した。
宗政の胸の内に、義宗を責める気持ちが全くないとはいえない。
しかし、北条一門の者として義宗にしっかりしてもらわねば、という気持ちの方が強かった。
「さ。もう一杯…」
と宗政が言いかけた途端、義宗がいきなり後ずさって平伏した。
宗政は唖然として、義宗を見る。
「すまぬ。わしのせいで、戦が不利になったかも知れぬ。許してくれ」
義宗の肩は、泣いているのではないかと思うほど震えていた。
宗政はその肩を両手で起こしながら言う。
「気にするな。わしの左目を奪ったのは蒙古の武器じゃ。高麗の者ではない」
義宗はゆっくり顔を上げ、宗政を見た。
宗政の複雑な表情は、かつて時宗が見せた表情に少し似ている。
義宗が「斬ってくだされ」と告白した時の、執権の表情。
義宗は胸が苦しくなった。
「いや、わしの咎はまだあるのじゃ。わしが生きておる限り、執権殿を、得宗家を苦しめることになる」
「…」
宗政は手にした酒を床に置き、黙った。
得宗家を苦しめること。そして、義宗自身を苦しめること。
二月騒動に起因する、あるいはそれ以前からの政事の矛盾を言うつもりなのか。
宗政はそう思ったが、義宗を止める言葉が口から出てこない。
義宗は杯を掴んだ。
それから酒の力を借り、おもむろに過去を語り出した。

<散華続く)→2/3>
しぐれ/2002.01.23

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