| リッキー・ホイは田村正和か? ---日港芸能四兄弟の比較考察--- |
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| 日本で一般に認識されているのは、ホイ兄弟は3人、というものだ。筆者自身の幼少の頃の印象も、長男許冠文(マイケル・ホイ)、次男許冠傑(サミュエル・ホイ)、三男許冠英(リッキー・ホイ)、というものだった。しかしご存知の通り、実際はホイ兄弟は4人、更に末娘が1人、合計5人兄妹というのが本当の構成となる。また長兄許冠文、次兄許冠武(スタンレー・ホイ)、三男許冠英、そして末弟の四男が許冠傑、というのが正しい順序である。許冠英が許冠傑の兄である、ということを知った際の筆者の衝撃は相当大きなものだったことを覚えている。映画を見る限り、華やかな許冠傑の陰にいる許冠英の地味さからは、とても彼が兄であるとは思えなかったからだ。 平成15年(2003年)1月14日、NHK衛星放送第2チャンネル(BS2)である興味深い番組が放送された。「駆けよバンツマ 田村四兄弟が語る父・阪東妻三郎」という約1時間の特別番組だ。内容は、あくまで阪東妻三郎にスポットを当てた形ではあったが、4人の息子がそれぞれ、父の記憶や受けた影響などを語っていた。ここで読者諸兄には既に当稿の意図を推測頂けたと思うが、「田村四兄弟」と「ホイ四兄弟」、日本と香港それぞれの大スターである四兄弟を比較し、改めてホイ兄弟の魅力に迫りたい。 まずはそれぞれの兄弟のより詳しい構成を見てみたい。
2.田村幸照は田村亮の本名。) 前述したように、ホイ兄弟は末弟許冠傑の下に妹がいるが、ここでは省略した。四兄弟の年齢差を見ると、ホイ兄弟の場合は長男と四男の差は6歳であるのに対して、田村四兄弟は実に18歳もの開きがある。ここまで離れると、兄弟というよりはむしろ、親子に近い感覚ではないだろうか。長男と次男の間に10歳の年齢差があることからも、長男高廣と次男以降の三兄弟はやや距離を置いた、あるいは父と兄の中間のような関係ではなかったかと思われる。それに対してホイ兄弟は規則正しく並んでいる。2歳ずつ離れているため、幼少期もほぼ同時に過ごし、それほど隔絶した感覚というものはなかったのではないだろうか。 上の表を見て気付くことは、いずれも次男が芸能界の表に出る職業に就いていないことであろう。長男や弟たちの姿を見つつ、自分は兄とは違う道を選ぼう、という意思が働いたのかも知れないが、恐らく両兄弟とも偶然そうなったのであろう。ただ、許冠武も兄弟の映画には端役として出演しているし、田村兄弟の次兄である俊麿も高校生の時に一度だけ映画に主演したことがある、というから、周囲は常に注目はしていたに違いない。 では他の兄弟たちはどうであろうか。長兄はいずれも思考を好むタイプに見える。田村高廣は自身を「地味」と表現していたが、それは表面よりも内に秘めたもののほうが大きい、ということではないだろうか。そして許冠文は「インテリ映画人」という評価を得ているのはご存知だろう。彼も思考型の人間であると言えよう。末っ子は一般に甘えん坊、という見方がある。その一方で自由奔放でもあることが多い。爽やかなイメージは許冠傑と田村亮には共通するイメージかも知れない。 しかしここでどうしても頭を悩ませてしまうのが三男の許冠英と田村正和だ。片や「チョンボ」、片や「絶世の二枚目」。容姿によってこんなにも違ってしまうのかと、思わずため息を漏らしたくなる。聡明な長兄、手堅い次兄、要領が良くて可愛らしい末弟。彼らに挟まれ、三男は必死に自分のポジションを探そうとする。幸い田村正和は容姿に恵まれた。そして兄弟の中で一番の美男子として世間を虜にしていった。しかし許冠英は幸か不幸か、容姿に関しては兄弟の中で一番冴えないものだった。ならば何か秀でた才能があるのか、と言えば、筆が立つわけでもなく、歌も弟のように華があるわけではない。ならば、ということで武芸に励んだのではないだろうか。もちろん、後年においては、その冴えない風采を逆手に取って、独特の味を持つ個性派俳優としての評価を高めるのではあるが。しかし、長年に渡って忸怩たるものがあったに違いない。特に長兄の許冠文に対しては萎縮するほどの恐怖を感じていたのかも知れない。「新半斤八兩(フロントページ)」において、許冠英は許冠文と話す時は常に吃音口調である。しかし、許冠傑と2人きりになると、とても自然に明るい表情で話をするのである。ここに象徴的に兄弟間における彼のスタンスが伺えるのである。 さて、名前のことであるが、ホイ兄弟はその生年とともに、まるで最初から計画されていたかのように秩序立てられている。一般に中国では同世代の血縁者には共通の漢字一字を使用する、という習慣があるために、「冠」という字が共通し、二字目が個別の漢字になっているが、当サイトの名称の由来にもなっているように、「文武英傑」と四字熟語のような並びは結果的にそうなったとは言え、出来過ぎの感さえある。もっとも、末弟の許冠傑の「傑」の字は当初「雄」が候補であったらしい。「文武英雄」が父親の構想であったようだが、母親が「勇まし過ぎる」との理由で反対し、現在の名前になったという。それに対して田村兄弟は兄弟を貫く命名の原則、というものは見当たらない。これは日本的な習慣から言えばむしろ自然であろう。世代間で共通の字を使うことはかつてはよく見られた現象だが、同世代ではそれほど意識的に命名する、ということはない。しかしそれぞれに対する両親の期待が強く感じられる名前ではないだろうか。 次にそれぞれの兄弟の父親との関係を見てみよう。ホイ兄弟の父親は中国に生まれ、後に香港に移住してきた。バイオリンなどをたしなむようだが、基本的に一般人である。5人の子供を抱えて、経済的には決して楽ではなかったであろう。それでも、兄弟たちの教育には熱心で、大学まで卒業させている。物質的な財産は無くとも、身につけた教養は一生役に立つ、と思ったのではないだろうか。それに対して田村兄弟の父は阪東妻三郎。まさに日本映画を代表する大スターである。息子たちは幼い頃から「阪妻の息子」として特別な注目を集めていたに違いない。現に、長男の高廣がデビューした際には「晩妻二世」と騒がれたというし、次男の俊麿も学生であったにも関わらず映画に引っ張り出されている。四男の亮も「阪妻の息子でまだデビューしていないのがいる」としてサラリーマン志望であったにも関わらずデビューに至った、と語っている。いずれも、いわゆる「親の七光り」で、超有名な父親の存在があったからこそのデビューであったと言えるだろう。もちろん、その後の活躍は本人の努力の賜物である。デビューまでは親が同業であることは有利に働くが、それ以降は親が偉大であればあるほど、その存在が息子たちにはむしろプレッシャーとなって圧し掛かる。俳優を活動を継続してこれたのはそれをはねのけるほどの評価を息子たちが得られたからだろう。
2.許冠武は実質的に俳優としてのキャリアはない。便宜上「半斤八兩」出演年を示した。) 田村兄弟のデビュー年に注目してもらいたい。阪東妻三郎は昭和28年(1953年)に享年51歳で亡くなっている。つまり息子たちはいずれも父の死去後に芸能界入りしているのである。もちろん父を通じて業界関係者らと面識はあったであろうが、自分たちの直接の利害関係者ではないため、特に注意を払ってはいなかっただろう。また父の仕事も映画を見る、という形が中心であったということで、スター「阪東妻三郎」と父「田村傳吉(本名)」は別人であり、俳優としての父を意識することは少なかったと思われる。ただ、長男の高廣などは、無声映画時代の大スターである父が、トーキー映画に初めて出演した時に、そのあまりに甲高い声のためにそれまでの名声が一気に崩れ去り、「無声映画に帰れ!」と罵声を浴びたことを披露している。その後阪妻は京都に広い敷地の家を購入し、常に大声で奇声を発して声帯を痛めつけ、わざと声を潰したという。高廣は、時には喉から血を吐くほどだった、とも述懐している。そういった形で、父の姿を息子たちは見ていたが、同時に同じ土俵に立つことはなかった。 ホイ兄弟の父は、「摩登保[金票](新Mr.Boo! アヒルの警備保障)」でチラリと出演したり、別行動を取る息子たちに再結集を呼び掛け、結果として「新半斤八兩」が製作されるなど、かなり後年まで兄弟の前に存在していた(生没年は不明)。しかし父自身は有名人ではないために、ホイ兄弟の映画デビューはいずれも成人後だ。また兄弟が芸能界と本格的につながりを持つようになったのは、末弟許冠傑の少年時代からのバンド活動に端を発しているのだろう。人格形成や兄弟間の関係に関しては一定の影響力を持っていたであろうと思われる父親であるが、芸能界への道は兄弟が自分たちで開拓したのではないだろうか。 いずれにしても、日本・香港の芸能四兄弟はそれぞれ、兄や弟を意識しつつも時に助け合い、時に競い合いながら、浮き沈み激しいエンターテイメントの世界をくぐり抜けて今日に至ったのだろう。本人たちに「ホイ兄弟」「田村兄弟」としての対抗意識は全くないだろうが、無責任な市井の一般人の目に映ったそれぞれの兄弟の様子を書き連ねてみた。いつの日か、八人揃って共演、などということがあると楽しいだろうな、と夢想してみたりする。美男対決、アクション対決、美声対決、恋愛対決……、果たして許冠英は田村正和を倒すことはできるのか? 非常に興味深いところではある。 |
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| 安上がり決死隊(2003年3月21日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||