周磨 要の 映画三昧日記 2006


●周磨 要プロフィル

物心ついてからの東映チャンバラに夢中になったのを皮切りに、当年とって58歳の今日まで、映画に夢中になり続けた映画好き。映画好きが嵩じてとうとう活動弁士の真似事まで始めてしまいました。
 2006年、私にとっては特別の年だ。今年6月に私は59歳となる。単純に2007年は60歳だ。2002年に公益事業を定年退職し、関連事業に再就職したのだが、60歳選択定年制度がある。4月施行の高齢者雇用の法律で企業は65歳雇用までの制度を義務づけられるので、65歳までは働く条件は整備されるだろうが、私は60歳で年金生活者となり映画三昧生活者になろうと決めている。
 となると、2006年は、年間を通してのサラリーマン生活の最後の年になるということだ。団塊の世代の大量退職問題が世間を賑わしており、私も、技術継承的なことで、望まずとも選択定年退職後もパートタイマーで少々残らざるをえないような雰囲気もあるが、とにかく徹底映画三昧の日々が目前なのは確かだ。映画にドップリ浸れる時間が始まる2007年を楽しみに、さて2006年を歩いていきますか。
「周磨 要のピンク映画カタログ」
周磨 要の映画三昧日記 2005
周磨要の掲示板 
「周磨 要の湯布院日記」
「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
2006年メモリアル

2006年がもうじき終わる。改めて振り返ってみると、1年を生きてきた軌跡はいろいろなことを残すものだ。「映画三昧日記」2006年メモリアルということで、今年を締め括りたい。

●社会人寄席芸の演者になってしまった!
映画好きに端を発した活弁の道だが、私にとっては映画ファンの延長に過ぎないつもりだった。表現者や、ましてや創作者になろうなんて気持は微塵もなく、よりよき鑑賞者になるための調味料くらいのつもりだった。
 活弁の縁で社会人芸能集団の人とのつきあいが拡がった。落語・浪曲・講談などの話芸に触れる機会も増えた。いつしか、皆さまのアドバイスと励ましを受け、「活弁コント 幽霊タクシー」なる演目で社会人寄席芸の舞台に上がる破目になっていた。

映画三昧日記で度々「活弁コント」を話題に出してきたが、フリーライターの磯田勉さんから、読んでいる限りではイメージが湧かないと指摘された。私もイメージを湧かせようなんて意識がなく書いていたので、おっしゃるとおりである。こういうものは言葉で説明するのは難しいのだが、とりあえず私の「活弁コント」がどんなものだかを紹介したい。

衣装は活弁の時と同じ黒のダブルと蝶ネクタイで、立ち芸である。ただし、活弁の時とちがってお笑いも狙うので、蝶ネクタイは派手な赤のドでかいものにしている。小道具は活動大寫真のスチールなどを拡大したものと往年のスターの似顔絵イラストのボードである。(イラストボードについては活弁の師でもある飯田豊一先生に多大なお世話になりました。感謝です)ボードを机の上に置き、語りながら次々といろいろなボードを掲げていく。外見的な話芸のスタイルは、そんなところだ。

さて、語る内容である。映画史・活弁の歴史などをボードを掲げながら、多少、教養講座風に紹介していく。それだけではお客さまは退屈してしまうので、合間に(退屈させないためには2〜3分に1回と、先輩から指導を受けた)活弁のさわりをさしはさむ。それを10分弱、トーキーの出現で弁士が失業し漫談家に転進して成功した歴史までを話し、後半のコントへ移行していく。

コント部分は有崎勉(柳家金五楼のペンネーム)の新作落語「幽霊タクシー」のアレンジである。落語として語るのではないから、原型はかなり崩す。登場人物を往年の活動大寫真のスターに見立てて、ボードを掲げながら声帯模写を交えて語ったり、話しのをつなぎに活弁調の語りを入れたりしていくのである。最後も落語の落ちは使わず、活弁調に「これにて全巻の終わりでございます」と締める。

「活弁コント」を始めたスタートは、社会人落語家あっち亭こっち師匠から、「活弁をあれだけできるあなたなら、かならず何か寄席芸もできるはずだ」とのおだてと買い被り(?)だった。まずは、活弁の前説とウロ覚えの落語の二つをセットにして、木に花を接いだようなチグハグな台本を書き、演じて見せた。それが、ここまでの独自のスタイルに練り上げられたのは、あっち亭師匠を始めとした社会人芸能集団の方々の、厳しく暖かいアドバイスと提言である。このスタイルを活用すれば、後段のコント部分を差し替えることで、色々なヴァージョンを展開できる。今は、星新一の「ボッコちゃん」を活弁コント調の台本にして、新ヴァージョンに挑戦することを検討中である。

初舞台は5月5日(金)「村井しげるの常泉寺ワンコインコンサート」の前座だった。客で行くつもりが急遽デビュー戦という漫画家のバトルロイヤル風間さん評するところの「巡業中に急にデビューするプロレスラーのよう」なとんでもない事態からスタートした。その後、できるだけ舞台度胸をつけた方がいいとのあっち亭の師匠のご配慮で「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」にて、5月7日(日)・6月4日(日)・7月9日(日)・9月10日(日)・10月1日(日)と5度の機会をいただいた。それと別にサンビュー城東学芸会で、「活弁コント」をアレンジした「活弁紹介講座」を10月18日(水)に語ったのは、前に映画三昧日記で紹介したとおりである。

回を重ねる毎に話芸に対する怖さが出てきたのも、10月1日(日)の日記で書いたとおりだ。前半の活弁のサワリを織り交ぜた活弁講座は、数年間勉強してきた活弁のエッセンスのダイジェストだから、一応年期が入っている。ただ、後半の落語をアレンジしたコントの方は、我ながら付け焼刃だと思う。ガクッとトーンダウンし、お客さまが冷えてるのを感じる程度の余裕もでてきてしまった。(単に無我夢中で舞台に立ってたころが懐かしい)新ヴァージョン「ボッコちゃん」に挑戦中なんて言ったけれど、このジャンルからは撤退した方がいいかなと半分は自信喪失の気持もある。さて来年はこの件どうなりますことやら、といったところだ。


秋山呆榮さんご逝去と澤登翠さんとのあれこれ そして「話芸あれこれ」のこと
今年の悲しい出来事は9月23日(土)に秋山呆榮さんが亡くなられたことだ。秋山呆榮さんといっても知らない方も多いので、ここでまずご紹介します。
 秋山呆榮さんは「蛙の会」の重鎮で、街頭紙芝居の神様のような人だった。その話芸は人間国宝級といっても過言ではなく、「黄金バット」は特に絶品だった。太鼓ひとつであらゆる伴奏に対応するのも見事なものだった。「黄金バット」を楽しみに「蛙の会」にご来場するという人も少なくなかった。ここ3年ほどは体調を崩され、2002年以降は「蛙の会」で「黄金バット」も聞けなくなり、復活を首を長くして願っていたのだが、ついに還らぬ人になってしまわれた。

9月26日(火)のお通夜、9月27日(水)告別式に参列し哀悼の意を表した。「蛙の会」の会員はもとより、澤登翠さんを筆頭に若手弁士の方々の参列も続いた。お清めの席や、告別式の出棺までの待機時間で、日頃の無声映画鑑賞会では舞台と客席という離れた関係の弁士の人と、近しくお話することができた。弔問外交ってあるもんだなあ、と不謹慎なことが頭をよぎった。(それにしても、最近のお葬式は、お通夜のご焼香が終わった人から順次お清めになり、告別式のご焼香が終わると出棺まで別室に椅子に掛けて待機とは…昔は式のお経が終わるまで、あるいは出棺の時まで、立ったまま待って冥福を祈ったものだったが…)

私が編集している機関紙「話芸あれこれ」最新号を、この機会に澤登さんにお渡しする。「蛙の会」の話題を核にして、無声映画鑑賞会や話芸全般を取り上げて、鑑賞会会場の配布を中心に発行している機関紙だ。いつもの無声映画鑑賞会終演後の立ち話しでは、一言二言くらいなのだが、この日はいろいろと近しく話しをさせていただいた。話題は後日にひっぱり、何回か澤登翠さんと携帯電話で連絡を取り合った。日本を代表する活動弁士の澤登翠さんと携帯で連絡取り合ってるなんて…俺みたいな者が…これって現実なの…。何だかひどくドキドキしたものだ。


「蛙の会」発表会のあれこれ
今年も「話芸あれこれ」を毎月1号順調に発行できた。いや、9月は発表会をご覧いただいたお客さまの声が続々と集まり、ネタが賞味期限切れにならぬうちにと、頑張って一月に2号も発行してしまった。活弁コントの舞台回数を重ねたことと併せて、我ながらよくやったなあと思う。そして、この二つの経験が「蛙の会」発表会のヴァージョンアップにもつながったのだ。

昨年の発表会はいくつかの厳しい指摘を受けた。「蛙の会や活弁や街頭紙芝居の何たるかもわからないまま、ダラダラ始まりダラダラ終わる。初めてのお客さまをもっと意識してほしい」「チラシに各演目のタイトルだけが並んでいるだけで全く解説がない」「出演者のプロフィルをちゃんと知らせるべきだ」etc…。すべておっしゃるとおりである。各自は自分の演目を研鑽するのには一生懸命だが、全体に目配りをする人がいない。2002年までは、前項でご紹介した故秋山呆榮さんがその役割を果たし、他の者は全面的におんぶにだっこだったのだ。2003年以降に秋山さんが休演されても、替わりを務める人もなく、でも昔からのお客さんには「秋山さんがいないんだからしかたがない」と甘く大目にみていただいてたのだろう。しかし、お客さまにも新陳代謝がある。いつまでもそんな甘えが通用するわけもない。「初めてのお客さまをもっと意識してほしい」とは、正に的を得た指摘だったのだ。

ということで、今年は私が全体進行をまかされた。でも、ご指南番として後ろにベテラン会員の飯田豊一先生がデーンと控えているのだから、大舟に乗ったようなものだ。まず9月発行の「話芸あれこれ」を発表会プログラムを兼ねて編集することにした。「演目の解説」「出演者のプロフィル」はここでフォローができる。「話芸あれこれ」が発表会のヴァージョンアップにうまく連動したのである。

次に、「蛙の会」「活弁」「街頭紙芝居」の解説については、私のボードを活用した活弁コントの手法を使って、冒頭に時間を取って語ることにした。飯田先生が活弁と紙芝居のボードのすばらしい原画を描いてくれた。
 冒頭だから華やかに行こう!かくしてフレッシュ女性会員の中原路津さんがボードを掲げる役割を分担することになった。「男性と女性が二人並んでるのにしゃべるのは男だけで、女性はボード掲げ係だけなのは寂しくないですか」私が提案し、男女掛け合いの語りになるよう台本を書き直した。時間のない中で中原さんは大変だったが、完璧に台本を頭に入れていた。黒いスーツでシックに決め、私の黒のダブル・蝶ネクタイといいバランスになった。当日は、客席正面を向いていたので気が付かなかったが、後日写真を見たら、私の横に立った中原さんのボードの掲げ方のポーズが実にスマートに決まっていた。活弁コントの経験をキックにどんどんアイデアが膨らみ、これもうまくヴァージョンアップに連動したのである。

中原路津さんをはじめ、今年は女性フレッシュ会員の大挙しての初舞台でその殆どが和服姿、楽屋は着付け教室のような華やかさであった。フレッシュ会員はチケットの売り上げにも貢献し、精力的に売りさばいていただいた結果、超満員札止めの嬉しい悲鳴にもなったのである。

ただ、自己満足してはいけない。チケットの売れ過ぎは結構な話だが、当日売りのお客さまには整理券を配布して、前売りのお客さまの入場状況をにらみながら発券するという前例のない事態となった。我々も想定外なのだから、お客さまにとってはもっと想定外だ。多大な迷惑をかけたのはまちがいない。私のネットを通じての縁で来ていただいた13号倉庫さんやマツイ亭ゴジラさんなどの方々は、もろにその被害を受けたわけだ。どうもご迷惑をおかけしました。来年の発表会へ向けての大いなる課題である。

「出演者のプロフィル」についても、「演者からの一言」とのタイトルで各自に「話芸あれこれ」の原稿執筆依頼をしたのだが、内容はおまかせだったのでトーンにかなりのバラつきが出てしまった。このあたりも編集者としてのポリシーが必要だと思った。

ということで、「蛙の会」発表会は慢心することなくさらなるレベルアップに努めます。来年もよろしくお願いいたします。


●母校が消え、電気新聞に私の写真が残った(映画三昧とは無関係ですが…)
私の母校の東電学園が、来年3月に51期生が卒業し、53年の歴史を終えて閉校になる。私は1966年卒業の10期生だ。記念事業の一環として、卒業生・関係者を招いて11月3日(金)に「恩師・同窓と語る集い」が開催された。2500人以上が集まり大盛況だった。
 受付で記念碑序幕式の10期生代表に指名された。10期生で一番最初の受付だったそうだ。校歌合唱のセレモニーでは壇上に上がることになった。50期までの卒業生が20期単位に3列になった。(最後列は41期〜50期の10人)必然的に10期生は最前列中央になる。この「集い」は11月20日(月)の電気新聞の記事になった。写真中央に私がハッキリ映っている。「一人だけ真ん中で大口開けてるね」なんて冷やかされた。校歌合唱なんだから、口開いてない奴は真面目に歌ってないってことじゃん。正直者が損をするヤナ世の中だ(笑)一人だけ合ってないんじゅないか、なんてもっとひどいことを言うのもいた(笑)
 一般的に電気新聞に写真が載るのは、社長・取締役・支店長といった電気業界の重鎮に決まっている。私のような叩き上げは、顔が定かでない作業中風景で出るか出ないかといったところで、ハッキリ認識できる写真が出るなどまずありえない。そんな私がひょんなことに電気新聞で鮮明に写真に出た。電気業界の末席に連なった者として良い記念になった。


●儚く消えつつあるプロ映画評論家への道
キネマ旬報「読者の映画評」採用は、2006年はゼロに終わった。第一次審査通過は7篇である。(1月下旬「ヒトラー〜最期の十二日間〜」・3月下旬「リンダ リンダ リンダ」・5月上旬「サマータイムマシン・ブルース」・6月上旬「ALWAYS 三丁目の夕日」・8月下旬「力道山」・10月上旬「ナイロビの蜂」・11月上旬「やわらかい生活」)もはや常連に返り咲くのは夢の夢であり、投稿常連からプロデビューの道へというのは儚くも消えたと、寂しく認識するしかない。第一次審査通過の常連ということで、これはこれで大したもんだと自嘲的に自己満足するしかないのだが、それだって今後どうなるか分からない。

大関(投稿常連)を何十場所張っても横綱(プロデビュー)にならなければ駄目だということだ。結局のところ綱を張りそこなった私は、大関からどんどん転落し十両から幕下、あとは引退しかないということになったようだ。いや、書く訓練を止めたら終わりだから(「継続は力なり」と励ましてくれた故石原郁子さんの言葉を永遠に忘れない)私は引退はしない。野垂れ死にするだけだ。

[あなたは「映画芸術」でプロデビューしたのではないのですか?]という人もいる。そう見る人もいるだろうが、私の勝手な解釈だがあれはプロデビューとは違うと思っている。(そう思う理由は単純でないので、ここでは述べない)その「映画芸術」からも春号以後はオファーがない。来年は、距離が遠ざかることにもなりそうだし、こちらもオファーはなくなると考えた方がよい。

ずいぶん弱気な発言をしているが、今の私は「貧すれば鈍する」という言葉を痛烈に実感している。書いても書いても没原稿の山を築くだけだと、いつしか書くものにパワーが失せてくる。最近は第一次審査通過のものを読み返しても、我ながら「つまらない評だなあ」と実感する。
 友人の須田総一郎さんが「読者の映画評」で乗りに乗っている。掲載の常連であるのはもちろん、第一次審査通過も圧倒的な数を誇っている。磐石の大関である。(これが、かつての私だった。あぁ…)小川徹の再来と言いたい裏目読みが冴えに冴えわたっている。「ナミイと唄えば!」評のように直球勝負でも剛速球がビシッと決まる。私はこういう「ナミイと唄えば!」評を書きたかった。書けなかった。ホントに「貧すれば鈍する」のだ。でも空しく呟こう。「継続は力なり」
 須田さんには横綱(プロデビュー)になってほしい。友人として心から願う。大関どまりというのは、私のような悲しい末路の可能性を抱えているからである。


●日本アカデミー賞協会会員としての2007年へ向けて
「ぴあ」の推薦で2007度日本アカデミー賞協会会員になることができた。「ぴあ」12月21日号によると、「熱い思いがこもった応募が計1000通以上届きました!」とある。「厳正なる審査の結果5名の読者会員が決定」だそうだ。そんなに多くの応募があったことを始めて知った。1000名余を勝ち抜いて5名に残れたことはすばらしいことだとシミジミ実感する。応募するにあたっての意気込みの中に[「キネマ旬報」投稿採用103篇][2001年〜4年にかけて一般的映画ファンの視線からピンク映画を斬る「サラリーマンピンク体験記」を「映画芸術」に連載]と記した実績が、推薦に大きく寄与したと思う。「キネマ旬報」「映画芸術」両誌には、感謝・感謝である。
 同誌上で「さっそく優秀賞の選考に参加していただきました!」とあるから、投票をサボッたのは一人もいなかったようだ。17部門に各3作品、合計51作品をコード化して投票するのは、結構「重労働」である。まあ、1000名余の中から推薦された5人だから、そんな「重労働」でもリタイアする奴はいないということか。

「読者の映画評」絶不調について、友人の須田さんは「別格でもう卒業という扱いじゃないんですか」と慰めてくれる。そんなことは投稿屋にあるはずがない。プロデビューもさせないやつに何で卒業の烙印が押されるものか。でも、今回の「ぴあ」さんの推薦に関しては「キネマ旬報」「映画芸術」両誌への実績も含めて、映画評論活動半世紀余の研鑽の集大成の卒業祝と思っていきたい。

日本アカデミー賞協会会員の権利に「本会が発行する会員証による映画劇場・特別無料入場」というのがある。メジャーの主要映画劇場が有効映画館リストにほとんど網羅されている。ここのところめっきりメジャー系の正月映画を見なくなった。「007」を始めとして、来年に招待で見ればいいや、と思うからである。(イジきたない)
 来年の6月末には定年で、フルタイムのサラリーマン生活に終止符を打つ。映画評論家プロデビューの道は儚くも消えつつある昨今であるが、半世紀のご褒美として、日本アカデミー賞協会会員の権利をありがたく頂戴し、目一杯活用する2007年にしたい。


2007年、私にとって「映画三昧」の良い年になることを祈りつつ、来年またお会いしましょう。皆様も、よいお年をお迎えください。
前に予告したハシャげる一週間の11月第3週がやってきた。

●平成18年11月14日(火) 「新作無法地帯Vol.12」

なかの芸能小劇場「新作無法地帯Vol.12」。このシリーズは、何回か観ているが、今回くらいつまらなかったのはなかった。毎回、出場芸人が多いので玉石混交であり、いくつかは光るのがあるが、今回に限ってはゼロ。「エンタの神様」の取材が入ってたので、みんな固くなっちゃったんだろうか。

立川三四楼さんの「画用紙落語」、要は手作りハチャメチャ紙芝居は、これまで多くの人に顰蹙を買っているのだが、筒井康隆というか「かんべむさし」というか、その意味のないナンセンスが私は好きだ。が、この日は弾けが足りない。顰蹙度も低かったんじゃなかろうか。でも、三四楼さんがそれでどうする。

いじめとSMをひっかけた三遊亭福楽さんの新作落語は、ブラックユーモアを狙ったんだろうけれど、ブラックなだけでユーモアになってない。いつもの捨て身の熱演が、今日ばかりは完全に空回りしている。(校則と拘束をひっかけた駄洒落に私はやや吹き出しかけたが)3分芸では立ち往生してしまうお粗末さ。人様の前に立って見せる域になってない。やっぱり「エンタ」の取材による緊張の悪影響か。それともボケ狙いなのか。ボケ狙いとしても笑えない。社会人芸能人コントの東京モンキーズの、立ち往生の天然ボケのおかしさの方がはるかに上を行く。

でも、立ち往生の恐怖というのは、人前で何かを演る者の陰にいつも張り付いている。私も、岩手教育会館大ホールでの盛岡活動倶楽部無声映画上映会の時、終了後のホテルで、最初に舞台で一礼した後に言葉が全く出ず頭が真っ白になった夢を見て、夜中にガバッと飛び起き「あー夢でよかった」と冷や汗をかいた。いつもの門仲天井ホールとちがった場所なんで緊張してた反動が、ホテルの寝床でホッとして出たんだろう。ひとごとではない。

会社を学校化して企業成長を図る川柳つくしさんの新作落語も、狙いだけが上滑りして、全くおかしくない。笑いが全然起こってこない。絶叫型芸人が多い「新作無法地帯」にあって、静かな語りのつくしさんは一服の清涼剤の趣きがあり、彼女がトリとのことで期待させたのだが、尻すぼみムードになってしまった。

コンスタントな水準を保つヨージさんまで、この日は楽しくなかった。ディズニーランドのパロディネタなんだが、ディズニーランドを知らない人には意味不明、私のようなディズニーランドファンには消化不良のギャグばかりである。「彼はそれほどディズニーランドは好きじゃない」なんて声も聞いたが、ならば当然だ。パロディは、まず対象に対する愛がなければいけない。

未来を舞台に、現代のお笑い芸人の年老いた姿をネタにした桂花丸さんの新作落語は、観る人が観れば傑作だったのかもしれないが、最近のお笑い芸人に詳しくない私には、その良さがわからなかったのが残念なところだ。

はねた後は、観客有志こぞっての酒席となる。演し物の良し悪しに関わらず、これがあるからこういう会は楽しい。改めてグルっと回りを見渡したら、錚錚たるメンバーだった。映画雑誌編集者にして脚本家で落語独演会企画・制作者、演芸作家、漫画家で社会人芸能コント演者など、私と同様の単なる社会人演者は、コントの相方の女性だけかと思ってたらさにあらず。彼女は今や若手美人浪曲師玉川美穂子(12月に玉川奈々福襲名予定)の後援会長である。結局、タダの人は私一人で小さくなっておりました、って大嘘で例によって一番デカい態度でありました。「あまり自分のことばかり言わないで」と脚本家の方に注意されてしまいました。てなことで(何がてなことかよくわかりませんが)この日も楽しく暮れたのでした。

でもよく考えたら、これってどこが「映画三昧日記」なんだろう。ま、活弁の話題がチョコっとあって、映画雑誌編集者も出てくるからいいか。

平成18年11月16日(木) 「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」出版記念パーティー

この手のパーティーには私が知っている著名人が続々つめかける。しかし、毎回書いていることだが、先様は当然ながら周磨要なんて男はほとんどがご存知のはずがない。映画祭のパーティーなら、ゲストの立場上から素人相手に遊んでくれるが、業界内のパーティーではそんなわけにはいかない。だから、先方も私を知っている双方向の知人が何人いらっしゃるかがポイントである。

この日、確実に出席される双方向の知人は三人。まず、澤井信一郎監督と荒井晴彦さん。でも澤井監督は主賓だし、荒井さんだって湯布院映画祭じゃないんだから、そんなにかまっちゃくれないよなあ。唯一の頼りは、「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」制作に携わり、私に案内状を発送してくれたフリーライターの磯田勉さんだ。

黒井和男さんも、ひょっとしたら双方向の知人に入るかもしれない。若かりし頃に「映画友の会」で知り合ったキネ旬編集部員の結婚式の司会を務めたことがあり、その時の仲人(懐かしい言葉ですね。最近は仲人のいる結婚式をトンと見たことがない)だったので挨拶を交わした。黒井さんも、当時の投稿の常連だった私を記憶にとどめておいてくれていた。でも、三十数年前のこと、大物になった黒井さんが覚えてるわけないよなあ。

まずは、磯田勉さんにご挨拶する。前回までは名前をボカしてたけど、この日「無理に匿名にしなくてもいいですよ」と言われたので、名前を明記する。[それよりもパーティーを「映画三昧日記」で取り上げるならば、「双方向の知人」がどうとかということよりも、肝心の本のことを取り上げてくださいよ。桂千穂さんの出版記念パーティーの時もそうだったんだけど]と言われてしまった。

ウーム、そのとおり。そのとおりなんだけど、結構つらいものがある。私は、読みたい本が沢山あり、さらに「キネマ旬報」「映画芸術」「SFマガジン」(哀しいことに「週刊ファイト」はなくなってしまったが)といった定期的に発行される詩誌は渋滞させるわけにはいかないし、映画三昧で観たい映画はいっぱいある。プロレスビデオ録画やら、見逃した映画の落穂拾い録画やらも、ウカウカしてると山程たまる。だから、読みたい本も慢性的に私の前に行列している状態である。

7月の石森史郎さんの出版記念パーティーの時の2冊の著作も、パラパラとながめただけで、全く手をつけていない。昨年10月のパーティーの時の「争議あり 脚本家 荒井晴彦 全映画論集」を読了したのは、今年の8月だ。それにも、湯布院映画祭で荒井さんと顔合わすのに未読はまずいよなあと、精力的に読破した裏事情がある。

ここでハシャげる一週間のフィナーレ、11月18日(土)「映画友の会」の話題にワープする。この日、古い会員で今でもほとんど欠かさず参加されているアニメ研究家「おかだえみこ」さんの最新著作「歴史をつくったアニメ・キャラクターたち」の、即売会とサイン会が急遽開催された。会員のおかださんへの親しみの気持と、実行委員の熱意のこもった売り込み(売れなきゃ帰りに荷物になるから必死、ってわけでもないか)で、上々の売れ行きとなった。おかださんとは、当然来月の12月16日(土)の「映画友の会」で顔を合わせる。それまでに必読である。

ハシャげる一週間のフィナーレ「映画友の会」と記しましたが、話題はこれ限りにします。別に楽しくなかったわけではなく、例によって4次会の「天狗」を閉店で追い出されるまで、ハシャいでたんでありますが、「映画友の会」の楽しさは定食みたいなもんで、わざわざ書く気にならないんですね。ヤバいと思ってるのは、湯布院がそんな感じになってきてることです。今年の「湯布院日記」は、変則プロローグやら新企画「おしゃべりカフェ」やらで何とか持ったけれど、来年はどうなりますことやら。ま、これはまた別の話。

ということで磯田さん、おかださんの著作が入って、読む優先順位がワンランク下がってしまいました。でも、せっかく言われたんでパラパラだけではなく、多少念を入れて眺めて紹介させていただきます。澤井信一郎監督のインタビューで構成された450頁を超える大冊、マキノ雅弘・石井輝男・深作欣二などの助監督経験から始まり、プロデューサー俊藤浩滋からスター高倉健の話題に至るまで、最後の撮影所システムの助監督経験の貴重な記録を経ての監督体験。記述は徹底的に具象的で、映画を安易に言語化する感覚に再考を迫られる。撮影所システムが崩壊した現在で、この軌跡はかけがえのない記録である。時間をかけてじっくり熟読したい。今年の映画本を代表する1冊となろう。3800円+税でも購入の価値は十分だ。お世辞じゃありません。

さて、双方向の知人を求めて、続々つめかける来場者の中をキョロキョロする。思いがけない人を発見!湯布院映画祭の常連H氏だ。荒井晴彦さんの縁だそうだが、何と愛媛からの出席である。名刺の裏に毎年の邦画・洋画のマイベストテンを印刷・更新している大映画ファンだ。こういう場所では思いがけない双方向の知人と出会うと、もうけたような気分になるから不思議だ。湯布院の縁では、映画評論家の渡辺武信さんも出席していた。

元キネ旬編集部員、というよりは元「ヴァラエティ」編集長といった方が有名だろう。坂東護さんが来場する。前述した私が結婚式の司会を務めたキネ旬編集部員というのが坂東さんなのである。横浜映画祭主催者の鈴村たけしさんが来場する。実は、二人とも私とは「映画友の会」を通じての知人だ。

 「映画友の会」は、「キネ旬友の会」同様に、かつては全国にあった。「映画の友」誌の廃刊に伴い廃止となったが、東京と横浜だけは有志の力で存続させた。(現在は東京のみが存続している)私は「東京・映画友の会」だが、坂東さんと鈴村さんは「横浜・映画友の会」だった。坂東さんが結婚した現夫人は、当時の「東京・映画友の会」のアイドル的女性だった。結婚式の司会で「国境を越えた愛」なんてアホなギャグを飛ばしたものである。キネ旬元編集長の植草信和さんは当時の編集部員で、その結婚式場での知り合いである。あれやこれやで「映画友の会」つながりの双方向知人は3人、あらためて「映画友の会」にいたことを幸運に思う。

国映の朝倉大介社長、坂本礼・女池允の両監督と、ピンク映画関係者も意外にも続々と出席してきて、かれこれ双方向知人がおもいがけなく増えていく。最終的に二桁を越えて、これなら2時間は持つと、ホッとしたのであった。

意外中の意外は脚本家の石森史郎さんだ。石森さんから、先日の出版記念パーティー出席と「映画三昧日記」に取り上げたことのお礼を言われてしまう。「映画三昧日記」を読んでくれてるんだと思うと、かえってこちらの方が感激である。(かんじんの本のことを取り上げていないことは、特に言われなかったので、それもまずよかった)

石森史郎さんと澤井信一郎監督との接点は、どうみても思いつかないのでお聞きしたら、意外なエピソードを知ることになった。マキノ雅弘監督が、晩年に松竹で、集大成の意気込みで映画を撮ることになり、当時助監督の澤井監督が、脚本執筆予定の石森史郎さんと何回も打ち合わせを繰り返したそうだ。最終的には、松竹カラーとマキノ雅弘監督の個性と、どうしても折り合いがつかなくなり流れたとのことだった。でも、こうして出席されているということは、不快な別れ方はしていないようで慶賀の限りである。

結局、マキノ雅弘監督の遺作は、藤純子引退記念映画の「関東緋桜一家」となった。「関東緋桜一家」はオールスターお祭り映画としては楽しいが、マキノ監督の意に添ったものではなかったようだ。藤純子の引退を讃えて、もっと女の情緒にあふれた映画にしたかったらしいのであるが、「それではマキノ映画になってしまう」と、東映からブレーキがかかったと聞いている。だからもう一本、監督・マキノ雅弘、脚本・石森史郎の一篇、是非見たかったと思う。

例によってシッシッとの手つきをする荒井晴彦さんを尻目に、これも例によってズケズケと近づく私である。「神聖喜劇」の映画化はどうなってますか?と尋ねると「監督に聞け」と荒井さん、澤井監督に尋ねると「脚本家に聞け」って、そりゃないよね。「撮れるわけないよ。今は馬鹿な客ばかりなんだから」例によって荒井さんは辛辣である。[でも、今がいい機会ですよ。「男たちの大和」が大ヒットして、「出口のない海」「紙屋悦子の青春」と戦時中が話題を集めてる時期だし、歌舞伎役者の二、三人も引っ張って時流に乗せちゃえばいいんですよ]と私。「軽薄なやっちゃ」という感じで荒井さんは露骨にヤな顔をする。

植草信和さんにこのことを話したら[駄目ですよ。「出口のない海」も「紙屋悦子の青春」も、二本とも大コケした映画ですよ。長年映画を観ている人とも思えない発言ですね]と言われてしまった。そこで、不明を恥じたことを荒井さんに伝えたら[そんなことないよ。二本ともそこそこ当たってるよ。でも「神聖喜劇」はそれとは一緒にならないよ]とのことである。映画人の方々は、一人一人言うことがちがうんで聞く方も大変である。

昔は、宣伝広告でも、自ずから客の入りが判断できた。「ヒット!」「大ヒット!」「満員!」「超満員!」との惹句は、ほぼ実態を表していた。不入りだと「絶賛!」の惹句で逃げていた。客が三人だって、その三人が良いと思えば「絶賛!」は嘘じゃない。良いか悪いかなんてのは個人の感覚だから分からない。うまい逃げを考えたものである。今の宣伝広告は閑古鳥が鳴いても、平気で「ヒット!」と嘘をつく。節操がなくなったものである。

磯田勉さんから「映画三昧日記」のご意見をいただいた。「活弁コント」についてである。ずいぶん取り上げているが、「活弁コント」がどんなものなのか全くイメージが湧かないとのことだ。言われてみればそうだ。いずれ、台本に注釈をつけたものを「映画三昧日記」で紹介して、ご覧いただくのもいいかもしれない。(それでもイメージが湧くかどうかはむずかしいところだが…)

●2007年度日本アカデミー賞協会会員になる!

 「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」出版記念パーティーを終えて帰宅する。日本アカデミー賞協会から封書が届いている。ひょっとしたら…。封を切る。ワオ!やった!「ぴあ」編集部から2007年度日本アカデミー賞協会会員に推薦されたのである。

 「ぴあ」10月19日号で「緊急告知!第30回日本アカデミー賞の選考&授賞式に参加できます」との記事が掲載された。[本来、協会会員は(中略)劇映画の仕事に最低3年以上従事(中略)をはじめ、運営委員の推薦(中略)の会社社員や個人に限定されたものですが、映画人に勝るとも劣らず映画を愛しているぴあの読者選定で(中略)参加できることになったのです。参加者の方は(中略)優秀賞の選考(中略)ぴあ誌面においてその選考過程もレポート(中略)第30回日本アカデミー賞にも出席(中略)することができるのです。]とのことで二つの提出書類による応募方法が記載されていた。推薦者は5名とのことである。その推薦決定通知が来たのだ!

ただし、推薦通知の内容はちょっとハード。「2007年度アカデミー協会新規申込書」を証明写真2枚を添えて11月17日(金)に協会到着ってなってるけど、今は16日(木)の深夜に近いじゃん。無理に決まってる。ところが、その後に「ここが理想と言われておりますが、なかなか物理的に難しいとは思います。または11月20日(月)到着」って追記があってホッとする。それなら最初から20日(月)って言えばいいのに、ずいぶん乱暴だなあと思ったが、その後に「審査が差し迫った中での緊急企画ということもありまして、非常識なスケジュールでの登録申し込みとなること、深くお詫びいたします」って謝られちゃってるんだから、もういたしかたない。いたれりつくせりである。だけど、出張でも入ってた人はアウトになっちゃう恐れはありそうだ。

「日本アカデミー協会・会則」が同封されてきた。会員の権利として(イ)日本アカデミー賞の投票権、(ロ)本会が発行する会員証による映画劇場・特別無料入場、(ハ)本会の定めた各事業への参加、とある。(ロ)の項がすばらしい。有効映画館リストには主要館がほぼ網羅されている。

それでは、どのような応募書類でこの特典をゲットしたかを紹介しよう。応募書類はA.06年公開作品1作品の感想文(800字以内)、B.アンケートの二つで構成される。

A.06年公開作品1作品の感想文
「雪に願うこと」
 根岸吉太郎の映画演出は、溜息が出るくらいうまいと、私は感じている。ただ、根岸演出には言語化し易い特長が少ない。例えば、黒澤明ならば、雨なら土砂降り、風ならば突風、その激しさを挙げることができる。木下計惠介ならば、一見お涙ベタベタのようで、それを大きく越えた「突き詰めた叙情」を挙げることができる。だが淡々とした中にうまさを感じさせる根岸演出には、そうした言葉を発することができない。そして近作の「雪に願うこと」で、やっと初めて、根岸演出のうまさを言語化できる神髄のはじに触れられたような気がした。
 冒頭からいわくありげな人間が、次々と登場する。その背景はなかなか明かされない。ふつうは、こういう思わせぶりなことをされると、イライラしてきて、映画を見る気力が次第に失せてくる。だが、「雪に願うこと」はそうはならない。グイグイと画面に引き込まれていく。主要キャラの佐藤浩市・小泉今日子を始めとして、山崎努・草笛光子などのサブキャラまで、背負っているいわくが明確になるのは、ほとんど終幕近くだということに関わらずである。根岸演出の溜息の出るような演出のうまさの所以である。
 根岸吉太郎は、人間をこよなく愛している映画作家ではないのか。それも良い奴だから愛する、悪い奴は愛さないなんて薄っぺらなものではなく、すべての人の生に愛しさを感じているのではないのか。
 人は、愛をもてない対象については、「意味」を見出せなければみつめ続けることはできない。対象への愛があれば打算抜きに、とことんつきあい続けられる。根岸演出の画面に引き込む力の強さは、そこにあったことを発見した。

B.アンケート
Q1 今年(2006年1月1日以降)、映画観で映画を何本ご覧になりましたか?
約[150]本
Q2 普段DVDやビデオ、TVやCS等で映画をご覧になる頻度はどのくらいですか?
週[3]本程度
Q3 好きな映画監督とその理由をひと言お書きください
名前[行定 勲]
理由[久々にスケールの大きい映像創りができる監督として期待できるから]
Q4 好きな俳優とその理由をひと言お書きください
名前[高倉 健]
理由[青春を任侠映画で過ごした者には、この人しかいない!]
Q5 協会会員資格に応募するにあたっての意気込みをお書きください。
小学生の頃の東映時代劇を皮切りに映画ファン歴は約半世紀。1967〜69年で「映画評論」の投稿採用は8篇。1968年以降、現在までの「キネマ旬報」投稿採用は103篇、2001年〜04年にかけて一般的映画ファンの視線からピンク映画を斬る「サラリーマンピンク体験記」を「映画芸術」に連載。映画検定は現時点での最高位2級(12月初開催の1級検定に向け勉強中)映画ファン代表として、これ以上ふさわしい者はいないのではないか!と大仰に売り込んでおきます。

以上が応募書類である。応募するからには推薦されたいので、まとめるにあたっては色々考えた。まず「06年公開作品1作品の感想文」の作品選定である。日本アカデミー賞協会会員応募なのだから、やっぱり日本映画であろう。私の目下のベストワンは「やわらかい生活」、ベスト2が「雪に願うこと」だ。私は心に残る映画を、1000字程度の心のメモとしてまとめる。キネ旬「読者の映画評」の投稿原稿はそういうものなのである。800字の感想文ならば、それをアレンジすればよい。そもそも、私の心のメモなのだから、それと全くちがうものは書けようもないのだ。

「やわらかい生活」は、私のベストワンだが、読み返してみると我ながらあまりよく書けていない。「雪に願うこと」評は、自己評価としてはまあうまくまとまってると思った。ただしキネ旬誌上では「やわらかい生活」評は一次審査通過で、「雪に願うこと」評は完全没原稿である。キネ旬投稿のアレンジ文だとしても、内容はガラリと変わるわけではないし、またベースにあるのは私の心のメモだから変わりようもないことから、今回の応募で推薦をいただいたのは、感想文だけが決め手ではないにしても「雪に願うこと」評はそんなにひどくはないということだ。第三者の評価なんて、そういうものだ。とまあ、こういう憎まれ口を叩くから、「読者の映画評」採用掲載の道がますます閉ざされているのだが…あ、冗談、冗談、キネ旬の審査者はそんな感情的なものに流されずに厳正に審査していることを信じてます。私の書くものがお粗末なんです。(でも、そう言ったら「ぴあ」の審査者に失礼になっちゃうよなあ)

独立ミニシアター系の匂いが強い「やわらかい生活」よりも、東京国際映画祭グランプリ他の「雪に願うこと」の方が、日本アカデミー賞協会会員応募にしっくり来るとの計算が働いたのも事実である。でも、自分としては断じて「雪に願うこと」評の方がよく書けていると思えたことが、決定的だ。己を信じて良かったと思う。ベストワンの「やわらかい生活」を選定しなくて、荒井晴彦さん、ゴメンナサイ、と謝る筋でもないか。

アンケートのQ1,Q2は、すなおにありのままに答えればよい。でも「Q3 好きな映画監督とその理由をひと言お書きください」には頭をかかえた。一人を挙げるってのは厳しい。黒澤明とか大島渚とか、そんな感じになってしまうが、そんな歴史的巨匠をここで挙げてもしょうがないような気がする。そこで、思い切って「久々にスケールの大きい映像創りが(中略)期待」できる現在進行形の行定勲とした。行定勲については、昔のように「贅沢な骨」とか「ロックンロールミシン」とかの小品に回帰した方がいいとの声があるのも知っている。湯布院常連の郵便局OB「失礼します!」Oさんにあってはボロクソなのも知っている。でも、私は「セカチュー」に端を発し「北の零年」を経て、ヴィスコンティ志向までも感じさせた「春の雪」の行定勲に、大いなる期待を寄せるものである。チマチマした映像はもう沢山だ。

そして「Q4 好きな俳優とその理由をひと言お書きください」、ここは、オールドファンの持ち味を出し高倉健を挙げて、Q3とのバランスを取ったのである。

 「Q5 協会会員資格に応募するにあたっての意気込みをお書きください」これはもう使えるものは何でも使った。「映画評論」「キネマ旬報」の投稿採用歴から、「映画芸術」連載体験から「映画検定」まで、すべてぶちこんで売り込んだ。応募を投函した後で、活弁キャリアも入れとくべきだったかなと気が付いたが、逆に変にプロ摺れしてると見られる恐れもあり、結果オーライだったのではないか。

 「映画友の会」では、喜んでもらえたり、うらやましがられたりした。何ったって主要映画館に1年間無料招待なんだから。(書類選考だけ?面接は無かったの?だから推薦されたんだ。と憎たらしいことを言う者もいた)

いずれにしても今は無い「映画評論」誌とこれも今は亡き編集長の佐藤重臣さん、「キネマ旬報」さん、「映画芸術」さんに感謝します。そして、半世紀にわたる自己研鑽のご褒美として、来年の2007年、日本アカデミー賞協会会員の特典を有効活用させていただきます。最後に「ぴあ」編集部さん、本当にありがとうございました!
●平成18年11月4日(土)

この日、「蛙の会」と「あっち亭こっち一座」の何人かの人と、芝居を見た。「蛙の会」のある会員の人の演劇活動と関係する劇団の芝居だった。例によって芝居がはねた後の酒席を楽しく過ごしたが、帰宅してから私自身について、いろいろ考えさせられることが多かった。その中の一人の人に、心情を長文につづりメール発信した。
 そのメールを紹介するが、ここではその芝居を云々するのが目的ではない。私の自問自答の軌跡が問題なのである。だから、あえてメールの中の固有名詞は伏字にしたい。

ちょっと考えてみました(長文です)

「私はどんなものにも良いところをみつける」との意味のことを、これまで言われています。そのことについてちょっと考えてみました。

「駄目!」「つまらない」皆さんは、どうして結論を先に言っちゃうのかなあ。いや、私も「良かった!」「面白かった!」という時は、真っ先に結論を言っちゃいます。精神的高揚がそう言わせます。でも、けなす時は慎重になります。

作品や表現は、私は人間と同じだと思っています。全面的に良い人もいなければ、全面的に悪い奴もいません。両方をミックスして併せもっているのが人間です。「あの人が嫌いだ」と言った時、その人だけに問題があるわけはなく、嫌う自分の方にも問題があるわけです。「あの人が好きだ」というのは、差しさわりがないでしょうが、「あの人が嫌いだ」と言うのは慎重でなければいけません。

「○○○」の芝居がつまらないという結論は、最終的には同じです。でも、私は結論よりもまず過程を追うことから始めます。@前衛演劇を見る気でいたのにテーマパークのアトラクションを見せられるとは思わなかった→A前衛演劇風の創りなのに権力に潰される庶民という図式はすごく古めかしい→B神は「自然」であり、海底炭鉱を創ろうとする権力も粉砕した代わりに、村も粉砕し、海猫保護区のような自然公園を残した、正義などではない、かくして大自然と時の流れの雄大さの感慨が残りプロローグに回帰する、とのテーマは「理解」できる→Cただし「理解」するだけで私の心には何の感銘も湧いてこない→Dこのテーマは「象徴的」であり「典型的」であり極めてシンプルなもので、単純明快なエンタテインメントにこそふさわしい→Eその意味でクライマックスのテーマパーク風アトラクションは有効なはずなのだが、前衛風の創りの芝居とチグハグになった→F故に私には感銘が湧かずつまらない。だから私の第一声は@でした。まわりくどいですが、いきなり「つまらない」と言うのではなく、ディティールの検証を語り合って、それぞれが結論に至る。少なくとも私はそういうタイプの人と、最も映画を楽しく語り合えます。

○○先生の第一声「つまらない」「テーマパークのアトラクションの方がましだ」「感じるものがない」、実は私のFECと全く同じなんですね。確かに、最初に受けたパッシヨンが大切なのですが、その感情に素直に従うのは、私の場合は「良かった!」「面白かった!」場合に限ります。「駄目!」「つまらない」場合はクールにフィルターをかけてから発言をします。「作品や表現は人間と同じ」との私の心情からです。

「あの人は嫌いだ」自分が好きな人のことをそう言われたら、誰でもカチンときますよね。それだけでなく、そこから先の会話も進まないでしょう。私は、好悪を別にしてどんな作品・表現(特に映画)でも徹底して味わいつくしたい。取得がまったくない人がいないのと同様、取得のない作品・表現はありません。としたら、結論を言う前にディティールの検証をしながら、結論を開示しあえる人が、私が最も楽しく映画についての会話を交わせる人です。お互いに結論を先に言わざるをえないこともあります。私が最も楽しく映画についての会話を交わせる人は、「申し訳ないけど、私にとってこの映画は駄目だった」「悪いけど、つまらなくて寝ちゃったの」といった感じでお互いに切り出せる人です。そうすれば、お互いにカチンともこないし会話も途絶えません。そしてお互いがデイティールの検証をし合う中で、自分の中にあるおもいがけない側面、駄目だと思っていたが、それは作品の問題ではなく、自分の資質の問題だと気が付かされたりします。

ただ、○○先生が作品・表現に「あたる」と、よく言われます。「あたる」と体調にまで影響すると言われます。異質なものには抗体反応が起こるということでしょう。パッションが強いということだと思います。パッションに素直であることは、表現者・作家としての必須条件であるような気がします。○○さんにも同種のパッションを感じます。私は、より良き鑑賞者(なれるかどうかは別にして)でありたいとの意識なので、そうしたパッションは薄いような気がします。よく言えば寛容、悪く言えば「ゆるい」のです。「表現者」になれるのか否か、自分自身に疑問を感じているところです。

と言っても、私だって必ずしもいつもそうではありません。先日、○○さんもご存知の□□さんと「7月24日通りのクリスマス」を試写会で観ました。後の酒席で、私は一人怒りまくっておりました。[あんな不愉快な女(中谷美紀)はいない!こんな不快な思いをしたのは「大河の一滴」の安田成美以来だ!]といった調子でした。ただ、多少は冷静で、映画の問題でなく個人の好悪に限定しての話かもしれませんと付け加えたので、会話は継続しました。「でも、あれをロマンチックだと思う人もいるんですから。むしろ、ブスじゃない中谷美紀が精一杯ブスを気取ってる方が白けますよ」と言われたりもしました。後日に別の女性からは「あなたが腹立つって言うけど、でもそういうのがブス女の素直な心情だと思うわよ。それに中谷美紀がブスを気取るからいいんで、ホントのブスがブス演ったら誰も見ないわよ」ことほどさように、映画というものは人の見る目でさまざまな顔を持つわけですが、「嫌い!」「駄目!」って先に言い切っちゃったら、多分それ以上の
会話は出てこないでしょう。

 こんな「鑑賞者」的意識、やっぱり私は「表現者」は無理ではないかなあ。今は、その思いが最も頭の中を占めております。
●平成18年10月18日(水) 初めて「あっち亭こっち一座」の「核の傘」の外に出る?!

 「活弁コント」なる素人寄席芸に手を出したことを以前に紹介した。5月3日(水)の「村井しげるの常泉寺ワンコインコンサート」で、席亭の酔水亭珍太師匠のご好意で予期せぬ突然のデビューを果たしたこと、その後、5月7日(日)、6月4日(日)とあっち亭こっち師匠のご好意で、「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」で経験を積み重ねさせていただいた顛末もすでに紹介した。
 その後も、場数はできるだけ多く積んだほうがいいとのあっち亭師匠のご好意で、7月9日(日)、9月10日(日)、10月1日(日)と、「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」の舞台に立たせていただいた。さらに、打ち上げ会場に何度か自宅まで解放して、奥様・娘さんの手料理までご馳走になったこともあり、あっち亭こっち師匠には感謝し過ぎても、し過ぎることはない。この場も借りまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 そんな私に、「あっち亭こっち一座」と全くちがう方向からオファーがきた。公益事業時代の同僚で、現在は私と同様にOBのM氏からである。M氏は介護関係のボランティアをしている。OBで、こういう人は結構少なくない。寄らば大樹の陰とばかり、関連会社に再就職をお願いする私みたいな俗人から見ると、大した方々である。
 話はOB同士集っての酒席から始まった。この定期的な酒席には「蛙の会」のお客さまで来て下さる方もかなりいて、素敵なフィールドである。そこで、私が活弁コントなるものに手を出したことをM氏が聞いて、江東区の老人保険施設の「サンビュー城東・学芸会」に「ギャラは出せないし平日だけど、一席お願いできますか」とお誘いがあった。ギャラなんてどうでもいい。経験を積ませていただくのは、ありがたいことだ。平日だって何だって、さっさと休暇を取ってしまえばいいだけのことだ。「あっち亭こっち一座」の「核の傘」の外に出るのは、やや怖い気もするが、それも含めて勉強だろう。かくして、10月18日(水)の公演を、二つ返事で引き受けた。
 当日は「勉強させていただきます」の挨拶に始まり、終了後に施設の方に「また、お願いします」と御礼を言われると「いえ、こちらこそ勉強になりました。機会があれば、また勉強させてください」と、何だか完全に「芸人」の口調になってるなあと、振り返って見ると我が身ながらおかしかった。
 さて、この日の詳細は、追ってまた紹介するとして、時間はいったん9月の「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」にタイムスリップします。

平成18年9月10日(日) いわゆる老人ホームでの公演の風景あれこれ

 この日は残暑が厳しかった。「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」は、主催者がいつも集客に苦労している。天候に大きく左右される。「暑いけど、今日はお客さんはどうですか?」とあっち亭の師匠、「今日は大丈夫です。ベースのお客さんがいますから」と主催者、「?」と出演者一同。ちなみにこの日の出演は、あっち亭こっち・酔水亭珍太の両師匠と、似顔絵コントの東京モンキーズに活弁コントの私、それに地元の楽器演奏の方が加わる。話をよく聞いたら、敬老の日を控えて船橋市・老人ホームの「ひかりの郷」の行事も兼ねているという。「えっ!聞いてないよー」って感じになる。
 老人ホームでの公演には、それなりの備えが必要である。「蛙の会」会員の湯川博士さんこと高座名・仏家シャベル師匠が、地元の和光市の老人ホームで「和光寄席」なるものを主催している。私も一度、お手伝いで参加させていただいた。ご高齢の方は、生身の人間だから仕方ないことで、体力は低下し反応力も鈍くなっている。チラシ配りをやったのだが、手を出したり振り向いたりする動作は鈍い。が、決して興味や好奇心はないわけではない。若者のように迅速な反応が、乏しくなっているだけのことだ。だから、笑いや喜びも大きく弾け難いけれど、ジックリ見ると、楽しんでいる感覚は確実にヒシヒシと伝わってくる。反応が乏しいと落ち込んではいけない。むしろ、その微妙なニュアンスを鋭敏に感じ取れると、逆に活き活きと演じられる場になるのである。
 だから、テンポ・心構えなど、事前準備が必要だ。いきなり言われたら「聞いてないよー」状態になって当然だ。ま、私は2番目なので心の準備の時間はある。(もっとも、私の活弁コントにそんなバリエーションの引き出しがあるわけもなく、稽古の内容を何も考えずそのまんま繰り返して演じるしかないが)
 大変だったのは開口一番のあっち亭こっち師匠の落語「お血脈」だった。場を最初から心得ていれば、老人ホームバージョンの絶妙の一席となったろうが、突然のことで、反応の鈍さが気になるのか、やたらの早口と大声(老人ホームではむしろ逆効果になる)となり、演じた後は「いやー、早く終わらせたかった」との、いつにない弱気な発言、あっち亭師匠も同じ人間だったと、こっちは少々安心した次第である。
 さあ、私の活弁コントだ。「天然の美」のメロディーと共に(実はこの日カセットを忘れて、口でメロディーを奏でるお粗末)登場、「花のパリーかロンドンか!月が鳴いたかホトトギス!」と朗々たる語りから始める。客席の反応が最高によい。人間カセットの素朴な手作り感も、良い効果の方向に出たようだ。当然かもしれない。目の前にいるお客さまは、活弁をリアルタイムで知っている方たちだ。平成の現代に、こんなものが聞けるなんて想像していなかったのだろう。阪東妻三郎、大河内傳次郎なんて名前にビンビン反応がくる。大きくうなずいているお年寄りも少なくない。もちろん実際は、そんな目に見える大きな反応ではなかったのかもしれないが、和光寄席を手伝った経験が、反応を感じ取るのに大いに役立った。活弁をリアルタイムで知っている方たちに、一応満足いただけたということは、私の話芸が、当時の雰囲気を壊さなかったという証左でもあろう。(芸の質よりも、今時珍しい活弁のサワリ紹介が喜ばれただけだよ、とのキツい指摘もあるが…)
 「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」のプログラムは一演目20分を基本にしているが、この日は、お仲入り後の東京モンキーズはさらにロングバージョンの25分、トリの珍太師匠は30分タップリという布陣である。これは、今回ばかりは少々よろしくなかった。5演目でお仲入りを入れたら2時間強だ。演者の巧拙と関係なく、お年寄りは体力的に持たない。車椅子を客席にされている方もおり、疲れると施設の人に頼んで押してもらい、三々五々に中座していく。悲惨だったのは、トリの酔水亭珍太師匠の落語「宿屋の富」である。お年寄りはほとんどいなくなり、この日あまり集客が成功しなかった一般客の小観衆を前にしての高座となってしまった。「宿屋の富」は、後日の社会人落語大会で準優勝を果たした力作なだけに、ちょっと気の毒であった。

平成18年10月1日(日) 多少は出てきた余裕が呼び込む最悪の事態

 サンビュー城東の公演の10月18日(水)を前にして、私の精神状態は最悪だった。10月1日(日)の鎌ヶ谷お楽しみ劇場で、完全に自信を喪失する事態に陥ったからである。
 これまでは、客席の反応を見る余裕はほとんどなかった。無我夢中で、演じることに専念していた。だが、この日は舞台経験6回目、客席の状況をうかがう余裕が若干できた。それがいけなかった。
 冒頭、恒例の朗々と声張り上げた「花のパリーかロンドンか!月が鳴いたかホトトギス!」の語りと、高く掲げた「活動大写真」ボードで、場内には「オッ!何か面白いものがはじまりそうだな」との空気が流れる。つかみは上々だ。いける!と実感する。しかし、活弁のサワリを繰り返しているうちに、聞く方も次第に単調さを感じ出したのか、「でも、あまり面白くなってこないな」とのムードが漂ってくる。マズイ!あせる。場内の空気が冷えかかってるのを感じる。こっちの気持も冷える。活弁のサワリの紹介のテンションがどんどん下がってくるのが分かる。自分が冷えたら、お客さんを熱くすることはできない。場内はさらに冷える。相乗して私も冷えてくる。完全に悪循環にハマったのである。
 後半のコントへの移行でやや持ち直し、救いの光が射す。何といっても冒頭のキャスティング紹介に活用するイラストのボードの強みがある。林長二郎・大河内傳次郎・入江たか子・片岡知恵蔵の、客席の後方までしっかり届くクッキリした図柄で、飯田豊一先生が健筆を揮った力作である。「おっ!何か、面白い者がはじまりそうだな」との期待の高まりを感じる。しかし、肝心のコントの中身に入ってくると、だんだんと「何か、でも、あんまり面白くならないな」との冷え込みを感じてくる。内容は、有崎勉(柳家金五楼のペンネーム)作の新作落語「幽霊タクシー」に活弁調の語りを加えてアレンジしたものだが、はっきり言って活弁の経験よりは、このコントのキャリアの方がはるかに浅い。(何たって、今年の5月に始めたんだから)ある人には「話芸になってない」との酷評すら浴びた。客席が冷えて当然である。それをヒシヒシと感じられる程度の余裕が出てきただけに、最悪である。でも、演者が冷えてどうする。客席はもっと冷えるじゃないか。と思いつつも、もはやどうにもならず、冷え込みの相乗効果の中の寒々とした心境で、この日の公演を終えたのであった。
 前述したように、打ち上げは奥様・娘さんの手料理付きのあっち亭こっち師匠自宅解放で、和気藹々と楽しく過ごさせていただき、感謝の限りである。あっち亭の師匠からも特にコメントはなかったから、こちらの勝手な思い込みかもしれないが「活弁コントもこれまでかな、今後のオファーは一考の余地があるな」とのムードを感じた。いや、仮にオファーがあっても、この日の気分は固辞したい思いだった。とにかく、完全に落ち込んで10月18日(水)は、私一人の初の単独行動だし、心細いし、行きたくないなあという雰囲気になってしまった。

平成18年10月18日(水) 悉く狙い的中の「サンビュー城東・学芸会」

 「サンビュー城東・学芸会」は、15分程度というオファーだった。活弁コント「幽霊タクシー」は、16〜18分という長さである。ただ、老人ホームで演じる場合は、語りをゆっくりめにする必要がある。ダイジェスト版にアレンジしなければならない。これが結構難しい。台本は皆さんのアドバイスを受けてこれまでにかなりの充実を果たし、前半は2〜3分に1回の活弁のサワリ紹介、後半は2〜3分に1回の笑いを取ることで構成されている。(話芸は2〜3分に1回の聴かせどころがなければ持たないそうである)それだけに、アレンジしようとすると結構むずかしいものがある。皆さまの多大なアドバイスで完成形の台本になってきたということなのだろう。
 思い切って発想の転換を図る。後半のコントの部分はバッサリ切ってしまうことにした。タイトルも「活弁コント 幽霊タクシー」ではなく「活弁紹介講座」とした。時間は10分前後になるが、老人ホームでは語りをゆっくりめにするから、案外15分弱でちょうどいいかもしれない。和光と船橋の老人ホーム体験から、こういう催し物は、全体は1時間前後、一つの演し物の時間は15分弱が適切と感じていたからだ。
 ただ、後半のコントを全面カットすると、飯田豊一先生のインパクトあるイラストの出番はない。それは残念だ。そこで、コントのキャスティング紹介までを演じ「これから第2部の活弁コントになるわけでありますが、丁度お時間が来ましたようで、続きはまたの機会ということで、本日の活弁紹介講座、全巻の終わりでございます!」と締めることにした。「丁度時間となりました」の浪曲のごとく、「続きは明日のお楽しみ」の街頭紙芝居のごとく行こうというわけである。これで丁度15分弱になった。
 ただ、笑いの要素がほとんど無くなるというのはどうか?また、予告篇だけ見せるようなやり方は「馬鹿にするな!」と怒られないだろうか?との、一抹の不安はあった。
 そして、当日。結果からご報告すれば、狙いは悉く良い方に的中した。私の「活弁コント」体験も、やや良い方向に持ち直すことができた。
 当日の客席は、私を半円形に取り囲む形になった。そこで、ボードもゆっくりと半円に移動させて見せることになった。語りもそれに合わせて自然にゆっくりめになったのも老人ホームバージョンとなって良かった。時間的には見事に狙いの15分弱に納まった。
 「花のパリーかロンドンか!月が鳴いたかホトトギス!」で幕を開ける「活弁紹介講座」、リアルタイムの活弁体験者が多い老人ホームだから、やはり反応は良い。ビンビン来る。以前、あっち亭こっち師匠から、客席に対しZ型に視線移動を反復すると、お客さまは演者を身近に感じるとのノウハウを教わった。それを応用して、この日は半円形に視線を動かしながら、語りを進めた。ウムウムと大きくうなずくお年寄りはかなりの数であった。
 後半のコントをプロローグだけで終わらせた件も、浪曲や街頭紙芝居に親しんだ世代だからか、何?これで終わりなの?との白けた反応がなく、拍手が爆発してくれた。これも結果として成功だった。15分から多少オーバーしてもいいですよとの主催者の意見のままに、全編演じたらテンポをゆっくりめにした分、20分を越えたかもしれない。芸の巧拙を抜きにして、これは老人ホームではまずいだろう。お年寄りは疲れてしまう。まずは、良かった良かったといったところだ。
 この日の演し物は三つだった。最初は踊りの会の人達の日本舞踊。カセットの歌に合わせて4組が踊った。一曲3〜4分だから15分前後、次が私の「活弁紹介講座」、最後がカラオケを活用した歌謡ショーで、2人の人が4曲ほど歌ってこれも15分前後。交代の時間を含めても1時間弱。まさに適切な時間と、演目のバランスである。それでも、疲れて節目のところで中座する車椅子のお年寄りが散見したのだから、これ以上ひっぱってはいけないということだ。「学芸会」というタイトルで「寄席」と銘打ったものでないのも、私には良い方に転んだ。別にお客さまは「笑い」を期待してはいない。「笑い」の部分を切ったのも物足りなさを生じさせることにはならず、ここでも狙いは良い方に的中した。
 良かったのは施設の人の進行だった。事前の舞台設定の打合せ・確認から、演者の交代のタイミング、音響テストなど、実にきめ細かった。えてしてこの種の主催者は、演者を集めたら仕事は終わりという感じの人もいるので、その意味では気がよく行き届いていた。
「この次もお願いします」「また勉強させてください」との施設の方とのやりとりは、冒頭に述べたとおりである。ただ、残念なことに「サンビュー城東・学芸会」は、今回は「敬老の日」の催しに掛けたが定期的な催しではなく、年1〜2回の不定期開催ということなのだそうである。いずれにしても、私の「活弁コント」への意欲は、若干上向くことができた。
 現在、コント部分を「幽霊タクシー」から星新一のショートショート「ボッコちゃん」に置き換えた台本の叩き台を、あっち亭の師匠と飯田先生に目を通していただいている。飯田先生は乗り気になってくれて、台本にあるボードの「ルドルフ・ヴァレンチノ」「ダグラス・フェアバンクス」「リリアン・ギッシュ」のイラストを描いてくださるとのことで、私はモデルのスチール写真を物色中だ。とにかく、私の気分は若干持ち直し、今後オファーがあるかどうかは知らないが、活弁コントの話芸修行の道は、続いていきそうである。

デビュー当時の思い出

 5月3日(水)の「村井しげるの常泉寺ワンコインコンサート」の活弁コントデビュー戦、二度目の舞台の5月7日(日)の「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」を、共に同じ舞台に立った似顔絵コントのバトルロイヤル風間さんが、ご自身のブログ「見物したり見物されたり」で詳細にユーモラスにルポしている。風間さんに快諾をいただいたので、以下にご紹介したい。
 2回目までは、私は淀川無声の高座名で出演している。3回目から本名の周磨要にした。このいきさつは、また色々あるのだが、まずは風間さんの楽しいルポからお読みください。

危険な似顔絵、お寺でゾ〜! 06・5・5(金) 村井しげるワンコインコンサート

 早稲田夏目坂常泉寺。村井しげるワンコインコンサート。に、出させていただきました。ピン。
 うちの子とうちの奥さんも見に来た。いっしょに行ったので、開演の3時ギリギリ入り。サクラ2本とうちゃ〜く
 プログラムを見ると、淀川無声も出る!ラッセル矢沢も出る!楽しみだ!
 前回のこのワンコインコンサートは、酔水亭珍太、東京モンキーズ、村井しげる、と、シンプルな出演者。
 今回は、珍太、淀川、あっち亭こっち、矢沢、風間。村井先生のメインエベントの時に、ゲストで、アコーデオンの若手、ハーモニカのおじいさん、ちさみきりみたいな、ひらがな5文字の若き美人歌手。(スポーツ紙とテレビで最近見た、井の頭公園で路上ライブやってる、おじさんたちのアイドル。)とてもバラエティに富んだ会になった。
 あと、ベノンさんが音響やってくれて、ピンマイクつけてコントやらせていただきました。
 和尚さんの話。さすが宗教家、看護婦として、日ごろ疲れているわが妻を休ませてくだすったとのことです。うちの子は寝れなかったらしいけど。
 司会の珍太さんの前説。あわてた口調があいかわらず面白い。ちなみに、この会の主催者。
 淀川無声『活弁コント』、2日後の鎌ヶ谷がデビューと聞いていた。わたし、そのときは、客として行こうと思っていた。その後、わたしも出演できることになりラッキーなのですが。
 淀川さんも、ワンコインコンサートは、客で来ようと思っていたらしいが、急遽、出演が決まったとのこと。
 活弁は、そこそこやってるが、コントはデビュー。急にデビューなんて、巡業中に急にデビューするプロレスラーのようではないか。(周磨注・このあたりはプロレス者の風間さんらしい楽しい例えだ)
 いい出来!
 力強く、明瞭に、しゃべる。言ってることが伝わる。デビューとして、文句なしだな。
 前半、役者の写真を見せての、カツドウとは何ぞやのコント。
 後半、柳家金五楼作の『幽霊タクシー』の一人コント版。
 迫力あり。
 楽屋で聞く。姿が見えない。出来のわりに、笑い少ないと思う。あとで、客席で見てたMISAKOさんによると、指先がふるえたり、あがっていた動きがあったそうだ。それでか。初々しいじゃん。デビュー戦なら当然だ。そーゆーの見ると客の笑いは、へるわな。
 とにかく、明るくて、元気で、練習十分で、好感がもてます。
 ちなみに、このかた、元かたいところに勤めてた、60ちょいすぎ(周磨注・年齢は風間さんの誤認)の映画をものすごく見てるおじさんです。
 あっち亭こっち『桃太郎』、端正な出来。この方にはお世話になってるので、このような遠慮した表現になります。
 あとの飲み会で言ったわたしの意見、「わたしがいうのもナンですが、もっと自信をもってやったほうがいいのでは」
 ラッセル矢沢『音楽漫談』、ラッセル、淀川、風間と、ミョ〜な素人オリジナルおじさんピン芸人がそろったものである。
 この人と知り合って3年ぐらいになるか。50なかば(?)の小柄なおじさん。珍太さんとつるんでるので、あわせて『ヤマハブラザース』と呼ばれている。ぼくだけに。(周磨注・これもプロレス者ならば2人の姿を見たら絶対爆笑できます)
『シンガーソングライター』と自称なさる。が、なかなか歌ってくださらない。聞きたくて、聞きたくてしかたなった。ついに、聞けそうです!
 本日『音楽漫談』で、デビュー!
 ぼくのストライクゾーンど真ん中!
 球威はヘロヘロですが。
 エレキギターを駆使したオヤジギャグ的音楽コント。短くわかりやすいのがいい。ギターうまいしね。
 最後に、オリジナルの普通の歌を気持ちよくうたっちゃうのも、さばさばしていい。
 ケレン味のないセコさよ!
 バトルロイヤル風間『路上の似顔絵描き』、あるいは、『そんなことできるわけないじゃないですかー似顔絵描き、略して、そんにが』あるいは、『腕立て似顔絵』同じものを指しているのですが。2番目がいいと思うんですけど、長いか。
 4・2鎌ヶ谷でやったヤツの発展型。そーとー直した。
 鎌ヶ谷では、最後の腕立てをやめてた。
 舞台と客席が平面で、イス席だと、腕立て伏せをしながら客の顔が見えない。腕立て伏せをしながら似顔絵が描きにくいので、そのくだりをやめた。
 絶対うけるところだけど、やらなくても、ほかでうけると思ってた。
 そーもいかなかった。
 今回はやることにした。
 いいアイデア思いついた。
 モデルの客も寝っころがってもらうのだ。おかしいでしょう!
 その他、いろいろいろいろ直した、つーか、違うものになった感じだ。
 ちゃんとやれば、うけるでしょう! 
 久々に本番前のイヤ〜な感じが朝からきてる。
 緊張してる証拠。
 初っ端の八木節、声がタケ〜!!!緊張してるぞ。
 わー、メインとなるお客の人選もこれでよかったのかどーか。ほかに、適した人いなかったしな。
 おー、セリフ、とばしてる、とばしてる!とばしてもいいせりふ、ばっかりかよ!
 は〜、終わった。ま、なんとか。
 妻曰く、体力的練習不足。ひいひいぜいぜいし過ぎ。倒れられたらどうしようかとゾッとした。あぶない。何で、似顔絵みたいなのんびりした芸なのに、危険になるの。
 中入り
 村井しげるオンステージ!今年見た村井先生で、一番元気。
 おしゃべりのスマートなこと!泣かせる話芸もあり、コミック調の歌の連続あり。堪能いたしました。
 ひとつひとつの歌で、泣いたり、笑ったり、思い出したり、しみじみしたり。
 来た人、出た人、いい日になった。

ダ、ダ、ダ、大仏だって、だっはっはっはー! 鎌ヶ谷大仏大会 06・5・7(日)

第7回 鎌ヶ谷お楽しみ劇場。ひかり幼稚園。
 おとといのお寺に続いてきょうは幼稚園。ありがたいことです。
 1時開始。12時、鎌ヶ谷大仏駅集合。1時間ちょい前につき、そばの駐車場で練習。ピンでやると、練習ごとに、新しいアイデアがでる。で、時間がかかる。疲れる。
 幼稚園の体育館が会場。舞台があるのが素晴らしい!大きさもてごろ。天井が低いので声が通る。ので、マイクいらない、のに音響あるしね。
 この会としては、理想的な会場でしょう。
 いつのまにやら、会場をそーゆー目で見るよーになってる。
 雨で心配されたお客さまも入り、開幕です。50人近くいるか。

酔水亭珍太  『転失気』
 枕、
「ゴールデンウィーク、みなさん、どこかへ行かれましたか?わたしは行きましたよ。有名な観光地、鎌ヶ谷大仏」うまい!あとは、わたし本番前、ぶれないように、廊下で休んでました。楽屋にいたかったのですが、バンドが練習してて。

淀川無声  活弁コント  『幽霊タクシー』
 ぶれないために見ないところですが、淀さんのデビュー2戦目、見ずにはいられません。同じように、世にふたつとないオリジナルコントをやる者として、親近感があるのかもしれません。
 上々の出来であります。
この日、みんな、よかったですが。その訳として、ひとつは、お客様が良い反応してくださる、いいお客ということ。もうひとつは、バンド以外の4人が、おととい舞台に上がってる。珍太さん以外は、同じネタかけてるしね。
 それを越えてよかった。
 ちゃんばらの形を、それらしい音楽まじりにやってると、いつのまにやらスターウォーズのテーマ曲になり、ライトセーバーの戦いになってるとこなんざあ、お見事でした。
 途中、ネクタイがバラけちゃったをちゃんと笑いにした。
 5分でうまくなっていた。
 5分前に、「春雨じゃぬれていこう」に対し、客席から、「表は雨だよ!」のヤジが入る。それになにも反応できなかった。が、5分後なら、何か返したでしょう。
 最後、タクシーの運ちゃんになってたもんな〜。ブラックマヨネーズのようだ。  

地元鎌ヶ谷の方々  『ギター演奏』
 おじいさん、おじさん、妙齢の女性の三人。名演奏。だと思う。すいません、本番前で聞きませんでした。

 中入り。

バトルロイヤル風間  似顔絵コント  『路上の似顔絵描き』
 テープを聞いたところ、われながら、オッケイの出来でした。
 おとといとずいぶん違ってたとおもいます。新しいアイデアがいくつも入り、セリフとばしたところを入れ、モデルの個性で、言えなかったところが入った。
 また、お客が良かった。モデルで出て来てもらった青年の戸惑い方が、ほど良かった。
 ヤジをずっと飛ばしてたおばさまの、そのヤジが的確で、盛り上げてくださり、そうでしゃばらず、助かった。たとえば、わたしが、腕立て伏せやって、ヒイヒイ言ってると、
「救急車呼ぼうか?」
 この方、帰りに、
「浅草、行くよ」
 と、声をかけてくだすった。6・3あっち亭木馬亭に、来てくれるのか。来なくても、その時、その気になっていただいたのだろう。ありがたい。
 じつは、コント始める前は、はなっから、これくらい出来るだろうと思ってた。7年、40何回かの舞台、かかった。
 それにしても、このネタもっとかけたいな。けずったり、ふくらましたりは、本番がからまないとね。

あっち亭こっち  『桃太郎』
 うけてました。お客がよく聞いてました。笑わしてる喜びを味わったのではないか。
 こっちさん、ずっと会場にいて、会を良くしようという意見をすぐにみんなに言っていた。うるさい。いや、えらい。トリとプロデュースを全うする。座長はすごい。ごくろうさまでした。

 次回、6月4日(日)午後1時より、鎌ヶ谷コミュニティーセンターにて。あっち亭一座興行の翌日、きっといいに、違いない。

●淀川長治さんの思い出
 活弁コントは、淀川無声の名でデビューした。私は乗り気でなかったが、あっち亭こっち・酔水亭珍太の両師匠が「これはいい!」と乗りまくっていたので名乗った。だが、どうしても気が進まなかった。淀川姓を名乗るなど、私にとっては神をも恐れぬ仕儀である。「お笑いなんだから」と言われたが、それだからこそ抵抗がある。「私は周磨要です。映画評も活弁も本名で通してきました。ペンネームですか?なんて聞かれたりして、それなりの知名度もあります。ネット上でも周磨要です。ハンドルネームなんて使いません。私は何をやろうがどこにいこうが周磨要です」と言って、淀川を名乗るなんて恐れ多くてできないこと、ましてお笑いにするなんてとんでもない、とのことを言った。(淀川無声って芸名は、尊敬よりもお笑いのニュアンスが強いですよね)「そこまで言うなら好きにしなさい」と、険しい表情はないけれど、内面的には両師匠ともにかなり険悪になったような気がする。
 私が「映画友の会」に初めて行ったのは、1966年、19歳の時だった。行く前の淀川長治さんのイメージは、一般の人と同様にユーモラスな「サイナラ、サイナラ、サイナラ」のニギニギおじさんだった。ところが身近に接したら、感性が鋭く人生に対しての厳しい姿勢を持っている方だと痛感した。礼節にも厳しく、無作法な若者を「そこのバイ菌!出てけ!」なんて怒鳴りつけるのは珍しいことではなかった。だから、私は感動した。

 淀川さんが毎回必ず話した三つのスローガンがある。

1.苦労来たれ
 苦労は嫌なものです。でも、逃げてはいけません。特に若いあなたがたは苦労に立ち向かいなさい。苦労があるから人は大きくなります。

2.他人歓迎
 他人というものがあるからいけないんです。お婆さんが重い荷物を持ってヨタヨタしています。自分のお母さんだったら「私が持ちますよ」と言うでしょう。では、何で親でなければ知らん顔するんですか。他人というものがあるからです。他人というものはあってはいけません。

3.私はまだかつて嫌いな人に会ったことはない
 あの人は嫌いだと思ったら、その人も必ずあなたのことを嫌いになります。嫌いな人を作ってはいけません。(この件については後日談がある。私が「映画友の会」の実行委員だった時、淀川さんと実行委員会の間で運営に関して意見の食い違いが出て、淀川さんを激怒させてしまったことがあった。当時、ご意見番的に参加していた外国映画配給協会事務局長の方に、相談をした。「それにしても、私はまだかつて嫌いな人に会ったことはないってスローガンの人と思えないですよ」とボヤきも出た。その時に事務局長が「何言ってんの。あの人くらい人の好き嫌いが激しい人はないよ」と言われてしまった。私が「映画友の会」に行くのを中断していた晩年の頃になったら「私はまだかつて嫌いな人に会ったことはない。なぜならば嫌いな人に会わないようにしているから」と、冗談めかして言っていたそうだ)

 そして、この3つのスローガンの後、必ずおっしゃることがあった。例えばその日が1966年10月21日だったとする。

 今日は21日です。21日は年に12回あります。でも10月21日は年に1回しかありません。そして、そして!1996年10月21日は、今、今!この瞬間しかないんです!そう思ったら、私たちはこの一瞬一瞬を真剣に生きないわけにはいきません。

 手を振り足を踏み鳴らさんばかりにして、キラキラと目を輝かし熱く語りかける。そうか、淀川長治さんって、人生に対しこんなに熱く真剣な人だったんだ。私は深い感銘を受けた。世間一般の人にとっては今でも「サイナラ、サイナラ、サイナラ」のニギニギおじさんでしょう。しかし、私にとってはハイティーンの青春時代の人生の師といってもよかった。
 今でも、私は淀川さんの愛しつくし熱く語っていたサイレントの名作に、活弁をつけ自ら語るのが怖い。淀川さんが神様のように敬愛していたチャップリンの活弁は、永遠に挑戦できないような気がする。「あなた、何を馬鹿なことやってんですか」と、天国から化けて出られそうな気がする。
 と言うことであっち亭と珍太の両師匠、頑固と思われようが、洒落の分からない奴と思われようが、険悪になろうが、死んでも淀川は名乗れません。御容赦ください。

平成18年10月24日(水) 「夢月亭清麿ひとり」打ち上げの風景あれこれ

 10月1日の「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」の打ち上げの席でも、あっち亭こっち師匠から芸名の話題が出た。「いい芸名を考えた方がいいですよ。本名では何度聞いても、誰にも覚えてもらえませんよ。あっち亭こっちとか仏家シャベルとか、鎌ヶ谷の人だって次は覚えているでしょう」確かにそのとおりである。周磨要は字面に若干インパクトはあっても、「しゅうまかなめ」と口で発すると印象に残る響きではない。元々インパクトを与えて頭に残してもらおうとして作ったものではなく、本名なんだからしょうがない。
 この話題は、10月24日の「夢月亭清麿ひとり」打ち上げの席で、酔水亭珍太師匠・バトルロイヤル風間さんを前にして、私が話題に出した。(河本晃さん企画・制作の「夢月亭清麿ひとり」は3回目を迎え、初回の「1970新宿」はこの映画三昧日記でも取り上げたが、今回は皇室ネタにプロレスを絡めたタブー満載・ライブでなけりゃできないカルト作で、プロレス評論家で右翼の重鎮のS氏の許可を得てるからダイジョウブとか、プロレスばりの虚実皮膜が展開する逸品だが、別ステージの話題になってしまうので、ここではこれまでとする)「芸名は必要ですね。でも淀川は名乗れない。徳川長治ならいいですけどね」「でも、徳川が先に来ると家康のイメージになり、固いですよね」と風間さんが言う。やはりお笑い系に流れないといかんということか。映画愛の深さを尊敬し、僭越ながら同志でもあったと思うが、やはり淀川長治のもじりは使えないよなあ。
 珍太師匠からは「そろそろあなたも芸風の確立を…」てなことを、このところ言われている。実は私には迷いがある。社会人落語家歴30年の珍太師匠には、確固たる表現者としてのポリシーがあるだろうが、私はいまだに表現者や作家にはなれないんじゃないかという気がしている。より良き鑑賞者でありたいと思っている。だから、表現者に対して寛容である。色々楽しみたいから「あれもいいけど、これもいいじゃん」と何でも許容してしまう。そんな精神では表現者も作家も務まるまい。自分を少しでも外れるものは断じて許容しない!そうした心の激しさ・厳しさがなければ、ロクな表現も作品も生めまい。
淀川さんが、終生映画監督はしないと言い続けたのはよく判る。永遠に優れた鑑賞者でありたいと思っていたからだ。(結果として優れた話芸の表現者に到達したと思うが、天才的例外だろう)優れた鑑賞者なのに取り違えて映画作家側にまわり「シベ超」を作っちゃった水野晴夫(とりわけ水野和夫の時代は、本当に素晴らしい鑑賞者だった)との大きな違いである。風間さんは「シベ超」を「最近見たけど、世間で言うほどそんなにひどくないですよ」と言っていた。私もそう思う。優れた鑑賞者だから引き出しは多彩で、一応見せるものになっている。ただし、研ぎ澄まされた作家精神がない。あれもこれも良いという鑑賞者としてのキャパシティの広さが、結局作品をゆるいものにしているのだ。
 淀川さんと水野晴夫の比較、鑑賞者・表現者の話題に関連して、私は最近見た「カポーティー」を引き合いに出した。「私はあれを見たら、絶対に作家にはなれないと思いましたね。友人になった死刑囚を死なせたくない。でも、本が完結しないから一方で執行されることを願っているなんて、そんな精神構造についてけません」と言った。突然、隣で大声がしてビックリした。「そんな風に思わせるから、あの映画はいけないんだよ!作家なんて、もっとリーズナブルな存在でいいんだよ!」完全に怒っている。前回の「夢月亭清麿ひとり」のプロデュースで全面協力し、今回も[SPECIAL THANKS]のポジションで関わっている演芸作家の稲田和浩さんである。前回の打ち上げでは楽しく酒席を共にして、ビッグネームなのに気さくで楽しい人だなと思っていた。ただ、その後に別のところで、ある人からの批判も耳にした。今回の突然の怒りで、なるほどこれだけ個性的な方だから批判者も出るんだなと認識した。でも、このテンションの高さは、やっぱり作家ならではだなあと思った。
 吉川悟史さんから11月14日(火)の、なかの芸能小劇場「新作無法地帯」の案内を受ける。河本晃さんに「今回は行こうかな」と告げる。「そうしてください。周磨さんは来る人で最年長でしょうから」あ、言われてみればそうだ。私の話芸の知人のルートは、こうしてみると二派あるような気がする。良くいえば伝統尊重派で悪く言えば保守・守旧派と、良く言えば改革・革新派で悪く言えば掟破り・絶叫派。あんまり適切な表現でないが、感じは解ってもらえると思う。私の話芸の知人では、新作無法地帯の会場にまで足を運んで顔を合わすのは、河本晃さんと、東京モンキーズの風間さん・MISAKOさんのお二方くらいだ。ここは「あれもいいけど、これもいいじゃん」という姿勢を貫く私の、面目躍如だとしておこう。「話芸と映画の5日間」の項で紹介したが映画・話芸・将棋・プロレスすべてがトライアングルでバトルしている風間さんの名がここにもあるのは、さすがといったところだ。前述した稲田さんへの批判は、当然、伝統尊重派の方から聞いたことである。

 帰宅したら、「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」出版記念パーティーの案内がきていた。発起人は岡田茂・角川春樹などの製作者の重鎮から、高倉健・三田佳子・薬師丸ひろ子・吉永小百合といったキラ星の如きスターまで、大変な布陣である。当然私は先方を知っているが、先方は周磨要など知っているわけもない。先方も私を知っているいわゆる双方向の知人は、事務局の方も含めて、荒井晴彦さんと黒井和夫さんしかいなかった。
 黒井さんとの縁は、私が20代の頃、「映画友の会」で知り合ったキネ旬編集部員の結婚式の司会をした時に、仲人をされていたので挨拶した程度だから、たぶん先方のご記憶には無く、双方向の知人とは言えないかもしれない。と、なると双方向の知人は、荒井晴彦さんただ一人、メインの澤井監督とは双方向の知人だが、荒井さんルートが無ければ案内状の発送リストには載らなかったろう。荒井晴彦さんに感謝・感謝である。「私のような者にまで案内をいただきましてありがとうございます」のコメントを付して、出席の返事を出させていただいた。
 この一文をものした直後、近しい知人の映画プロパーの方から電話をいただいた。(「蛙の会」にも足を運んでくださるありがたい方である)その人は「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」の出版に携わっていたそうだ。表舞台で最近見かけないなと思っていたが、色々な活躍をされているようで、慶賀の至りである。発送はその人からだった。コメントを付さなかったので、突然の連絡を気持悪いと思われても困るので一応電話で一報をいれました、との丁寧なご挨拶であった。何だ、そういうことかい。荒井さんにいらぬ感謝の気持を持っちゃったな。天下の(この言い方を荒井さんはひどく嫌う)荒井晴彦が、俺なんか眼中にあるわけないよな。でも、双方向知人の荒井さんの名前があったから奇異にも不気味にも思わなかったんだから、やっぱり感謝ということか。
 いや、そんな失礼なことを言っちゃいけない。電話をいただいた映画プロパーの方も湯布院映画祭にゲスト参加されている十分な著名人である。ただ、「湯布院日記」などで「私の名前を連呼しないでください」とお願いされちゃったので、あえて名は秘します。ってこれじゃもう誰だかわかっちゃいますね。この手の出版記念パーティーは楽しみではあるが、常に双方向知人がいないことを恐れているので、ここはまず一安心である。
 パーティーは11月16日(木)、14日(火)は「新作無法地帯」で、恒例の17日(土)の「映画友の会」も加わるから、11月第3週は楽しき一週間になりそうである。「映画三昧日記」でハシャげる一週間になることを祈りつつ、今回はこのへんとしたい。
●「週刊ファイト」休刊……。

9月30日(土)をもって、愛読していた「週刊ファイト」が休刊になってしまった。10月4日(水)日付の1990号が最後である。(「休刊」というが、この世界ではほとんど廃刊と同義語だそうだ)
 「プロレス"冬の時代"」が叫ばれ出して久しいが、ついに来るべきものが来てしまったという感じである。次にテレビ朝日の「ワールド・プロレスリング」放映打切りが来ないことを祈るのみだ。(テレ朝の番組作りの情熱の乏しさには顕著なものがある)
 「週刊ファイト」は新大阪新聞社の発行だ。発刊当時は関東にまでは出回っていなかった。私が初めて目にしたのは、1973年の新婚旅行の四国においてである。「へぇー、こんなタブロイド版新聞があるんだー」と、手にとり購入した。ユニークな切り口に感嘆した。それが販路拡大につながったのだろうか。しばらくして、東京のキヨスクでもチラホラみかけるようになった。当初は、置いてあるのは亀戸・錦糸町といったローカル地で(住人の方、失礼!)、銀座・新宿の都心ではトンとみかけなかったのも「ファイト」らしい。なぜか、地下鉄の虎の門駅の売店にはあった。(当時の私は墨田区の住人で、「映画友の会」の会場が虎の門だったので知っているだけで、他にも置いているところはあったかもしれない)そのうち、どこのキヨスクでも置かれるようになった。やがてコンビニ・書店にまで販路が拡大されていった。
 井上義啓初代編集長(編集長を後進に譲ってからも執筆者として活躍)のプロレス論は、とにかく素晴らしかった。人間論であり、社会論であり、哲学だった。「時間という名の魔術師」「底が丸見えの底なし沼」など、いくつもの含蓄深い名言を生んだ。私が映画を語る時に、何度も引用させていただいた。あえて、映画とは関係ないのに「映画三昧日記」に取り上げた所以である。
 愛読者であり続けて30年余、週1回の大いなる楽しみだった。今はポッカリと心に洞穴が空いている。
 「新婚旅行」で出会った「週刊ファイト」、永遠に存在すると何気なく信じているものは、ある日突然、私の前からフェイドアウトしていく。無限というものはありえないのである。今、私は「時間という名の魔術師」という言葉を深く噛みしめている。

●「湯布院映画祭」落穂拾い(ちょっと固い話題となりますが…)

「湯布院映画祭日記」は完結したが、大きな落穂拾いに気がついた。打上げの名司会役の名古屋のNHK・OBのIさんが、私設鑑賞会を開催した件である。
 Iさんは、憲法に関心のある方らしい。ジャン・ユンカーマン監督作品「映画 日本国憲法」と、以前NHKでも放映された「日本国憲法を生んだ密室の9日間」というドキュメンタリーのソフトを再生装置と共に持参してきた。パーティー終了後に、部屋で鑑賞会を行うので、味のある方は来てほしいとのことだった。
 私は「映画 日本国憲法」は、鑑賞済だったので、「日本国憲法を生んだ密室の9日間」を観させていただいた。(映画祭2日目か3日目だった)上映時間は85分。24時のパーティー終了後、部屋に落ち着いてからだから開映は0時半前後、終映は2時頃になる。さすがにその日は、鑑賞後にすぐ就寝した。2時まで飲んだくれているのとでは、体力消耗度はかなりちがう。この一晩があったのも、今年も体力温存できた一つの理由か。
 内容的には、固いものだから、深夜鑑賞はかなりきびしいが、結構な人数が参集していた。Iさんの政治思想は知らないし、ご本人もそういう話はしなかった。だから政治論争になることもなかった。でも、映画に関心をもつ者が集う映画祭で、ちょっと固いドキュメンタリーを集って観るのも良いものである。Iさん、貴重な時間と空間をありがとうございました。

●ついでに私の「映画 日本国憲法」体験を…

「映画 日本国憲法」は、私にとっても興味深い映画であった。まず、私のキネ旬「読者の映画評」の投稿没原稿を紹介する。

 ジャン・ユンカーマン監督が「日本国憲法」を取り上げた。さすがに興味深い視点で捉えている。日本・アメリカ・韓国・中国など、世界の識者に日本国憲法を語らせる構成である。そこで浮き彫りになるテーマは3つだ。
 第一は日本国憲法は押し付け憲法ではないということ。GHQから提示され翻訳されたのは事実にしても、民間の研究者の願望が十分反映されたとの戦後秘話が紹介される。
 第二は憲法改定は国内問題ではなく国際問題であるということ。日本は先の大戦をアジアに対し謝罪していない。(私は、村山談話もあるし違うと思うが)だから、唯一の証が平和憲法であるとのことだ。九条改定はアジア各国について謝罪をしないという国際問題になるのだそうだ。
 第三は日本は「普通の国」になる必要はないとのことである。「普通の国」とは、アメリカのように軍備を有し他国に介入する国であり、その尻馬に乗って海外派兵するような「普通の国」になることはないとのことである。
 一応、納得できる論点だ。だが、肝心なことが一つ抜け落ちている。九条改定が国民的機運になってきたのは、いわゆる革新勢力が言う「右傾化」ではないと思う。それは湾岸戦争から始まった、あの時、日本は膨大な軍費を負担しつつも、人を出さないということで、クウェートに全く感謝されなかった。私はこの屈辱を忘れていない。
 「普通の国」になる必要はないという人々は、こういう屈辱にも耐えるべきだとはっきり訴えることだ。その論点がぼかされている。改憲が国際問題だという中国・韓国は、あの時九条の存在を評価して、日本の擁護に回っただろうか。
 「普通の国」としてアメリカを引き合いに出すが、アメリカは「普通の国」なんかじゃない。それよりも、世界有数の軍事力を戦力でないと言い、特別法で九条があるのに海外派兵をする。こんな日本の方こそ「普通の国」ではあるまい。こういう非論理的なことはもうやめたいものだ。
 ユンカーマンの真摯な姿勢は認めるが、湾岸戦争の視点が抜け落ちた故に、一部左翼勢力に利用されかねぬ底の浅いものになったのは残念である。

この最後の一言の杞憂は、現実に私の身にふりかかった。「映画 日本国憲法」はユーロ・スペースで公開中から私の気になっていたが、結局見逃してしまった。ところが、半年もたたないうちに、家の近くの公民館で格安の上映会があった。よい機会だとばかりに、私は出かけていった。
 会場の入り口で、参加者名簿に名前を書かされた。私と思想的に一致しない政党の市会議員の人が、ニコニコして出迎える。面倒見がよく終身町会長の趣きで地域のために貢献している温厚な人である。別に私は思想が人間のすべてだと思わないし、輪番で私が町会の副会長になった時など、先様も酒好きで楽しく飲んだものだ。(結局、おまえはそこに行くのかい!と言われそうだが…)
 それから数日後、二階でプロレスのビデオ録画を見ていたら、玄関のチャイムが鳴った。娘が応対していて、すぐ終わったみたいなので出ていかなかった。娘が二階に上がってきた。「お父さん、お父さん。憲法の何とやらの会の人が、先日の上映会の参加、ありがとうございました。何とやらの集会に参加してくれませんか、と来たから、父は留守です、って追い返しといたよ」ホントに父の心を知る良い娘である。
 しかし、こういう方はしつこい。今度は私が応対した時にまた来た。私はキッパリと告げた。「私は映画が好きです。ジャン・ユンカーマンという映画作家にも興味があります。渋谷のユーロ・スペースで見逃したので、よい機会だと思って観に行きました。思想的なものは何もありません。あなた、ジャン・ユンカーマンって知ってます?そういうことですから、今後いっさいそうした話には来ないで下さい」先方はキョトンとしていた。映画もユンカーマンも自分の目で捉えようとせず、単なる思想の走狗と化して上からの指令に従う。本人はどうでもいいが、映画を愛する一人としては、このように映画を思想の走狗にされるのは、極めて腹立たしいことであった。
●平成18年8月20日(日)

湯布院映画祭の季節が来ました。23日(水)から行って参ります。昨年の湯布院日記で記しましたようにとうとう日常に降りてしまった湯布院映画祭、今年はどんな顔を私に見せてくれるのでしょう。
 
湯布院映画祭のゲストの常連の荒井晴彦さんの「争議あり 脚本家 荒井晴彦 全映画論集」が湯布院映画祭のロビーで販売されることを「映画芸術」編集部の方に確認いたしました。私に縁がなくもない著書で、次の補足資料を持ち込むことにいたしました。

荒井晴彦著「争議あり」の補足資料の提供について
                       2006年8月  周磨 要


 この度は、「争議あり 脚本家 荒井晴彦 全映画論集」をお買い求めいただきまして、大変ありがとうございました。(と、私がお礼を言う筋ではないんですが…)

 さて、その中の[1999年「映画芸術」ベストテン]に関する論で、545ページから548ページにわたりまして、私の「皆月」評について、手厳しい批判がされております。本文中にかなりの引用はされておりますが、やはり全文を読まれた方が興味も深まると思いますので、以下にキネマ旬報2000年1月上旬号に掲載された全文を紹介いたします。
 また、キネマ旬報2000年8月下旬号には、この件に関する私の釈明も掲載されておりますので、併せてご紹介いたします。

以下に該当記事のコピーを添付しました。

「争議あり 脚本家 荒井晴彦 全映画論集」は全645ページの大冊で、昨年十月発行だが、なかなか読みきれなかった。湯布院映画祭までにはということで、何とか読みきった。細かいことはさておいて、荒井晴彦さんという人はものすごく繊細でガラスのような傷つきやすい神経な人だと感じた。私の無神経な「皆月」評なんて、無茶苦茶傷つけたんだろうなと、痛感した。
 ただし、言わせてもらうと裕福な二枚目は、傷ついても周りが助けてくれて生きていける余裕があるんだろうなとも思った。私みたいな不細工な貧乏人は繊細に傷ついてる暇なんてない。つぶされてしまう。無神経に図太く生き抜くしかないのである。
 荒井晴彦さんが本当に裕福かどうかは知らない。本日の読売新聞の「編集手帳」に「63年に高校3年だった学年の高校進学率は62%である。4割近い人が中卒という時代だった。大学への進学率は、まだ10%台にすぎなかった」とある。頭の良いとか悪いとか、後の言い方では偏差値が高いとか低いとか以前に、裕福かどうかが大学進学の大前提だった。私は63年に中学卒業の世代だから、似たような状況だろう。私と同世代の荒井晴彦さんは早稲田に入学しているんだから「10%台」の人であり、企業内学園の私は「4割近い人」に属していたという事実だけを述べておきたい。

「争議あり」の「クロニクル」432ページで荒井さんは、私の愛する「ディズニーランド」を「どこが面白いんだろう。こんなに並んでいる時間の方が多いところ。大人も楽しめるなんて誰が言ったのだ。ビールも売ってないし」とボロクソである。434ページの西武園では「ディズニーランドとどっちがいいと妻が娘に訊いている。こっちがいいと娘。正しい」とある。ただ、その前段に「ビアガーデンでは加橋かつみとシックスティーズ。トッポの声が夜の遊園地に響く」となっており、要するにビールがあるかないかのレベルみたいだ。
 こんなガサツなことを言うと、また繊細なガラスの神経を傷つけちゃうのかなあ。てなことを胸に秘めて、今年も湯布院映画祭を舞台にした荒井晴彦さんと私のバトル(掛け合い漫才)は開幕するのでありましょうか。

 それでは23日(水)〜27日(日)の湯布院映画祭、行ってきます!
●平成18年6月25日(日)

映画検定の日である。受検するかどうか、最後まで迷った。下旬の日曜日で、「蛙の会」の例会とバッティングする可能性が大だったからだ。けれど、6月の「蛙の会」例会は第3日曜日の18日になったので(「映画友の会」の第3土曜日の翌日でありこれはこれで二日酔いの頭を抱えながら「蛙の会」の演習に励まねばならぬつらい日程である)、急遽、最上級の2級を応募することにした。締切が近く、もうネットでしか受付けていない。ネット申し込みは初体験で不慣れでありゴソゴソと入力するが、いっこうにフィニッシュにたどりつかない。娘の応援を得て、やっと申し込みを完了する。やっぱりデジン(分ります?ディジタルに弱いオジンのこと)は情けないなあ、と落ち込む。
 私は映画なんて勉強するもんじゃないと思っている。公式テキストブックも買わなかった。地力試しでのつもりで素のまま臨んだ。午前中は「バルトの学園」を見て(新宿東亜興行チェーンの誕生月割引で入場、6月生まれの私の特典もそろそろ終局だ)から受検場に赴いた。
 都営三田線の西台を下車して、試験会場の大東文化大学に歩みを進めていくと、逆方向から大勢の人間がゾロゾロと歩いてくる。3級・4級の検定を終えた受検生の列のようだ。問題に出たらしい映画論議を戦わせている者もいる。かなりの人数である。なかなか盛況のようだ。
 2級検定の問題は、私にとってはそんなに難しくなかった。60問中で答えに迷ったのは10問弱か、あとは自信をもって即答できた。帰路に若い受検生が話していた。「難しいなあ。自信もって答えられたのは5問くらいだよ」「今度は1級をやるんだろ。どんなに難しくなっちゃうんだろう」なるほど、そんな風に思っている者もいるのか。自慢してるわけじゃない。問題を見る限り、人間が古い方が勝ちだというだけのことである。
 例えば問1は、[フランスの映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエの監督作は、キネマ旬報外国映画ベストテン第1位を3作獲得している。その3作とは「商船テナシチー」、「望郷」ともう1作になるが、それは何という映画か。次の(ア)〜(エ)の中から選びなさい。](ア)「女だけの都」(イ)「自由を我等に」(ウ)「舞踏会の手帖」(エ)「どん底」といった問題である。「女だけの都」と「自由を我等に」はベストワンだった気がするな。でも、前者はジャック・フェデーで後者はルネ・クレールだよな。「舞踏会の手帖」は間違いなくデュヴィヴィエ監督作、「ど
ん底」はデュヴィヴィエだったっけ、ルノアールだったっけ、どっちがベストワンだったっけ、どっちもベストワンだったっけ、と考え込むも、とにかく「舞踏会の手帖」と「どん底」に絞り込める。適当に答えても50%の正答率だ。知識や理屈で憶えているわけじゃない。この5作品をすべて見ているから、付随情報として浮かんでくるだけである。
 ただし、人間が古い方が勝ちだと言ったが、いくら私でもこれらの作品をリアルタイムで見ているわけではない。我々は、若い頃に映画の教えを受けた淀川長治さんや白井佳夫さんに、「クラシックを見ろ。クラシックを理解しないで映画が理解できるか」と口を酸っぱくして言われ、当時は若者だった我々も素直に従った。その点、今の若者は本当にクラシックを見ない。DVDなどで、昔に比べれば観賞条件は桁違いに恵まれているのにもかかわらずである。年に何百本も見る映画狂で、新作を狂ったように追いかけて見まくるが、20世紀の映画は全く知らないし興味もないなんて若者は珍しくない。映画検定は、人間が古い方が勝ちだというのはそんなこともある。
 この問題一つとっても、映画は勉強するもんじゃないという私の感覚にピツタリくる。この5本の映画を1本も見ていないで「知識」として知っているだけで正解を答えたとして、それが何なんだろう。映画から得た感動が体に染み付いて、それが結果として正解を引き出すのが、本来ではないのだろうか。

●平成18年7月15日(土)

7月の第3土曜日、「映画友の会」の日である。一応、映画検定も話題に出る。でも、受検者は私一人である。映画ファンの集いでもそんな程度だ。「4500円なんて検定料が高すぎるよ」「合格したからって、何の特典もないんでしょ」反応も冷淡である。「まあ、検定料とテキストを売って、キネ旬が儲けるということなんだろうけど…」と、私も斜めに構えた発言をするしかない。業界内の人から、「キネ旬で一番儲かってるのはセミナーらしいですよ」なんて裏話も出る。
 それにしても、夢がないなあとも感じた。一昔前の「映画友の会」なら、損得を度外視して、多くの者が受検して、正解について熱く語り合ったような気がする。でも、考えたら私が若者だった頃の「映画友の会」は、他の者もほとんどが20代の若者だった。今のメンバーの主力は30代から40代前半だ。大人であり、現実的でクールなのも当然だ。
 会社でも一部話題になったが、「何の特典があるの?」というのが二言目には出てくる。しょうがないから「雑誌社の商魂以外はないですよ」とでも答えるしかない。考えれば、私もアホである。検定を取ったところでどうなるわけでもない。どうみたって私よりもクラシックを学んでいそうもなく、検定なんて逆立ちしても取れそうもない輩が、堂々とプロの映画評論家を名乗っているのもいそうだし、多分読者評でも常連に座ってるのにも、そんなのは掃いて捨てるほどいそうだ。(いかん、いかん、また妬み・僻み・嫉み根性が出てしまった)ホントに金まで払って、何やってんだろう。

●平成18年7月26日(水)

7月5日(水)発売のキネマ旬報7月下旬号に検定問題と解答が掲載された。自己採点では7〜8題の間違いといったところだ。合格ラインが不明だが、90点なら落第、85点なら微妙で80点なら合格といったところだ。
 検定の結果通知は24日(月)に発送予定とのことだった。25日(火)には来るだろうと思っていたがこない。不合格者には来ないということか、ダメだったかと思いつつ受検票を確認したら「合否通知書は7月24日(月)発送予定です。」とある。「合否通知書」か。それなら、期待していいわけだ。
 そして、翌26日(水)、通知が来た。合格だった。合格ラインは70点だった。ちょっと拍子抜けした。60問中18問間違えてもいいということである。全然重みがない。でも、ここまで来たら12月3日(日)に2級合格者のみ受検できる初開催の1級にチャレンジする気になってきた。今度はテキストも買おう、本格的に勉強して臨もう、なんて、結局なんだかんだいいながら、キネ旬の商魂に乗せられて、それでもそこにしがみつくしかない自分が哀れでもある。
 この日は無声映画鑑賞会、私に活弁の指導をしてくれている飯田豊一先生にお会いしたので、まず合格を報告する。無声映画鑑賞会の演し物は第二回の澤登翠一門会である。澤登翠さんが先生役で弟子の若手弁士の片岡一郎さんと、桜井麻美さんを生徒に見立てての活弁映画史講座である。飯田豊一先生以下、「蛙の会」の面々が客席最前列を占領する。「麻美さん、日本で最初に撮影所が
できたのはいつかな?」と澤登さんがいかにも先生風に気取って質問する。私が映画好きなのを知っている桜井麻美さんが、「あ、助けて下さい」と最前列の私に振る。そんなこと判るわきゃないでしょ。飯田豊一先生が「彼は映画検定取ったくらいだから、何でも知ってるよ」と、よせばいいのに追い討ちをかける。澤登さんまで乗ってきて「ほう、映画検定、何級かな?2級、それはすごい!」引っ込みがつかなくなって「さあ、大正でしょうか」自信なさげに答えると。「残念、明治じゃ」と一本取られてしまった。後で澤登翠一門会通信「翠風」を読んだら、そのことが書いてあった。とにかく、映画検定合格早々に、とんだ赤っ恥をかいたものである。

●平成18年7月30日(日)

石森史郎さんの出版記念パーティーの日である。石森史郎さんは無声映画鑑賞会の特別会員であり、その縁で私ごときにも案内状がきたのだろう。「シナリオ作家 石森史郎 メロドラマを書く」(定価3800円)「石森史郎シナリオ集 再会・パゴダに虹燃える日」(定価3000円)の二冊の出版記念で、当然ながら本もいただける。一万円の会費は超割安である。さすがにシナリオ界の大御所だけあって、発起人は松竹会長、東宝・東映・日活・角川ヘラルドの各社長という錚錚たる布陣である。敷居は高そうだなー、場違いかなーと危惧しつつ出席の返信を出してしまった。
 桂千穂さんや荒井晴彦さんの出版記念パーティーの時にも書いたが、この手のパーティーには私と双方向で知っている方が何人いるかが勝負である。私の方だけが知っているビッグネームがいくらゾロゾロいても、先様が周磨要なる男をご存知ないのでは話にならない。
 ここはひとつ、無声映画鑑賞会の縁に期待するしかない。澤登翠さんあたりがいらっしゃれば超ラッキーであり、「蛙の会」会長でマツダ映画社の松戸誠専務に会えれば、別件でも打ち合わせたいことがあり好都合だ。ところが、あてが外れる。見事なまでに双方向の知人がいない。大林宣彦監督やら、俳優の大和田伸也さん、勝野洋さん、などのビッグネームは散見するけど、もちろん先方はこっちを知っているわけもない。私は詳しくないが、若手の人気ミュージシャンもかなり参加していたようである。
 桂千穂さんや荒井晴彦さんの出版記念パーティーでも、双方向の知人が10人前後はいた。こんなにいないとは思わなかった。メインの石森史郎さんしか知らないんじゃ話にならない。よく考えたら、私の映画プロパーの双方向知人は、湯布院映画祭を基点とした荒井晴彦さんラインに限定されてるようだ。石森史郎さんと荒井晴彦さんの人脈はほとんどかぶっていそうもないから、こんな結果になるのだろう。映画界といえども広いものだ。東京電力でいえば系統運用部門畑の私が、配電部門のパーティーに参加しちゃったようなもんである。(と、こんなことを言ってもほとんどの人には訳がわからんが)
 よわったもんだ。まあ、今日は飲んで食って、有名映画人の歓談を横で耳をすませて聞いて時間を潰すかと、半ば腹を括ったところ、いた!いました!双方向の知人が!横浜映画祭の主宰者の鈴村たけしさんである。もう一人は千葉豹一郎さん。千葉豹一郎さんは学者で映画評論集の著書もあるビッグネームの方である。どちらも、本来ならば私などには遠い存在なのだが、若い頃の「映画友の会」の友人だったという知り合いである。「映画友の会」は、本当に素晴らしい場所だとシミジミと感じる。現在も、若手映画ライターのわたりじゅんさん、新進SF作家の松田直紀さんが常連で参加しているが、これが貴重な縁だったと会員各自が思う時が、多分この先いつかくるであろう。
 鈴村たけしさんは、映画評論家の北川れい子さんと歓談中だった。早速、鈴村さんに声をかけて、北川れい子さんにもあいさつをする。北川れい子さんは「周磨要」の名前くらいは頭の片隅にあったみたいで「ああ、あのマニアックな方」と来た。「いや、マニアックじゃないですよ。オーソドックスですよ」と私、「まあ、本人だけがそう思ってるだけで」と鈴村さんがまぜっかえす。
 鈴村さんは、ワイズ出版の縁で声がかかりこのパーティーに参加したとのことだった。鈴村さんを介してワイズ出版の社長とも名刺交換ができ、まずは有意義なパーティー出席であった。無声映画鑑賞会関係者が皆無だったのは残念だったが、退場の時に石森史郎さんに、図々しくも「無声映画鑑賞会を代表してきました」なんて大見得を切れたのも良しとしよう。
 前に石森史郎さんと荒井晴彦さんとの人脈ダブりは希薄ではないかとのことを述べたが、酒席好きの荒井晴彦さんに対して、全くの下戸と称する石森史郎さんは、そこでも対称的である。新宿エスティツク情報ビルのパーティハウスにて午後1時30分〜3時30分というパーティー時間も、石森史郎さんらしいと言える。どう考えたって散会後にそのままゴールデン街に繰り込む雰囲気の時間じゃない。私としては帰宅して一眠りして、午後10時からの「K−1リベンジ」のTVを見ながらの遅めの晩酌と夕食を摂り、気分はリングサイドといった感で楽しめて良かったのではあるが。(それにしても曙はショムないなあ。負けてもいいけど、あんなみっともない負け方するなよ、とまあこれは別の話)
 パーティーの進行も、石森史郎さんらしいと感じた。ステージで主賓を迎えて乾杯。後はほとんど自由な歓談時間というのではなく、若手歌手のライブやトークショーなど、隙間なく何かが演じられている。飲兵衛に酒だけ与えてりゃ、時間は勝手に消費されるだろうてな発想とは無縁なようだ。
 主賓の石森史郎さんが会場を挨拶に回るが、半分もいかないうちにステージにもどるよう声がかかる。皆が行方を探す。私の近くに石森史郎さんがいたので、「先生!お呼びです。皆さん!先生に道を空けて下さい!」と活弁で鍛えた大声で仕切ってしまう。その後は、大部分は石森史郎さんは壇上のライブに加わっている感じで、これじゃあ落ち着いて飲んでられないよなあと思ったけど、飲まない人というのはこんなものなのかもしれない。
 鈴村たけしさんとも、映画検定を話題にする。鈴村さんもNHKかなんかの番組で映画の知識を競ってベスト5とかに入ったとか。でも、知人にマニアックで映画のことは何でも知ってるけど、あなたはこの映画どう感じたのってことに対しては、全くゼロじゃあしょうがないと、知識偏重には批判的だった。そこは私も同感できるところだ。

以上、映画検定を中心に他愛のないことを語っているうちに、今年も湯布院日記の季節が来てしまった。今年はホントにロクなことも話題にしてないうちにここまできちゃったなあ。それでは、次にお会いするのは湯布院日記になっちゃうんでしょうか。最後に「蛙の会」公演の詳細が決まりましたので、紹介をいたします。よろしくお願いいたします。

●「蛙の会」公演、全プログラム決定!

9月3日(日) 午後1時開演 門仲天井ホール

挨拶      周磨要  アシスタント・中原路津   午後1時00分〜1時05分
民話紙芝居  狐の鳴き色   保科千恵美   午後1時05分〜1時15分
活動大寫真(漫画)  一寸法師 ちび助物語   榎本千賀    午後1時15分〜1時30分
           昭和10年(1935年) 旭物産合資会社映画部 作画・演出・瀬尾光世
伝記紙芝居  芭蕉   高木孝     午後1時30分〜1時40分
活動大寫真  チャップリンの霊泉(The Cure)   飯田豊一    午後1時40分〜2時00分
    1917年(大正6年)米・ミューチュアル 監督・脚本・主演 チャールズ・チャップリン
活動大寫真  野狐三次   田家左和子   午後2時00分〜2時15分
   昭和5年(1930年) 松竹キネマ下加茂 監督・小石栄一 脚本・赤木一平 主演・林長二郎

休  憩     午後2時15分〜2時20分

民話紙芝居  ごすけのよめさま   山我静     午後2時20分〜2時30分
夫婦競演・街頭紙芝居 少女椿 湯川博士・湯川恵子 午後2時30分〜2時50分
落語紙芝居  さらやしきのおきく   岡松三三    午後2時50分〜3時00分
活動大寫真  ターザンと探検隊   坂元洋     午後3時00分〜3時20分
1933年(昭和8年) 米・プリンシバル  監督・ロバート・F・ヒル
     脚本・ベイジル・ディッキー、ジョージ・H・プリンプトン 主演・バスター・クラブ

お仲入り      午後3時20分〜3時30分

活動大寫真  滝の白糸 早乙女宏美・高橋晴美 午後3時30分〜4時00分
         昭和8年(1933年) 入江ぷろだくしょん 監督・溝口健二
                脚本・舘岡謙之助,東坊城恭長,増田真二 主演・入江たか子
フレッシュ会員リレー・街頭紙芝居 妖精ベラ(18巻から完結まで一挙公演)
   湯川博士(17巻までのダイジェスト),榎本千賀(18巻), 岡松三三(19巻) ,中原路津(20〜21巻)
                               午後4時00分〜4時20分
活動大寫真  月形半平太   周磨要     午後4時20分〜4時35分
         大正14年(1925年) 聯合映画芸術協会 監督・衣笠貞之助 
                            脚本・古間禮一 主演・澤田正二郎
落語紙芝居  田能久   武田満佐子   午後4時35分〜4時45分

終演予定 午後4時45分
平成18年「蛙の会」公演 9月3日(日)開催で、ほぼ全容が固まる  於 門仲天井ホール

民話紙芝居・・・・・・狐の鳴き色    保科千恵美
       ・・・・・・ごすけのよめさま    山我静
落語紙芝居・・・・・・さらやしきのおきく    岡松三三
       ・・・・・・田能久    武田満佐子
街頭紙芝居・・・・・・少女椿    湯川博士・湯川恵子
活動大寫真・・・・・・一寸法師 ちび助物語    榎本千賀
       ・・・・・・野狐三次    田家左和子
       ・・・・・・月形半平太    周磨要
       ・・・・・・滝の白糸    高橋晴美・早乙女宏美
            *艶やかにご両人が日本舞踊も舞います
       ・・・・・・ターザンと探検隊    坂元洋
       ・・・・・・ベテラン会員の飯田豊一がとっておきの作品を準備中
特別演し物・大型映像紙芝居 妖精ベラ(14巻から完結まで一挙公演)
                13巻までのダイジェスト     湯川博士
                14巻              榎本千賀
                15〜16巻           高木孝
                17巻              岡松三三
                18〜19巻           竹内尚志
                20〜21巻           中原路津
             *ベテラン会員がフレッシュ会員をサポートしての語り継ぎ競演!
             *お馴染み竹内尚志のテルミン演奏もあります。

ほぼ全容が固まったとはいえレベルアップを目指してさらに内容を吟味中
より良き公演に向け、見直しあります、隠し玉あります。お楽しみに!

●「蛙の会」 NHKの「ゆうどきネットワーク」で紹介される。
6月29日(木)午後5時10分〜6時のNHK「ゆうどきネットワーク」の「人気復活!"活動弁士"」のコーナーで「蛙の会」が紹介された。
 冒頭に、6月26日(月)の無声映画鑑賞会の盛況で活弁が静かなブームであることが紹介される。そして、観るたけでなく、自ら活弁を演じる人も増えているとして、「蛙の会」の紹介につながっていく。
 小田切千アナウンサーが「聞こえてますね。弁士の声でしょうか。開けてみます」と言いながら、「蛙の会」会場のマツダ映画社試写室の入り口のドアを開ける。中では、榎本千賀が「一寸法師 ちび助物語」の活弁の演習中だ。その後、活弁を語る魅力について周磨要と田家左和子がインタビューに答える。
 保科千恵美「狐の鳴き色」演習風景が映され、和芸の基本は紙芝居で学ぶことが紹介される。「妖精ベラ」の語り継ぎ演習は高木孝のパーツで、その後の講評会でのベテラン会員の飯田豊一の発言なども納められる。
 いよいよ小田切千アナウンサーの初の紙芝居体験のコーナー。「妖精ベラ」のゴンドラ婆さんなど表情豊かにムードもタップリに盛り上げ、来月から「蛙の会」に参加してほしいくらいだとの声もあがる。松戸誠会長から「あまり面白い顔しちゃうと、お客さんがそっち見ちゃうから…紙芝居に集中させるように」との微苦笑ものの評もあり、楽しい会の雰囲気が画面を満たしていた。最終コーナーのメインは高橋晴美である。「滝の白糸」の活弁演習風景に始まり、活弁を通じての観客とのコミニュケーションについて話すインタビューへとつながっていく。自宅でのビデオでの演習では、TVゲームに夢中な高校生の長男のゲームを中断させるので、長男は演習を見ているしかなく、それを通じて親子のコミュニケーションの回復に役立った効用も明かされる。こうして、数々の活弁の素晴らしさを紹介して「人気復活!"活動弁士"」のコーナーは幕を閉じたのであった。
 NHKでの「蛙の会」紹介で9月の公演に向けてどんどん追い風が吹いている。この勢いを持続して走っていきたい。

「蛙の会」情報は今後逐一紹介いたします。
●「話芸と映画の5日間」

「話芸と映画の5日間」と銘打ってみた5月31日(水)から6月4日(日)までの5日間、実はこの間は話芸がらみ三昧で、映画は1本しか観ていない。でも、話芸に関わっていると、映画の話題も頻繁に登場する。湯布院映画祭なみに話題豊富(酒量も予期せず映画祭なみな5日間であった。かくして話芸と映画の5日間の映画三昧日記の始まりである。

○平成18年5月31日(水)
「夢月亭清麿ひとり」の日である。企画制作は私の知る「映画芸術」編集部の人だが、今回は脚本家・河本晃の名によるプロデュースである。宣伝美術は漫画家にして社会人芸能の似顔絵コント演者バトルロイヤル風間で、チラシの清麿師匠の似顔が楽しい。知人が何人も関わっている催しだ。
 新宿ゴールデン街劇場の19時15分開演を目指して、続々と友人・知人が参集してくる。河本さん・風間さんはスタッフだから当然だが、13号倉庫さん(御多用の中で何とか時間のやりくりがつけられたとのことで、まずは目出度き次第)、似顔絵コント東京モンキーズの風間さんの相方MISAKOさん、私に活弁を指導して下さっている飯田豊一先生、社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」座長のあっち亭師匠、日立寄席を中心に社会人落語家歴30年の酔水亭珍太さんといった面々である。
 メインは新作落語「1970新宿」。これが映画者にはたまらない内容だった。いや、それは正確な言い方ではない。1970年の新宿の空気を体感している横軸と、1970年に映画と共に青春を過ごしたという縦軸が交差しているという人間に限って、たまらないという内容である。最後に清麿師匠が「二度とやりません」と言っていたことから、これは超カルトを志向した確信犯であることが伺える。でも、またやるべきだろう。観客の年齢を限定し、映画者であるという嗜好を限定した観客を集めてやるべきだ。素晴らしい共感の空間のウェーブが現出するだろう。
 56歳のシナリオライターが70年代に深い興味を抱く若い娘に、映画を中心に「1970新宿」を語っているうちに、タイムスリップしてしまうのが話の骨子だ。途中で、あ、これは「鉄道員」(ぽっぽや)ネタだなと割れてしまうのだが、そんなことは大したことではない。
 幻想の中で主人公は70年の伊勢丹の交差点に立つ。左手に新宿日活、5階には新宿日活名画座、斜め左前には新宿東宝、地下に名画座の新宿シネマ(客席には邪魔な柱が館内にあるという懐かしい風景もしっかりとおさえる)、向かって左隣に新宿大映、ATGの新宿文化劇場と連なり、その地下には、おお!我が青春のミニシアター蠍座が…。右手奥には新宿東映と名画座の新宿京王。清麿師匠が淡々とした語りで再現する当時の新宿の風景に胸がいっぱいになる。
 もちろん、こんな風景を知る人は少なくない。飯田豊一先生は、この頃は仕事の関係でよくゴールデン街を訪れたそうだから、私より馴染みがあるかもしれない。けれども、清麿師匠の話のポイントは、物理的空間だけの問題ではない。清麿師匠は当時20歳、私は23歳、この時、この空間で青春真っ只中であることが大切なのだ。
 新宿を冠した映画の話題になり、大島渚の「新宿泥棒日記」は当時の風俗として妥当なところだが(今、思い返すとキネ旬ベステン入りしたこの作品が風俗以上の価値しかないのも感慨深い)、「新宿マッド」というカルト的な若松孝二映画が紹介されるのが嬉しい。「狂走情死行」が引き合いに出され、若松映画としては「新宿マッド」の方が遥かに素晴らしいと謳いあげるのも何とも憎い。といっても、このニクさが分かる者は、本当に限定されるだろう。
 「狂走情死行」は、パートカラーが殆どだった当時のピンク映画にあって、オールカラーのの大作である。北国に大ロケを敢行し、女優の全裸の雪原失踪が話題になった。かたや「新宿マッド」は地方出身の息子をフーテンに殺された父親が上京しての復讐譚で、ピンク映画としては売りに乏しく蠍座でヒッソリと封切られ、殆どの人に忘れられた作品である。「新宿マッド」と「狂走情死行」の対比の妙に感嘆する者は極端に限定されるだろう。その後の打ち上げで世代の若いMISAKOさんと話したら、当然ながら2本の題名の羅列は単なる羅列以上の何ものも感じられなかったとのことだ。
 新宿日活名画座における「シベールの日曜日」と「地下鉄のザジ」も、分かる人には分かる的の得た2本立だ。「シベールの日曜日」は我々にとってリアルタイムの映画だが、「地下鉄のザジ」はやや前である。リアルタイムではない。だが、当時の名画座は3〜4年のスパンに上映作品を広げていたのだ。当時の外国映画の上映権は5〜7年で、DVDなどない時代だから、リアルタイムでない名画に、たくさん名画座で出会ったものだった。本邦最後の上映などと銘打って権利切れギリギリの作品が上映されたものだ。リバイバルで興行的に惨敗したチャップリンの「ライムライト」は、権利切れ直前に渋谷の全線座(そんな名画座もありました)で上映され超満員になった皮肉な光景もあった。そんな青春時代を彷彿させる絶妙の2本立の選定である。
 柱が邪魔だった新宿シネマは1本立。青春時代の私は、西部の詩情の魅力にハマりこんだ「荒野の決闘」を朝から晩まで7回も見ていたものだ。打ち上げで飯田先生にそんな話をしたら、[「荒野の決闘」って戦後間もない頃の封切で世代がちがうんじゃない]と言われた。ただ、私の青春時代は西部劇ブームで往年の名画が続々とリバイバルされた時期だった。「荒野の決闘」以下、「シェーン」「駅馬車」「黄色いリボン」などみんな見られた時代だった。そんな我が青春の名画座体験を「シベールの日曜日」「地下鉄のザジ」に象徴させる清麿師匠のセンスは見事である。
 日活ニューアクションの数々の引用も楽しい。「新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」や、「野良猫ロック」シリーズでは第一作でなく、あえてカルト人気の「暴走集団'71」を選定するあたり、ことごとくツボにハマっているのだ。
 趣味の問題になるが、一点だけ私とズレたところがあった。ヒッピー文化の大衆的俗化の「イージー・ライダー」を揶揄するのは賛成だが、対比として「ワイルドバンチ」を出すのはいかがなものかと思った。今では世評の高いこの映画を私は全く評価していない。私は、この映画を70ミリ大型西部劇と位置づけて見た。私は大型画面の演出にはうるさい。「ワイルドバンチ」は大型映画の演出がひどくガサツだと感じた。最近ビデオで完全版を見直したが、そう感じさせた意味がわかった。昔の大型映画はフィックスのロングで長いカットで引っ張った。そこに厚みと重みが出た。最近の映画は二次利用を意識しているのかどうか、大作でもカメラは振り回すしアップでやたら寄るし、カット割りも早すぎてめまぐるしい。「ワイルドバンチ」の演出は現代の映画に近い。フィックスとロングでもうちょっと見たいと思ってるのに、すぐカットが割られてカメラは寄ってしまう。私が当時ガサツと感じたのはそこだったのだが、時代を先取りしていたとは言えるのかもしれないし、そこが受けたんだろうし、私の感性が古いと言われればそれまでだ。ただ、映画を見る感性は自由なはずなのに、当時の映画ファンの間では「ワイルドバンチ」に否定的な評価をすると、非国民的つるし上げにあった。そんな空気への反発も、私の「ワイルドバンチ」嫌いに拍車をかけたのかもしれない。だからここは清麿師匠に「ワイルドバンチ」でなく「砂漠の流れ者」を挙げてほしかったところだが、何でもかんでも一致してしまったら、それはそれで面白くないもので、まあこれでいいのかもしれない。
 打ち上げでは、私にこの催しの好評はあまり聞こえてこなかった。カルト狙いの確信犯だから、それで逆に成功とは言えるのかもしれない。「笑えない落語の独演会は珍しい」なんて感想もあった。でも、これも確信犯だろう。私の「年齢限定・映画嗜好限定」の観客による再演の希望については、「届く客を集めるのでなく、届かない客に届かせるのが芸ではないか」という酔水亭珍太さんの意見もあった。いずれにしても、意見百出する問題作の独演会であるのはまちがいない。河本晃さんのプロデュースの価値は、十分にあったのではないか。こうして打ち上げは私の話芸仲間とともに大いに盛り上がり、この日は午前様となったのであった。

○映画祭なみの酒浸りの始まり
 翌6月1日(木)はファン感謝デーで、私は六本木で「グッドナイト&グッドラック」を見る予定であった。ところが前日の「夢月亭清麿ひとり」打ち上げで、急展開する。私は4日(日)に鎌ヶ谷お楽しみ劇場」で活弁コント「幽霊タクシー」を演ることになっている。練習会はスケジュールが合わずナシとのことだったが、打ち上げの席であっち亭こっちさんから提案があった。3日(土)に「あっち亭こっち一座興行」があり、練習会が1日(木)にあるので、そこでみんなに見てもらったらどうか、とのことである。名にしおう「あっち亭一座」の練習会は、厳しいけれども為になる。(練習後のビールも格別にうまい)「またいつか出会えるところに映画との恋愛関係がある」のだから、「グッドナイト&グッドラック」は放っぽって参加をお願いする。[その後「グッドナイト&グッドラック」は5日(月)の東亜興行の誕生月割引で見た]これが、5日連続の映画祭なみの酒浸りに連なっていくのである。しかも5月31日(水)から6月2日(金)は、平日で会社勤務をしていたのだから、この5日間のシンどさは半端でなかった。

○平成18年6月1日(木)
 あっち亭こっちさんはマガジンハウスの編集者だ。私は退社後、練習場のマガジンハウス会議室に直行する。参加者はあっち亭さん、仏家シャベルさん(「蛙の会」会員の湯川博士さん。高座名は「ほっときゃ喋る」のもじりで、けっして墓堀人のことではないとの本人の言)、木村家べんご志さんこと将棋連盟顧問弁護士の木村晋介先生と知人のS女史、東京モンキーズのMISAKOさん(相方のバトルロイヤル風間さんは都合で欠席となり、今回は評者としてのみの参加)、錚々たるメンバーが集結する。
 練習会の開始である。全員に指摘用のメモ用紙が配布され、観賞はかならず正面からすることを徹底するなど、いつもどおりの厳しさである。
 まずは「あっち亭こっち一座興行」の演し物の練習からだ。仏家シャベルさんの「湯屋番」である。若旦那の妄想の乗り乗りは楽しき限りだが、本番の方が乗るシャベルさん、高座の弾け方に比べるとトーンが低い感じである。練習会は遠慮なくドンドン指摘した方がいいとのあっち亭さんの影響を受けて、最近は私も素人の岡目八目を言うようになった。でも、観客の立場に立って見て、言いたいことを言うという「あっち亭こっち一座」の練習会の姿勢は基本的に正しい。私は、過去に聞いた「湯屋番」で大笑いしたところが無かったので、「無いものねだりかもしれませんが…」と注釈して意見を述べた。一つは居候の若旦那が頭領のおかみさんに三杯目のおかわりを出すと「お茶ですか、お湯ですか、水ですか」「飯の縁が切れた」との件りだ。これは「居候 三杯目には そっと出し」の川柳にひっかけたところでもあり、ここが無いのは物足りなかったと話した。シャベルさんは、ここは忘れて飛ばしました、本番ではやります、とのことだった。もう一つは、若旦那がやっと番台に上がれたのに女湯は空で、男湯は大勢入っている件りである。「汚いケツだねえ。不潔!おい不潔ってのはそこからきたのかい!」ここは、男湯の汚らしさで次々と笑わせるところだが、シャベルさんとしては品のよくない笑わせ方なので全部切ったとのことだった。なるほど、その代わりに「女湯は一人もいないね。潜ってないかね」という笑いを入れていた。工夫をしているものだ。こういうのを聞くと勉強になる。
 木村家べんご志先生は「野ざらし」である。高校生時代に落研を作ったという長いキャリアの持ち主だ。これも八っつぁんの妄想の楽しさだが、さすが弾けっぷりは半端でない。ただ、私はご隠居さんの元気がよ過ぎて、もう少し枯れた感じがあっても…と、僭越にも意見を述べた。同感する人もいたが、べんご志先生によるとこのご隠居さんは武士の出という説もあるので、少し元気よくやったがもう少々枯れましょうとのことだった。ご隠居さんが武士の出なんて説はなかなか知らない。確かにここの練習会は勉強になる。
 あっち亭こっちさんの「こんにゃく問答」が始まる。ネタおろしだそうだ。やはり少々ぎこちないし、言葉もよく噛む。いつものあっち亭さんらしからぬ出来である。特に偽和尚をヒビらせる旅の雲水に、もっと凄みがほしいと意見を述べた。このあたりのところは、2日後の「あっち亭こっち一座興行」で、感嘆したり仰天したりに続くのだが、これは先の話である。
 さあ、私の活弁コント「幽霊タクシー」の練習だ。5月7日(日)鎌ヶ谷の公演中のエピソードを盛り込んだ新バージョンである。前回の公演で、チャンバラをもじったアクションのところで蝶ネクタイ(活弁の時の黒く小さいオーソドックスなものでなく、真っ赤でド派手で大きいお笑い系を狙ったもの)がバラけてしまった。以後、これが気になってしかたがなく、すぐ手がそこに伸びる。公演二度目で若干の度胸もついたせいか、「すみませんねえ。気にしないで下さい。あ、気にしてんのは俺か。これ、娘の手製でね。ショムないもの作りやがって、帰ったらシバいたろか。って、最近は子供の方が強いから、こっちがシバかれちゃいますよねえ」とアドリブを入れたら、これが大いに笑いを取った。当日のあっち亭さんの「桃太郎」の枕での、息子と「一触即発」ならぬ「一食即発」で、一個のコロッケを奪い合うエピソードとも連動した。
 ネクタイのエピソードには続きがある。帰宅して娘に「こわれちゃったから直してよ。でもシリアスな活弁じゃなかったら、アドリブで笑いを取ったよ」と顛末を紹介したら、娘はキッと眦を決して「お父さん、あたしがまじめに協力してるのに、お笑いにしてるなら協力しないよ」とホントにシバかれそうになった。このネタをそのまま突っ込んだ。さらに、活弁を演る時のネクタイを取り出して、「シリアスの活弁の時は、このようなオーソドックスな地味なものにいたしまして、これも実は娘の手製でございまして」と付け加え、対比の妙を狙った。
 練習の終了後、開口一番にべんご志先生から「娘さんのエピソードはいりませんよね」と指摘された。とってつけたようなのは、すぐバレるものだと感心した。あの時受けたのは、あの時限りであり、バラけたネクタイを見ていない人には面白くも何ともないこと、結局、こういうエピソードは、俺は娘と仲良くやってんだよとの自己PRで、誰もが家庭的に恵まれているわけではなく、そういう人の神経を逆撫でしかねないこと、などの指摘があった。
 この後、あっち亭さんの枕から、家族ネタが安易に出てこなくなった。他人への指摘も自分に取り込んでいく。芸熱心の精神に感心した。練習終わってソバ屋でビールで乾杯して、さらに杯を重ねる。この旨さは格別だ。解散後にあっち亭さんは編集部に戻る。仕事「も」熱心である。(「も」ってこたぁないか)有楽町へ向かう帰路は、仏屋シャベルさんとMISAKOさんがいっしょだ。いつもはここに加わっている風間さんと共に、ビールと餃子で二次会をする行きつけのラーメン屋があって、そこで再び飲み会となり、かくしてこの日も午前様となり、湯布院映画祭並のハードスケジュールは、果てしなく続くのであった。

○平成18年6月2日(金)
 連夜の酒と午前様がたたり、さすがに重い頭をかかえて出勤する。今日のアフターファイブの予定は「佐々木亜希子の活弁シネマライブ」である。一昨年の盛岡活動倶楽部の無声映画上映会で、私は佐々木亜希子さんの前座を務めさせていただいた。その後、佐々木さんは単独の活動を開始したようで、無声映画鑑賞会で顔を合わせることはなかった。以前から「蛙の会」会長でマツダ映画社専務の松戸誠さんから佐々木さんの公演の御案内をいただいていたのだが、なかなか都合がつかず失礼していた。まあ、今日は酒席とは縁がなさそうで一安心である。(と思っていたのが誤算になるのだが…)
 会場のTrees Cafeに向かう。練馬駅下車2分とのことだが、初めての場所で人に聞き聞きしながら、何とかたどり着く。カウンターが併設されてる空間で、渋谷アップリンクやポレポレ座、渋谷シネ・ラ・セットなどを小じんまりとさせた個性的でチャーミングな空間だ。
 松戸誠専務も映写・音響担当で会場にいて、まずは専務と佐々木亜希子さんに御挨拶をする。久し振りにお会いしての佐々木さんの活弁である。細かいことはさておいて、佐々木亜希子さんが極めて大きく見えた。ピンで活動していることの帰結であるような気がした。上映前に朗読のコーナーがあったのもユニークだった。
 名前はあえて記さないが、先日に澤登翠さんの前で、若手女流弁士のヒドい活弁を聞いた。「忠臣蔵」なのだが、スポークンタイトルに「安芸守」と出ているのを「アキノモリ」と語っているのにギョッとした。私がこれまで「あきのかみ」と誤認してたのかと思った。ところが、その後も「貪欲」を「ヒンヨク」と語ったりした。「忠臣蔵」に造詣の深い人の言では、「いくら忠臣蔵だって、間違いを四十七もすることないよ」と手厳しい。私が「でも内匠頭がナイショガシラじゃなく、内蔵之助をナイゾウノスケと言わなかっただけよかったじゃないですか」返したら、「そうなると日本武尊がニホンブソン、天照大神はテンテルオオカミとなるね」と殆ど漫才ネタになったのであった。やっぱりピンを張らないと芸にユルみがでるということじゃないだろうか。
 佐々木さんの本日の演し物はヴァレンチノの「熱砂の舞」で、新藤理恵さんとのピアノ演奏とのコラボレーションである。私は「熱砂の舞」はBS録画の澤登さんの活弁入りで観ており再見である。ただ、印象はかなりちがった。ここで、私は活弁と古典芸能が相通ずると感じた。
 古典芸能の台本は、基本的に共通である。演者によってそれが多様な顔に変化する。活弁も同じだ。フィルムが投影する映像は共通だ。活弁の語りによって、それが微妙に変化する。今回のようなピアノのコラボレーションとなると、浪曲師と曲師の三味線との関係にも類似している。
 玉川美穂子さんの縁で、曲師の大御所の澤村豊子師匠にお話を伺う機会があった。長唄・清元の三味線は何回やってもピタリと同じに弾かなければいかないが、浪曲の三味線は二度と同じものは弾けない。浪曲師と曲師の阿吽の呼吸で、毎回毎回異なってくるのだそうだ。「これってジャズですね」って豊子師匠に言ったら、その飛躍した発想に感心された。(あきれられただけかもしれない)そういえば浪曲師の玉川福太郎大師匠にも「浪曲の心が判りました!ストーリーを中断してうなりで情感を盛り上げる、これってミュージカルですよね」とのたまわって、感心されたのやら、あきれられたのやら。いずれにしても活弁は、古典芸能に通じ、さらに浪曲にも通じということだろう。
 「佐々木亜希子の活弁シネマライブ」は、環境活動の一環としての催しだそうで、チラシには「入場料の一部は環境活動に寄付されます」「このチラシを捨てる時は紙資源としてリサイクルへ」の記載がされていた。活弁も文化のリサイクルということでの開催で、こっちの方は何だかこじつけめくが、地球環境を大切にするのはいいことだ。
 終演は10時だが、Trees Cafeの閉店は11時までとのことで、松戸専務、佐々木亜希子さんと残った観客の何人かと、しばしビール片手に歓談する。自然食品のおにぎりなども置いてあって、話のタネにとそれも取り寄せる。「あっち亭こっち一座」の練習会の影響か、ついつい佐々木さんには苦言(提言のつもりなんですが)を呈してしまった。ピアノとのコラボレーションは良かったんだが、時に佐々木さんの声がピアノに消されるのは感心しないと、率直に申し上げた。「そうですね。私の声量がないもんですから」と佐々木さん。確かに佐々木さんは弁士としては声量のある方ではないが(声だけなら私の方が断じてドデカイ)、でもそういうことではない。「ピアノ演奏と活弁の語り、そのコラボレーションの問題じゃないでしょうか」と、私は提言した。
 もう一つは、上映開始とともに室内照明は消したが、道路に面した広いガラス窓はスクリーンを下ろしただけでは外景を完全に遮断できないことである。おまけに、すぐ目の前のカラオケボックスのネオンがほとんど丸見えで、歌ってるカメのイラストがあるなんて、全くつや消しだ。「映画のすばらしさは外界と完全に遮断された空間の中に身を置くから素晴らしいんですね。ビデオで家具の隙間のブラウン管で感動してたら、ソバ屋が勘定取りに来たなんてことがないのが、映画空間の素晴らしさなんです。カメのイラストが見えちゃあねえ」なんて言いたい放題言ってしまった。佐々木さんは静かに聞いてくれたが。うるさい奴だと思われたろうか。だんだんあっち亭こっちさんに似てきたかなあ。
 あっち亭こっちさんの鎌ヶ谷お楽しみ劇場でのエピソードを、バトルロイヤル風間さんがブログ「見物したり見物されたり」で紹介しているので引用する。「ずっと会場にいて、会を良くしようという意見をすぐにみんなに言っていた。うるさい。いや、えらい」
 これには私は大爆笑「うるさい。いや、えらい」って名文句ですねと風間さんに言ったら、「はい、どっちも真実です」とさらに落ちがついた。私も「うるさい」だけでなく、多少は「えらい」領域に入れたのだろうか。それやこれやで閉店の11時まで練馬にて飲み語り、結局帰宅はまたまた午前様となったのであった。

○平成18年6月3日(土)
 5月31日(水)から6月2日(金)まで、連日午前様で翌日は会社出勤、やっと週末の休みの土曜日に到達したという感じだが、今日も休みとはいえあまり寝坊もしていられないスケジュールだ。まずは、木馬亭の「玉川美穂子のおはようライブ」十時半開場、夜は午後五時半会場の「あっち亭こっち一座興行」で、木馬亭の連チャンだ。
 朝起きるのははしんどいし、昼の部と夜の部の空白は長いし、美穂子さんには悪いけど、今回は「おはようライブ」はパスしようとも思った。でも、いつもの「おはようライブ」の常連客の「あっち亭こっち一座」関係者は、今日は夜に出番を控えているので、それどころではない。やっぱり、出番のない見習い末席格の私がいかなくてどうするのってなところで、連日の寝不足頭を抱えて浅草に向かう。
 途中で大失態の忘れものに気がつく。「おはようライブ」の終演は十二時、「あっち亭こっち一座興行」の開場は午後五時半、仮に「おはようライブ」で知人に会って、食事やお茶を飲んでも時間の空白が出そうなので、映画でも見て時間を潰すべくネタを一式用意しておいた。「ぴあ」、「あっち亭こっち一座興行」前売券他の購入済み特別鑑賞券の全部、運転免許証(何の関係があるかって?私は6月生まれ、新宿東亜興行チェーンは誕生月プレゼントで千円で入場できるのでその証明用)である。しかし、準備万端を整え過ぎるのもよくないようで、まとめておいた一式を見事に忘れてしまったのである。
 「あっち亭こっち一座興行」の前売券が無いのが最もまずいが、まあこれは知らない仲じゃなし顔パスで何とかなるにせよ、映画を観ての時間潰しのネタがないのはまずい。でも、「おはようライブ」では誰かしらに会うだろうから、無理に引っ張らせてもらうかと腹を決めた。
 ところが、この日は見事に「おはようライブ」の客に知人がいない。「あっち亭こっち一座」関係者は仕方がないが、飯田豊一先生もいない。常連の見巧者のK氏もいない。もちろん、その分だけ客入りも寂しくなっている。
 「あっち亭こっち一座」を代表して参りました、と、玉美穂さんに挨拶する。ついでに今年の「蛙の会」公演が9月3日(日)となったのでよろしくとお願いする。(そういえばこのHPでも初めての紹介だった。お読みになってる皆様方もよろしくお願いいたします。逐一続報を流します)前日の9月2日(土)は次回の「おはようライブ」の日だ。「蛙の会」公演のリハーサルとバッティングする可能性が高い。次回は、今日の「あっち亭こっち一座興行」枯れに続いて、「蛙の会」公演枯れになるかもしれません、と早めにお断りをする。
 映画を観ての時間潰しのネタなし、知人も見当たらず、これではいったん帰宅するしかあるまい。でも、ここのところ連日の午前様帰りで溜まっていた「格闘王」「SRS」の録画ビデオを見たり、翌日の活弁コントをじっくり練習したり(これも連日の午前様帰りで全くサボっていたのだ)、まあこれはこれで怪我の功名であった。
 再び浅草にUターン、「あっち亭こっち一座興行」は補助椅子まで駆り出す満員の盛況である。各演し物について時系列に印象を述べる。

・開口一番のご挨拶と落語「首屋」 
あっち亭こっち私は初めてだったが、口演歴は何度もあったそうで、いつもの軽やかさで爽やかに流す。

・落語「湯屋番」 仏屋シャベル
さすがに本番に強いシャベルさん、場内の熱気を受けて「湯屋番」の若旦那の妄想はますます乗りまくる。1日(木)の稽古の日よりも格段に面白い。完全に努力型でなく閃きの人である。(と、あっち亭さんも評していたが、それだけではないようで、このあたりはまとめて木村家べんご志先生のところで後述する)

・浪曲「伊達家の鬼夫婦」 春日井あかり
プロの登場である。聞かせるのは当然だが、いかに「丁度時間となりました」が定番の浪曲とはいえ、完全に次回公演の予告編といった感なのは、チョットーといったところ

・落語「野ざらし」 木村家べんご志
印象はシャベルさんと全く同じ、場内の熱気を受けて、「湯屋番」に続き八っつぁんの妄想が爆発する。場内は爆笑また爆笑、稽古より数段いい。本番に強い閃き型の芸を堪能する。もっともシャベルさんやべんご志先生の身近な人の言によると、一見は閃きとアドリブのように見えるが、物凄く考えて稽古も積み重ねているそうだ。

・浪曲「青龍刀権次 血染めのハンカチ」 玉川福太郎
「あっち亭こっち一座興行」の恒例演目である。無実の罪を着せた男を、青龍刀権次が追い続ける。いつもあと一歩で、「逃亡者」の片腕の男のごとく、「男はつらいよ」の寅さんの結婚のごとく、「名探偵コナン」の正体が新一と割れそうで割れないごとく、逃げられてしまう。「丁度時間となりました」が、これほどピッタリとはまる演目もない。が、今回は外伝といった趣きで青龍刀権次が全然出てこない。最後にこの外伝が権次と接点を持ちそうになったところで、「丁度時間」となってしまう。「青龍刀権次」の世界の新たなる拡がりを期待させ、これからがますます楽しみになってきた。
 曲師は玉川美穂子さんだ。私は悪乗りして「曲師も頑張れ!」と掛け声をかけてしまった。福太郎師匠の語りの表情を真剣に捉えながらバチを動かす玉美穂さん、ここに浪曲師と曲師のコラボレーションが生まれる秘密を観た。一転うなりのところでは、耳は声に集中し、その他はすべてバチ捌きと三味線の弦に集中しているように見えた。こんな風に浪曲を観たことはなかった。私としては新鮮な経験だった。

・お仲入り
お仲入りになる。急にアイスクリーム売りを頼まれる。蛙の会公演や澤登翠活弁リサイタルで、「おせんにキャラメル」や「甘栗」の売り子は経験済みだし声もデカいから、まかせておけといったところだ。でも、最初から分分かってたらシャツも白で活弁コント用のドでかく赤い蝶ネクタイ持参で盛り上げてみせたのになあ。「えーっ、場内暑くなっております。そんな時に爽やかな冷たいアイスクリーム」「エアコン温度が高めなのは陰謀ではありません!」だんだん売れてくるとアイスを手にしてない人が少なくなる。仕方がないから「もう一ついかがですか。リピーターはディズニーランドとアイスクリームに限ります」「お買い求め下さい。叫んで売ってるアイ・スクリーム」駄洒落も出てきて悪乗りの限りである。
 打ち上げでは、お仲入りのアイスクリーム売りまで話題になり、「あっち亭こっち一座」末席見習格としては、光栄の限りである。でもあっち亭さんが自虐的に言うギャグ、「今日の公演はお仲入りが一番良かった。誰も出てなかったから」に相通じちゃうんじゃないかなあ(冗談、冗談!)。ただ、「映画友の会」友人でキネ旬読者評常連の東京電力Sさんの言では[「アイ・スクリーム」の洒落は映画ファンで「スクリーム」が記憶にある人以外に、ほとんど通じないですね]とのことだった。

・閑話休題(映画・話芸・将棋・プロレスのトライアングル)
Sさんとは同じ会社にいたのだが、部門が違ったので会社では接点がなく、キネ旬誌上を通じての映画の縁であった。将棋の方は夕刊フジでプロ棋士との対局記事が掲載される腕前と聞いていたが、落語などの話芸を聴くのも好きなことを後日知った。私は将棋は動かし方を知っている程度でからきし駄目で、その替わりというわけでもないがプロレス者である。Sさんは、学生時代は柔道マンだったとかで、エンタメ性が濃くスポーツ性に乏しいプロレスは、イマイチだそうだ。「あっち亭こっち一座興行」を中心の私の知人は映画・話芸・将棋・プロレスのトライアングルで微妙に交錯しているのが面白い。前述したように、私が映画・話芸・プロレスなら、Sさんは映画・話芸・将棋で、あっち亭さんとシャベルさんは話芸・将棋、「映画芸術」編集者・脚本家・そしてこの度は席亭にもなった河本晃さんは映画・話芸・プロレスといったところだ。唯一人、映画・話芸・将棋・プロレスの四つに四股をかけているのがバトルロイヤル風間さん、個人の内面で四ジャンルがバトルロイヤルしているあたり、さすが風間さんである。

・コント「似顔絵刑事(デカ)」 東京モンキーズ
仲入後はバトルロイヤル風間さんとMISAKOさんの東京モンキーズの登場である。打ち上げでも衆目の一致したところだが、これまでの東京モンキーズ最高の仕上がりであった。これまではMISAKOさんがずっコケて、つられて風間さんもずっコケるという初々しさも魅力の一つだったのだが、今回は完璧に近い出来栄え。木馬亭という広いキャパと満員の観客の熱気という場が、プロ級の芸に昇華させたのだろうか。
 玉川福太郎師匠の叩き上げたプロの芸の後に組んだだけに、お仲入りというクッションを入れたあっち亭さんのプロデュースセンスに感心するのだが、それならばあそこまで完璧に仕上げなくて素人っぽさを残した方がよかったんじゃないのとの、妙な評が出るほどに完成されていたのである。もっとも翌日の「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」の同じ演目で落ちがつくのだが、それは後述する。

・落語「こんにゃく問答」 あっち亭こっち
これには仰天した。6月1日(木)の稽古の時に、ネタおろしとはいえかなり噛んでいたのがほとんどなくなって滑らかな語り口で、雲水の僧の凄みもバージョンアップされている。2日間で芸というものがこれ程に向上するものなのか。それに引きかえ、明日の公演が控えている私は、どれ程1日(木)の稽古以降に進歩しているのか。ビックリしたりガックリしたりといったところで、堪能させていただいた。
 ただ、打ち上げでのみなさんの評は意外だった。あっち亭こっちさんとしては(あくまでもこれまでのそれ以外の演目に比べてとのことだが)、あまり出来が良くなかったという声が多かった。Sさんにしても、あっち亭さんにしてはずいぶん噛んでいたとの、私とは真逆の感想だった。ただ、持ち味にはピッタリで、今後仕上がっていけば代表作になるのではないかという好意的評価もしていた。
 稽古を見ていた先入観が、本番の私の好印象につながったのだろうか。これはありうることだ。私の「蛙の会」の公演にしても、初見の人は弱点を厳しく指摘する。だが二度、三度となると「良くなってきた」と好意的評価に変わる。でも、同じ公演を初見の人は、やはり同じような弱点を厳しく指摘する。お客さまとの間に馴れ合いが生じてはいけないし、常に新しい眼で批評してもらうということが大切ということだろう。
 この演目についても翌日の「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」の再演があり、さらに仰天させられるのだが、それについても後の話である。

・打ち上げ
さあ、お楽しみの打ち上げである。あっち亭さんは打ち上げでも、エネルギッシュで休むことを知らない。打ち上げに参加した人達も、自分で演じた経験がある人、見功者、出版関係など、錚々たるメンバーが並ぶ。あっち亭さんは、バランスよくそれらの人々を紹介し、一言ずつ評をもらい、退屈させずに淀みない流れを作っていく。そのために、ほとんど飲み食いする時間もないみたいである。そんな熱意に圧倒される。
 残念なのは東京電力のSさんのコメントで「昨年、私は愛知万博の仕事に携わっていて、来場する暇がなかったのですが、そのためにあっち亭こっち一座興行も休演にしていただきまして、ありがとうございました」というギャグの時、あっち亭さんが聞いてなかったことだった。「あ、聞いてないか」とのSさんの言がもう一つのギャグにはなった。いや、これ誉めているんです。一人の人のコメントが終わる前に、淀みない流れを作れそうな人選をしているんですね。コメントを聞きながら、人選を考えながら、最後は全員に発言の機会を回す。本当に気の遠くなるようなことを速やかに進めるあっち亭さんの手腕には、感嘆するばかりである。打ち上げ終了後、「明日、公演だそうで、今日は飲んでられないですね」「そうですね」Sさんとそんな会話を交わしつつ「それでは、少しだけ」ってなことで、結局二人で二次会となり、この日も午前様と相成ったのであった。

○平成18年6月4日(日)
「話芸と映画の5日間」もいよいよ私の活弁コント公演のあるクライマックス(?)、「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」の日である。
 午後1時に鎌ヶ谷コミュニティーセンターにて開演、前日の木馬亭とは対照的に、観客は二十人程度の近隣の地元の人が中心な、アットホームな小じんまりとした会場である。いずれにしても、ボードと語りを併用した私の「活弁コント」を届かせるのは五十人が限度で、それ以上に届かせようとしたら市販のコピーのA3以上のものが必要になってきてしまい、難しいものがある。メンバーはあっち亭こっちさんと東京モンキーズの御両人は前日の再演で、私と酔水亭珍太さんが加わる。では、前日にならい、各演し物について時系列に語っていきたい。

・落語「こんにゃく問答」 あっち亭こっち
次の出番は私である。だから、控えながらドア越しに見ていたので、正確に見えたかどうかは判らないが、またまた仰天した。一日でまた大きく進化している。噛むのは完全に消えている。だって…昨日は遅くまで打ち上げやってたじゃない。あの後…時間って…稽古って…いつの間に…どうして…。もう頭は…、…、…だらけだ。ここはもうあっち亭こっち師匠恐るべし!とだけ言っておこう。

活弁コント「幽霊タクシー」 周磨要
あっち亭師匠の天才的躍進の後で、かなりパニくったが、3度目の舞台ということもあり、意外と落ち着いてできた。打ち上げでみなさんから「本番に強いタイプですね」と言われたが、自分のことはよくわからない。結構、笑いも取れてまずまずであった。
 楽屋での雑談で、急遽突っ込んだネタがあった。徳川夢声が酔っ払って演台で映画上映中にずっと寝込んでしまったが、お客が粋で怒るどころか「これが無声か」と言って帰ったエピソードを私が話した。「それ、面白い。入れましょうよ」とあっち亭さん。「いや、これ牧野周一が使った誰でも知ってるネタですから」と尻込みする私。「誰も知らないですよ。私が知らないんだから」とあっち亭さん。寄席芸に詳しいあっち亭さんも知らないと言われると、ちょっとその気になる。「じゃ志ん生師匠が高座で寝たエピソードを前振りに…」「いえ、そんな解説めいたことはダメです」てなことで、これを入れたら割りと受けて笑いが起きた。言い訳めいて牧野周一のネタだなんてことを入れたが、あっち亭さんの言うように解説めいたことは不要だったかもしれない。見る眼の確かな方である。
 打ち上げの席で、ピンク映画の題名の話題になり、エッチな言葉が一つもないのにピンク映画でしかありえない名題として「団地の奥さん 同窓会に行く」を挙げたら、「それ、使えますよ」とあっち亭さんが言う。「いや、これ切通理作さんの盗作になっちゃいますよ」相変わらず尻込みする私に、「そんなの誰も知りませんよ」とあっち亭さん。あっち亭さんの観る眼は正しいので、目下それを取り入れて新バージョンに見直し中である。
 似顔絵コントなる独自のジャンンルを確立したバトルロイヤル風間さんは、新ジャンルを見る眼が的確である。映画史プラス活弁の紹介講座プラスコントという独自のスタイルができてきましたね、と評してくれた。今回、新たな試みとして入り口で至近の活弁ライブのチラシも配り(これも澤登翠さん、佐々木亜希子さん、片岡一郎さんとバラエティに富んだ三種がそろった)、「現代では活動弁士は古典芸能・文化財的な形で残っておりますが、皆様が考えているよりは、はるかに多くライブが行われております」とやった。本当にみなさんの提言で、着々と新ジャンルとして育てられていくのを感じる。私は大したことはない。皆様の提言が素晴らしいのである。

・マンドリン演奏「セレナーデ他」 大野洋志他
地元の方の楽器演奏である。話芸ではないのでコメントは割愛する。

・お仲入り
お仲入り前に出番が終わるのは、誠にありがたい。午後1時開演といっても、出番を控えているとあまり食べる気にならない。本日のお仲入りは、私にとっては腹ごしらえタイムである。

・コント「似顔絵刑事(デカ)」 東京モンキーズ
これは笑った。前夜とうってかわってトチるは、ずっコケルは、顔見合わせて立ち往生しちゃうは、それがこのアットホームな会場にうまくマッチする。天然なのか、会場の雰囲気に合わせてる確信犯なのか。打ち上げでは、「昔の東京モンキーズの良さが出ましたね」と誉めてんだか何だかわからないような講評となった。

・落語「宿屋の富」 酔水亭珍太
社会人落語家歴三十年でトリの三十分という大舞台らしからぬ出来栄え。珍太さんは、仕事の関係で昨日の「あっち亭こっち一座興行」には来られなかったが、富くじに当たった時の妄想が聞かせどころの話なのに妄想が全然弾けず、前日の「湯屋番」「野ざらし」の弾けっぷりを見た後だけに、なおさら顕著に感じた。打ち上げで珍太さんは、昔は何度も演ったが、今回は稽古不足で高座に上がったと言っていた。芸というのはそういうことがすぐ出るみたいだ。恐ろしいものである。

打ち上げで私は、あっち亭さんにこの数日間にもかかわらず「こんにゃく問答」が素晴らしく進化した秘密を聞いてみた。「そりゃ稽古ですよ。あなただってやってるでしょ。」「ええ、今日は朝2回と、電車の中で口中で呟きながら2回程度ですけど」「そうです。そういうことが大事なんです」

こうして5月31日(水)から6月4日(日)までの「話芸と映画の5日間」は暮れたのであった。
●平成18年4月15日(土) ピンク映画大賞

「ピンク映画大賞」表彰式の日である。湯布院映画祭のお馴染みおたべちゃんの「京都オフ4月」とバッティングしたが、これだけは外せないので京都は残念ながら欠席した。掲示板によると盛況に終了したようで、慶賀の至りである。
 欠席の罪滅ぼしに「ピンク映画大賞」レポートをいたします、なんて大見得切ったのに、ゴールデンウィークにあるとんでもないことをする羽目になり(これは別項で後述します)、それに追われて出し遅れの証文みたいに、今頃、しかも大した内容のないものをご披露するのは汗顔の限りなのだが、まずは始めさせていただきます。
 15日(土)は日が悪かった。月一第三土曜日の「映画友の会」の日である。三次会でしこたま飲んで(さすがに四次会は「ピンク大賞」に間に合わなくなるので不参加としたが)、酩酊状態で池袋の文芸座に到着した。その後の打ち上げパーティーでも飲み続け記憶は定かでなく、レポーターとしては完全失格状態となった。
 午後10時、表彰式は、現代映像研究会の松島政一会長の進行で、プレゼンターが池島ゆたか監督。池島監督は、なぜか私同様ベロベロで、コメントはいつ果てるともなく延々と続く。「時間が押してますんで…」と、もっぱら松島会長がセーブ役、その迷コンビぶりが笑わせる。でも、どこか淋しい。そう、いつも壇上に見る林由美香さんの顔がないのである。
 昨年に突然死した林由美香さんを私は特別賞に推したが、これは全員一致だろうなと予想していた。彼女に一票を投じない奴は非国民(?)だくらいの乱暴なことを思っていたが、蓋をあけたら投票者31名中の10名が別の投票をしていた。その中で「テアトル新宿」を推した人は「由美香ナイト」開催の功績を称えてのことだから同一としても、「PG100号」が2票、「ピンクリボン」1票というのをみると、これはこれで割りを喰ったなと思わざるをえない。由美香さんショックがなければ、共に十分に受賞に値する成果である。特にPG林田義行編集長への私の思いは複雑だった。
 「ピンク大賞」打ち上げパーティーで知己を得たぢーこさんが特別賞を棄権したのは意外だったが、「PG」のコメントを読んで納得した。以下に引用する。

[多くの方が彼女を特別賞に推すと思われますが私は敢えてしません、彼女の今までの功績はそんな小さなものではないはずです。そこで私は提案したい、彼女の功績を称え「林由美香賞」を創設したらどうかと思うのですが如何なものでしょうか]

なるほど、これは一つの見識かもしれない。授賞式のハイライトは、やはり特別賞の林由美香さんだった。艶やかなカラーの遺影を胸に、お母さんが代理出席して、涙々のスピーチだった。先程まで酩酊メロメロの池島監督が、突然なぜかここではシャキッとしたのも素晴らしかった。
 監督賞のいまおかしんじは撮影中とのことで残念ながら欠席、関係者が壇上に上がるが、「大変なことを要求する」とか、本人がいないので言いたい放題の一幕となった。授賞式が終わり、受賞作上映開始までの間、ロビーはごったがえす。私はミーハー調に、向夏さんから「かえるのうた」プログラム(編集は現代映像研究会の松島会長)にサインをもらい喜々としておりました。
 映画鑑賞はパスして、徹夜の打ち上げパーティーになだれ込む。いまおか監督欠席はちょっと残念だった。私の今年の打ち上げのテーマの一つは、「いまおか映像パワー」の秘密に迫ることだったからだ。
 とにかくいまおか作品の「映像パワー」は凄い。一昨年の「熟女・発情 タマしゃぶり」(一般公開題名「たまもの」)、昨年の「援助交際物語 したがるオンナたち」(一般公開題名「かえるのうた」)。言語化できないのがもどかしいが、とにかく冒頭の映像一発でパワーに引き込まれ、後はグイグイ引きずられて行く。昨年の「映画芸術」忘年会の時に監督と話をする機会に恵まれたが、本人は「僕、何もやってませんよ。役者さんやスタッフのみんながやってくれるんですよ」と淡々としたもの。「すると、監督は成瀬巳喜男か野村芳太郎タイプですね」と大仰に水を向けて話を引きだそうとしたが、「いやいや、そんな」と言葉を濁してそれっきりだった。
 打ち上げで向夏さんに話を聞く。でも「スタッフの方はいろいろ言ってましたけど、私は何にも言われませんでした。自由にやらせてもらいました」と、これも素っ気ないもの。「向夏さんが亭主にワインの瓶を叩きつけるプロローグの映像パワーで一気にひきこまれちゃうんですけど、あれって撮影初日だったんですか」「いえ、あれは真ん中へんでした」他愛もない話に終始し、ついにいまおか映像パワーの秘密にかすりもしないで終わった。
 酩酊ベロベロが由美香さん特別賞のところでシャキッとなった池島監督のところに行き、「あれは演出なんですか」と冷やかすと、「そりゃそうですよ、私、役者ですから」と来た。そう池島監督は俳優出身だった。
 とにかく、こっちも「映画友の会」三次会の延長で飲み続けたのだから、途中うたた寝したりして、定かでない状態。調子に乗って一部の人の前で、活弁のサワリかなんか、ガナっちゃったような気もする。そんなこんなの内に、白々と夜が明けたのであった。

●「活弁コント」に手を出した!

前に述べた「ゴールデンウィークにあるとんでもないことをする羽目」とは、社会人芸能集団の寄席芸に混じって、「活弁コント」なるものでテビューすることである。
 きっかけは社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」のあっち亭座長から、「活弁の前説であれだけできるんだから、10分位で何かやって下さいよ」と、昨年秋に水を向けられたことに始まる。「3〜4分の前説なら何とかなりますよ。まして、後にはメインの映画が控えてるんだから。でも語りだけで10分なんて無理ですよ」と尻込みしたんだが、「できます!周磨さんならできます!!」、何度も言われているうちに、人間はその気になってくるから恐ろしい。「豚もおだてりゃ木に登る」のである。
 まず、私に落語は無理そうだ。キチンとした古典芸能を身につける自信はないし、第一ガサツな私は、着物の着こなしがガタガタになりそうだ。じゃあ型にとらわれないものがいいか、と漫談を構想した。(この安易さが、イバラの道になることを後に痛感する)とにかく活弁の前説をやや膨らませ、それだけでは時間がもたないので昔に聞き覚えた落語ネタをドッキングさせ、とりあえず「活弁漫談 幽霊タクシー」なる10分少々の台本をでっちあげた。
 3月27日(月)、初めて「あっち亭こっち一座」の練習会に参加する。何とか「活弁漫談 幽霊タクシー」をやり終える。「いいじゃないですか。行けますよ」とあっち亭さん。こんなもんでいいんかいなとホっとしていたら、ここからが大変、矢継ぎ早に各参加者から「でも、こうしたらもっと良くなる」「ああしたらもっと良くなる」と厳しい指摘の嵐、早い話がまるで駄目ってことジャン。なる程、これが噂に聞く「あっち亭こっち一座」練習会の厳しさの片鱗(新参者だったんで指摘も控えめだったと思うんで)か、と痛感した次第である。
 ここに来て型のない「活弁漫談」なるものに手を出したことを、チト後悔する。型がないということは、何でもありということ。だから、苦言・提言(いや、苦言はすべて提言です。ありがとうございました)は多岐にわたってエンドレスに延々と続く。それでも、何回かの練習会を通じて、まずタイトルは「活弁コント」の方がベターとの提言を始めとして、ボードや効果音楽の導入とか、活弁の語りのダイジェストをもっと散りばめた方がいいとか、2〜3分に1回は笑いを取るか活弁の聴かせ所を入れた方がよいとか、「あっち亭こっち一座」や「蛙の会」の諸先輩の方々の意見を取り入れていったら、当初は活弁の前説と落語を安易に組み合わせた木に竹を接いだようなやっつけ即製の台本が、みちがえるように新ジャンルの芽生えみたいなものに変貌してきたから面白い。原型の落語も、それとは判らぬ位に換骨奪胎されてきたのである。周知を集めてくれるということは、素晴らしいことだ。また、「蛙の会」会長でマツダ映画社の松戸誠専務が、ボードや効果音楽の素材提供に多大に協力していただき、感謝の限りである。

●「活弁コント」デビュー戦

かくして、練習会を重ねるうちに、あれよあれよと5月7日(日)の「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」でデビューが決まってしまった。ところが、ことはそれだけでは納まらなかった。5月3日(水)の練習会で、同じく「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」の出演者の社会人落語家の酔水亭珍太さんと同席した。珍太さんは5日(金)の「村井しげるの常泉寺ワンコインコンサート」の席亭も務めている。私の「活弁コント」は20分弱だが、「10分程の時間取るから前座の一人に加わって下さいよ」となり、「いや、プロじゃないからすぐ短縮バージョンなんて器用なことできませんよ」と尻込みしていたら、あっち亭こっちさんからも「周磨さん、機会があったら経験は積んだ方がいいですよ」と煽られて、ここでも豚が木に登ってしまった。(デビュー前にオファーが来るというのも珍しい、なんちゃって)てなことで一応2ステージを勤め、新ジャンルのせいもあって(お世辞でしょうが)好評を賜り、さて今後どうなっていくんでしょうか。

●「話芸」は「東映任侠」 日活ニューアクションに非ず

初高座の弁だが、「映画三昧日記」であるんだから、映画の話題にひっかけたい。お笑いは「間」が大切だということを痛感した。おかしいところでも笑いが来ない。これは未熟な私に責任がある。笑いを取るところで一瞬の「間」を取ることにより、笑いは爆発する。ところが、素人はその「間」が恐い。笑いが来なかったらどうしようと怯える。沈黙が発生することの恐怖から、ギャグで落とした後で、間髪を入れず次の言葉を発してしまう。これでは、起こりかかった笑いを封殺しているようなものだ。沈黙の恐怖を克服しての適切な「間」、プロはやはり大したものだと思う。この「笑い」を、活弁のサワリを聞かせた後の「拍手」に置き換えても全く同様である。
 これは東映任侠映画の精神である。「昭和残侠伝」の高倉健サンは、悪親分を追い詰めて、まず「阿久津!」とかの敵役の名前を叫び、一拍の「間」を置いてから「死んでもらうぜ!」と啖呵を切った。だからオールナイトの映画館では、その「間」に拍手が爆発した。
 日活ニューアクションは、「人斬り五郎」を筆頭として、そんな見得を切った間合いはない。殺しの最短距離に一気に走りこむ。リアルで息詰まる迫力はあるが、拍手を楽しむような「間」とは無縁である。今後も、東映任侠の「間」を勉強するとするか。

「話芸」は「格闘技」だ!

映画の話題とはやや離れるが、私はプロレス者であるのは知る人ぞ知るところであるので、今度はプロレスネタに引っ掛けて一つ。私は運動神経ゼロで、徹底してスポーツが駄目だ。(口の悪い奴は、運動神経がすべて口に回ったなんてのたまわる)体を動かすことは、ハイキングに毛の生えた誰でもできる山歩きか、ウォーキング程度しかできない。私がプロレス・格闘技(若干のボクシングも含む)しか、スポーツ観戦をしないのは、逆立ちしても自分がリングに上がることはできず(ボクシングにアマはないわけじゃなく、最近はアマチュアプロレスなるものもないではないが)、基本的に観客に徹せざるをえないスポーツだからだ。よくちょっと齧った奴が、スポーツ中継を見て自分の体験を引き合いに出し薀蓄を傾けているのは、私は大嫌いである。中継されてるのは超一流の競技者だ。あんた、どれ程の者なの、と言いたくなる。だから安心して観客に徹することができるプロレス・格闘技が好きなのである。
 映画に対するスタンスも、私は全く同様だ。映画製作には全く興味がない。映画とはド素人が逆立ちしてもできない大変な努力の果ての、高度な技術を楽しむものである。だから映画は、観せる側に立つものじゃないと思っている。では、活弁をやってるのはどうなのとなるが、あれは私の観客としての映画愛の延長で、観せる側に回ってるとは思っていない。(こんなこと言うと「蛙の会」の先輩には叱られそうだが)主役はあくまでも映画なのである。
 そんな風に思っていた私が、「活弁コント」なるピン芸に手を出してしまった。よく考えたら、これは意識してないうちにリングにあがっちゃったということなのである。これは絶対に観せる側に立ったのであり、断じて観客の延長ではありえない。自分でやってみたら、ついついあっち亭こっち大師匠に言ってしまった。「あっち亭さんが、あんなに上手いのに、なぜ笑いが起こっても爆発までに至らないのかがわかりました。もっと間をとればいいんですよ」って岡目八目の恐ろしい指摘をしたもんだ。ああ、やだやだ、ちょっと齧って訳知り顔で批評する私のいやなスポーツ経験者と同じになってんじゃないか。
 でも、あっち亭師匠曰く、「もう、リングに上がったんです。逃げられませんよ」さて、本当にこれからどうなっていくんでしょう。

こうしてゴールデン・ウィークは、1日(月)のファン感謝デーで3本のはしごをした後は、「活弁コント」に追われて、ついに11日(木)のメンズデイまで、映画にご無沙汰してしまった。私としては、極めて異例な事態だ。当然ながら、「映画三昧日記」なども書いてるどころではなかった。おかげで、長い空白になりました。これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします。
●平成18年3月5日(日)

 「黒い手袋」様、掲示板を拝見しました。「力道山」、当然見てますよー。平成18年3月5日(日)公開2日目のテアトル新宿にて鑑賞しました。プロレス者としては、早く見たくて見たくてたまらなかった一篇。私は東京国際映画祭はあまり乗らない方なのだけど、クロージングの「力道山」だけはチケットを苦労してもゲットしようかと思ったくらいです。
 色々感じるところ多い映画でした。ということで、今回は映画「力道山」評ということで行きたいと思います。

 力道山が朝鮮半島出身というのは暗黙に周知された事実だった。そして、生前はそれを言うことも暗黙のタブーだった。そんな私から見ると、韓国人が朝鮮民族としての力道山を演じるのが可能な時代になったことに感無量の思いがある。しかも、あからさまな日本人の民族差別といじめという恥部を徹底的に描いており、これが日韓協同の下で創りあげられる。やはり二十一世紀ならではの映画表現だと私は思う。
 相撲部屋の凄まじい暴力的いじめ、ただ、後にプロレスラーとして大成するだけあって、力道山は腕っ節は強い。堪忍袋の緒が切れての反撃に出る。すると、今度は盗みの濡れ衣を着せられる。何という陰険さだろう。警察も朝鮮人に対し露骨な差別で犯人扱いだ。私は戦後生まれだから、朝鮮人への差別意識はない。しかし、日本人優位の感覚は、親の世代から見せられ刷り込まれているのも事実だ。「朝鮮野郎」「朝鮮のくせに」これは民族のことを言っているのではなく、それ自体が差別用語だったのだ。当時は少年だった私の心にも、ヒーロー力道山への憧れと同時に、朝鮮人であることを認めたくない、日本男児であってほしい、との屈折した感情があったのも間違いない。
 いや、差別される方の感情はもっと屈折している。力道山は「俺は日本人だ、盗みなんかしない!」と叫ぶ。そして「予科練の歌」を歌う。何と胸を締め付ける悲しい光景だろう。しかも、藤竜也演じる会長(これは新田建設社長の新田新作と興業師の永田貞雄を合体させた人物像のようだ)に的を絞って訴える狡猾さと計算高さの二重の屈折が、さらに胸を締め付ける。藤竜也はこの懐の深い人物を見事に造形した。好演である。
 昭和の巌流島の決闘と言われた「柔道の鬼」木村政彦と力道山の試合は、諸説乱れ飛んでいる謎の多い試合である。「八百長崩れだった」「恐怖心の結果起こった惨劇だった」「力道山の確信犯的裏切りだった」etc…。この映画はかなりかなり際いところまで真相に迫ったと思う。力で勝ち続けるしかないとの力道山の強引さの帰結としてこうなるしかなかったということだ。木村を演じた船木誠勝が武道家の潔さを鮮やかに表現し、後味の悪いものにしていないところも良い。
 ソル・ギョングは腹の出た相撲取りの体形から、引き締まったレスラー体形へと、見事なな肉体造りをしている。ハロルド坂田を演じた武藤敬司にボコボコにされ、前述の木村政彦戦でも船木誠勝とガチンコでリング上でぶつかっている。過去に田口トモロヲが「マスク・ド・フォーワン」で、ミル・マスカラスを騙る男にふさわしい肉体を造り、ハヤブサ(当時は元気だったが今は車椅子、アァ…)と大試合を演じた例もあるが、それ以上の快挙と言えよう。
 ただ、読売新聞の評でソル・ギョングの演技に対して疑義が呈されていた。あんな暗い野望家が何故国民的ヒーローになったのか。そこに説得力がないとのことだった。確かに力道山の笑顔は百万ドルだった。多少無茶苦茶で強引でも、あの笑顔でニッコリされると、誰も抵抗できなかったという。私達、力道山をリアルタイムで知る世代には既成の事実なのだが、確かに力道山を直接知らない世代がどう感じたか、もっと知りたいところである。
 笑顔のいい人間とは、カリスマの条件のようだ。稀代の大悪党と世間で言われているオウムの尊師も、彼にニッコリ微笑まれると抵抗できなかったと聞く。ジャイアント馬場さんのニタッとした笑いにも、千金の重みがあった。
 話を本筋にもどすが、とにかくこんな強引さに妻の中谷美紀は危険を感じる。「負けてください。あなた一度だけ負けてください」と訴えるところは情感が溢れる素晴らしいシーンだ。ただ、これを力道山物語の収束点として、後は史実とかけ離れていくのが残念なところである。ドラマはここでクローズし、だから、このまま力道山を勝たせ続けていれば後継者が育たず、プロレスが衰退するとして、力道山をかませ犬にし東富士(映画では東浪、今は亡き橋本真也が遺作で好演!「マスクド・ド・フォーワン」のハヤブサといい、こういう映像はプロレス者としては涙なくしては見られない)を後継者に仕立て上げようと藤竜也の会長が仕掛けるという展開になるが、こういう歴史的事実はない。第一、横綱まで上り詰めてからの転身の東富士は、力道山より年長だ。ただ、次第に力を蓄積して暴走気味の力道山のお目付けとして、新田新作が東富士をプロレス界に送り込んだということはある。
 後継者に関して最も頭を痛めていたのは、力道山自身だった。体力の限界も感じていた。そこを外してドラマを組み立てたから、ここには大木金太郎(ノアの若手の橋誠が演じる。他にもノアから秋山準が遠藤幸吉役で出演、この映画はプロレスオールスター共演の楽しさもある)は出ても、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の存在はどこにもないのである。
 実は、この後の東富士潰しの中にこそ、壮絶なドラマがある。この頃の横綱の権威というのは、現代よりも何倍も高かった。当然、東富士に絶大な期待が集まった。関脇の力道山ですらプロレスであれまでになったのだ。まして、日の下開山の横綱が転向したら、どんなに凄くなるんだろうとの期待である。力道山はさぞ苦々しく感じていたことだろう。
 その結末は、並のドラマ以上に劇的だった。メキシコの巨漢レスラーでセメントに強いジェス・オルテガを、力道山が焚きつけたのか否かは定かでないが(そんな噂もある)、オルテガは一騎打ちのリング上でボコボコにして東富士を血ダルマにする。横綱の権威が絶大な時代である。大観衆はショックと共に「横綱が殺される〜」と悲鳴の渦を上げる。その時、まるで疾風怒濤のように力道山がリングに雪崩れ込み、空手チョップの雨あられ、オルテガをリング外にたたき出し、気息奄々の東富士に肩を貸して立たせる。この瞬間、横綱の権威はアッという間に崩壊し、プロレスには過去のキャリアなんて関係ないこと、力道山がイチバンであることを大衆に決定的に印象付けるのである。
 対木村政彦といい、対東富士といい、トップを取るためにはなりふりかまわない力道山のガムシャラさには目を見張るものがある。ただ言えるのは、それだけでなく力道山の勝ち方に説得力があることだ。闘う前から、力道山が木村政彦や東富士の後塵を拝するというイメージはどうしても湧いてこないのである。ソル・ギョングは好演だが、読売新聞紙上で指摘されたように、そんな力道山のカリスマ性の表現にまでは至らなかったようだ。

平成18年3月26日(日)

花見の季節だ。3月25日の土曜日、娘とその友達と連れ立って井の頭公園に繰り出す。幼児も交えたバラエティに富んだメンバー。子供好きな私は、子供の喜びそうな遊びを仕掛けて受ける。「レベルが同じだからね」と、娘が憎たらしいことを言う。花はまだまだ1〜2分の咲き、ただ人手は花見並なので地べたに座り込んでも乞食には見えず、花見に見える。不思議なものだ。
 翌日の26日の日曜日、上野オークラに向かう。上野の桜はどうだろう?早めに家を出る。3分咲きくらいにはなっていた。時間は午前9時半、開映までには1時間弱あるので、時間つぶしに缶ビールを買い込む。ところが、朝早いのでつまみにできそうなものが何もない。焼きそばやタコ焼きの屋台も火を起こしかけてるところである。かろうじて、焼けていたフランクソーセージを買って時間を潰す。
 てなことで、上野オークラでピンク3本立てをこなして、午後1時半、外は暖かい。桜も5分咲き以上に進んでいる。屋台も真っ盛り。早速、昼飯代わりに焼きそばなど仕入れて、ワンカップを傾ける。そしたら「いい匂いねー」とおばさん3人組に話しかけられる。「おじさん、一人、奥さんはー」とか、余計なお世話だちゅーの。でも、こちとらピンク映画見終わって、昼飯代わりに花見してるとも言えないから、「あ、俺、家内なくして未亡人だから、未亡人ってことはないか」なんて、適当にあしらってたら、「お子さんは、あ、娘さんがいるの、でも、大きくなったらお父さんなんて相手にしないからねー」と来た。「昨日、娘と花見したよ。娘だって、そう毎日親父とつきあっちゃいられないでしょ」「いい娘さんねー」おばさんでも、それなりにチャーミングな面子でもいればいいが、全然そうでないので、早々に飲んで食べ終わって上野を撤退する。
 帰宅したら、娘が女友達と家にいた。おりしも、近所のイトーヨーカ堂で駅弁祭り開催中、そこで、それぞれがお気に入りの駅弁を仕入れ、夜は近所の黒鐘公園(国分寺尼寺跡)に花見に繰り出すことになる。冷え込みもなく、完全なる花見日和。ただ、上野や吉祥寺とはちがう。公園が花見モードになってなかったらお笑いだよね、とか言いながら旧鎌倉街道跡を下っていく。黒鐘公園は提灯が煌々と灯り、完全な花見モードだった。ただ、屋台は出ていない。花見客も散歩がてらの者が眺めながら通り過ぎるくらいである。確かに、ここの花見団体の主力は、東芝府中工場や府中病院あたりだから、金曜日あたりで企画しなければ、来る者はあまりいないだろう。金曜日あたりでは、そんな気分の陽気でなかったもんな。とにかく、提灯も陽気も花も6分咲きで完璧な花見モードなのに、シートを敷いて花見で盛り上がっているのは、我ら3人だけという、何ともシュールな体験で、今週末の花見体験は終わったのであった。

●平成18年3月27日(月)

社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」のオーディションをマガジンハウス会議室で受ける。私の活動弁士の前説を聞いて、あっち亭こっち座長が話芸も何かできるはずだと乗せられて、我流で活弁漫談「幽霊タクシー」をでっちあげ、とにかく紹介する。あっち亭座長以下、仏屋シャベル師匠、東京モンキーズのMISAKAさん、「蛙の会」先輩で活弁にアドバイスをいただいている飯田豊一先生と、そうそうたるメンバーの審査。何となくクリアされたようで、「活弁コント」という形で、今後「あっち亭こっち一座」の手駒として期待しますとの座長の弁、近々に初舞台もセッティングするとのこと。おいおいマジかいなといった状況である。そういえば「映画芸術」編集部104さんが、夢月亭清麿師匠の独演会で席亭デビューするとのことを、風の便りに聞いた。もうこうなったら、「席亭」104さん!「活弁コント」の周磨要をゆくゆくはよろしく!と売り込んでおきましょうか。
●私に多少の縁があり、お勧めしたい作品を2点紹介したい。

○映画「ナミイと唄えば」  3月18日(土)〜  ポレポレ東中野にて公開

 沖縄の歌三線の新城浪のドキュメンタリー。私との縁や、映画の詳細は、作年4月「アンタも私も百廿歳まで」という仮題だった頃、私が編集している「話芸あれこれ」第3号に撮影風景を書いたので、以下にそれを紹介します。

「アンタも私も百廿歳(ひゃくはたち)まで」撮影風景  周磨 要
 4月29日(金)〜30日(土)にドキュメンタリー「アンタも私も百廿歳まで」の撮影を見させてもらった。監督は「アレクセイと泉」「ナージャの村」の本橋成一で、85歳の沖縄の歌三線(うたさんしん)の新城浪(あらしろ・なみ)のドキュメントだ。厳しい人生を重ねた縁の地の那覇、石垣、波照間、与那国、台湾を歌いながら巡り、最後は浅草の木馬亭の公演で締めくくる。映画の公開は、12月23日(金)ポレポレ東中野(中央線 東中野下車 ポレポレ坐ビル地下)だ。
 この映画が、何で「蛙の会」に関係があるかというと、木馬亭公演「ナミイの三線放浪記」の演出が会員の飯田豊一で、語りが「蛙の会」での公演実績もある新進浪曲師玉川美穂子なのだ。
 29日(金)の浅草を訪れると、撮影場所は木馬亭前の焼肉店の浅草苑。玉川美穂子と新城浪が公演の打合せをしている所に、新城浪の年の離れた恋人大田静男が訪れる場面である。ドキュメントだから実際の公演の打合せも兼ねているにせよ、玉川美穂子のカメラを意識しない振舞の度胸の良さに感嘆した。
 撮影は、木馬亭内の公演のリハーサル風景に移る。カメラは明日の公演の撮影も含めて慎重にセットされていく。当日の観客に撮影を意識させぬ配慮であろう。もちろん、リハーサルの撮影は公演自体のリハーサルも兼ねている。
 演出家・飯田豊一の姿を見るのは、私は初めてだ。玉川美穂子の語りに対し、時に自ら語って演出していく。映画監督に例えるならマキノ正博タイプだと感じた。女形経験のあるマキノは、女優も含めて演技は自ら手本を示したそうだ。演技は役者が考えろと突き放すことで潜在能力を搾り出す溝口健二やら、役の心だけを懇々と話す加藤泰やら、何もしてないように見えるのにペースを作ってしまう成瀬巳喜男やら、監督のタイプはいろいろある。
 本橋成一は、私には成瀬タイプに見えた。この日の全体を通じてほとんど目立った動きをしない。撮影監督とちょっと打合せする程度である。むしろ脚本の姜信子の方が、飯田豊一や玉川美穂子とディスカッションを重ねていた。映画ファンの私には興味深い光景だった。
 リハーサルは、高齢の新城浪を疲れさせないように、玉川美穂子の語りを中心に歌の部分は割愛して進められる。ただ、そこで少し歌ってみて下さいと指示があると、周りがハラハラするくらい歌い続ける新城浪の溌剌とした若さが印象的だった。
 そして30日(土)公演当日、場内は通路まで補助椅子でいっぱいになる満員札止めだ。玉川美穂子の語りで新城浪の苛酷な時代の厳しい人生が語られ、対照的に場内を手拍子・拍手で埋め尽くす歌と三線の活力と明るさに筆舌に尽くしがたい素晴らしさを感じた。私は人間が生き抜くことの力強さの感動を胸いっぱいに、木馬亭を出て空を見上げ春風を深呼吸しつつ家路に向かった。視線の先にライトアップされた浅草寺と五重塔が美しく聳えていた。

 平成18年2月17日(金)飯田豊一先生の御配慮でシネカノン試写室で「ナミイと唄えば」を見せてもらった。見終わって元気が出てくる快作だった。新城浪の人生に対するポジティブな姿勢がいい。また、神や霊に捧げて唄う時の謙虚な姿勢がいい。一押しです。「ナビィの恋」が好きだった人なら、絶対感動すると思います。沖縄の婆さんも爺さんも、三線を持たせると何であんなに活き活きとするんだろう。(ただ、「ナミイと唄えば」のタイトルは「ナビィ」の柳の下を狙ったみたいで、「アンタも私も百廿歳まで」ままの方が私はよかったと思っている)
 撮影風景で書いた構成と違って、玉川美穂子さんは木馬亭だけの進行役でなく、全体の進行役になっていた。これは後から出た構想のようで、注意深く見ればロケ地にはいっさい美穂子さんは立っていないので、それが推察できる。美穂子さんが好補佐だっただけに、当初からこの構想で撮影されていたら、もっと良くなったような気がする。
 試写室で私は大感動し、終映後に拍手したい気分になったが「映画祭じゃないんだから」と控えていたら、拍手が沸き起こり私も便乗してしまった。後日、アニメ研究家おかだえみこさん、映画ライターわたりじゅんさんに聞いたら、試写室でのそうした光景は極めて珍しいことだそうで、「それだけで宣伝のネタになりそう」とのわたりさんの言であった。
 ということで、保証付きの感動作です。どうぞ見て下さい。

○河出文庫「ロマンポルノ女優」 早乙女宏美・著 3月10日(金)発売 630円
 
 女優・ライター・パフォーマー・ダンサーで、私と「蛙の会」で活動弁士の勉強もしている早乙女宏美さんの3冊目の著書です。読了しました。相変わらず女性ならではの視線も際立つ力作です。「映画三昧日記」でもじっくり語りたいと思いますが、まずは速報までに。御講読下さい。
2005年ベスト10
年が改まってから、かなりこのページをサボってしまいましたが、新年度の開幕です。まずは、昨年の私のベストテンの紹介からいきたいと思います。

日本映画
@メゾン・ド・ヒミコ A樹の海 B埋もれ木 Cパッチギ! Dローレライ E運命じゃない人 F花と蛇2−パリ・静子− Gリンダ リンダ リンダ HALWAYS 三丁目の夕日 I春の雪 (以上鑑賞作品87本からの選出)

外国映画
@スター・ウォーズ エピソードV/シスの復讐 Aエレニの旅 Bヒトラー 最期の12日間 Cウイスキー D皇帝ペンギン E四月の雪 Fティム・バートンのコープス・ブライド Gサマリア Hオペラ座の怪人 Iエターナル・サンシャイン
(以上鑑賞作品83本からの選出)

ピンク映画
鑑賞作品27本 注目作は7本 以下にベスト7を記す
@不倫団地 かなしいイロやねん(堀 禎一) 
A援助交際物語 したがるオンナたち(いまおか しんじ)
B人妻を濡らす蛇−SM至極編−(池島 ゆたか)
Cハードレズビアン クイック&ディープ(佐藤 吏)
D年上のOL 悩ましい舌使い(吉行 由美)
Eセックス詐欺の女 濡れてよがる(深町 章)
F新人バスガイド くわえ上手な唇(加藤 義一)

「周磨要のピンク映画カタログ」も併せて覗いて下さい。

澤登翠さんから自筆の年賀状をいただいて感激する。「話芸あれこれ」や「蛙の会」について書いてくれている。自筆の年賀状は以前にもいただいたのだが「三十周年パーティー」や「リサイタル」の話題だったんで、口の悪い奴が「誰にも通じる文面だよ。自筆の印刷だよ。澤登さんがあなたに直接書くわけないだろ」とぬかした。今度はそんなことは言わさない!

それでは、今年もよろしくお願いいたします。

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